02:万能ペンライトⅡ
ベイガルさんの声は随分と荒く、鬼気迫っている。
お嬢様がビクリと肩を震わせ、コラットさんも何事かと窺うように彼の周りを飛んでいる。それでもベイガルさんは顔を背け、説明する余裕も無いのか「早くしろ!」と消灯を急かしてきた。
言われるままにペンライトを消せば、シンと妙な静けさが漂う。
横目で消灯を確認したベイガルさんが一息吐くと改めてこちらを向いた。良かったと安堵するような、冷や汗を掻いていそうな表情ではないか。
お嬢様が落ち着かせようと飲み物を勧める。……飲み干されていたはずのベイガルさんのカップにはいつの間にか波々と水色の――淡く光る水色の――液体が注がれており、さすがにそれはとお嬢様を制して俺の紅茶を渡す。
「ベイガルさん、何があったんですか?」
「そまり、その色は二度と光らせるな。……あれは危険だ」
「危険?」
「ピンクの光を見ていたら、意識が揺らいで……。一瞬、ほんの一瞬だが俺は……」
よっぽど言い難いのかそれともまだ余韻が残っているのか、ベイガルさんの口調は苦しそうだ。意識が揺らいだと言っていたが息苦しさも覚えたのか、胸元を強く掴んでいる。
表情も険しく、それでも説明しようとゆっくりと口を開いた。
「……俺は、お前になら抱かれても良いと思った」
……。
…………。
サァッと俺の中で音がした。
何の音か? 血の気が引く音だ。
「うわ、うわっ、うわぁぁぁ! 23歳のオッサンモドキを抱く能力!? やめてください、俺のDTはお嬢様に捧げるんです!」
「呪いよー! これは最早呪いなのよー!」
「落ち着け! 誰がお前なんぞに抱かれるもんか! 口にするのも悍ましい!」
俺とお嬢様が悲鳴をあげれば、ベイガルさんも負けじと声を荒らげる。
ペンライトのピンクは、そんな彼を……。考えるだけで震えてしまう。無理なんてもんじゃない、恐ろしい。恐怖だ。
お嬢様も震えながら「呪いよぉ……」と力なく呟いている。己を落ち着かせるためカップを取る手も震え、水色――ちょっと光が弱い――の水面が震えている。
そんな動揺の真っただ中にいる俺達に対し、コラットさんだけは落ち着いた様子でヒュンとベイガルさんの周りを一度回った。
「ベイガル、これチャームじゃないかしら?」
「チャーム?」
「えぇ、チャーム。魅了とも言うわね」
診断を終えたと言いたげにコラットさんがふわりとお嬢様の頭上に戻る。
この際、コラットさんがあのほわほわした光の状態でも喋れたのかとか、でかい蛍のようなもんだと思っていたから喋られると違和感がするとか、お嬢様のコップの中身とか、そういったことは置いておこう。
頭上からコラットさんの声が聞こえてそわそわするお嬢様も最高に可愛いが、とりあえずペンライトだ。
「魅了……なるほど、だから俺はそまりに……おえ」
「ベイガルさん、互いのためにその点についてはぼかしていきましょう……おえ。……でも、なんでお嬢様とコラットさんは問題なかったんでしょうか」
「私は精霊だから、人間とは感情の成り立ちが違うのよ。それに詩音は……」
言いかけ、コラットさんがふわりと飛び、お嬢様の周りを飛び交い時に鼻先を突っつく。
普段ならば隙あらばと捕まえようとするお嬢様だが、今に限っては何故か表情を緩めて両頬を押さえている。心なしか頬が赤く、ツンとコラットさんに鼻を突っつかれると「やーん」と愛らしい声をあげた。
「お嬢様、どうしてお嬢様は問題なかったんですか?」
「もうそまりってば、聞くのは野暮なのよぉ」
「野暮? 何が野暮なんですか? コラットさん分かるなら教えてくださいよ」
「私精霊だから分からないわ。ねぇ詩音」
「このでかい蛍め……。それならベイガルさん! ……は、無理ですね」
最後の望みをかけてベイガルさんに視線を向けるも、彼はニヤニヤと笑っていて答えは望めそうにない。
「楽しいから教えてやらない」と、言葉にこそしないが額に書いてある。なんて意地の悪い表情だろうか……!
そう俺が悔しさで呻るも、今更誰も教えてはくれない。とうてい話を戻せる空気でもない。
コラットさんがヒュンと跳ね上がると通路を飛んでいき、お嬢様が「捕獲の時間よー!」と虫取り網を片手にそれを追いかけて行く。
そうして最後にベイガルさんがニヤニヤを笑みを浮かべたまま、
「残りの一色は追々ってことで」
と、話を終いにしてしまった。
なんて腹立つ! ……お嬢様以外が腹立つ!
結局誰も何も教えてもらえず、疑問だけを抱えてお嬢様と共に家に帰る。夕飯も風呂も、ことある毎にお嬢様に尋ねるも返って来たのは上機嫌な「秘密よ」なのだ。
可愛いが参ってしまう。なんという小悪魔だろうか。
「魅了……ねぇ」
鏡の前でペンライトを振りながら呟く。ちなみに色はピンク。
目の前の実物と鏡に映るペンライトが同時に揺れる光景は、まるで催眠術師が眼前で五円玉を揺らしているかのようではないか。
だが俺の心情に変化は無い。揺れる光を見つめていても眠くなりはせず、意識が揺らぐこともない。当然だが自分に抱かれたいともならない。
鏡に映るのは相変わらず俺で、そんな俺に対して抱く感情は変わらない。
少しくらいは何かあるかと思ったが、どうやら効果は無いようだ。
「自分には効かないってことか」
催眠術師が己の術に掛からないのと同じか、もしくはペンライトの効果は俺には無効なのか、それとも魅了程度ではどうにもならないのか……。
なんにせよ自分に効かないのなら意味は無いとペンライトのスイッチを切ろうとした瞬間……ドンッと背後から何かが抱き着いてきた。
振り返れば、オフホワイトのパジャマを纏うお嬢様。その姿に慌ててペンライトを切り、腰元に隠す。いつから見ていたのだろうか、ペンライトの色を彼女は見たのだろうか……。
「……お嬢様……あの」
「そまり、寝る前にお話しして」
「……話?」
ぎゅうーっと俺に強く抱き着いたままお嬢様が強請ってくる。
『寝る前にお話』なんて、まるで子供の時のようではないか。そのうえぐりぐりと俺の背中に額を押し付けてくる。
その姿は愛らしく、思わず俺の表情が緩む。
「お話してくれないと寝ないわ!」
「それは大変だ。大事なお嬢様を寝不足にさせるわけにはいきませんね」
「そうよ。だから私がぐっすり眠れる話をしてちょうだい」
額を押し付けながらお嬢様が訴えてくる。
そんな彼女の肩にそっと手を添えれば、俺が応じると察したのだろうお嬢様がしがみつく腕を放した。
そうしてお嬢様の部屋へと向かい、ベッドの横に椅子を置く。
布団にもぐったお嬢様がパサッと布団を捲って、
「添い寝でお話してくれても良いのよ?」
と誘ってくる……。相変わらず魅力たっぷりの小悪魔だ。
理性を総動員して布団を戻すが、俺の手が震えていたのは言うまでもない。
「お嬢様、俺を揶揄わないでください。一つ屋根の下で二人きり、しかもベッド……なんて、俺の中の天使と悪魔とニャルラトホテプが揃ってGOサインを出してましたよ」
「冗談よ。……でも、本能に従ってくれても差し支えなかったのよ?」
「またそうやって……。俺の理性は砂上の楼閣なんですよ」
楽しそうに笑うお嬢様を、布団を軽く叩くことで宥める。
ポン、ポン……と数度叩けば悪戯心も収まったか、お嬢様の表情が眠たげなものに変わっていく。
まぁ、これはこれで愛らしくて俺の理性が揺らぐわけだが。というかいつだって俺の理性は崖っぷち、俺の煩悩の強さと言ったら無い。
「という俺の煩悩はさておき、どんな話をしますか? 白雪姫? シンデレラ? 俺が考える初夜の演出? 赤ずきん? 人魚姫? お嬢様に着ていただきたいナイトドレスのデザイン?」
「いやんもうそまりってば、煩悩がさておききれてないわ」
きゃっ! と愛らしい悲鳴をあげてお嬢様が布団を引き上げて顔を隠す。
だがしばらくするとそろっと布団を下ろして俺を見上げてきた。上目遣いが愛おしい。
「そまりの話がいい」
「俺の話? 改めてお話するような事なんてありませんよ」
「そまりの話が良いの。シンデレラも白雪姫も好きだけど、大好きなそまりの話が世界で一番好きなの」
だから、とお嬢様が告げてくる。
なんて愛らしく尊く……そして察しが良くて優しいのだろう。やはり彼女は先程の俺の行動を見ていたのだ。そして今こうやって『好き』と告げてくれる。改めるように、俺に言い聞かせるように……。
それを考えれば愛しさが胸に湧く。
「そうですね。それじゃ俺の話をしましょう」
「何を話してくれるの?」
「あれは俺が……爺の『学生の時にしか出来ないこと、それはシマの天辺を取る事』という言葉を最後に気を失い、気が付いたら荒れ狂う不良高校に居た時のことです……」
「敵対する高校を一人で倒して回り、伝説のヘッドと呼ばれた話ね。寝かせる気のないバイオレンス!」
興奮しちゃう! とお嬢様の瞳が輝きだす。
その姿は変わらず愛らしいが、もしかして話選びに失敗したかもしれない。