01:万能ペンライトⅠ
いかに異世界とはいえお嬢様が居るのだから、俺がすべきことはただ一つ、『お嬢様を幸せにすること』。
というわけで、当面の俺の目標はギルドの仕事をこなして生活費稼ぎである。
だがいかに生活費のためとはいえ、お嬢様がいるのだから遠出は出来ない。最低でも朝出て夜には戻ってこられる仕事限定だ。……もしくは、普通なら数日かかるであろう仕事を「これは一日で出来るぞ」と騙されて受けさせられ、実際に一日で帰ってくるかだ。
――数日かかる仕事を一日と騙すのはもちろんベイガルさんである。だというのに帰ってきた俺を見て「うわ、本当に一日で帰ってきた……」って言うんだが、これは酷くないだろうか――
だがそんな生活にも異世界のあれこれにも、一カ月もすればある程度慣れるというもの。
「というわけで、今日は採掘のお仕事に行ってきますから、お嬢様はコラットさんと一緒にベイガルさんの執務室で遊んでいてくださいね」
「分かったわ。そまり、お仕事頑張ってきてね」
「毎度言うが俺の執務室は託児所じゃねぇ」
「お気に入りのお店のクッキーを鞄に入れておきましたから、昼食後にベイガルさんにお茶を淹れて貰って召し上がってください」
「あのお店のクッキーね! 楽しみ!」
「聞け、だから託児所じゃねぇ。あとお嬢さんは俺が何か淹れなくてもコップ渡すと勝手に飲んでるぞ」
「今日の依頼なら昼過ぎには戻ってこれるはずです。さぁお嬢様、いってらっしゃいのハグをしてください」
「戻ってきたときはそまりからただいまのハグをしてね」
「聞けっ!!」
俺とお嬢様の別れのやりとりに痺れを切らし、ベイガルさんが声を荒らげる。
おかげでいってらっしゃいのハグがいつもより早く終わってしまい、お嬢様がコラットさんに誘われて走っていってしまった。――正確に言うのならホワホワと光りながら飛ぶコラットさんを追いかけ「今日こそ捕獲よー!」と虫取り網片手に走り出してしまった。お嬢様ってばなんて愛らしいお転婆ガール――
「なんですかベイガルさん、お嬢様とのハグを邪魔するなんて、貴方に借りが無ければ一生後悔させてるところでしたよ」
「もうお前のその物騒なイカれ具合には慣れた。そもそも人の執務室を託児所にする方が失礼だろ」
「報酬から託児料引いてるんだから良いじゃないですか」
「……いつの間に文字を読めるようになった」
「読みに限らず、書きも金の計算も出来ますよ」
この一か月、俺はただ金を稼いでいたわけではない。
文字の読み書き、金の計算、国の仕組みと法について。必要最低限のものは学んでおいた。
特に文字の読み書きは完璧だ。文字のベースこそ全く違うが会話ができ、なにより俺が習うより慣れろ派だったのが幸いした。……あと、以前にもさっぱり言語の分からない国に放り込まれたことが幾度となくあったのも幸いしたか。
懐かしい。決まって爺に『そまり、これ読めるか?』と知らない言葉の書かれたボードを見せられると同時に気を失い、気が付くとどこか分からない国のわけの分からない場所に居たのだ。
いつも死に物狂いで現地の言葉を覚え、そして日本に戻ってきた。
思い返せば思い返すだけ憎悪が募る思い出だ。だがいつも必ず辞書を持たされていたのは、爺の情という奴だろうか。
そういえばあの辞書はどこにしまったか、あの……
『イラストで分かることわざ辞典』
「せめて英和ぁ!」
「ど、どうしたそまり!?」
「……おっと失礼しました。とにかく、もう言語は完璧です」
「代筆料金もとっておけば良かったな」
ベイガルさんがニヤリと笑う。
そんな彼のあくどい笑顔を横目に、俺は肩を竦めるだけで返してギルドを後にした。
そうして手早く仕事を終え、予定通り昼過ぎにギルドへ戻ってくる。
お嬢様を抱きしめて依頼終了の手続きを済ませてお嬢様を抱きしめ、次の仕事を選びつつお嬢様を抱きしめ、報酬金を受け取る。採掘は危険も少なく戻りも早い楽な仕事だが、その分報酬金は少なめだ。……まぁ、途中でよく分からない物騒な生き物を何匹か仕留めていたので、その分多少は色がつくだろう。
「……お前、採掘の片手間に高難易度の狩猟対象を狩ってくるなよ」
とは、俺の依頼終了書を眺めるベイガルさんの言葉。かなり呆れた様子だが、その背後では受付嬢達があたふたと何かの処理をしている。ギルド内もざわついており、何やら聞き慣れぬ単語を口にしている。
どうやら俺が仕留めた中に高額報酬のものが居たらしい。
どれだろう? 歩いていたら顔面に突撃してきた虫だろうか、それとも血走った目で襲い掛かってきたバイソンか。途中でヘラクレスオオカブトみたいなのを捕まえたので、あれの可能性も高い。
「なんにせよ、お金が貰えるなら有難い話です。それはさておき、そろそろこいつを検証しましょう」
そう告げて俺が椅子に腰かけ、テーブルに置いたのはペンライトだ。
どこにでもある……とは言わないが、元いた世界の一部の人からしてみればどこにでもよくある代物である。柄は太く、さながら警棒のよう。
冒険者として仕事をすると決めた際、俺はそれなりの武器を買うつもりでいた。幸いこちらの世界の武器も元いた世界のものとそう変わりはないようで、俺でも扱えただろう。
……が、いまだに俺はこのペンライトを使っている。
なぜか? 便利だからだ。
「とりあえず、手始めに赤で点けてみます」
「赤だな。おいコラット、炎だ。離れてろ」
「コラットさん! 恐ろしい炎ですのよ! さぁ私の虫取り網に逃げてくださいな!」
俺の隣に座ったお嬢様がさっと虫取り網を広げてコラットさんを誘う。
なんと巧みな罠だろうか。咄嗟に罠を仕掛ける判断力、一切を疑わせない演技力、コラットさんに鼻を突っつかれて「ふにゃっ!」とあげる悲鳴……どれをとっても素晴らしい。
そんなお嬢様を横目で愛でつつ、ペンライトを手に取る。
カチンとスイッチを入れれば一瞬にして光が灯る。色は俺が宣言した通りの赤だ。
それを軽く振れば、ゴォッと音をたてて机の上に炎が渦巻きだした。
熱風が頬に触れる。肌を、それどころか肌の内側を燻すかのような熱風だ。
ベイガルさんが真剣な表情で炎の渦を見つめ、コラットさんが高い悲鳴をあげてお嬢様の胸ポケットへと飛び込んでいく。「あつぅーい」とはどこからともなく扇子を取り出して己を扇ぐお嬢様。
「そまり、暑いわぁ」
「これは失礼しました。今涼しくしますね」
手にしていたペンライトのスイッチを押し、赤い灯りを青に切り替える。
その瞬間、テーブルの上で渦巻いていた炎が消え、代わりに小さな氷柱が立った。サイズ的には大人の片手くらいだろうか。パキッ、パキッ……と高い音をたてながらせり上がっていく様は見ているだけで涼しくなる。
「ひんやり」とはご満悦なお嬢様の一言。彼女の胸ポケットに隠れていたコラットさんがふわりと出て、俺を囲むように周り出した。きっと次は緑が良いという事なのだろう。
ならばとスイッチを押してペンライトを緑に帰れば、氷柱がパンッと弾けるように散った。
次いで氷の代わりに……何も起こらない。
「緑はやっぱり変化が分かりにくいですね」
「あぁ、だが窓辺に置いてあるプランターで花が異常成長してるからそろそろ止めてくれ」
「うわ本当だ、あそこまで咲かれると気持ち悪い」
プランターから花がモリモリと溢れている様は悍ましささえ感じさせる。
その勢いと言ったらなく、近くを飛んでいた蠅がまるで絡めとられるかのように飲み込まれて行った。
……あのプランター、食虫植物でも育てたのかな。
そんなプランターの惨事を確認し、ペンライトのスイッチを押した。今度は色を変えるのではなく消灯させる。
そうすれば異常成長を見せていたプランターが静かになり、溢れかえっていた花も静かになる。蠅は出てこないので消化されたのだろう。
「緑はご覧の通り。水色は……こんなところでオッサンモドキをびしょ濡れにしても俺に何の利益も無いのでやめておきましょう」
「そうだな、誰も幸せにならないな。しかし本当に不思議なもんだ……」
ベイガルさんが俺の手にあるペンライトに視線を向けてくる。
相変わらず見た目だけなら平凡なペンライトだ。今は何の色も灯っておらず、振ったところで何も起こらない。
つい先程テーブルの上で起こっていた事柄が全てこのペンライトが引き起こした等、今の状況からは誰も分かるまい。……いや、俺以外がペンライトを持っても何も反応しなかったことから『俺とペンライトが引き起こした』と考えるべきか。
これもまた不思議な話だ。
ちなみに先程実践したように、ペンライトの色によってその効果が変わる。
赤……炎。蛇を焼いた時はこれを使った。殺傷能力は一番高いと言えるだろう。加減は難しいが強中弱と火力を調整することも出来、おかげでお嬢様に美味しい料理を作ってさしあげられる。
青……氷。氷塊を出したり対象物を凍らせたり出来る。凍らせたうえで割砕くことも出来るが、ベイガルさんがげんなりした表情で「溶けたらえぐいことになってた」とぼやいていた。こちらも威力の加減が可能で、お嬢様のためにシャーベットを作ることも出来る。
水色……何の捻りも無く水。降らせたり貯めたり。水を一定の空間に止めさせることも出来る。対象物を水で覆って窒息死させることも可能だが、暴れられると面倒なのであまりやりたくない。用途はもっぱら霧状の水をお嬢様に吹きかけ、「冷たーい!」とキャッキャしてもらう事だ。
緑……自然物の成長を早める。赤や青と違い殺傷能力は低いが、お部屋のインテリアを程よいサイズまで育てられる。森の精霊であるコラットさんが好んでおり、ペンライトを緑に灯らせるとふわふわと寄ってくる。……そしてそれをお嬢様が捕獲しようとする。
オレンジ……上記の色と違い、これは俺の打撃を強化しているようだ。この世界に来た時に一撃でワニを倒せたのはこの色のおかげに違いない。一撃で岩をも砕ける……のだが、日常生活で岩を砕くことはそうそうないので、使い処はあまりない。ただ時々岩を砕くとお嬢様が「逞しいそまり……素敵」と頬を赤らめてくれるので男らしさアピールには最適だろう。
現状分かっているのはこの5色だ。
「あとはピンクと白ですね」
カチカチとスイッチを切り替えてピンクと白を交互に灯らせる。
この切り替えも、以前であれば順繰りに色が変わるだけだったのに今は俺の要望通りになっているのだから便利なものだ。
便利ついでに取扱説明書でも添えてくれていればよかったのに。
「色からも予想は出来ませんね。ピンクなんて、いったい何の効果があるのやら」
「そまり、ピンクは可愛いわ」
「その通り、さすがお嬢様! つまりピンクはお嬢様を癒す色……。なにより重要なカラーじゃないですか!」
お嬢様の目の前でピンクに灯したペンライトを振れば、どうやらお嬢様も満足らしく嬉しそうに見つめてくる。
その様子にこれといった変化はなく、暑がることも寒がることも無い。もちろん水飛沫のようなものが掛かっている様子も無い。
コラットさんも同様、ふわふわとお嬢様とペンライトの間を飛んでいる。至って平常と言いたげだ。
ならばとベイガルさんの目の前で振ってみても、彼もまた変化なく考え込むように眉間に皺を寄せている。
「効果が無い色もあるんですかね?」
「そうだな。もしくは別の場所で何か変化しているか、それとも今が使いどころじゃないから反応しないのか……うっ!」
くぐもった声を上げると同時に、ガタと大きな音を立ててベイガルさんが身をのけぞらせた。
その表情は驚愕を露わにしており、慌てて己の胸元を掴んで顔を背ける。
「ベイガルさん?」
「そまり、それを……それを早く消せ!」
ペンライトから顔をそむけ、ベイガルさんが声を荒らげた。