17:こうして始まる異世界生活
「それで、蛇を倒したわけですが試験は合格ですか? 鉱石もちゃんと取ってきましたよ」
鞄の中から鉱石を取り出して机に並べる。
濃紫色の鉱石。アメジストを彷彿とさせる色合いだ。洞窟に入ってしばらく進むと、まるで見つけてくれと言わんばかりにランタンの光を受けて輝いていた。
見つけてしまえば後は簡単で、予め用意されていたハンマーとタガネで楽に手に入った。
きっと採掘は試験のおまけ程度なのだろう。コラットさん曰く、この鉱石自体は珍しいが価値があるわけではなく、換金しても高値にはならないのだという。
ならばとひとまず拳大を数個鞄に入れて持って帰ってきた。
それらをテーブルに並べ、一つは興味深そうに見つめているお嬢様に渡しておく。「綺麗!」と嬉しそうに眺めている、その瞳の方が綺麗だ。
「これだけ取ってくれば合格ですよね?」
「落としたくても落とす口実が見つからないな。……それに、もう一つの試験にも合格したようだし」
つまらないと言いたげにベイガルさんが話し、次いで扉へと視線をやった。
まるでそのタイミングを見計らったかのように扉が開き、姿を現したのはコラットさんだ。白いワンピースに着替えており、室内に入ると穏やかに微笑んだ。
紫がかった髪と瞳。相変わらず色合いこそ違うがお嬢様に似ている。
「お嬢さん、こいつが案内役のコラットだ。コラット、こちらは……言わなくても分かるだろ」
「本当、そっくりね」
上機嫌でコラットさんが笑う。対してお嬢様はあんぐりとしながら彼女を見つめていた。愛らしい瞳をぱちくりと瞬かせ、驚く姿はソーキュート。
だがお嬢様が驚くのも無理はない。なにせコラットさんはお嬢様と瓜二つなのだ。
「……は、初めまして、諾ノ森詩音と申します。あの、以後、お見知りおきを……ごめんなさい、驚いちゃって……」
浮かされるように名乗り、お嬢様がまるで吸い寄せられるようにコラットさんへと近付いていく。
恐る恐る手を伸ばすのは、初対面の相手に、それも自分と瓜二つの相手に触れて良いのかどうか迷っているのだろう。
そんなお嬢様に対し、コラットさんは楽しそうに笑んでいる。彼女もまた自分と瓜二つの存在を前にしているというのに、随分と余裕の笑みではないか。驚いている様子は皆無である。
仕組まれていたか……。
訴えるようにベイガルさんを睨み付けるも、俺の視線の意味に気付いた彼はニンマリと笑うだけだ。
あぁ、なんて腹立つ笑みだろうか。
「そまりは察しがついたようだが、コラットもまた試験の一つだ。こいつは人間じゃなくて森の精霊、理想の姿になれる」
ベイガルさんが説明すれば、コラットさんが頷いてお嬢様とそっくりでいて色の違う瞳を伏せた。
その瞬間、彼女の胸元が淡く光り出す。その光が全身を包み、緩やかに消え……その場にほわほわとした光だけが残った。大きさならばビー玉程度、淡く周囲が光って多少膨らんで見える。これが彼女の正体なのだろうか。
お嬢様が息を呑み、恐る恐る手を伸ばして光に触れようとする。だがお嬢様の指先が触れる直前に光はひゅんと擦り抜けてしまった。
クスクスと笑い声が聞こえてくる。これはコラットさんの笑い声だ。
「特殊メイクかと思ってましたが、まさか化けてるとは思いませんでした。虹色のワニといい23歳のオッサンモドキといい精霊といい、異世界ってのは不思議で溢れてますね」
「その二つと並べないでくれ」
ベイガルさんが睨み付けてくるので、ひとまず「失礼しました」と謝っておく。
その間もホワホワとした光ことコラットさんはお嬢様の周りを回っている。お嬢様も楽しそうに捕まえようと励み、その動きはさながらじゃれて遊ぶ子猫のよう。しかも光の正体が精霊だというのだから愛らしさに神秘さも加わってくる。
「それでもう一つの試験っていうのが……おい戻ってこい」
「おっと失礼しました。お嬢様が愛おしく神秘的で心のシャッターを押しまくっていました。それで、おおかた理想の姿になったコラットさんに手を出すかどうかってところですか?」
「……つまんねぇ男。ご名答だ」
曰く、精霊に性別は無く、コラットさんは男だろうが女だろうが相手の理想そのものになれるらしい。
そして道中まるで気があるようなそぶりを見せ……所謂ハニートラップだ。これで手を出せば不合格なのだろう。確かに、依頼人に手を出すような人には仕事は任せられない。――自分の仕える主人に手を出そうと解禁日を待っている俺が言うのもあれだけど――
そこまでベイガルさんが話すと、ホワホワした光を追っていたお嬢様が「あら」と声をあげた。捕えようとする手を止め不思議そうにホワホワした光を見つめている。
「先程の姿、そまりの理想の姿ではありませんよね?」
「お嬢さん、どうしてそう思う?」
「だってそまりの理想は私、私だけ、一寸たりとて違えることのない私です。先程のコラットさんは私そっくりでしたが、髪色も瞳の色も違っていましたよ」
ねぇ、とお嬢様がホワホワとした光に訴える。
その姿のなんと堂々としたことか。言い切る口調には断定する強さすらない。当然のことを当然だと、訴える必要も無いと言い切るのだ。まるで雑談のように、疑うこともなく。
これこそ俺のお嬢様だ。
「驚くほどに断言したな……。だがまぁ、実際のところを言うとコラットは最初お嬢さんそっくりの姿になったんだ。普通なら女が居ても多少は変わるんだが……ぞっとするほと瓜二つだったよ。だから少しばかり手を加えたんだ」
「そうだったのですね」
納得したと言いたげにお嬢様が笑う。そこにはやはり不安を抱いていた様子も無ければ、安堵した様子も無い。ただ当然のことを説明されたと言いたげだ。
それどころかあっさりと話を終いにし、「隙あり!」と再びホワホワした光を捕まえようと手を伸ばした。――だが寸でのところで逃げられてしまい、そのうえ鼻を突っつかれてしまう。光に翻弄されるお嬢様最高に可愛い――
「なるほどな、これじゃコラットにも手を出すことはないか」
「当然ですよ。俺が手を出すのはお嬢様だけです」
そう話せば、それを聞いていたお嬢様がポッと頬を染めた。「そまりってば……」という言葉のなんと甘いことか。
お嬢様の周りを漂っていたホワホワとした光から『ヒュー!』と甲高い音がしたのは口笛だろうか。案外に俗っぽい精霊ではないか。
「たとえコラットさんがお嬢様そっくりになろうと、俺はお嬢様一筋。お嬢様が好きで、お嬢様を愛して、お嬢様だけを見て、お嬢様以外に全く興味も持たず、その挙句に精神病院にぶちこまれる事があるぐらいですからね。精霊だろうがホワホワした光だろうがケサランパサランだろうが、欠片も興味ありません」
「そまり……そんなに私のことを……好き!」
「お嬢様!」
感極まったとお嬢様が俺に抱き着いてくる。
なんて可愛らしいのだろうか。贈られる「好き」という言葉の尊さは計り知れるものではない。
この言葉に何かお返しを……と、考え、お嬢様の周りをひょいひょい飛び回っているホワホワとした光を片手で捕まえた。お嬢様の髪にそっと添えれば、艶のある黒髪をより美しくしてくれる。
「美しい、よくお似合いですよ。どうか受け取ってください」
「そまり、ありがとう……」
お嬢様がうっとりとした表情で俺を呼び、胸元に頬を寄せてきた。
なんて愛らしいのだろうか。この際「精霊を片手で捕まえやがった……」という外野の声は無視である。
そうしてしばらく俺とお嬢様がいちゃつき、満足したお嬢様が再びコラットさん捕獲に励みだすのを見て、改めてベイガルさんと今回の試験について話しをする。
――俺に捕まった腹いせか、ほわほわした光のコラットさんがやたらとお嬢様の鼻先を突っつく。だがお嬢様も負けていない。なんという熱いファイト!――
試験の目的である鉱石はギルドの登録料で相殺されたが、蛇に関してはかなりの金額を貰えるらしい。更に俺にはワニ討伐の報酬金もある。
そのためこのギルドでは一括払いが出来ず、王都や大きな都市のギルドに行って即金を得るか、ここで分割にするかと提案された。
もちろん分割である。大きい都市に行けば何かしら情報を得られるかもしれないが、まずはここでしっかりと生活基盤を固めるのが優先だ。
ちなみにその話をしていた際、
「待てよ、ワニと蛇で相当貰えるってことは、分割と言えど金持ちってことですよね。それじゃギルドで仕事する必要ないんじゃ……」
「そまり、明日から頑張ろうなぁ!」
という会話があった。
あの時のベイガルさんの白々しい笑顔といったらない。爽やかに笑いつつも俺の肩を掴む手にはかなりの力が込められていた。
そうして家へと帰れば、扉を閉めると同時にお嬢様がむぎゅうと俺に抱き着いてきた。
もちろん愛らしいので抵抗はしない。応えるように彼女の背に回してその小柄さを堪能しつつ、いったい何だと首を傾げる。
「お嬢様、どうなさいました?」
「おかえりなさいと、ただいまと、試験お疲れさまのハグよ」
「なんて尊く愛らしい……!」
最高級のハグに感動していると、ぐりぐりと俺に額を押し付けてお嬢様がゆっくりと離れていった。どうやら満足したらしい。
次いでお嬢様は鞄をテーブルに置き、お腹が空いたと訴えてきた。夕飯は帰りがけに買ってきたのでそれを求めているのだろう。
「お肉とスープを温めましょう。その間にパンを切って、野菜も茹でて……」
「そまり、パンは私が切るわ!」
「お嬢様にそんなことさせられませんよ。お嬢様はソファーで待っていてください」
そう俺が告げるも、お嬢様は「私がやるの!」と意気込んでパタパタとキッチンへと向かってしまった。
どうやらやる気になっているらしい。ならばその意気込みを無下にするのも酷だろう。そう考え、俺もキッチンへと向かう。お嬢様の為に食事を用意するのも幸せだが、二人並んで食事の用意をするのもまた幸せなのだ。
「お嬢様、どうして突然手伝いを?」
「だってこれから私とそまり二人で生きていくのよ。私も手伝いをするわ。支え合わなくちゃ!」
そうでしょ! とパンを切りながらお嬢様が笑う。
その笑顔に当てられ、俺もまた微笑むと共に頷いて返した。
こうして、俺とお嬢様の異世界生活が始まった。
まったく不安も無く、不満も無く、不便もさしてない。むしろお嬢様と二人きりで一軒家と考えると快適最高、幸せすぎる!
……が、お嬢様がポツリと、
「なんだか新婚気分……」
と甘い声で呟いたのを聞いて、俺の理性がいつまでもつかという不安が生まれた。