15:一方そのころギルドでは
「巨大な蛇が出るんですか?」
顔色を青ざめさせた詩音に問われ、机に向かって書類を読んでいたベイガルが頷いて返した。
場所はギルドの一室、ベイガルの執務室。
誰かさんを拾ったせいで遅れた仕事をと進めていたところ、受付嬢が詩音を連れてきたのだ。
異世界から来た右も左も分からない少女……となると外で時間を潰してこいとも言えない。ギルドも場所が場所なだけに粗暴の悪い輩も居り、彼女にちょっかいを駆けてくる奴が出る可能性もある。
小柄でまさに箱入りといったこの少女が、それらを交わせるとは思えない。
といってもギルドはベイガルの管理下にある。嫌がる少女を無理に連れ出したり、暴力を振るうような輩は登録させていない。せいぜいが物珍しさから声を掛け、冷やかし交じりにデートに誘うぐらいだ。
対応に慣れた受付嬢達なら、聞き流すどころか逆に手玉にとって報奨金を巻き上げかねない程度である。ギルドという場所柄、問題視する者はそう居ないだろう。
……そまり以外は。
そもそも、そまりの逆鱗がどこにあるか分からない。「お嬢様に邪な声を掛けただけでも大罪なので殺します」とでも言い出しかねない。
そこまで考え、そして笑っているのに瞳が淀んでいるそまりの笑顔を思い出し、ベイガルがふるりと体を震わせた。あの笑顔は薄気味悪い。
次いで記憶の中のそまりを掻き消すように首を振り、その最中にふと壁に掛かっている時計を見上げた。
休憩するにはちょうど良い時間だ。少しくらい彼女の話に付き合っても良いだろう。
見れば詩音のティーカップが空になっている。二人分のお茶を淹れて、飲みつつ試験の内容を説明しようか。
そう考え、詩音にお茶のリクエストでも聞こうとし……ティーカップに口をつける彼女の姿に目を丸くさせた。コクンコクンと細い喉が動いている。
「あれ?」
「どうなさいました?」
「お茶が……。いや何でもない、俺の見間違いだな」
「それで、その蛇を倒すのが試験なんですか?」
「まさか、あの蛇は人が倒せるもんじゃない。肝心なのは請け負った仕事をどうするかってこどだ」
「どうするか、ですか?」
「あぁ、蛇を見つけて直ぐ逃げ帰ってきてもいいし、他で鉱石を手配してもいい。もちろん慎重に蛇の隙をついて石を取ってくれば上出来だ」
逃げ帰ってきた者は己の力量を弁え判断能力がある。特殊な依頼は任せられないが、力量に見合ったものは安心して投げられる。
他所で石を見つけてくる奴は咄嗟の機転が利く。きな臭かったり面倒な仕事を任せても上手くこなしてくれるだろう。
もちろん蛇の隙をつく腕前の持ち主は言うまでも無く歓迎だ。
「そういう事だから、蛇を見つけてからが本当の試験ってことだ」
「それなら試験に不合格は無いんですね」
良かった、と詩音が安堵する。
それに対し、ベイガルが首を横に振った。
「流石に何でも良いってわけじゃない。たとえば逃げ帰るにしても報告しない奴や、他所から石を入手するにしても違法ルートを使う奴。特に無謀に蛇に挑んで怪我するような奴はうちじゃ登録させない」
無謀と無茶と勇敢は違う。
己の力量も考えず蛇に突っ込み、その果てに重傷を負うような輩はどのみち長くはない。試験こそ無事に突破したとしても、より報酬が高く名を上げられる仕事をと挑んでその果てに死ぬのがオチだ。
ギルドはあくまで依頼を斡旋する場所。死にたがりに死ぬチャンスをくれてやる場所ではない。
それに次から次へと無謀な奴に死なれていってはギルドに悪評が立つ。
「というわけで、蛇に挑んで重傷を負うような奴は不合格だ」
「それなら蛇を倒すのは合格なんですよね? そまりはきっと蛇を倒してきます」
「あいつが? 蛇を?」
詩音の話にベイガルが目を丸くさせ……次いでケラケラと笑い出した。
「それは無い」と笑いながら手を振って否定する。
「あの蛇はそこいらのギルドから名うての冒険者を集めてようやく洞窟に追いやったんだ。それを一人で、それも碌な装備もなく倒すなんて無理だ」
「そまりなら出来ますわ。そまりは昔、源十郎の……そまりの祖父に『蛇皮の財布が欲しい』ってアマゾンに送られた時も、アナコンダの皮をはいで帰ってきたんですもの」
「ニホンってとこではあいつの家庭環境は問題にならないのか?」
「それに、帰ってきてしばらくは日本の蛇を見ても『軟弱な、こんなのミミズだ!』って言っていたんですのよ。そまりなら絶対に蛇を倒して戻ってきます!」
きっぱりと言い切る詩音に、ベイガルが小さく息を吐くと共に考えを巡らせた。
確かにそまりの力量は計り知れない。
異世界から来たという突拍子の無い素性に、下半身の欲望が力になるという嫌な能力付き。そもそもその嫌な能力を得る前から人生がおかしそうだし、更にはあのワニを倒したのだ。
もしかしたら……。
「いや、でもあのワニなら他の冒険者でも倒せるからな。さすがに蛇は無理だろう」
「そまりなら出来ます!」
「まぁ、もし仮に、万が一に、あいつが蛇を狩ってきたなら合格だ。そんな人材がうちのギルドの専属になってくれりゃ万々歳。もしもあいつが蛇の首でも担いで戻ってきたら、抱き着いて頬にキスしてやっても……」
やっても良い、と言いかけてベイガルが言葉を止めた。
視線が扉に釘付けになる。
そこに居たのは……そまりだ。たまたま少し扉が開いていたのか、こちらを覗いている彼の表情が次第に青ざめていく。
そうしてそまりが手にしていた蛇の頭部をギュッと抱きしめると共に……、
「汚される!」
と声をあげた。