14:ギルドの―危険な―試験Ⅱ
「コラットさん?」
どうしたんですか? と俺が尋ねても、コラットさんは体を強張らせて震えている。
だが周囲を見回しても彼女が怖がるようなものはない。今更あの大蛇に怯えるわけがないし、虫が飛んできたわけでもなさそうだ。
ならばいったい何があったのか……俺がペンライトの色を変えただけだ。オレンジから赤へ……。
「大丈夫ですか? 何かありましたか?」
「そ、それを……それを近付けないで……!」
「それ? このペンライトですか?」
カチンとボタンを押しつつペンライトをコラットさんに近づける。今の色は緑だ。
それを見たコラットさんが途端に怯えの色を無くし、「あら?」と不思議そうな声をあげた。そのうえペンライトに近付き、「綺麗」と褒めてくる。
先程まで怯えていたのが嘘のようだ。どうやら本人もそれが分かっているようで、首を傾げながらペンライトを眺めている。
「綺麗な色……でもさっきは確かに……」
「これ色が変わるんですよ。そのせいでしょうか」
「今度は青色に! この色も綺麗、なんだか涼しくなってきた。そまりは魔法使いみたいね」
不思議、とコラットさんがペンライトを見つめる。
試しにと俺が再び色を緑色に変えれば、今度はうっとりと魅入るように見つめだした。どうやら緑の光がお気に召したようで、愛おしむような、心地良さそうな表情だ。
その表情は猫カフェに居る時のお嬢様を彷彿とさせる。猫を見つめるお嬢様はそれはそれは愛らしい瞳で、時にはそっと手を伸ばして撫でては「ふかふかよー」と歓喜の声をあげていたのだ。
懐かしい。お嬢様を見つめていたら俺の膝の上に猫が乗ってきて、それをお嬢様が撫でて……、
『猫とズボンとパンツ越しにお嬢様が俺の股間を撫でている』
と同僚にメールで訴えたところ、帰宅後すぐに精神科にぶちこまれた時のことを思い出す。
そんな思い出に耽っていると、コラットさんがツンとペンライトを突っついてきた。緑がよっぽど気に入ったようだ。
だが色だけでこうも反応が変わるものだろうか?
そういえば先程コラットさんが怯えた時はペンライトの色は……。
赤だった。
そう思い出しつつペンライトのボタンを押せば、緑から赤に切り替わった。
その瞬間、コラットさんがまたしても悲鳴をあげて顔を背ける。
「そまり、早く、早く色を変えて……!」
見るのも恐ろしいのか、コラットさんが顔を背けて懇願してくる。
小さく震え、その怖がりようは相当だ。
これはもしかして……とペンライトに視線をやる。そもそも一度ボタンを押しただけで緑から赤に切り替わったのも変な話だ。まるで俺の意思を汲んだかのようではないか。
「まさか有り得ない、とは思うけど、現状がまさかのオンパレードだからなぁ」
「そまり……!」
「おっと失礼しました。ご覧ください、緑ですよ」
ボタンを一度押してペンライトの光を赤から緑に切り替える。――これもまた俺の仮定を後押しする。なにせボタンを押したのはたった一度なのだ――
緑色に光るペンライトを見て、コラットさんが安堵の表情を浮かべた。
これは多分……そういうことなのだろう。いやはやまったく異世界だ。
「というわけで、ちょっと確認したい事があるのであの蛇を殺してきますね。コラットさんはそこに居てください」
「でもそまり、危ないわ」
「着いてきますか? 別に構いませんが、ペンライトを赤くしますよ」
やはりペンライトの赤色が怖いのか、俺の言葉にコラットさんがビクリと肩を震わせる。
明らかな怯えだ。ただでさえ異世界の蛇を相手にするのに、そのうえ怯えているコラットさんと一緒では俺も手間である。彼女が俺のペンライトを怖がっているのだから、守るのも一筋縄ではいかない。
だからこそ距離のあるここで待っていてくれと伝えれば、コラットさんが一度頷いて返してきた。どうやら理解してくれたらしい。
何かあれば逃げるように彼女に伝えて、蛇の居る崖下まで一気に降りる。
うねうねと巨体を動かしていた蛇がピタリと動きを止めたのは、きっと岩場が崩れる音と草木が揺れる音を聞きつけたからだ。ゆっくりとこちらを向く。
長い舌はまるでロープのようだ。絡め取られずとも、あれで体を打たれるだけで相当なダメージだろう。
そんな舌をチロリと覗かせ、蛇が「ヘビィ……」と威嚇の音を出してくる。
ヘビィ、ヘビィ……と。
……お前もか。
「そのうち俺もそまりそまり言うようになるのかな……」
成人男性が自分の名前を連呼するのは中々いただけない光景だ。
そんな己の姿を想像するも、次の瞬間に蛇が俺に向かって襲い掛かってきた。
先程までのうねうねとした緩慢な動きが嘘のような速さ。鋭いとさえ言えそうなその動き。丸飲みしようとしているのだろう大きく口を開ければ、視界にピンク色の口内が広がる。
危機を知らせるコラットさんの声が聞こえてくるが、俺はそれには応えず、手元のペンライトを操作し……、
そして、赤く輝くペンライトを蛇へと叩きつけた。
蛇に首があるのかは定かではないが、頭の下だ。気管のある部位である。
触れた瞬間、蛇の皮からジュッ……と耳に纏わりつくような音が響き皮が抉れていく。燻った煙と共に何かが焦げる匂いが漂う。獣を焼く時とはまた違った匂い。
仮にこれが刀であったなら一瞬で切り落とせただろうが、俺の手にあるのは赤く輝くペンライトだ。
……そして、これは熱だ。
蛇の皮を、それどころか肉を焼きながら抉るほどの熱。既に蛇は息絶え、あと少しと推し進めれば肉とは違った皮の手応えと共にペンライトが空を切った。
次いで、ゴトンと何かが足元に落ちる。
……蛇の頭。ギョロリと獲物を探していた目は鋭さこそ失っていないが、俺を見る事もなくピクリともしない。
太い体の一部が焦げて抉れている。断面は肉を見せ、自分でやったとはいえ見ていて気分の良い光景ではない。
「……有り得ない、とは流石に言えないよな」
思わず蛇の頭部に話しかけてしまう。
もちろん返事はない。さすがに異世界の蛇であっても、こうも気管をぶった切られれば絶命するようだ。
蛇は口を開けたまま鋭利な牙を晒し、まるでムチのように動いていた舌をダラリと垂らしたまま頭を転がせている。一瞬で、それこそ己が死ぬことも分からずに絶命したのだろう。
その迫力は死してなお衰えることなく、頭だけになっても襲い掛かってきそうな恐怖感すら与えてくる。好事家が喜んで壁に飾りそうだ。
「爺から貰ったと考えると癪だけど、これはかなり使えるな」
そうペンライトに話しかけつつ、俺は鞄からランタンを取り出すと洞窟へと入っていった。