12:森で一泊Ⅱ
お嬢様の事となるとつい饒舌になってしまうが、コラットさんはそんな俺の話を楽しそうに聞いて相槌を打ってくれる。
「旦那様や奥方様は多忙で家を空けることが多いので、余計に姉妹への憧れがあったんでしょう。ご友人には姉妹を持つ方が多いらしく、お嬢様はいつも羨ましそうにしていました」
「会うのが楽しみ。そまりはそのお嬢様のことを大事に想っているのね」
「えぇ、世界で一番愛しています。お嬢様は俺の最愛であり俺の恩人、俺はお嬢様のために生きています」
「そんなに想ってるの……。なんか、羨ましいな」
ポツリとコラットさんが呟く。その言葉に俺が「え?」と間の抜けた声を出せば、彼女が慌てて口元を押さえた。
ふわりと彼女の髪が揺れる。お嬢様の黒髪とは違う色合いの髪。だが髪質は同等なのか揺れる様はよく似ている。お嬢様の黒髪も、活発な動きに合わせて緩やかに揺れるのだ。
「ち、違うの、私……」
「……コラットさん」
「そまり、私……あの……」
「……静かに、喋らないで」
慌てながらも説明しようとする彼女の言葉を遮り、そっと手を伸ばす。
元より触れてしまいそうな距離だ。俺の手はすぐに彼女の髪に掛かった。
柔らかな髪。痛めないようゆっくりと髪を指先で払っていけば、俺の指先がコラットさんの耳に触れた。
ピクリと彼女の肩が震える。困惑の表情を浮かべ、俺と目を合わせまいと視線を下に落としている。
「大丈夫です。そのままジッとしていて……」
極力彼女を怖がらせないように穏やかな声色で囁き、彼女の肩に掛かっている髪を少しずつ払っていく。
そうしてそっと肩に触れれば、コラットさんが震える声で小さく俺を呼んだ。
「そまり……」
「あと少しですから。そのまま動かないで」
「私、こんな事は……。あと少し?」
コラットさんが不思議そうに尋ねてくる。
それとほぼ同時に彼女の肩から手を放し、返事代わりに掴んでいたものを見せてやった。
1匹の蛇。
長さ太さはさほども無いが、虹色というなかなかにエキセントリックな配色をしている。噛まれないように頭付近を押さえているが、それでもなお口を開けて牙を剥き出しにしているあたりなかなかアグレッシブな蛇だ。捕まってもなお一矢報いようとする姿勢、嫌いじゃない。
呆然としていたコラットさんがそれを見て、我に返ると共に小さく息を呑んだ。先程までこの蛇が己に迫っていたことを察して慌てて肩口を払う。
「そ、その蛇が……」
「えぇ、話してる最中に出てきたんです。先に言えば良かったんですが、下手に動かれると蛇を刺激するかなと思って」
「そうだったのね、ありがとう……」
「いえ、どういたしまして。むしろ髪に許可無く触ってすみませんでした」
女性の髪に無遠慮に触れるのはマナー違反だ。
ゆえに謝れば、コラットさんがふるふると首を横に振った。落ち着きを取り戻したのか己の肩口を一度撫で、柔らかく微笑む。
心なしか嬉しそうに見えるが、蛇は大丈夫だったのだろうか。むしろ好きなのかもしれない。
だが試しに「連れて帰ります?」と差し出しても再び首を横に振られてしまった。どうやら怖くはないが好きというわけでもないらしい。
「となるとこの蛇どうするか……。どっか投げても戻ってきそうだし、かといってこんな細いの食べてもなぁ……」
調理の手間に対して身が少ない、そもそも虹色の蛇は食べても問題ないのか怪しいところだ。
なにせ俺は日本人、元いた世界規模で考えると体のつくりはやわな方である。
……たぶん。世界規模で考えればやわな方だと思う。一度たりとて腹を壊した記憶はないし、いつだってギリギリな状況で現地の水を飲んでるけど。やわなはず。
そうぼやけば、コラットさんが苦笑しつつ「換金出来るよ」と教えてくれた。
どうやら虹色のワニに続いてこの虹色の蛇も換金出来るらしい。といっても子供の小遣い程度らしいが。
それでも今の俺にとっては有難い限りだ。ならばと鞄の中から小さなナイフを取り出し、手早く息の根を止める。
「鞄が汚れるかな。まぁ良いか、俺の鞄じゃないし」
仕留めた蛇を無造作に鞄に入れる。
そりゃジップロックとかあれば俺だって配慮したが、見た限り鞄の中にはそういったものはない。かといって蛇を片手に森の散策をするのも遠慮したい。
となればベイガルさんの鞄には犠牲になってもらうしかないだろう。大丈夫、きっとベイガルさんなら分かってくれる。
「そろそろ寝た方が良いですね。もし不安なら俺が起きて見張ってましょうか」
「もう大丈夫だから、そまりも休んで」
そう告げてくるコラットさんの表情は穏やかで、先程までの就寝を渋っていた面影はない。
鞄から就寝用の道具を取り出し、慣れた手つきで広げだした。
元いた世界の寝袋に近い。多少造りは簡素だが、それでも森の中で一晩を過ごすには無いよりは有った方がマシだ。聞けば特殊な布を使っているらしく、薄手に見えても十分な柔らかさがあるらしい。
もぞもぞとそれに包まり、コラットさんが就寝の挨拶を告げてくる。それを聞き、俺もならばと再び木の枝に手を掛けた。
「おやすみ、そまり。……そうだ、最後に一つ聞いても良い?」
「なんでしょう」
「そまりは、どうしてそこまでその〝お嬢様”の事を?」
じっと見つめながらコラットさんが尋ねてくる。
お嬢様と瓜二つの容姿。とりわけ夜も更けてきた今は視界が悪く、まるでお嬢様が俺を見つめているようではないか。声やシルエットだけならば、俺でさえ間違えそうになる。
だけどお嬢様とは違う。たとえ瓜二つでもお嬢様ではない。似ているだけだ。お嬢様を前にしている時の、あの穏やかで満ち足りた気持ちにはならない。
コラットさんの為には生きられない。そうはっきりと分かる。
「お嬢様は、俺が出来ないことをしてくれているんです」
「そまりが出来ないこと?」
「えぇ、昔からどうしても出来ないことが一つだけあるんです。誰だって出来るはずなのに」
ワニを仕留めるより、異国の言葉を学ぶより、格闘技を覚えるより、大学を飛び級で卒業するより、簡単な事。そして誰しもが出来て当然のこと。
なのに俺には出来ない。やり方が分からない。
お嬢様はそんな俺を見抜き、そして自分が代わると言ってくださったのだ。
だから俺は今日まで、異世界に飛ばされた今に至るまで、そして今もなおこれからも、お嬢様の為に生きている。
そう答えて、これで話は終いだと就寝の挨拶を口にする。
勢いをつけて枝に登れば、コラットさんもそれを察したのか就寝の言葉を返してきた。
手頃な太さの枝まで登り、安定している箇所を見つけて背中を預ける。
眼下ではランタンの明かりが灯り、コラットさんが寝袋に包まって横たわるのが見えた。どうやら今度こそ眠る気になったようで、しばらく見ていても起きる様子はない。
上着でも掛けてやればよかったか……そう考えつつも、動く気にはならない。だって彼女はお嬢様じゃないから。