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03:大事な趣味

 


 地図通りに会場内を回り、指定の買い物を済ませる。

 人数こそ尋常ではないものの、意外と人の流れはしっかりとしている。コツさえ掴めば移動はそれほど苦でもなく、長蛇の列こそあるものの横入りや奪い合いはない。完売の心配はあれども並ぶだけで該当の品が手に入るのは楽だ。

 ……かつて爺の気まぐれで、どこぞの国の地図にも載っていないような集落のど真ん中に行かされ、『食糧は奪い合って強者が得るもの』という生活を強いられたことに比べればマシだ。


 ここには秩序がある。

 秩序と同時に異様なまでの熱気もあるが。

 ……実際の熱気と、参加者達から発せられる気迫と情熱と欲望という名の熱気。――欲望に関しては俺も他人のことをどうこう言う気はない――




「ただいま戻りました……」


 疲労を隠し切れぬ声でスペースと呼ばれるエリアに戻れば、お嬢様が「おかえりなさい!」と声を掛けてくれた。

 だがすぐさま「また列が出来たのよー!」と慌ただしそうに仕事に戻ってしまう。あぁ、働くお嬢様のなんて素敵な事か。

『売り子です』と書かれたよく分からないTシャツすらもお嬢様が着ると一級のドレスに見える。というか、仮にも世界に名だたる名家の令嬢になんてもんを着せてるんだ。


「あぁ、麗しのお嬢様はオートクチュールしか着てはいけないのに……。あんな、あんな……本当になんだあのシャツ」

「そまりさん、夏コミにおいては諾ノ森家の名前も何の意味もありません。ここでは人はみな平等ですよ」

「みな等しく地獄ですか。それはさておき、買い物は済ませましたよ」


 どうぞ、と同人誌とやらが入った紙袋を犬童さんに手渡す。指示された本は全て買えたことを告げれば、まったく嬉しくない「さすが」という評価をいただいた。

 変わりに渡される団扇はもしや労いだろうか。男が二人見つめ合った絵の描かれた団扇は平時なら遠慮したいところだが、今はそうも言ってられないのではたはたと扇いでおく。


 そうして働く休憩がてらお嬢様を見つめて一息つく。――本当は変わりたいところだが、言い出したところ『売り子ですTシャツ』をこれ見よがしに見せつけられてしまった。どうやら仕事に燃えているらしい―ー

 次いで目に止まったのは、お嬢様と一緒に本を売る少女だ。

 彼女も『売り子ですTシャツ』を着ており、お嬢様と仲良さそうに仕事に励んでいる。年はお嬢様と同じぐらいだろうか、どことなく犬童さんに似ている気もする。


「犬童さん、あの方は?」

「妹です」

「……妹すらもこの苛酷な状況に連れてくるんですか」

「失礼な。妹は委託を条件に協力してもらってるんです。それに手伝いの代わりに、サークル参加で朝一に買いものにも行かせてますよ」

「せっかく日本に戻ってきたんですから、日本語で喋ってください」


 犬童さんの話に俺の頭上に疑問符が浮かぶ。わけの分からない話だ。

 だが話を聞くに犬童さんの妹も同じ趣味らしく、手伝いも双方納得のうえらしい。時折聞こえてくる「ねぇ、おねえちゃーん」という声も明るく、確かに姉妹仲は良さそうだ。


 同じ趣味か、と思わず小さく呟いた。

 脳裏に浮かぶのは、もう朧気にしか覚えていない兄の姿。

 もしも俺が普通の子供だったなら、兄弟並んで星を眺めたりしたのだろうか……。なんて馬鹿な考えが一瞬浮かび、首を振って掻き消した。


「しかし俺が言うのもなんですが、月に一度の帰省日を趣味のイベントに当てさせてくれるとは、犬童さんのご両親も寛大な方ですね」

「そうですね。でもお父さんもお母さんもさっき会いに来ましたよ」

「わざわざここまで来て、……ではないんですね、なるほどサラブレッドでしたか」


 どうやら犬童さんの家は姉妹どころか両親もこういった手合いの趣味を持っているらしい。

 聞けば両親の手伝いで漫画を描く手法を学び、本の作り方やイベントの参加方法を教えて貰ったという。なんという純粋培養。お見事、と思わず拍手を送ってしまう。


「お父さんとお母さん、そまりさんに挨拶ができなくて残念って言ってました」

「こんな環境じゃなければ、『俺も残念です』ぐらいの社交辞令は返せたんですけど」

「特にお母さんは生執事が見れるって楽しみにしていたから……」

「会わなくて良かった」


 思わず本音を口にすれば、犬童さんが失礼なと咎めてくる。

 だが次いで「ちょっと写真を撮るぐらいですよ」と呟くあたり、いったいどこが失礼だというのか。そもそも今日の俺は執事服は着ていないし。

 だが暑さのせいで反論する気が起きず、さっさと話を切り上げて目の前の賑やかな景色を眺めた。


 次から次へと人が流れるように移動していく。よくこんな暑い中で集まったものだと言いたくなるほどだ。

 中にはお嬢様達のもとへと歩み寄り、本を買っていく者もいる。

 お嬢様と犬童さんの妹さんがそれに対応し、在庫が少なくなるとダンボール箱を開けて補充する。見れば周囲の者達も同じやりとりを繰り返しており、それが集まって熱気を出している。


 これが全て、買うも売るも仕事ではなく趣味だというから驚きだ。

 それを話せば犬童さんが「中にはこれで生計立ててる人とかプロも居ますよ」と教えてくれたが、それだって俺からしてみれば趣味を仕事にしたようなものだ。


「……趣味かぁ」


 思わず呟く。


「そまりさんの趣味って、……いや、なんでもありません。答えなくていいです」

「俺の趣味はお嬢様です」

「……だろうと思いました」

「お嬢様が面白そうというから一緒に始めた刺繍、お嬢様が興味を持ったからお教えするために手を出した編み物、お嬢様と一緒に楽しむためのレジンアクセサリー造り、お嬢様がいつかやりたがるかもと先手を打って会得した板金加工。それら全てお嬢様のため、つまり俺の趣味は『お嬢様』です」


 はっきりと断言する。俺の趣味は『お嬢様』だ。

 ……まぁ、板金加工はちょっと違う気がするけれど。それに気付いたのはプロ顔負けの技術を身に着けた後だったので何も言うまい。

 とにかく、趣味は『お嬢様』である俺に対し、犬童さんは「そまりさんらしい」とだけ返してきた。


「他人の趣味にあれこれ言う気は無いので、それも良いと思いますよ」

「それはどうも。犬童さんの趣味も、理解は出来ませんが、今お嬢様が楽しそうにしているので良い趣味だと思いますよ」


 男同士の恋愛を描く趣味は俺には理解できないが、今俺の目の前ではお嬢様が楽しそうに売り子として働いている。

 お嬢様が楽しんでいる、つまり良い趣味だ。

 それを話せば、犬童さんが「それはどうも」と軽く返してきた。


 次いで視線を向けるのは、今まさに客の対応をしているお嬢様。そしてその隣にいる、犬童さんの妹。

 すっかり仲が良くなったようで、二人は楽しそうに話し、客が途切れた合間には犬童さんの妹が買ってきたという薄い冊子を眺めている。――「お嬢様に破廉恥なのは……!」と俺が止めようとしたところ、犬童さんが「妹はオールキャラギャグ専門なんで大丈夫です」と止めてきた。何が大丈夫なのかよくわからないが、どうやら大丈夫らしい――


 そんな光景を眺めていると、犬童さんが小さく息を吐いた。


「……家族の好きなものを奪わなくて良かった」

「どういう事ですか?」

「今はこうやって月に一度会えてるから良いんですけど、これでもし私が二度と帰れなくて行方も分からないままだったら、家族は趣味どころじゃないですからね。それにいずれ立ち直っても、好きなものが同じならそれを見るたびに私を思い出して遠ざけちゃうかもしれない。きっと同人活動も止めて、アニメや漫画も見なくなってたと思うんです」

「確かにそうですね」

「だから、家族の好きなものを奪わなくて良かった。月に一度でも帰してくれる霧洲君には感謝してます」


 元はと言えば霧洲君ことマイクス君のせいなのだが、事の発端は彼が被害を受けたいじめだ。

 犬童さんはその事実を受け入れ、己の置かれた状況をも受け入れ、その果てにマイクス君に感謝をしているのだろう。


「それはマイクス君に伝えてみて良いんじゃないですか? まぁ、それであの性格がどうにかなるとは思えませんが。俺も帰れることには感謝してますし。……そうだ」


 ふと思い立って手元の団扇を見た。

 二人の男が見つめ合っている絵柄。男の俺としてはあまり見ていて気分の良いものではないが、先程からこれを嬉しそうに受け取っている客がいるのだからとやかくは言うまい。

 きっとこの手合いの趣味の者には嬉しい代物なのだろう。


「こういうの、向こうの世界にも持って帰れるんですか?」

「紙製のものなら多分大丈夫だと思いますよ。私も原稿用紙とかトーンは向こうに持って帰ってますし」

「そうですか……。ところで犬童さん、俺は再び買物に行ってきます。お嬢様のことをお願いしますね」

「別に構いませんが……。何を買いに?」


 嫌な予感でもしているのか、犬童さんが怪訝な表情を浮かべて尋ねてくる。

 それに対して俺は穏やかに微笑んで返した。


「道中、エロい絵や本をいっぱい見かけたんで、マイクス君になにかお土産を買って帰ろうと思いまして。俺はお嬢様以外の女性には一切性的な興奮は抱かないんですが、きっと一般的な青少年はエロい本を喜ぶはずです」


 そう断言して「行ってきます!」と再び人の流れに飛び込めば、犬童さんの呆れを込めた「いってらっしゃい」という声が聞こえてきた。


 ちなみにふと思い立ち上津君と柴埼君の持つトランシーバーも連絡を入れ、一通りを説明した。


「……というわけで、マイクス君に帰省のお礼を買って帰ろうと思うんですが、せっかくですし一緒に選びませんか」


 そう誘ったのだが、トランシーバーから帰ってきたのは怯えをおおいに含んだ、


「「そんな恐ろしいこと出来ません……」」


 という情けない二人の声だった。



※次話は14日8:00更新予定です。

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