11:森で一泊
火を焚く代わりにランタンに明かりを灯し、手頃な場所に腰を下ろす。
木々の隙間から月明りが差し込んでおり、これなら夜中になっても真暗闇とまではいかないだろう。それでもすべきことは明るい内に終わらせておくべきだ。
そう話せば、コラットさんが早めの食事を提案して鞄から小さな荷を取り出した。布で包まれたそれは、開けば中にパンが入っている。
それを見て、俺は上着から懐中時計を取り出した。丁度良い、あと数分で食事の時間だ。
「そまりの鞄にも入ってない? 多分ベイガルが用意しているはず」
コラットさんに促されて鞄の中を漁れば、確かに彼女の持っているものと似たような布の包みがあった。
中を開けば燻製された肉や魚が挟まったパンが4つ入っている。それにドライフルーツも幾つか。
「入ってますね。案外に気の利くおっさんだ」
「ベイガルはまだ23歳よ」
「そうでした、オッサンモドキですね。……あれ、このメモは?」
パンの間に1枚のメモが添えられている。だがこちらの世界の言葉で書かれていては読むことが出来ず、コラットさんに代わりに読んでもらうよう頼んで手渡した。
『異国から来たので喋りは出来るが、読み書きは出来ない』そう適当に誤魔化せば、彼女がなるほどと頷いて一度メモに視線を向け……。
「そまりはトマトが嫌いなのね」
クスクスと笑いだした。
「あのオッサンモドキめ……。何て書きやがったんですか?」
「『トマトは抜いてあるから安心して食え』だっって」
コラットさんが笑いながらメモを渡してくる。
俺はそれを受け取り、ぐしゃぐしゃに丸めて鞄に突っ込んだ。火を焚いていたらくべてやったのに、思わず舌打ちしてしまう。
あのおっさん、俺が字を読めずコラットさんに頼むことを予想したうえでこのメモを書いたに違いない。採取できる鉱石の強度次第では奴を殴ろう。そう心に決める。
そんな俺に対して、コラットさんはいまだ楽しそうに笑い、俺のことを「可愛い」と言ってきた。
「可愛い、俺がですか?」
「ワニを一撃で倒したって聞いた時は、どれだけ逞しい人が来るのかと思ってた。でもそまりはスマートな方で、トマトが食べれない……なんだか可愛く思えてきて」
「はぁ……。そういう風に言われたことはありませんね」
とりあえず褒められたのでお礼を言いつつ、なんとも居心地が悪く頭を掻く。可愛い、というのはお嬢様のような女性を褒める時の言葉だ、けして俺のような男に対して使うべき言葉ではない。
だがコラットさんはその後も何度か「可愛い」という言葉を口にし、ようやく気付いたのかはたと口元を押さえた。
「私ってばつい……。可愛いって、男性にはあまり使わない言葉よね」
「お気になさらず。喜びはしませんが、怒るような言葉でもないですから」
「そう、それなら好意と取って」
コラットさんが柔らかく微笑む。ほんのりと頬が赤くなっているような気がするが、ランタンの明かりのせいだろうか。
だがそれを言及する気にはならず、俺は懐中時計を再び手に取り、時間を確認するとハムの挟まったパンに口を付けた。
そうして雑談交じりに食事を済ませ、明日のことを話す。
といっても目覚まし時計のない現状では起床時刻を定めることも出来ず、せいぜい「早い時間に起きましょう」と話すだけだ。日の光だけが頼りである。
「では何かあったら呼んでください。降りてきますんで」
「……本当に木の上で寝るのね」
「えぇ、そっちの方が安全だと思いますから」
おやすみなさい、と告げて木に登るために枝にぶら下がる。
だがいざ登ろうとした瞬間、コラットさんが俺の名前を呼んできた。ぶら下がったまま彼女を見れば、寝袋に入ることなくいまだランタンの前に座っている。
「ねぇ……よければ少し話をしてくれない?」
「話?」
「まだ眠れそうにないの」
そう弱々しくコラットさんが告げてくる。
案内役とはいえ森の中で夜を超すことに不安を抱いているのだろうか。となれば試験に同行して貰っている身として、彼女の願いは無碍には出来ない。
そう考えぶら下がっていた手を放す。トスンと地面に降りれば、俺が話に付き合うと察したからか彼女の表情が和らいだ。
お嬢様と瓜二つの表情。周囲が暗いため紫がかった髪も瞳も色濃く見え、よりお嬢様と似て見える。諾ノ森に仕える者でも間違えかねない程だ。
俺が隣に座ると、コラットさんも改めるように座り直して近付いてくる。
食事の時より少しばかり距離が縮まり、腕を動かせば触れてしまいそうなほどだ。
「しかし話っていっても、面白い話なんて出来ませんよ」
「どんな話でも良いの。そまりの事とか……」
「俺のこと?」
なんだって俺のことなんて聞きたがるのか。
だがそれを問うように視線をやっても、俯くことで逃げられてしまった。
暗くなりシンと静まった森の中では、彼女の「聞きたいから」という小さな声が良く通る。
「俺の事なんて聞いても面白いとは思えませんけど、それで良いなら……」
さすがに異世界から来た、等という突飛な話は出来ない。頭のおかしい奴だと思われたら困るし、かといって仮に信じて貰えても眠りを誘う話にはならないだろう。
となれば当たり障りない俺の話……。
「爺が『飛び級って格好良いよね』と言い出したのを最後に意識を失い、気がついたら外国の大学にいて、最速で卒業するために各分野の教授に討論勝負仕掛けて単位強奪して卒業した話はどうです? どうやら向こうで『ジャパニーズ辻斬りボーイ』って変な渾名で都市伝説化してるらしいです」
「……もう少しソフトな話は」
「爺の『トマト1個に含まれるリコピンはトマト1個分!』って言葉を最後に意識を無くし、気がついたらトマト祭りのまっただ中で起き抜けにスペイン男達に顔面にトマトをぶつけられた話の方が良いですか?」
「……いえ、それも……。あ、それでトマト嫌いなのね」
合点がいったと言いたげなコラットさんの言葉に、思わず俺の眉間に皺が寄る。当時のことを思い出せばトマトの臭いまで鮮明に蘇ってくるのだ。
そんな俺に対し、コラットさんは若干引き気味の表情を見せつつも「そういえば」と話を切り出した。
「そまりがよく言う"お嬢様”ってどんな人なの? そまりと一緒にこっちに来たって聞いたけど」
「お嬢様の話を聞きたいんですか? 寝るんじゃなく?」
「夜通し語らない程度でお願い」
「……失礼しました、お嬢様の事となると三日三晩くらい楽に語れてしまうので。そうですね、見た目は貴女とそっくりです」
「私と?」
驚いたと言いたげにコラットさんが瞳を丸くさせる。色こそ違うが、その表情はやはりお嬢様を彷彿とさせる。
まさに瓜二つ、お嬢様が髪色を変えてカラーコンタクトを入れたのだと言えば、きっと誰もが騙されてしまうだろう。それほどまでだ。
そう話せば、コラットさんが己の髪を見つめ「そうなの」と小さく呟いた。
「そんなに似ているなら、ギルドに戻って会うのが楽しみだわ」
「きっとお嬢様もビックリしますよ。ずっと姉妹が欲しいと仰ってましたから、お喜びになるでしょう。俺じゃ兄代わりになれても姉代わりにはなれませんからね」
冗談めいて告げれば、コラットさんが小さく笑った。
……といっても、冗談どころか本気で姉代わりを勤めようとした事があるんだけど。というか未だにお嬢様が寂しそうにしていると俺は女装して、
「お嬢様! そま子が来ましたわよ!」
と彼女の姉代わりをしている。
素人の女装だがこれが何年も続けていると板に付いてくるもので、『そま子』は諾ノ森家忘年会の一発芸として根強い人気を保っている。それどころか数人から「年々色気を増している」という微塵も嬉しくない誉め言葉を貰っているほどだ。
だけどそんな話はコラットさんには聞かせない方がいいだろう。右も左も分からない異世界なのだ、そま子は俺の中で大人しく眠らせておこう。
そま子……詩音が寂しがった時と諾ノ森家忘年会・新年会の時のみ現れる21歳OL。
SNSでイイネを貰うためにお洒落な喫茶店を探しているが、最近それが面倒に思えてきた。無理をしてイイネを貰うことに意味があるのかふとした瞬間に考えてしまう。だが周囲との繋がりを断つのが怖くてSNSは止められない。……というのがそまりの中のそま子の設定。