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01:ちょっとしたイベント

全五話の夏コミ用のお話です。

久しぶりなため、本編完結後の101話目に人物紹介を用意しました。


 


 こちらの世界には日本のような四季はないが、一年を通した寒暖の差はある。

 ここ最近は気温が高く、日が落ちるのが遅くなった。名称こそないが『夏』だろう。

 お嬢様が「あつぅい」とパタパタと扇子で己を扇ぎ、膝に乗せたオシーも扇いでやっている。多分オシーを膝から下ろせば幾分涼しくはなるだろうが、以前にそれを提案したところ「それとこれとは別問題よ」と真剣な顔つきで言われたので黙っておく。


「さてお嬢様、八月の帰省はいつにいたしましょうか」

「そうねぇ、お父様とお母様もこの時期は特に忙しいのよね」


 どうしましょう、とお嬢様がオシーを撫でつつ悩む。


 帰省とはこちらの世界から日本に戻ることだ。

 一ヵ月でたった一日の、世界を越えた帰省。


 毎回つつがなく終えているが、問題は帰省日の決定だ。二つの世界間で密に連絡を取れるわけもなく、一度の帰省で数ヵ月先までの予定を決めなくてはならない。これがなかなか難しい。

 なにせお嬢様のご両親、諾ノ森家夫妻は世界に名だたる重要な存在。ゆえに常日頃どころか数ヵ月先まで、へたすれば数年先の予定まで決まっている。仮にお二人が『娘が帰ってくるから』とお嬢様を優先して急遽予定を変更すれば、いったいどれだけの者達が代わりに動かざるを得なくなるか……。

 お嬢様はそれを気にし、帰省日はいつも両親の予定に合わせている。なんて優しいお嬢様だろうか。


 だがそんなお嬢様の優しさが裏目に出て、八月の帰省日がまだ決められずにいた。


「旦那様と奥様の秘書と相談して候補日を出しておきましたが、さすがと言いますか、見事にお二人とも予定が入っていますね。どの日に帰ってもせいぜい夕食から後を共にするのがやっとですよ」

「お父様とお母様に無理はさせたくないわ。帰省日、繰り越し出来ればいいのに」

「月に一日っていうのは不便ですね」


 どうしたものか、とスケジュール帳を眺めつつ唸る。

 そこに犬童さんが通りがかり「帰省ですか?」と尋ねてきた。

 一連の事情を説明すれば彼女はふむと考え込み、スケジュール帳の一日を指さした。


「それなら、この日に帰って日中は私の手伝いしてくれませんか?」

「手伝い? 嫌です」

「驚くほどの即答。詩音ちゃんに売り子をお願いしたいんです」

「売り子……?」


 何のですか? と尋ねるも、それを遮るようにお嬢様が「ものを売るの!?」と割って入ってきた。


「お店の店員さんをするの? 私が?」

「ちょっとしたイベントがあって、その手伝いをして欲しいんだ。もちろんお礼はするから」

「お店屋さんなのね。私、やるわ! アルバイトよ!!」


 お嬢様が気合に満ち、オシーを抱いたまま立ち上がる。

 どうやらお嬢様の胸に熱い炎が宿ったようだ。既に店員気分になったのか、オシーに対して「働いてくるわね!」と宣言している。それどころか西部さんの元までちょこちょこと歩いていくと「いらっしゃいませ、ご注文は?」と練習までしだした。なんて愛らしいのだろうか、輝いて見える。


 日本に居た時、お嬢様はまだアルバイトが出来ない年齢だった。

 そもそも諾ノ森家の令嬢なのだからアルバイトをする必要など無いのだが、だからこそ『働く』という事に余計に憧れるのだろう。

「本屋さんでお仕事したいわ」「お花屋さんが募集してたの!」「レジ打ちのプロも格好いいわね」と興奮しながらよく話していた。

 そしてこちらの世界に来てギルドの一員として働くようになり、更に仕事への意欲が高まっているようだ。


「秋奈ちゃん、お店のことは私に任せて!」

「お嬢様がやるなら俺も手伝いますよ。で、いったい何のイベントなんですか?」


 もはや毎度のパターンすぎて落胆する気にもならずに問えば、犬童さんが満面の笑みを浮かべ……、


「夏コミです」


 と答えた。



 ◆◆◆



 肌に触れる空気が熱を持ち、遮るものなく降り注ぐ太陽光がじりじりと肌を焦がすのが分かる。

 これはまさしく日本の夏だ。周囲にある文字も日本語で、周囲にいる者達も日本人らしい外見をしている。


 日本に帰ってきたのだという実感が……、湧かない。今はそんな郷愁の念を抱いている余裕は無い。

 アスファルトが熱を持っているのに座れという苛酷な指示が出ており、じっとしていると焼けた肉の気分になってくる。鉄板の上で焼かれる肉、あれの気分だ。

 俎板の鯉ならぬ鉄板の上の肉。自分から香ばしい匂いがしそう。

 日焼け防止にと渡され首に巻いていた濡れタオルも既に生温く気持ちが悪いが、これを外せば項が直射日光にさらされるのだろう。それも嫌だ。


「暑い……。いったいこれのどこが『ちょっとしたイベント』なんだ……」


 思わず愚痴れば、並んで座っていた上津君と柴埼君が項垂れるように頷いた。



 いったいこの地獄は何かといえば『夏コミ』である。

 夏コミとは個人が創作物を持ち寄り販売するイベントらしい。

 創作物の題材も手法も多種多様で、既存の作品をもとに創作する者もいれば、一から創り上げた自作品を販売する者もいる。それどころかマニアックな写真集や研究書を発行したり、ハンドメイド品を売ったりと、とにかく己の趣味を曝け出し、それを売り買いする場だ。

 他にも分類分けをしたり別の時期や場所で同じようなイベントが行われているらしいが、この『夏コミ』は規模がひときわ大きく、特別なイベントなのだという。


「犬童っていつも漫画描いてますけど、ここには同じような人がいっぱい居るって事ですか……」

「というより無知な俺達の方が少数派でしょうね」


 諾ノ森家の使い達にもそういったイベントに出る者もおり、彼等も今日来ているのだろうか……と思いはしたが探す気にならない。

 なにせ人の海。見渡す限り人が居て、みんな灼熱の太陽光に焦がされながら座っている。ここで再会をしたところで話す内容は「暑いですね」「暑いな」だけで、互いの健闘を祈って別れるだけだ。


 ちなみにお嬢様は居ない。当然と言えば当然、こんな状況にお嬢様を置けるわけがない。

 お嬢様は犬童さんと共に目の前の巨大な建物の中にいる。どうやらそこが販売所らしく、今は準備をしているようだ。時折俺の携帯電話にお嬢様からメッセージが来るが、楽しそうな文面で何よりである。

 ……一言でも「帰りたい」と書かれていたら、この人の波を掻き分けて会場に飛び込み、お嬢様を連れ去って帰ったのに。


「しかし、暑い。とにかく暑い。上津君も柴埼君も、いくら犬童さんに頼まれたとはいえ大変ですね」

「きついですけど、犬童には助けられた身なんで。それに以前とは比べるまでもなくこっちの方が良いですよ」


 タオルで汗を拭い、上津君が疲労を交えつつも笑う。

 上津君と柴埼君はあちらの世界で横暴な者達に囚われ、日々暴力に晒されていた。それに比べれば今の状況はマシなのだろう。


「まぁ、確かにここは暑いだけですからね。……異様に暑いですけど」


 まさにうだるような暑さ。首筋どころか体の至る所で汗が伝う。

 せめてと涼を求めてシャツの首元を引っ張っていると、水を飲んでいた柴崎君がふと俺を見て「そういえば」と話しかけて来た。


「てっきりそまりさんはいつもの執事服で来るかと思いました」

「あ、俺も。だから一瞬誰かと思っちゃいました。でも普段の服で来てたらやばかったですね」


 持ち歩き用の携帯扇風機で己を扇ぎながら上津君と柴埼君が話す。

 彼等の話に対して俺は一度自分の身体を見下ろし、そして自分の服装ながら見慣れぬ光景に肩を竦めて返した。




※次話は夏コミ待機時間に合わせて9時に更新予定です。

現地で待機されている方、熱中症にはお気をつけてください。

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