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杉三長編 Fragile  作者: 藤本諄子
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第一章

Fragile


登場人物

影山杉三(読み書きのできない男)      塩野奈美子

伊能蘭(杉三の友人)            岡本香織

青柳懍(製鉄所の主宰者)          岡本敦子

磯野水穂(製鉄所の手伝い人)        町田ジャクリーン

望月優(革職人)              生田祐子

高安りま(教師)

小久保順恵(女子高生)

実藤茂太(スマートフォン店の店主)

実藤静子(その妻)


第一章

田子の浦港公園

杉三「久しぶりに港公園に来たね。」

蘭「まあ、本当のところ数週間しかたってないんだけどね。杉ちゃんには、長く感じるのかな。」

杉三「そんなの関係ないよ。長いものは長いんだ。なあ、蘭。これ、何かいてあるんだ?」

と、設置されている石碑を見る。

蘭「ああ、山部赤人の歌か。天地の、分かれしときゆ、かんさびて、高く尊き、駿河なる、」

杉三「富士の山を見る歌か。田子の浦ゆ、うちいでみれば白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ。」

蘭「杉ちゃん、読めないのにどうして知っているの?」

杉三「知らない。勝手に入ってくるんだもの。みんなが言っているのが。だから覚えたんだ。」

蘭「なんだそれは。」

杉三「昔の歌って好きなんだ。今の汚い発音とはわけが違う。読み書きはできないけど、聞くことはできるから。口声ではこの歌は読めないよ。昔の発音はもっと種類があったらしいし。」

蘭「ああ、雅楽のことを言ってるのね。」

杉三「よく知らないけど、昔の言葉は今の言葉とは全然違ってもっときれいだったと思う。」

石碑の前に一人の男性が立っている。彼は男性としては小柄な男で、痩せてやつれている。しかし、大きな丸い目が印象的で悪い人とは思えない。額に黒い布を巻き、まるでねじり鉢巻きを付けているようだ。彼は、杉三を興味深そうに見る。

蘭「あ、ごめんなさい、気を悪くされましたか。」

男性「いや、違いますよ。賤民が平民に嫌だなんて言えないでしょ。」

蘭「どういうことですか?」

杉三「君も、山部赤人の歌が好きなの?僕は大好きだよ。きっと昔の発音って、すごくきれいだったんだろうね。僕は今の人の発音は大嫌いだ。そう思わない?」

男性「本当ですよね。僕も、今時の人の発音は大の苦手ですし、雅楽は大好きですよ、演奏会には行ったことないけど、奇麗なんでしょうね。でも、一歩外に出れば、汚い音に戻ってしまう。ショッピングモールで店員さんたちが客を取っているときの声なんかは、汚くてたまらないものですよ。本当は、美しい言葉を残していってほしいと思うんですけど、無理なんですかね、、、。」

蘭「あなた、何者ですか?」

と思わず聞く。

男性「何者って、ただの虫けらみたいな人間ですけど。ろくでなしの賤民ですよ。」

杉三「せんみんってなあに?」

男性「その通り賤民です。いわゆる革細工とかやってます。先祖代々ずっとそうです。」

蘭「ああ、何を言いたいのか、よくわかりました。でも、そういう時代はもう終わったんですから、虫けらというべきではないですよ。」

男性「そういってくれるのは誠にうれしいのですが、いつの時代もこの職業はこの職業ですし、脱することもできませんから、汚いと呼ばれても仕方ないのです。本当は、お二人に声をかけるのも許されないかもしれないですよね。こんな汚い仕事をしていながら。しょせん僕らはえったぼしですから。」

蘭「そこまで卑下しなくてもいいと思いますけど。」

杉三「いや、そうやって言えるほうがよほどかっこいいよ!だって、いろいろ苦しいこともあったでしょ。だから美しいものに心を開けるんだ。それは、自信もっていいと思う。」

男性「お世辞が上手ですね。」

杉三「だって奇麗なんだもん。普通に生きている人よりよっぽどかっこいいよ!」

蘭「杉ちゃん、かっこいいって何が?」

杉三「彼の発音は、すごく丁重だと思う。」

男性「そんなこと言わないでください。僕はそんなかっこいい人間ではないんですから。死牛馬処理権という言葉を聞いたことがありますか?おそらくないでしょう。大島の着物を身にまとうような方は、こういう汚い世界はしらないはずだ。」

杉三「僕も、ショッピングモールの店員さんの発音は嫌いだ。君のほうがよっぽど奇麗なはずだ。確かに何とかという権利は聞いたことがない。でも、そこらへんにいる、なんの目的も持たないで生きている人よりも、もっともっとかっこいいと思う。」

男性「そうやってほめていただかなくても結構です。あなたが、そういってくれたとしても、僕らは外へ出れば『汚い』という言葉の連続です。そして、先祖がそうなっている以上、何をやったって日の光を浴びることはできない。でも、革の仕事以外何もないんです。だから、それと一緒に生きていかなきゃいけないんです。外国へ逃げればいいのではないかと言ってくれたひともいましたが、そんなことができる経済力もないんですよ。だから、」

蘭「あの、ちょっとよろしいですか?あなたはなぜ、この港公園に来たんですか?」

男性「決まってるじゃないですか。もう、こんなところとおさらばしたいと思ったんですよ。」

杉三「いや、それだけはだめだ!絶対ダメ!」

男性「でも、えったぼしとして生きる以上、この世ではおしまいです。僕、思うんですけど、こういう身分って、必要のない人間だから、あるんじゃないかな。先祖がそれであった以上何もできないわけですから。どんなに頑張ったって、それ以上になることはできません。だからもう、消えてしまったほうがいいんです。よく、家族とか、親族のことを考えろと人は言いますが、この身分に生まれてしまった以上は、みな同じ運命を生きなければいけないわけですから、さっさとリタイアすべきでしょう。」

杉三「でもさ、今は革を使って、何か作りたがる人はたくさんいるんだから、それを教える人になればいいんじゃないの?時代は変わったよ。」

蘭「そういう階級の人の話は聞いたことがありますが、今は、革細工をしながら、普通に着暮らしても問題ないと聞いてますけど。」

男性「きっとその人は、弾座衛門とか比較的くらいの高い人だったんでしょう。この階級にもいろいろありますからね。僕らのところでは、さんざん馬鹿にされるしかできないんです。」

蘭「ああ、確かに地方によって階級の解釈が違うことはよくありますよね。関東と、関西では全然違うと聞いたことがありました。」

男性「よくご存じですね。それをわかってくださるのなら、多少はわかっていただけるのではないでしょうか。」

杉三「でも、僕はその奇麗な発音を聴けなくなるのは嫌だなあ、、、。」

男性「何を言うんですか。この職種になると、ちょっとした言い間違いが、何十倍の悪口になるのです。だから、きちんとしゃべらなければならないんです。これまでに何度、言葉を真似されていじめられたか。数えても数えられませんよ。」

杉三「僕はすごいと思うよ。君の言うことが正しいのなら、君より偉いとされている人たちのほうが、変な略語をつかったり、英語を無理やりはめ込んだりして、おかしな日本語を作っている。それをあえてしないのなら、古来の日本語を残しているわけだから、それは自信持ってよ!」

男性「自信ですか、持たないほうが身のためですよ。自信を持てば、かならずつぶされるのが常です。」

杉三「だったらさ、もう少しだけここにいてくれない?僕は読み書きができないんだ。それに歩けないし。少なくとも、君は歩けるし、文字もかけるでしょ、僕はそれすら、できないんだよ。だから、できるようになると、ものすごく感動するんだよね。その感動って僕、馬鹿だから一人ではできないんだ。だから手伝ってくれたらうれしいな。」

男性「本当にあなたって人は変わってるんですね。こんなに汚い職種の人を手伝わせてどうするんです。あなたまで誤解されますから、おやめください。」

杉三「じゃあ、どうしたらいいんだ。僕はどうしたらいいんだろう。この人は、どうしたら助かるのかな。」

蘭「杉ちゃん、これは個人的な問題ではなく、日本の歴史がかかわってくる問題だからね。もし、解決を求めるなら、水平社みたいなところにたのむか、議員さんとか県知事さんとか、そういう人の力を借りる必要もあるの。残念ながら、僕らが何とかすることはできないよ。そうですよね。」

杉三「そうだね!そういう人が一番馬鹿なのは、僕もよく知ってるからね!でも、そういう人たちに、彼を渡すなんてできやしない。だって、もっと、馬鹿にされることになるでしょうが。そんな人たちに渡すもんか!」

この発言には、男性も驚いたらしく、しばらくぽかんとして、杉三を見る。

蘭「杉ちゃんは、本当に変わってるよ。なんでそういう発想になるのだろうか。」

男性「いや、その、、、。そんな発言をするとは思わなかったのです。みんな、馬鹿にするか逃げていくかのどちらかしかありませんでしたし。ほんとに、、、。」

思わず、ぽつりと何かが落ちる。

蘭「あなた、本当は、助けてもらいたかったんじゃないですか?人間は動物ですし、生きたいと思うのが動物です。時に、仲間を食べて生き延びようとする動物もおります。人間はもちろんそんなことはしないけれど、でも、生きたいという野生の本能に近いものはありますよ。だからあなたは、杉ちゃんが発言したときに、近づいてきたのではないでしょうか。」

男性「そ、そうでしょうか、、、。」

杉三「もっと素直になったほうがいいよ!変な社会的身分につぶされないでよ。歴史とか、世間体とか関係なく、自分の心の納得する生き方をしようって、発想を変えたほうがいい。そのほうが、ずっと楽に生きられると思うよ。」

男性「そ、そうなんですけどね、、、。」

杉三「ああ、つらかったんだね。いいよ、なんぼでも泣けば。これ以上泣くと涙がなくなるまで泣けばいいさ。それでさえも許されなかったんだろうから、、、。」

男性「どうしてそのような発想ができるのか不思議でなりません。」

杉三「僕は、読み書きができないから。」

男性「すごいですね。きっと、ご家族も偉かったんだろうな。僕の家は、みんな暗くて、近隣の人たちも、就職することはできても、先祖がこうだったとわかってしまえば、退職を迫られ、あえなく自殺した者も多数おりました。それとか、結婚までこぎつけても、相手の親が許してくれなくて心中した例もありましたね。犯罪をした人もたくさんいますし、、、。現に、僕もバラックに住んでいます。アパートを借りようかと思ったこともあったけど、大家さんに断られて結局バラックに住むしかできませんでした。何とか生活しているけれど、うちの先祖がこうじゃなかったら、って思ったことは何回もありますよ。」

杉三「なるほど。僕も歩けないから、他の人をうらやましいなと思わないわけじゃないけど、他の人にない感動が持てると思うから、そのままだよ。そうじゃなければ感動できないことってたくさんあるもの。」

男性「本当にすごいかたですね。一体どういう生活をされているのですか。障害のある女性と知り合ったこともあったけど、結局傷のなめあいしかならず、別れてしまいました。」

杉三「僕は自分のことをただの馬鹿としか見ていないんだ。だから楽に生活できるんだ。」

男性「すごい奥の深いセリフですね。なんだか師匠と呼んでもいいかも知れない。」

杉三「師匠なんて、教えることなんてないよ。僕は本当に馬鹿だから。師匠にはなれないけど友達にはなれる。僕は影山杉三。こっちは僕の友達の伊能蘭。杉ちゃんって呼んでね!よろしく!」

男性「影山杉三さんですか。すごいお名前。どこかの武将みたいです。」

杉三「だから僕は杉ちゃんと呼んでくれればそれでいいと言っているんだ。」

男性「僕も、遅れればせながら、名前を名乗らせてください。望月優と申します。」

杉三「望月優さんね。よろしく!」

優「はい、ありがとうございます!」

二人、互いの右手を握る。

と、五時を告げる鐘が鳴る。

蘭「杉ちゃんそろそろ帰らないと。」

杉三「えっ、もうそんな時間?」

優「今日はありがとうございました。なんか、お別れするのが名残惜しい、、、。」

また涙を拭く。

蘭「スマートフォンとか持っていれば、またつながれますけど、、、。」

優「残念ながら持っていないのです。維持費がなくて。固定電話だっておけないんですよ。」

蘭「それは残念です。」

杉三「手紙は書ける?」

蘭「杉ちゃん、君はよみかきできないのにどうするんだよ。」

杉三「蘭に代筆してもらうの。」

蘭「そういうところはちゃっかりしているな。」

杉三「ほかに通信手段もないし、僕は交流を持ちたいし、、、。」

蘭「そうか。今回はやむを得ないな。じゃあ、僕が代理で筆をとりますから、ご住所を、」

と、メモとペンを彼に手渡す。優は、丁重な文字で自身の住所を書く。

蘭「ありがとうございます。じゃあ、僕の住所をお渡ししますから、いつでも好きな時に送ってくれてかまいません。僕も杉ちゃんも、定期的に出すようにしますので。悩んでることとか、気になることがあったら、何でも書いてくだされば、それなりにお返事を出しますので。」

自分の住所を書いたメモを蘭は優に渡す。

優「ありがとうございます。また、何かあったら、手紙を書きます。今日は本当にありがとうございました。この御恩は絶対に忘れません。ありがとうございました。」

メモを受け取った優は、深々と最敬礼をする。

杉三「もう、自殺なんて考えないでね。」

優「はい、決していたしません。」

杉三「よかった!」

蘭「じゃあ、僕たちは帰りますが、きっとまたどこかで会えるといいですね。」

杉三「何を言ってるんだ、これから始まるんじゃないか!」

蘭「杉ちゃんらしい発想だ。」

杉三「お手紙頂戴ね。僕も出すからね!」

と、車いすを動かし始める。

蘭「お体に気を付けて。」

彼も杉三の後をついていく。

優「ありがとうございました!」

と、感涙にむせびながら、二人の姿が見えなくなるまで、いつまでもたっていた。









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