夢に見ること
「今日は疲れたでしょう。ゆっくりおやすみ」
日が沈み、月が顔を出す時間になると言継は私を御帳の中に押し込んだ。
私に用意された部屋ではなく、言継の部屋である。一緒に眠ってもいいと許可が下りたのだ。
最後まで反対していた智子は泣き落とした。
促されるままに体を横たえれば、ふんわりとした香りが鼻孔をくすぐる。
言継の衣に焚き染められているのも同じ香――言継の香りだ。
「にいさまも、いっしょ」
言継の香りに包まれているのに温もりが足りない事がさみしく感じられて、私を寝かせておきながら横になろうとしない言継の袖を引く。
なんとなく夜の闇の中で一人になりたくなかった、というのもある。
「……ごめんね、私はまだやらなきゃいけない事があるんだ」
ゆったりとした動作で頭を撫でられる。
けれど、苦笑と共にもたらされた返事が不満で、私は思わず頬を膨らませてしまった。
「ひとりは、いや」
「眠るまでは、側にいるから」
抱擁の代わりに、そっと手を握られる。
指先から伝わる熱が心地良い。
いつものように抱きしめてもらうのが一番落ち着くけれど、これも悪くはない。
そんな思考と共に、私は眠りに落ちた。
気が付けば、闇の中にいた。
前も後ろも、右も左も、黒一色で染まっている。
自分の体さえ見えない暗がりの中で、私は懸命に足を動かしていた。
どこに向かっているのかなんてわからない。ただ、前と思われる方向に向かって歩いているだけだ。
足音は、聞こえない。
……あれ、どうして。私は、ついさっき言継に寝かしつけられていたはずなのに。
首をかしげて、ふと気が付く。
体が、軽い気がした。
試しにその場で飛び跳ねてみる。
とても動きやすかった。
……服が、違う? それに、体もなんだか大きい気がする。
私が今まで着ていた服は、当然のことながら着物である。それは寝ているときも起きているときも変わらない。
この時代にはまだ洋服など存在していないのだから当然だろう。
けれど今、闇の中にいる私が身に着けている服は、洋服ではないのだろうか。
そう思って足に触れると、前世でよく穿いていたジーンズ生地のような感触がした。
たぶん、これは夢なのだろう。結論に至るまで、そう時間はかからなかった
私は足を止める。
何も見えないのは分かっているが、それでも念のために周囲を見回した。
扉が、現れた。
さっきまでは何もなかったはず闇の中に、扉が浮かんでいる。
ドアノブが付いた、木製の、ありふれた開き戸。
まるで吸い寄せられるかのように手が伸びた。
触れた金属の感触に懐かしさがこみ上げる。
そのまま右に手首をひねれば、あっさりと戸は開く。音は、なかった。
扉をくぐった先には、女性がいた。
こちらに背を向けて床に寝ころんでいる。
側にはスナック菓子の袋が置かれていて、彼女は時折そこに右手を伸ばしていた。
左手に握っているのは、ポータブルのゲーム機だろう。
頭越しに見えた液晶画面には、見慣れたゲームの画面が映っている。
……あ。これ、私だ。
女性がこちらを振り向くことはない。それでもわかった。わかって、しまった。
彼女は、前世の自分だ。よくこうやってお菓子を食べながらゲームを片手にごろごろと行儀悪く転がっていたのを覚えている。
……なんで。
どうして、こんな夢を見ているのだろう。
やっと景子であることを受け入れられたと思ったのに、どうして。
早く、目が覚めてほしいと思う。
これ以上ここにいてはいけない。そんな気がした。
すると、まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、液晶画面の画像が切り替わった。
20歳の言継が、微笑んでいた。
大好きだったイベントの、大好きだったスチル。
景子との婚約を破棄した彼が、ヒロインを屋敷に迎え入れる場面だ。
……いや……!
私は反射的に扉を閉めた。
そのまま後ろを向いて、振り返りもせずに走り去る。
物音一つ聞こえないから、本当にその場から逃げ出せたのかどうかはわからない。
それでも私は必死に闇の中を駆けた。
「みーつけた」
音のない世界に、鈴のような声がこだました。