思い悩むこと
秋も深まれば気温は下がる。
特に朝方の変化は顕著だから、寝所を共にする人がいるのはありがたい事だと思う。
ひとりで寝ていたら確実に凍えて風邪をひいていただろう。
ここに文明の利器はないのだ。
「もう、ひとつき……」
ひんやりとした朝の空気に包まれた褥の中、目が覚めてしまった私は隣に寝息を立てている人の顔を眺めながらそっと息を吐いた。
前世を思い出してからひと月。
悪夢に苦しみ、言継と共に眠るようになってからひと月。
自分が、ゲームの悪役であると知ってから、ひと月。
どうすればいいのか。どうするべきなのか。たくさん考えた。
そのための時間はあった。
けれど結論は、まだ出ていない。
正直に言えば、ゲームのシナリオ通りに生きたくないとは思う。
悪役になんてなりたくないし、血みどろな未来もお断りだ。
変えられる物なら、変えたいと思う。
けれど同時に、怖いとも思ってしまうのだ。
定められたシナリオを壊すことに対しての恐怖。
このゲームにおいて、中心となるべき人物は「ヒロイン」であって「景子」ではない。
自分の役割はヒロインが成長するための踏み台であり、彼女が前へと進むための障害だ。
たとえそれがどんなに残酷な運命であろうとも、事実は変えられない。
だからこそ、怖い。
私がシナリオになかった行動を起こすことで、未来は変わると思う。
少なくとも血にまみれる事だけは回避できるはずだ。私は血が嫌いだから、どの道を選んだとしても生き血だなんだと言うホラーな展開にだけはならないと確信を持って言える。
では、変わった未来の先には何が存在しているのだろう。
タイムパラドックスという言葉がある。
時間の逆説とも呼ばれる、未来から来た存在が過去を変えることで因果律に矛盾をきたす現象だ。
私は生まれ変わりだけれど、ヒロインはタイムスリップする。
私の行動次第で彼女の行動も変わるだろう。可能性は十分にあるのだ。
タイムパラドックスの結果どうなるのかは諸説があるが、最悪は世界の消滅だと言われている。
そんな馬鹿な、とは思うがこの世界は物語の上に成り立っている。
元になっているのはゲームなので分岐ルートはいくつか用意されているが、いずれもヒロインのためのものだ。景子には選択肢など用意されていない。
もし勝手に行動を変えてしまえば、その先にあるのはただの白紙である。
想定されていない未来。
描かれていない物語。
存在しない世界。
それは、消滅と同意語ではないだろうか。
「こわい」
思い浮かんでしまった考えに背筋がぞっとして、思わず目の前に眠る言継にしがみつく。
無意識なのだろう。私を抱き寄せる腕に力がこもった気がした。
体温を分け与えるかのような抱擁が心地よくて、うっとりする。
この温もりを失いたくないと思った。
このひと月、言継はほとんどの時間を景子にあててくれた。
忙しくないはずはないのに。家に帰らなくて良いはずもないのに。
それでも彼は可能な限り共にいてくれた。
不安定な私を抱きしめ、なだめてくれた。
巻き込みたくないと思う。この優しい人を。
前世の頃から好きだった、大切な人だ。
彼には幸せな世界で笑っていてほしいと思っている。
いや、言継だけではない。
このひと月で散々心配をかけた乳母や母、それから女房達。景子の周りにいるすべて……この世界に生きる人々すべて。
彼らにだって、幸せになる権利がある。
それは、私の行動ひとつで白紙に返していいものではない。
定められた未来は怖いと思う。
血にまみれた道を歩きたくないとも。
誰からも羨まれるほど幸せになりたいなどとわがままは言わない。せめて平凡な人生を歩みたい。
けれどそれは、世界を道連れにしても許されるほどの事なのだろうか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
自分の選択ひとつに世界の存亡がかかっている等と信じきっているわけではないが、可能性はゼロではない。
臆病なのだ。自分の行動が引き起こすかもしれない結果が、私は怖い。
目を閉じる。
脳裏に浮かんできたのは、前世で何度も繰り返し見てきたゲーム場面の数々だ。
このまま何も行動を起こさなければ確実にたどる事になるであろう私の未来でもある。
世界の崩壊も怖いが、自分の未来も怖い。
結局今日も結論が出ることはなく、私は泣きたくなった。
「どうすればいいの」
思わずこぼれた呟き。
誰に拾われることもなく溶けて消えるはずだったそれに、答えはあった。
「お姫様は何を悩んでいるの?」
びっくりして声の方に視線を向ければ、そこにはしっかりと目を開けた言継がいた。