人の心はわからない
すごく、おひさしぶりです。
言継のお話をお届けします。よろしければお楽しみください。
父方の親類は、やたらと血筋に固執する。
母方の親類は、持って生まれた資質がすべてだという。
よって、言継が「親戚付き合いなんてするものではない」という結論にたどり着くまで、そう長くはかからなかった。
父方の親族は、それでもまだマシなほうだったと、言継は思う。
今上帝の弟……それも、同母の弟を父に持つ言継は、皇家の中でも上位にあたる存在で、母の身分も決して低くはない。
自身が親王宣下を受けている事もあり、彼らをあしらうのは簡単だった。
けれど。
「おやまぁ、貧弱だこと」
母方の親族はそうではなかった。
「黎明の巫女の血を受け継いでいて、これかい? これは薙どころじゃないよ。ただびとに毛が生えた程度ではないのかえ?」
代々、神に仕えるその家では、生まれも血筋も関係ない。
生まれ持つ資質さえ高ければ、たとえ本人が分家の末子であろうと、本家の長子をもしのぐ権力を持つ。
言継の曾祖母に当たる女性がまさにそれで、分家の……それもかろうじて一族に数えられるかどうか、という家に生まれたが、そのたぐいまれなる能力のみで頂点まで上り詰めた。
黎明の巫女。
その呼び名の通り、まるで夜明けの光を思わせる人だったという。
祖の再臨とまで謳われた彼女の力は、次代に受け継がれる事にも寛容だったらしく、いまや一族の中心にいる人物はほどんどが彼女の血筋だ。
「どれ。かろうじて見鬼の才はあるようだが……これではだめだねぇ。弱弱しくて、とても使いものにならないよ」
母は、黎明の継承者。
父は、皇室の直系。
けれど、周囲の多大なる期待を背負って生まれ落ちた言継には、それに応えられるだけの力はなかった。
同年代の従兄弟たちが語る、神々のいる世界を、言継だけが知らない。
周囲にとっては当たり前のことが、言継にはわからない。
彼らにとって、言継は出来損ないで、一族の面汚しだ。
父が父であるが故、軽視される事こそなかったが、それでも保護者の目の届かないところで囁かれる言葉は言継の心に大きな陰を落とし、やがて陰は心を闇に沈めた。
我ながらひねくれた子供だった、と言継は自嘲する。
誰にも心を開かず、取り繕った顔でのらりくらりとその場をやり過ごす。
瞳はいつだって冷め切っていて、笑みの形をつくる唇は心から笑うことを忘れて久しい。
父母が異変に気付いた時には完全に手遅れで、その頃の言継は既に生きる事すらどうでもいいと思っていた筈だ。
だから。
だから言継は。
こんなにも明るい未来が自分に用意されていただなんて、夢にも思っていなかった。
「景子」
呼べば、彼女は花のような笑みで答えてくれる。
いとしい、いとしい、婚約者。
「なぁに? 言継」
つい最近まで、兄と呼んでいたその声が紡ぐ自分の名が、ひどく特別なもののように思える。
名づけようもない感情のままに抱き寄せれば、彼女の頬が赤みを帯びた。かわいい。
「言継? どうしたの?」
さらに力を籠めれば、彼女は焦ったように腕の中でじたばたと身じろぐ。
けれど、その声から嫌悪の色は感じられなかった。
単純に、恥ずかしいだけなのだろう。
「どうもしない。ただ、景子に触りたくなっただけだよ」
証拠に、耳元に囁きを落とせば、彼女は声を失った。
はくはくと無意味に動く唇が、愛らしい。いっそ食べてしまおうかと思ったが、そうするための地盤はまだ固まっていないのだろう。
他の者に目を移さないように、自分だけを見てくれるように。
幼い頃から丹念に育ててきた彼女の心は、先日失われたばかりだ。
それはどうしようもなかった事で、だからその件で誰かを恨む事はない。と言えば嘘になる。
むしろ心の中では盛大に呪っている。主にとある一族と神々を、だ。
それでも。
「……最近の言継は、少し意地悪になった気がする」
「まさか。私は最初からこうだよ」
怪我の功名というものは存在する。
事件の後、言継は長い間景子をむしばんでいた悪夢の正体を知った。
信じられないかもしれないけれど、という言葉ともに景子が語ってくれた彼女の前世は、確かに普通の者には受け入れがたいだろう。
けれど言継はそうではない。
何せこれでも神と生きる一族の端くれだ。
自分の知らない世界がある事は、幼いころよりいやというほど耳にしている。
信じる、信じないではない。
わかるのだ。それは真であると、言継の身に宿る津守の血がそう教えてくれる。
疑う余地などない。むしろ、そんな些細な事よりも前世の彼女が恋したという「物語の中の言継」の方が気になるくらいだ。
現実の自分は、彼女の隠し事に気付いておきながらも、それを問い、今ある関係を壊してしまう事に怯えていた卑怯者なのだから。
「ねぇ、景子。景子は本当に私で良いのかい?」
だから、うっかりそんなことを聞いてしまった。
すると景子は途端に身を固くして。そうして恐る恐るこちらを見上げてくる。
「……言継は、私がいやになった?」
その、隠し事を、してたから。と続く言葉はだんだんと小さくなっていき、やがて何を言っているのかさえ分からなくなった。
なんというか、不安に揺れる瞳は、色々と反則だと思う。
「まさか。隠し事は、確かに悲しかったけれど、景子にとっては必要だったのだろう?」
「そうだけど、でも……」
「なら、気にしなくてもいい。人に言えない事のひとつやふたつ、私にだってあるからね」
人間は醜い生き物だと思っていた過去の自分。
闇に閉じこもり、現実から目を背けていた言継を救い上げてくれた小さな景子。
いたいけな幼子を囲い込んで。何も知らない真っ白な心に自分を刻み込んで。そうして、手に入れた。
今は、もう手放せないところまで来ている。
きっと、景子を失った自分は狂うだろう。
それでも、聞いてしまうのは。
「言継にも、隠し事があるの?」
「うん。景子は、そんな私を嫌うかい?」
結局のところ、言継も狡くて、卑怯で、醜い人間だった、という事だ。
いや、汚い自分を照らしてくれる、許してくれる存在を、求めている化け物なのかもしれない。
そんな事、恐ろしくてとても景子には聞かせられないが。
「……嫌いには……ならないと思う。何もしてあげられないのが悔しいとは感じるけど」
決して長くはない沈黙の後、景子が小さな声で言った。
「だから、言継のさっきの質問への答えは。私は言継が良い、だよ」
黒曜の瞳に宿るのは、理性の光だ。
前世の記憶をもつ彼女は、言継が思っている以上に大人で、賢い。
隠し事していた頃はそんな余裕はなかったのかもしれないが、最近の景子は時々、確信をつく言葉を口にする。
こちらが本来の彼女なのかもしれない。
それが、うれしくて。
けれど、どこかさみしくも感じる。
狭い世界に閉じ込めたいわけではないのに、どうか自分の腕の中から飛び出さないでほしいと願うのは、言継の我が儘だ。
「私は、そんな景子が、好きだよ」
言い聞かせるように、ゆっくりと口にする思い。
その相手が、景子なのか自分の心なのかは、言継にもわからない。
だからごまかす様に、景子を抱く腕に力を込めた。
「ねぇ、言継。たぶん私たちは、もう少し話し合う必要があると思う」
優しい彼女は、言継の背に腕を回してくれた。
兄さまも、意外と子供なのですよ、というお話。




