きっと何度でも
恋に溺れて季節を狂わせた黒姫の罪は重い。
それは、高天原からの追放程度では到底贖えないものだ。
だから神々は、黒姫から恋心を奪う事にした。彼女が何よりも大切にしていた感情を消してしまう事で、彼女を罰したのだ。
黒姫がつかさどっていた冬になると、天花が咲く。
一年の間に彼女が芽生えさせ、慈しみ、育て上げた恋心を糧にして、天上界を白に染め上げるのだ。
白姫が天花を地上に撒くのは、黒姫に少しでも心を還すため。愛おしい半身に、幸せだと思う瞬間を思い出してほしいと願っているから。
「天花に、病を癒す力なんてないよ。あるのは、白姫が持つ浄化の力と、黒姫が持つ土壌を豊かにする力だけ」
神話の真実なんて、そんなものだ。
人の子が語り継ぐ、天に咲く奇跡の花なんてものは最初から存在しない、と千種が苦く笑う。
「それも、代償として心を喰らう。ある意味化け物よりもたちが悪いかもしれないね」
「……なぜそんなものの種を景子に持たせたの?」
問いかける言継の声は固い。
私が婚約祝いに天花の種をもらった事に疑問を覚えているらしい。
「本当にお守りだったんだよ。天花が恋心を吸い取ると言ってもその対象は黒姫だけだから。……種は、瘴気を浄化する。それだけなら害にはならないし、地上にはないし、ちょうどいいと思ったんだよ」
咲かせるとは思わなかった、と言い訳をする千種の声がだんだんと小さくなっていく。
もしかしたら、彼は子供に珍しい玩具でも与えるつもりで種を贈ったのかもしれない。
実際、あの種をもらった時に何とか咲かせられないかと色々試してみたが、何も起こらなかったのだ。
まさかここに来て花開くとは誰も思わなかったろう。正直に言うと私はついさっきまで香袋に種を入れていた事すら忘れていた。
言継の部屋で、香袋からこぼれた光が瘴気を浄化したから、だからもう一度と思って祈った。それだけだ。
天花を咲かせるつもりで、天花の力を借りるつもりで力を使ってなんかいない。使えるはずもない。私は、白い種が天花の種である事も、天花に浄化の力がある事も知らないのだから。
そこまで考えて、ふと気付く。
「ねぇ、千種。天花は、なんで咲いたの?」
天花が黒姫の恋心を吸い取って花を咲かせるのは冬。今は、夏だ。
けれど天花は咲いた。内裏に降り積もって、瘴気を浄化した。
私が願った通りに。
「ああ、おヒメさまも気が付いた?」
華陽の一件以来、私の心は熱を失ってしまったかのように冷たいままだ。
言継の顔を見るたび感じていた胸の高鳴りも、言葉にできないような幸福感もない。
それは何故か。
千種は、何度も「咲かせるとは思わなかった」と言っていたではないか。
「私の、心を、糧にしたの?」
「そうとも、言えるね」
隣で、言継が息をのむ音がした。
そのまま腕をとられて、抱きしめられる。強く。強く。離れる事など許さないとでも言うかのように。私が言継から離れる事などないのに。
「兄様、痛い」
微かに動く手で言継の胸をたたいて、少しだけ腕を緩めてもらう。
わずかに出来た隙間から覗く言継は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「守れなくてごめんね、景子。私にもっと力があれば、景子が天花を咲かせるような事にはならなかったのに」
懺悔でもしているかのような声は擦れていて、聞いているこちらが苦しくなってくるほどだ。
別に言継が悪いわけではないのに。
「もう、どうしたのさ、二人して死にそうな顔して」
ずんと重くなった空気を軽やかに吹き飛ばしたのは千種だ。
さっき畳に転がした天花の種を拾いながら首をかしげている。
「そんなに気にしなくてもいい事だと、ボクは思うんだけど?」
「どういう事?」
そんな千種を、言継が睨んだ。
声が低くて、とても怖い。私だったらたぶん泣いている。
「手がかりはもうあげたよ? ちょっと考えればわかると思うんだけど」
なのに千種があっけらかんとしていて、ちっとも堪えていないようだ。
まぁ、華陽が瘴気を巻き散らかした事も、それをきっかけに私が天花を咲かせてしまった事も、千種が直接かかわっているわけではないから彼を責めるのも違うと思うけれど。
それにしたって、少しは心配してほしい。
「ねぇ、ボクは言ったよ? 天花は、毎年冬になると咲くって」
言葉の真意に気が付いたのは、言継が先だった。
ものすごい勢いで顔を上げて、鋭いまなざしを千種に向ける。
千種は、笑っていた。
「そういう事。それじゃあボクは帰るね。後はごゆっくりーなんてね」
あと一話だと思います。きっと。




