見えるもの、見えないもの
「東宮様はどうやら、例の姫を御所に迎えられたようですよ」
朔夜の口から飛び出た言葉に、私が倒れなかったのは奇跡かもしれない。
……異母兄様、私はあなたを馬鹿だのアホだの行き過ぎたブラコンだのと思う事はありましたが、まさかここまで救いようのない愚か者だとは思っておりませんでした。
なるほど。それでは言継も慌てて駆け付けるしかないだろうし、その後も呑気に私の部屋に来ている暇などないはずだ。
東宮御自ら内裏に不審人物としか思えないような娘を招き入れているわけだ。周囲もさぞ頭が痛かろう。
「それは……なんというか、さぞ騒ぎになっているのでしょうね……」
あまりのいたたまれなさに、軽く視線を逸らす。
とりあえず近衛府がある方に向かって全力で謝り倒せばいいだろうか。私が謝る義理もないが。
「それが……どうも彼女は歓迎されているようで……」
「……は?」
意味が分からなかった。
晃仁の頭がお花畑なのはわかった。それはもう痛いくらいに。
けれど、まさか周囲にいる人間まで能無しだらけとは、どうして考えられよう。仮にも一国の中枢である。
驚きすぎて声も出ない私に、朔夜が「私にもよくわからないのですが」と前置きをしながら事の次第を説明してくれた。
晃仁が彼女を迎え入れると言った場では、反対の声の方が多かったらしい。
けれどそれは、実際に彼女が東宮御所に姿を現すや否や賛同に変わった。
今や、殿上人の多くは彼女に夢中なのだそうだ
曰く。彼の姫の性根は清らかで、姿かたちも麗しく、それはもう天女もかくやという……。
「もういいわ」
条件反射でぶった切ってしまった私は、悪くない。
まったくもって意味が分からなかった。
ぐったりと脱力する私に、朔夜も「まぁ、そうなりますよね」と苦笑気味だ。
「本当に、私も伝え聞いているだけなので、詳しくは。きっと言継様ならもう少し詳しい事をご存じだと思うのですが……」
上げられた名の人物は、ここ二週間ほど顔も見ていない。
こんなにも長い間会わないのは、きっと初めてだ。
「……やっぱり女童に」
なるしか、と言いかけた言葉は控えていた紫のひと睨みで露と消えた。
うん、ごめん。もう言わない。
突き刺さる視線が冷たくて、早々に降参した私はあわてて話題を元に戻す。
「朔夜は、彼女を見た事があるの?」
「陰陽生である私ではお目にかかる事もありませんよ。……こうして姫宮とお話をさせていただく事すら、異例なのですから」
ゆるりと首を振って、朔夜が笑う。
そういえばそうだ。幼い頃からずっと側にいてもらっているので忘れていたが、朔夜は陰陽生――陰陽師見習いなのだ。内裏で立ち入れる場所にだって、山のように制限がついているに違いない。
彼が当たり前のような顔をして後宮まで入ってくるからすっかり感覚が麻痺していたようだ。
……まぁ、それもこれも私の能力のせいなんだけどね。
今、庭を飾っているのは夏の植物達だ。
少しばかり生育がよろし過ぎる気もするが、それでも季節を逸脱しているようなものはない。
その全ては、朔夜のおかげである。
「そんな……私、朔夜には感謝しているのよ? 貴方のおかげで、私は人として生きていけるのだもの」
幼い私は力を暴走させて植物を異常繁殖させることも珍しくなかった。
感情が高ぶるたびに溢れ出ようとする力を、朔夜が断ち切ってくれた事は一度や二度ではない。
もし彼がそばにいなければ。付きっきりで力の使い方を教えてくれていなければと思うとぞっとする。
そうであれば、きっと今の私はいなかっただろう。
力に振り回されて破滅するか、力に溺れて自滅するか。どちらにせよ、恐ろしい事だ。
もしかしたらゲームでの景子――自身の住む局の周囲を季節が入り乱れる人外魔境の地へと変えてしまった彼女だって、力に翻弄されただけなのかもしれない。
敬われていたという設定の彼女だけれど、もしかしたら、恐れられていたのだろうか。
なればこそ、そんな未来を防いでくれた朔夜には頭が上がらない。
師は敬うものである。
「恐れ多い事でございます」
けれど全ては姫宮の努力あっての事ですよ、と謙遜する朔夜の目は凪いでいる。
揺るぎのない眼差しの奥には、彼の精神の強さがあった。
私と同じ、異能を持つもの。
私よりも強い、見鬼の才を持つもの。
力の流れをも見る事が出来るという彼の瞳に映る世界は、どんな色をしているのだろう。
そんな、昼下がりだった。
言継が倒れたという知らせが入ったのは。
事件は主人公が知らないところで起こっています。
それを察知できる可能性を持つ朔夜は近寄る事すら許されていませんでした。
次回、突撃、隣の宮家です。




