気付かされること
私は帝の三の姫である。内親王宣下は、まだ受けていない。
七日七晩高熱にうなされて前世を思い出し、ついでに自分の未来を知った私は齢2歳にして立派な不眠症を患っていた。
眠ると、悪夢を見るのだ。
あたり一面が真っ赤に染まった中で高笑いをしながら生き血をすする自分の絵、と言う子供の情操教育にはとてもよろしくない悪夢を。
眠れるわけがない。
そして、2歳児が睡眠なしで健やかに過ごせるはずもなく、ここ最近の私はいつだってふらふらだ。
寝不足の日々に、体も限界が近いのだろう。
いくら悩んでも考えがまとまる事はなく、待ち受ける未来への絶望だけが募っていく。
余談だが、夜毎うなされる私を見て乳母が「これは物の怪の仕業に違いない」と騒いだせいで陰陽寮では未だに祈祷が続いているそうだ。
祈祷で悪夢が去るのなら、私の未来もどうにかしてもらいたいと思う。
「姫様、守宮の若様がお見舞いに来て下さいましたよ」
眠たいのに眠れない。しょぼしょぼとした目をさすりつつ御帳の中で過ごす私の元に男の子が訪れたのはよく晴れた日の昼下がりの事。
「景子、大丈夫?」
柔らかで品の良い顔立ちをした彼の名前は言継。御年8歳になる私の従兄殿だ。つまりは先帝の孫。今上帝の甥にあたる。
生母の地位が低い私とは違って、やんごとなき家柄の姫君を母に持つ彼は、守宮家の嫡男であり、親王宣下も受けた立派な王子様である。
そんな彼がなぜ私のお見舞いに来るのかと言えば、ひとえに母親同士の仲がいいからというその一言に尽きる。
母に連れられての対面から始まった交流だったが、面倒見のいい彼は景子にとって異母兄よりも兄らしい素敵なお兄様だ。
更にいうなら彼はゲームで言う攻略対象で、後に景子の婚約者になるキャラクターでもある。
正直に言おう。私は心配そうに顔を覗き込んでくるこの美少年にどう接すればいいのか本気でわからない。
好き、だったのだ。
二次元の存在だという事はちゃんと知っていた。
どうにもならない相手だという事も理解していた。
その上で、恋をした。
彼のルートは何度も繰り返したし、グッズは全部そろえた。
お気に入りの薄い本を枕元に置いて眠ったこともある。
その彼が、目の前にいて、しゃべって、動いて、心配してくれている。
もうどうすればいいのかわからなくて「だいじょうぶです、ときつぐにいさま」と作った笑顔で返す事しか出来ない私を責めないでほしい。
現在の私は、前世の記憶を取り戻し、絶望が待つ未来を知ったばかりで未だに混乱しているのだ。ついでに睡眠不足で思考能力もがっつり低下している。
そんな状態でいったい何ができると言うのだろう。気絶しないだけマシである。
「無理はしなくてもいいんだよ? ほら、目元に大きな隈が出来ている」
しかし相手は幼くとも攻略対象。
私の取り繕った事がバレバレな返答にも真摯に対応してくれる。
「今日は新しく合わせた香を持ってきたんだ。いい香りがする物を枕元に置いておけば、悪い夢も立ち去ってくれるかと思ってね」
穏やかな声とともに差し出されたのは、かわいらしい橙色の香袋だった。
季節に合わせたのだろう。ほんのりと薫るのは金木犀の香りだ。
その気遣いがうれしくて。
けれどどこか申し訳ないと思う気持ちもあって。
受け取っていいのかわからずに逡巡すれば、言継は小さく笑いながら香袋を私の手に握らせてくれた。
「……ありがとう」
礼を言えばそっと頭を撫でられる。
今日はいい夢が見られるといいね、と心配してくれる彼の姿に、泣きたくなった。
私は、逃げる事ばかりを考えていた。
自分が景子に生まれ変わったのだと知った時、どうやってこの運命を回避すればいいかと、そればかりを考えていた。
悪夢にうなされ、眠れぬ夜に苦しみ、ままならぬ子供の体を嫌だと思った。
このまま成長したところで、暗い未来しかないと絶望した。
そうして、自棄になっていた部分がある事は否定しない。
考えていなかったのだ。景子を思う人達の気持ちを。
いくら私が前世を思い出したとしても、母や女官達、言継はそれを知らない。
彼らにとって、景子は景子だ。
大事な姫が悪夢にうなされ、とるものも手につかず上の空で考え込んでばかりいればどうしたのだと心配もするだろう。
そんな彼らの姿を視界に入れていたというのに、私は気にも留めなかった。
自分の事ばかりを考え、景子の事も景子を大事に思う人たちの事も考えていなかった。
最悪だ。今の私は、確かに景子であるというのに。
「ごめんなさい」
ほろりと、涙がこぼれた。
理由も言わずに謝罪を繰り返す私に、困惑しないはずがないというのに、言継は何も聞かずに頭を撫でてくれる。
困ったようにほんの少しだけ眉尻を下げ、それでも私の好きにさせてくれるその優しさが嬉しくて、溢れる思いのまま彼にしがみついた。
自分でも何が何だかわからなかった。
つらいのに、うれしい。
くるしいのに、あたたかい。
ぐしゃぐしゃになった気持ちはどうにもならなくて。
だから今だけは甘えさせてもらおうと思った。
そうして思い切り泣いて気持ちに折り合いをつけたなら、景子として生きていくから、と。
絶望するだけではない。恐れるだけでもない。景子として生まれ変わった現実を受け止めて、ひとりの娘として未来を見つめ、最善を選ぼうと。
そう決めた私は、暖かな腕の中で眠りに落ちた。
久しぶりの熟睡だった。
たぶんテンプレでいうとこういう兄みたいなタイプはヒロインの背中を押す係になると思うのですが、ココは私の趣味を前面に押し出させていただく方向で行きたいと思います。
好きです。
ちょっとだけ年の差、親代わりとかそういうのも考えましたがただの源氏物語になるので、ネ。