噛み合わない現実
たしか、ゲームの始まりは庚申待ちの夜だった。
ごく普通の少女が、過去――平安時代にタイムスリップをする。
飛んだ先は、宮中。それも夜を徹して行われる宴の最中で、彼女はよりによって貴賓席の、東宮の膝の上に落ちるのだ。
当然、怪しまれ、疑われ、捕えられそうになる。
けれどそこは乙女ゲーム。色々あって彼女に植物を成長させる力がある事がわかると、環境は一変。真綿でくるむように大事にされるのだ。
だから私は、何かがあるとしたら庚申の日だと思っていた。
私の力は失われていないのだから、ゲームの通りにはいかないとしても、だ。
それなのに。
「彼女は今、左大臣の屋敷に保護されているそうだ」
左大臣が彼女を見つけたのは春で、たまたま花見に出向いた森の奥にいたという。
その神秘的なまでの美しさについうっかり連れて帰ってきてしまったのだとか。
「……ものすごく、怪しいと思うのですけれど」
「私もそう思うよ。けれど大臣はそうじゃないらしい。せっかくだから東宮の妃にどうかと言っていたよ」
「そんな、どこの誰かもわからない娘が東宮妃になんてなれるはず……」
東宮、と言われて思い浮かぶのは、あまり仲がよろしくない異母兄の顔だ。
言継を尊敬してやまない、言継の事が大好きな重度のブラコン。
言継に大事にされている私は、会うたびに嫌味を言われていたりもする。具体的に言うと血筋がどうこうだ。
だから、そんな身分が大好きな兄が、了承するとは思えない。……思えなかったのだが。
「ちなみに晃仁様は乗り気だ」
苦い顔をして言継が唸った。ものすごく頭が痛そうだ。
なんというか、異母兄が申し訳ない。
「主上も呆れている。だから景子、覚えていればでいい。君が幼い頃に言っていた異能の力を持つ娘の事を教えてほしい」
嫌かも知れないけれど、と付け加えられた言葉は静かだった。
こちらを見つめてくる眼差しには、いたわりの色も見える。
「……子供の戯言と思わないのですか?」
「景子は悪戯に嘘をつく子ではないだろう。それに、倒れるほどに苦しんだ悩みを子供の戯言と切って捨てる事などできないよ」
真剣みを帯びた表情に、言継が今日この日までその事に触れなかったのは、優しさだったのだと知った。
気遣いが、嬉しい。
「兄様……」
「そういうわけでね。出来るならば景子に知らせる事もなくこちらで処理してしまいたかったんだが、そう上手くいきそうもない。嫌な事を思い出させてしまいそうで申し訳ないが、話してくれるかい?」
「はい。私が覚えている限り、でよろしければ」
こんな時でも私を甘やかすことを忘れない言継に、私が二つ返事で頷いたのは言うまでもないだろう。
放置された千種が今にも砂糖を吐きそうな、微妙な表情を浮かべて視線を彷徨わせていた事には目をつぶっておく。
「とは言っても、あの頃に見たものとはだいぶ違ってきておりますから、どこまで兄様のお役にたてるかはわかりませんが」
そう前置きをしてから、私は知っている限りの情報を言継に話す。
彼女は庚申の夜に現れるはずだった事。
私はもうとっくに力を失っているはずだった事。
そうして、植物を成長させる能力を持った彼女が、私の代わりに神子姫と呼ばれるようになった事。
その力は、私など比べものにもならないくらいに強かった事。
基本的な設定を思い出しながら口にして、ふと気づく。
恋愛関係のアレコレはどうするべきだろう、と。
私の持つ情報は、所詮前世のゲーム知識だ。だから、彼女自身の設定よりも攻略対象である公達の情報や、彼らと過ごすイベントの情報の方が多い。
けれど、それらが言継の役に立つかと言うと……立たないだろうと思う。
下手な情報を与えて、まかり間違って言継が攻略対象を落としてしまうような事態になったら目も当てられない。
そんな事になったら私は泣く。
……んーでも。晃仁ルートの情報は必要かな。東宮妃にはしたくないみたいだし、うまい事イベントを邪魔出来ればなんとか……?
さて何から話すべきかと頭の中を整理しながら言継の方に視線を投げれば、何故か彼がものすごく申し訳なさそうな顔をしていた。
「……ごめん、景子。ここまで聞いておいてなんだけど、別人かもしれない」
おそるおそる、と言ったように紡がれる声はわずかに震えていて、困惑を隠しきれていない。
口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返して、そうして何かを決意したような眼差しで言継が私を見る。
「どうやらその娘が持っているのは、動物と心を通わせる能力らしいんだ」
そうして告げられた内容に、今度は私が目を剝いた。
……え、なに。どういう事。
庚申待ちの夜、庚申の宴。
確か平安時代に大陸から伝わった道教のイベントです(アバウト)
一睡もしないで飲み食いするお祭り騒ぎと認識してください。