【閑話】そして大人になる 後編
「言継兄上」
一刻も早く景子に会いたいと歩を早める言継を、呼び止める存在があった。
この内裏に、言継を兄上と呼ぶ人は一人しかいない。
春宮、晃仁。3歳年下の言継の従弟だ。つまりは景子の異母兄でもある。
早く景子に会いたいが、無視の出来ない存在だ。相手にしないわけにはいかない。
心の中で溜息をつきながら振り返れば、こぼれんばかりの笑顔でかけよってくる青年が目に入る。
「……晃仁様」
「そのように呼ぶのはおやめください、兄上。さみしいです」
たぶん、撒いたのだろう。お付きのものがいない。
帝位を継ぐ者がそれでいいのだろうかという思いを笑顔の下に隠して口を開くと晃仁がふてくされた。めんどうくさい。
「そういう訳には参りません。晃仁様は既に立太子されているではありませんか。昔とは違うのです」
「景子には気安い態度をとるのに?」
「……景子と晃仁様では立場が違いますでしょう」
不満を隠そうともしない晃仁をいなして言い聞かせる。
言継に懐いているこの従弟は、なぜか昔から変なところで景子と張り合うのだ。
下手な対応をすれば立場の弱い景子が泣く事になる。
「……せめて人目のある場ではお許しください」
納得しない晃仁に、譲歩案を出して言継にも立場があるのだと訴えると、彼はしぶしぶながらも引き下がった。
ほっと息をつき、何故ここに来たのかと問いかける。
「兄上が元服なさると聞いて……お祝いをさせて下さい」
おめでとうございます、と満面の笑みで返されれば、いよいよ邪険にするわけにはいかなくなった。
「ああ、ありがとう」
祝いの言葉にはにこやかに礼を返さねばならない。たとえまだ元服はしたくないと思っていても、どうせ祝われるのならば景子に祝われたいと思っていても、決して表に出してはいけないのだ。
「祝いの席を用意させていただきたいのです。今宵の都合はいかがでしょう?」
宴席の用意はそんなにすぐ出来るものではない、という言葉を言継は飲み込んだ。
晃仁は時々、突拍子もない事を言う。
「申し訳ありませんが……」
さて、当たり障りなく断るにはどうするべきかと言継は言葉を探す。
急な宴など開いては東宮御所で働く人たちの迷惑にしかならない。
何よりも言継は今夜、景子と過ごすつもりでいた。邪魔をされてはたまらない。
「……景子、ですか?」
言葉を濁す言継の様子に、晃仁が声を落とした。
「晃仁様?」
晃仁の真意がわからず、言継は首を傾げる。
「話を、聞きました。言継兄上が、元服の添い臥しに景子を選んだと」
添い臥しは、皇族男子の元服に必須の存在だ。
高貴な姫があてがわれる事が多く、そのまま妻となる事も少なくない。
「そのお話は、まだ正式には決まってはおりません」
反射的に、否定をした。なんとなく、すんなりと肯定してはいけない気がしたからだ。
元より言継は景子以外を添い臥しに選ぶつもりなどこれっぽっちもないのだが、様々な柵が邪魔をしてなかなか決まらずにいたのだ。
それが、今朝方やっと片付いた。後は景子側の同意を得られれば良いという段階まで、ようやくたどり着いたのだ。
だからこの言葉は嘘ではない。
言継は今日この後、景子に添い臥しとなってくれるよう頼みに行くつもりだったのだから。
「けれど兄上はそのおつもりでしょう」
晃仁が嫌な笑みを浮かべる。
目の色がどこかほの暗いように思えるのは気のせいだろうか。
「昔から、兄上は景子ばかりを気にかけていらっしゃる。いつだって景子が最優先だ。あのような穢らわしい――獣の娘など捨て置けばよろしいのに」
獣の娘。
景子を卑下する際に使われる名だ。
景子を、その母を見下す高慢な貴族たちがこぞって使うその名が、景子の生まれと共に広がったのは、彼女が異能に目覚め内親王と言う地位を得た頃だったと言継は記憶している。
決して景子の耳には入れられない出来事だ。
もちろん帝は姫を貶める言葉を許している訳ではない。けれど、忌々しい事に人の口に戸は立てられないのだ。
それをどこかで聞きつけたのだろう。
吐き捨てるように口にした晃仁に、言継は目の前が真っ赤に染まっていくのを感じた。
彼が東宮でなければ殴ってしまっていたかもしれない。
「晃仁!」
声を荒らげる言継に晃仁はびくりと震えると、傷ついたような表情で一口に言いきった。
「私は認めません。あのような娘、兄上には相応しくない。もっと似合いの、血筋の確かな姫はおります!」
結局、晃仁が言葉を取り消すことはなかった。
自分が正しいと信じきった目で言継に言葉をぶつけるだけぶつけて、その場を立ち去ったのだ。
残された言継にできた事は、ただ唇をかみしめて怒りに耐える事だけだった。
守りたいと、思った。
内裏に渦巻く悪意から、景子を守りたいと。
彼女を悪夢から守った時は、ただ側にいて共に眠ればよかった。
けれど今度は、そんなに簡単な話ではない事を言継は知っている。
最高権力者の帝でさえ、未だに頭を悩ませているのだ。言継にどうこう出来る話ではない。
それでも。
彼女が笑っていられるのならば、あの愛らしい顔が涙に濡れずに済むのならば何でもしたいと思う。
そのための苦労ならば、買ってでもすると。
元服の夜。
隣で眠る景子にそっと口づけながら言継は決意した。
【重要】この話はぼーいずらぶではありません【大きな声で】
元服の夜のアレコレは……すみません、余裕がないので飛ばします。
このきかく、こんげつがしめきりなの(しろめ)
もし、もし、要望があるようでしたら、本編終了後にでもご用意いたします。たぶん。