糸口
「……んん~」
今にも後5分だけーとでも言いそうな雰囲気で気怠げな声が出た。
ハッとして顔を上げる。
ニクスが目を覚ますまでに要した時間はそれほど長くはなかった。
それでも頬から垂れた血はすでに乾いていて、身体には痛みもない。無意識の内に錬金術を使ってしまったのだろうか、と首を傾げるのだった。
などと言うことはなく、ただただ口を大きく開いて固まってしまっていた。
ニクスを中心として背後に向かって扇形の部分を残し、周囲は完全に拓けていたからだ。
何を言ってるかわからないと思うが、ニクス自身サッパリわからないので見たままに話すと、さっきまでは竜の居たところはともかく、周囲には黒々とした木々が立ち並んでいたのに、背後に僅かに残っている木がなかったら、ここが森だったなんて誰も信じられないだろう。
そしてその原因である二体ーーーすなわちタキタテと氷で覆われた竜は激しく争っていた。
「……どこの怪獣大合戦だ」
ニクスに言えたのはそれだけだ。
ニクスに背を向けて竜と対峙するタキタテ。彼がその身をもって庇っていることでニクスと、森の存在したという証明が残されているのだとわかる。
砕けた氷の欠片と粉砕された木々の破片で押し固められた大地は光るものを集めてきた鳥の巣にも似て彼らの戦いの舞台となっていた。
地面から氷柱が天へと逆さに衝き、空からは一つ一つが瓶のビールケースほどもある氷塊が無数に降ってくるのを、タキタテは時にかわし、ニクスの方へと向かいそうなものはねこパンで砕きながら応戦していた。
大きく距離が開くと、【ブレス】が飛んでくるため、中距離を保って防戦一方である。
凍り固まった身体を無理矢理動かした反動で筋を痛め、皮膚が裂け出血していたタキタテ。その驚異的な再生力で怪我事態は治りつつあるものの、そのために失われた体力は少なくなかった。極限の中で2つのスキルを獲得したことでレベルほどの能力差はなくなったものの、俄然タキタテの方が不利な状況に変わりはなかったのである。
ニクスは歯がみする。自分が足手まとい以外のなにものでもないことを痛感させられていた。下手に動くことはできない。ニクスに背を向けているタキタテと竜では自分の動向に対する反応に差が生じるからだ。結果的にじっと見ていることしかできず、ギリっと音を立て、口の端から血が垂れる。
一方で、当のタキタテはというと歓喜していた。自分の能力(以上)を抑えることなく全力で出せることが楽しかった。気分は高揚しており、体力の配分など気にもせず隙をみては高速で前足を振るい空気の層を歪ませて真空の刃を放っている。
氷の鱗の前にはその程度では通用しない。だが、狙ったのは竜の目である。さすがにそこは軟いのか、腕を上げてガードする。甲高い音がするものの、まるで効果はない。
が、タキタテは一瞬視界が遮られた隙を狙い接近すると今度は直接前足をたたき付ける。今度は鱗は割れるものの、竜が息を吹きかけると鱗はすぐに再生した。
どうやらあの鱗は本物の鱗というわけではなく、戦闘時に身に纏う鎧のようなものなのだろう。砕いたとて再度精製することができるようで、結果的に戦局は硬直していた。
ニクスは戦況を見守っていた。それしかできない自分に、悔しさに苛まれながらできることをしていた。
そしてふと違和感を感じた。“わからないこと“がわからない歯痒さを感じる。
身を低くして飛びかかる体勢をとるタキタテと鷹揚に見下ろす竜。それは二体の力量関係を表していた。
ーーー低く?
ーーーーー見下ろす?
「あっ!」
ふと頭の隅にひっかかった単語で違和感の正体に気づく。
ーーー翼だ。
出会ってこの方一度も空を飛んでいない。
空から一方的に【ブレス】を使われればそれだけでこちらはジリ貧なのだ。
最初は使うまでもないと余裕を見せているのかとも思えるが、タキタテはわずかとは言え相手に被害を与えている。
ーーーいや、そもそも向きこそ変えているものの、竜は最初のあの位置から動いていないのではないか。タキタテに泣きついていた私に止めをさそうとしたとき以外。
「タキタテ!」
ニクスはそこまで思い至るや、タキタテを呼んだ。
「タキタテ!」
呼び戻されたタキタテは気を尖らせていた。
さしづめ、“今、いいところなんだよ、ニクスといえども邪魔はさせねぇぜ“といったところである。
そもそもニクスを庇わなければならないことで動きが制限されているのだ。もう放っておいて好き勝手暴れた方が楽しい!愉しい!
「タキタテ、数分でいい、アイツを足止めできる?」
タキタテは苛立ち紛れに答える。
「がうぅ(足止めは構わないが、倒してしまってもいいのだろう?)」
日頃の様子とは打って変わって好戦的で、全身逆毛立ててピリピリとした気配を漂わせており、虎系の魔物相応の圧力が放たれている。
コツン。
ニクスがタキタテの頭を叩く。むろんタキタテは全く痛くも痒くもなかった。
「ばかっ!相手を倒すより、生かしたまま抑える方が難しい。でもタキタテならできるんじゃないかと思ったんだけど……ダメ?」
身体の大きさから、自然と上目遣いになるニクス。
「がぅ(ニクスはズルイ)」
「?」
タキタテの気配が変わる。集中はしているものの、先ほどのような無駄に尖っていないのだ。
力を存分に振るうというのはとても心地いいものだった。
だが、他者に期待される、信頼されるというのも心地好く、それだけでなくどこか誇らしい気がする。
「タキタテ!」
名前を呼ばれて渡されたのは小さな瓶。両手で抱えて蓋部分を噛みきって中の濃い碧色の液体を飲み干すと、身体の疲労が霧散していく。
「がぅぅ(苦ぁい。もっと甘いといいのに)」
「それ、まだマシだからね。オリジナルはもっと苦いから」
表情筋が人間ほど発達していないにも関わらず、タキタテは器用に嫌そうな顔をした。
しっぽが後ろ右足を添うように巻かれ、先っぽがペシペシと地面を叩く。
「……タキタテ?今はそんな場合じゃーーー」
これは目を細めて喉をゴロゴロと鳴らす時のタキタテの癖だった。
突然キィンと言う甲高い音がしてニクスは耳を押さえる。
ポゥ
戦場に不釣り合いな間の抜けた音がした。




