翔ぶが如く 後編
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小柄なニクスにその数倍はあると一目見て分かる、巨大な影がのしかかるのを見てセプテムは一瞬の遅れの後に動き出す。それは突然のことへの反応としては決して悪くないものだった、が、それでも一歩遅かったのである。
突然の【転移】に戸惑い、若干とは言え開いていた距離を縮めたセプテムが見たものは……。
「ちょっ、やめ、くすぐったいって」
ぱっと見はやはり、魔物にのしかかられている少女に変わりない、ないのだが、少女の声にはいっそ嬉色すら感じられた。
それは奇妙な魔物で、半身は闇よりも濃い紺色、そしてもう半身は夜明けを告げる陽の、紅を纏う直前の銀白。直接見たことはもちろん、書物などを通して見たこともない魔物だった。体毛は細く長く、ユラユラとなびいて柔らかそうである。
大事なところを守るためか、胸元には体毛が密集している。もふもふでフワフワ、すなわち、もファもファである。ニクスに余計な負担をかけないよう、四つ足を突っ張っているものの、顔を擦り寄せる魔物の動きにつられて、もファもファはそれでいてサラサラでもあり、優しくニクスをくすぐるのであった。
すっかり魅入られていたセプテムは正気を取り戻すや、
「ニクスっ!」
と声をかけた。
ビクリと一瞬の身じろぎの後、タキタテはセプテムの方へと振り返り、緋と金色のオッドアイがセプテムを刺す。瞳孔は縦に細められる。
そこに先ほどまでの面影はなく、セプテム自身すら知らないところまで見透かされているように感じた。その瞳には深い知性を感じさせる光を湛えていた。
圧倒的存在感を放つ存在にセプテムは身体が動かない。柔らかな体毛に隠れていたが、無駄の一切ないしなやかで強靱な肉体は美しくすらあった。研ぎ澄まされた名剣のそれだ。威圧することさえ不要な絶対的存在感。
「……綺麗だ」
そんな危機を通り過ぎた中で口をついて出たのは自分自身思いもよらぬ言葉で、目の前の暴威でさえ少しキョトンとして、そのギャップが少し可愛くて、セプテムの頬が緩みそうになった。
存在的暴力がゆっくりとユッタリと歩み寄ってくる。笑われたと思って怒ったのだろうか。身体は動かない。倒れ込まないだけでも上出来なのである。少しずつ近づいてきて、息遣いすら感じられる。牙はやはり鋭く、意外と口臭は臭くない。
なんでこんなことを考えているのか、案外余裕があるものだな。
そういえば似たような経験をしたことがあった。帝国では男の子が7歳になるとき、それを祝って父親などが剣の初稽古をつけるというものだ。自分もまた同じように父と木剣を向け合い、そしてーーー嬉しかった父がつい力加減を誤りーーーああ、これは駄目なやつだ。セプテムは目を閉じた。
ーーーベロリ。
ザラリとしたものが顔を撫でていった。
目を開くと、目の前にはその姿はなく、ニクスに耳の裏側を擦りつけていた。
「この子はタキタテ、私のじた……牧場の警備担当さ。二人はすっかり仲良しなんだね、すごーい。」
ニクスが胸の前で手を小さく叩きながら笑っていた。そういえばタキタテが飛び降りてくる直前にニクスがその名を呼んでいたのを思い出す。
しかし、薄々感じていたが、ニクスは少し天然なところがあるようだ。タキタテは恐らく自分を試したのだとセプテムは思っている。これくらい耐えれないようならニクスには関わるな、という。セプテムが耐えられたのは、タキタテとニクスがじゃれるところを見ていたからで、後は帝国皇子としての意地がちょっとあったかというところだった。
「タキタテ、彼はセプテム、私の友達だ。私たちをプルーヴィという都市まで運んで欲しいんだ」
ぷいっととそっぽを向くタキタテ。首を傾げるニクス。
「タキタテ?」
顔を向けた方へと移動してニクスが尋ねるが再びぷいっと顔を背ける。
「タキタテ、お願い。急ぎなんだ」
顔の前で手を合わせるニクスだったが、タキタテは頷くどころか聞こえない振りだ。
むぅ、とニクスがタキタテの背に跨がろうとすれば抵抗なく馬上、もとい虎上になる。セプテムへと手を伸ばし、パタパタと呼び寄せる。セプテムは躊躇いつつ恐る恐る近づくが、いよいよ接するというところまで近づくとサッとサイドステップで距離をとる。
「タキタテっ!」
思わずニクスが怒鳴るが、タキタテはお構いなしで涼しい顔をしている。
「タキタテは女の子の柔らかいおしり以外は乗せたくないんだね!えっち、馬鹿、変態、信じられないっ!」
ニクスは片頬を膨らませる。
セプテムは苦笑した。タキタテがその背に乗せてもいいと思っているのはニクスだけなのだろう。それは非常にわかりやすいのに、肝心のニクスがわかっていないのだ。
「ニクス、私は馬でついていくよ」
と言えばニクスが表情を歪める。セプテムは言い出した手前、身の置き所がないのだろうと思ったが、ニクスは、馬の速度に合わせるとどれだけ時間がかかるかを思い辟易としていた。
「セプテム、プルーヴィの方角は分かるかな?」
右手を顎に当て、眉間にシワを寄せながらニクスが尋ねれば、セプテムは周囲を見渡し、地面に線を引きながら、
「この方角だ」
北西より若干北寄りの方向を指差してそう言った。
「自信はある?」
とニクスが尋ねればセプテムは力強く頷いた。
「セプテム、今日中には迎えに行く。屋敷で待ってて」
どうやって、と尋ねそうになり南門でのことを思い出す。確実にそうだと確信はなかったが、最早伝説級の【転移】ならそれも可能だろう。
「分かった」
と、答えるや否やニクスを乗せたタキタテがいきなりトップスピードで駆け出し、遅れて巻き起こされた風に手を翳す。
ーーー馬でついていく、などとは戯言にもならないと実感しながら。
「……さて、と」
あんな出方をした以上、戻れば騒ぎになっているのは間違いないだろう。先々のことを思い、物思いに耽るその足取りは重かった。
一方のニクスたちはと言えば、道案内できるものもおらず、この方向だと言われた方へとひたすらに、文字通りまっすぐに駆けていた。
正面に木々があれば枝の上を跳び行き、河があろうと跳び越えてひたすらまっすぐだ。その気になれば木々など吹き飛ばしながら直進することも出来たがニクスはそこまではさせなかった。
背に乗せてもらっているという感謝とセプテムを乗せてくれなかったことに思うところがあるのとで、行き場のない思いに囚われていたからだった。ニクスを乗せてお散歩と喜び勇むタキタテを睨みながら3時間ほども駆けつづけたであろうか、都市がおぼろげに見え始めていた。




