影道
夏の夕暮れ。気温は三十二度。蝉の鳴き声に車のクラクション。
薄紅色の空の下、いつもの並木通りを歩く。
子供は元気に走り回っている。
首を伝う汗が、シャツを濡らす。
男を照らす夕日は、少しづつ地面の下へ潜ってゆく。
帰宅途中であろうこの男。どこか嬉しそうに歩を進めている。
「あいつ、喜ぶかな」
そう呟いた男の顔は優しい笑顔。
手には何やら袋をぶら下げている。中身は小さそうだ。そんな男に、二人の子供が駆け寄ってきた。
「勇気君のおじさん、こんにちは。勇気君の風邪、まだ治らないの?」
勇気とは、男の子供の名前だろう。
クラスメイトが風邪を心配して様子を伺ってきたのだ。
「いつも勇気と仲良くしてくれてありがとうな。勇気なぁ、もうちょっと掛かりそうなんだ。治ったら、また遊んでな」
男の対応は至ってにこやかだった。家族思いの、良い父親なのだろう。
「うん! 友達だもん」
「じゃあ早く治して遊ぼうって言っておいて下さい」
そう言って、二人はまた駆けだした。
「ありがとう」
男も小さく呟くように返すと、また歩き出した。
やがて、一軒の家の前にたどり着くと、ポケットから鍵を出した。
ここが男の家なのだろう。
男は鍵を開け、家に入る。
すると、男の頭の中に声が響いた。
(お父さんお帰り)
子供の声。
「ただいま、勇気。今日はお土産があるぞ」
男は嬉しそうに子供の顔の横に袋を置いた。
(これ何? 見ていい?)
「あぁ、いいぞ」
机の上には一枚の紙が置いてあった。
子供の字で、何かが書いてある。
(これ、何?)
文の最初の文字は、漢字がわからなかったのだろう。
『いしょ』
「勇気、お前を自殺するまでいじめた奴らの……心臓だよ」
男の顔は笑顔。横たわる子供の顔を見つめていた。