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3・柚子が二人

「柚子、こんなに遅い時間までいったいどこへ行っていたの。それに、どうして逃げたりしたの? あんなのヒロの悪ふざけなんだから、いちいち取り合わなくていい」

 柚子がどんな顔をして帰ったらいいのかと、ためらいながらドアを開けると、玄関先で待ち構えていたアリアが、心配の入り混じった苛々した口調で静かに怒った。

 柚子と禎はあれから、ゲームセンターやカラオケに行って時間をつぶし、帰宅したときには二十三時を過ぎていた。

 柚子はばつが悪そうに、「ごめんなさい」と、小声で力なく謝った。

「もういいだろアリア。そんなに子供じゃないし、帰ってきたんだから中へ入れてやれ。夏といっても夜風は寒い」

 居間にいたヒロが、水割りの入ったグラスを持ったまま出てきた。

 両親に反発する娘が夜遅く帰って恥ずかしそうに謝るというような、三流ホームドラマでよくあるシチュエーションを、柚子は思い起こし、おかしくてつい一人でにやけそうになった。

 でも、ヒロみたいなお父さんはこちらから願い下げだ。内心、柚子はヒロに舌を出しながら、肩を落として反省している娘を演じていた。

「あのお、お取り込み中みたいですけれど。初めまして、今晩は。柚子ちゃんと友達の禎です。アリアさん、ヒロさんお世話になります、宜しく」

 柚子は禎のことをすっかり忘れていたが、ドアの陰に隠れていた禎は、ちょこんと顔をだし、早口で自己紹介をした。

「あのね、ちょっとへましちゃった」

 ヒロとアリアがどういう反応をするのかどきどきしながら、柚子は苦笑いした。

「ちょっとだけ居候させてほしいんだって」

 ぽかんとしている二人の顔色を見ながら、柚子は急いで付け加えた。返事を待たずに柚子は禎を奥の自分の部屋に引っ張った。

 どうやら二人とも禎とは面識がないようだ。だったらなぜ禎さんは名前など私達のことを知っているのか。柚子は少し考えようとしたが、すぐに悪い人ではなさそうだからと、考えるのをやめてしまった。


 いったい、どうなっているのか。あの娘は誰なのか。ヒロとアリアは困惑した表情で、顔を見合わせた。

「柚子が一人増えたな。でも、柚子の機嫌が直ったようだし、良かったか」

 まあいいか、たいした問題ではないと、ヒロはすぐに結論を出した。さほど困った風でもない。ヒロはグラスを飲み干してから居間に戻り、空になったグラスに何杯目かのウイスキーを注いだ。

「もう止めなよ、酔っているでしょ」

 アリアは眉根を寄せた。

 アルコールを多量に摂取しても、ヒロの態度はさほど変わらないが、いくらか気が大きくなるようだった。そういった時には決まって絡んでくるのだ。アリアはそれが嫌だった。

「飲むからには酔わないと」

 ヒロは口の端で笑い、立ったままグラスをあおった。

「何を言っているんだか。あのさ、さちってどこかで聞いた名前のような気が……」

「お前、女の知り合いが多いな、今度紹介してくれ」

「酔っていて話にならない、もう寝る、おやすみ!」

 アリアはむっとして、ヒロに背を向けた。

「そんなこと言うなよ」

 部屋に行こうとしたアリアは、不意に背後から抱きしめられた。

「よしてよ、また柚子に変な誤解をされる」

「誤解結構、俺は一向に構わない」

「私は困るの!」

 アリアはヒロの腕力には全く歯が立たず、なかなか腕の中から抜け出せない。

「そんなに嫌がるな、悲しくなる」

「泣き落としは聞きません、離してよ」

「つれないな。俺、そんなに嫌われているのか」

 ヒロはふっとため息をつくと、腕をはずした。

「そういう問題じゃないでしょう? 義兄さん」

 アリアは兄らしくしてほしくて、わざと義兄と呼んだ。

「血のつながりはないから、その呼び方はやめろ」

「でも義兄さんは義兄さんだよ」

 アリアはヒロのほうへ向き直って繰り返した。

「やめろと言っているだろう」

「わかった……」

 ヒロのきつい表情を見て、アリアは機嫌を損ねてしまったと、後悔した。

 Dと過ごしていた間、ヒロは何を考えていたのか。気持ちの整理とは、どういう意味だったのかと、アリアは喉元まで出かかっていたが、またヒロがいなくなってしまいそうで、問いただす勇気はなかった。

「……ヒロはまた何処かへ行くの?」

「どうして」

「なんとなく。ヒロは前と変わらないけれど、無理にそう振舞っているように見える」

「馬鹿だな、何処にも行かない」

「本当に?」

「ああ、そう決めた」

 ヒロは微笑んでいたが、アリアにはその表情が何故か悲しそうに見えた。

 

 朝から天気がよく、日差しがまぶしい。テレビの天気予報では、今日も日中三十度を超す真夏日になると伝えていたが、まだ朝も早いせいか窓を開けると涼しい風が入り込んできて心地よかった。

 二人の女の子がキッチンで朝食の支度をしながら、賑やかにおしゃべりをしている。昨夜は遅くまで起きてずっと話し込み、二人とももうすっかり打ち解けていた。

「柚子ちゃん、あの二人いつ起きてくるの?」

「多分、午前中には起きてくると思う」

 柚子は上機嫌で、鼻歌交じりに味噌汁の味をみている。

「不規則な生活はいけないのよ、私も人のことは言えないけれど。さてと、起こしてこようかな」

 禎はまずヒロの部屋のドアをノックしてそっと開けた。

「ヒロさん、朝ですよーっと。あれ、もう起きていたんですか」

「おはよう、アリアはもう起きたかな」

 ベッド横にある、椅子に座って小説を読んでいたヒロが、顔を上げた。

「いいえ、まだ。これから起こしに行こうかと」

 そう言いながら部屋を出ようとした禎を、ヒロが呼び止めた。

「君は行かなくていい。俺が行くから」

「いいですよ、私が起こします」

「だめだ。これからアリアの寝ている部屋には絶対入らないこと。いいね」

 ヒロの口調は威圧的だった。昨日とはまったく違う、ヒロの人を寄せ付けない態度。禎はアリアの寝室へ行くヒロを見ながら、少し戸惑っていた。

「なんだか、秘密主義なのね」

 もうそこにはいないヒロに文句をぶつけると、禎はキッチンへ戻ろうとしたが、ベッドサイドテーブルにある小さな紙切れが目に留まり立ち止まった。

 禎はヒロが戻ってこないことを素早く確認してから、走り書きしてある内容を覗き見た。

「〈グランドホテル二〇時・D〉何のことかしら」

 禎はその場で、ポケットから携帯電話を取り出して素早くメールを送り、そっと部屋を出た。

 

 普段であれば部屋に人の気配がした時点で、アリアは飛び起きるのだが、ヒロがいることで安心しきっていたため、熟睡していた。

 ヒロに何度か「起きろ」と、揺さぶられたが、まだ眠くて布団に潜り込んだ。

「もう少し寝かせて。どうせ急ぎの用事はないんだから」

 アリアは眠そうな声で、布団の中から返事をした。

「それがあるんだ、急用が」

 ヒロがカーテンを開け、眩しい日の光が窓から差し込んだ。

「今日くらいゆっくりできると思ったのに」

「文句を言わずにさっさと起きろ。あの二人を少しは見習え。早くから起きて朝食の支度をしているぞ」

「まだ七時過ぎだよ。昨日なかなか眠れなかったのに」

 布団の隙間から、壁掛け時計をのぞき見て、アリアがぼやいた。

「だめだ、起きろ」

 ヒロが布団を引っ張って取り上げようとしたので、アリアは慌てた。

「分かった、起きるから部屋を出て」

「その前に顔を見せてくれ。おまえ、俺に素顔を見せなくなったな、顔を忘れてしまいそうだ」

「いいよ、忘れて」

 アリアは布団から手だけ出して、ベッドサイドテーブルからサングラスを取った。

「俺に顔を隠す必要はないだろう?」

「ん、そうだけれど、なんとなく習慣で」

「習慣か」

 面白くなさそうにそう呟くと、ヒロは部屋を出ていった。

「前は無理矢理でも、自分の思い通りにさせられたのに……」

 ヒロに以前のような強引さはなかった。ほっとしてもいいようなものだが、アリアは物足りなく感じたのだった。

 アリアはベッドに座ったまま、ヒロが出て行ったドアを見つめたのだった。

 

「ヒロさん、朝食できましたよ。アリアさんは起きました?」

 ご飯をよそいながら、禎がにっこり笑顔で言った。

「いま来ると思う」

 食卓テーブルにつきながら、ヒロは笑顔でこたえたが、禎には幾分不機嫌そうに見えた。 

 柚子もなんとなくそれを察知したようで、ご機嫌を取るように、ヒロの首に手を回して猫なで声を出した。

「ヒロ、今日はどんな予定なの? 私も何かお手伝いしたいな」

「特に何もない。何か目的があってアリアを旭川に呼んだわけではない」

 昨日の今日で、何を言っているんだとでも言いうように、ヒロがつっけんどんに応えると、柚子は嘘ばっかりと言いたげに「ふうん、そう。つまんないな」と、ヒロの後ろで舌を出し、椅子に座った。

「何がつまらないって?」

 アリアが起きてきた。

 禎が自分の隣の席をアリアに勧めた。

 昨夜からの突然の同居者にアリアは戸惑い、「おはよう」と挨拶をするのが精一杯だった。禎はというと、自宅で過ごしているかのように伸び伸びしていた。

 お互いに素性が良く分からないもの同士が一見家族のように同じ食卓を囲み、朝食をとっている。ふとそう考えると柚子はおかしくてニヤニヤしてしまった。

「どうしたの? 柚子」

「別に、家族みたいに賑やかでいいなと思って」

「家族ねえ」と、ヒロが苦笑した。

「ところで、禎さんは大学生? 親が心配しないの?」

 アリアは何とか身元を確認しようとした。

「大学生だけれど、夏休みで友達のところを泊まり歩いていたから親は心配していないわ。ついでに、どうして一緒に住みたかったかというと興味があったの。柚子ちゃんも気に入ったし、ただそれだけ」

 早口に禎が言った。

「理解できない」

 ヒロが顔をしかめた。

「理解できなくてもいいの。私も使ってください、柚子ちゃんみたいに。そりゃ最初はスリとか教えてもらわないとならないけれど」  

 禎が言い終わらないうちにヒロとアリアの箸が止まり、口を揃えていった。

「何を……」

「そんな隠さなくてもいいのよ、もう知っているんだから」

 禎はにっこりしながら、平然と話した。

「昨日、へましたって言ったでしょ。あの、見られちゃったの。で、知っているの」

 おずおずと柚子がすまなさそうにしている。暫しの沈黙の後、ヒロが禎の目をじっと見て言った。

「遊びじゃないんだ、一生日陰の身になってしまう。何もいいことはない」

 真顔でそう言われて、少したじろぐがそれでも禎は納得しない。

「選択の余地はないわ、このまま警察に行ってもいいのよ」

「スリは現行犯じゃないとなかなか捕まえることができない」

「あなた達のことも多少知っているわ、少し調べたの」

 ヒロが一瞬動揺した表情を見せたが、すぐにいつものポーカーフェイスを取り戻した。しかし、禎はそれを見逃さなかった。

「二人の身元も」

 その言葉を聞きヒロとアリアは、お茶を飲む手を止めたのだった。


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