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11・雲隠れ

 アリアはヒロと昇が何を話すのか気になりながら、タクシーで柚子を迎えに行った。

 マンションはテレビの音だけが響いていた。

 柚子は一人ぽつんとソファに座り、ただぼんやりとテレビの画面を眺めていた。アリアには柚子が何も見ていないように思えた。

「ああ、アリア。来てくれたの?」

 と、柚子はテレビのほうを向いたまま無表情で呟いた。

「ごめん、一人にして。迎えに来たよ。急に別のアジトに移動することになって」

「アリア、携帯電話の電源を切っているんだもん。不安になるじゃない」

 柚子は怒っている口調だったが、瞳に涙が滲んでいた。

 アリアははっとした。柚子はかなり心配していたのだ。

「昨日は色々あって……今、来る時柚子にかけても繋がらなかったから」

「待つのが嫌で、電源切ったの」

 柚子は怒っているというより、泣くのを堪えているようだ。

「……柚子」

「心配するじゃない!」

「ごめん」

 謝っても、柚子は返事をしなかった。

「お茶でも淹れようか」

 どう対応していいものか考えつかず、アリアはキッチンへ行ってお湯を沸かした。

火にかけているやかんを見ながら、自分がしたことはいつもヒロが自分にしていることと同じではないかと、アリアは思った。

 ティポットを暖めてから、湯を淹れて茶葉をしっかり三分間蒸らした。

柚子のところへティセットを運ぶと、アリアはゆっくりとカップに紅茶を注いだ。すぐ横に座ったアリアの動作を柚子はじっと見ている。

 ふわりとダージリンの香が漂った。

「ビスケットはないけれど……」

 そう言いながら、アリアはそっと柚子の前に白いカップを置いた。

 今できることは、柚子のために心を込めてお茶を淹れることくらいだ。アリアはそう思ったのだった。

「夏でもホットなのね」

「アイスのほうが良かった?」

 柚子は両手でカップを持ち、一口飲んだ。

「……初めてアリアに淹れてもらった」

「そうだったかな?」

「……もう、待つのは嫌なの、待たせないで……置き去りにしないで」

 白いカップに入った琥珀色の液体を見つめながら、柚子は噛締めるように言った。

 一人でいることに極端に反応した柚子。過去に何かあったのだろうか。柚子にも自分と同じように癒えない傷が、心に深く刻まれているのだろうか。アリアには知るすべもなかった。

「わかった。本当にごめんなさい。……許してくれる?」

 アリアは心から柚子に謝った。

 柚子は怒ったように「今回だけ許す」と言ったが、表情はもう穏やかだった。

「良かった」

 アリアは柚子の髪をくしゃっと撫ぜると、頬にキスをした。

「もう、アリア、紅茶がこぼれる!」

「ああ、ごめん」

 柚子に笑顔が戻り、アリアはようやく肩の力が抜けた。

 昼過ぎに、アリアは柚子と一緒にアジトへ着いたのだが、昇はもういなかった。

「お前達、遅かったな。あの探偵はだいぶ前に帰ったぞ」

 玄関先にヒロが出てきた。ヒロは疲れているようだった。

「ヒロが追い返したんじゃないの?」

 柚子の言葉が勘にさわり、ヒロはじろりと睨んだ。

「余計な口を叩くな」

「あーっ、図星でしょ」

「二人ともやめて」

 つくづく相性が悪いようだ。おかげで昇とヒロがどんな話をしていたのか聞きそびれてしまった。アリアはため息をついた。

「ねえ、アリアから聞いたけれど、美原ななのところへ帰らないって言ったんだから、隠れる必要はないんじゃない?」

「はいそうですかと聞くような相手ではない。多分、ななが嫌がらせを仕掛けてくるだろう」

「嫌がらせ?」

 柚子はきょとんとした顔をして聞き返した。

「……俺達の『仕事』の邪魔をしてくる可能性がある」

「そんなことできる?」

「ななはその手のプロだからな」

 美原なながどんな人物なのかよく知らない柚子は、ヒロからそう言われても半信半疑のようで、「心配しすぎじゃないの?」と真に受けなかった。

 三人は何もない居間の床に座った。

「……じゃあ、東京に帰る?」

 アリアはヒロの顔色を窺いながら聞いた。

「音江探偵から聞いて、東京のマンションもななに知れているはずだ。ここもあの双子が知っているし、他の場所に暫くいたほうがいい。今夜、ここから移動するから、それまではじっとしていろ。俺はそれまで少し眠る」

 ヒロは険しい顔をしてそう言うと、二階の部屋へ引っ込んだ。

 ヒロの指示。柚子でさえこれ以上聞くのをためらわせた。勿論アリアもヒロに口出しできなかった。

「これから何処へ身を隠すつもりかしら」

「さあね、わからない」

 アリアは奥の部屋から、大きいクッションを引っ張り出してきて、その上にごろんとうつ伏せに寝転がった。

「……でも柚子まで一緒に隠れる必要はない、東京へ帰ったらいい」

「一人で帰ってもつまんない、アリアと一緒がいい」

 柚子はそう言うと、横になっているアリアの背中を枕にして、横になった。

「こら、重い」

「えへへ、だって居心地が良いもの」

 ふざけあっているうちに、いつの間にか二人はうたた寝をしていた。

 窓の外では昇がじっと張り込みを続けていた。

「動く気配なしか」

 昇は辛抱強くそのまま車中で張り込みをしていたが、夜中にほんの数分目を離した隙に、三人は忽然と姿を消したのだった。

  

 昇が辛抱強くアリアたちを張り込んでいたその日の夕方、音江槇おとえまきは、この仕事を請けたのを後悔し始めていた。

「あら、気が進まないかしら。でも良いお仕事だと思わない?」

 それを感じ取ったのか、美原ななは微笑みながらそう言った。

 美原邸の客間のソファは、体が沈み込んでしまい、居心地が悪かった。

 槇は今回の最終調査報告書を届けに来て、初めて依頼主である美原ななと対面したのだった。

 最初の依頼は、メールだった。

 家出した行方知れずの子供を捜してほしいという文面だった。

 槇は子を思う母親がずっと必死に探し続けているのだと思い、依頼を受けたのだった。

 だが、子の特長を伝える二通目のメールを見て、違和感を覚えたのだ。

 自分の子なのに、写真が全くないという。義兄である美原弘文と共にいると思うが、母が探していることを絶対に知られないようにしてほしいとのことだった。

 不審に思った槇は、一度は断りかけた。

 次に来たメールには、義兄にそそのかされて犯罪に手を染めているわが子をぜひ取り返したいとあった。もし事件に巻き込まれていたら、警察の手に渡さないようになんとか守ってほしいとあり、高額の報酬も明示されていたのだった。

 槇はその高額な報酬に惹かれてしまったのだ。

 だが、美原夫人が依頼主だったとは。

 このひとは犯罪のにおいがする。

 美原夫人に対面し、これ以上かかわらない方がいいと槇は直感的に思ったのだ。

 今夜、この調査書を渡して終わりになるはずだった。

 夫人はゆったりとした薄手のガウンを羽織り、背もたれの高い一人掛け椅子に腰をおろし、ワイングラスを弄んでいる。美原博一はまだ帰宅していなかった。

「もう、この調査はこれで終了だと思いますが……」

「そうかしら? 契約では、あの子の今の居場所を調べてと頼んだのよ。これは前にいた場所じゃないの。こんな報告をもらっても何の役にも立たないわ」

 調査書をパラパラとめくり、そのまま槇の目の前にあるテーブルにパサリと無造作に置いた。

「でも……」

 美原夫人の前にいると、いつも威勢のいい槇でも萎縮してしまい、反論できない。妙に納得させてしまう威圧感がある。

「ま、あの子の最近の様子がわかって面白かったけれど、その報告じゃ盗みの証拠もないし、脅しの材料にもならないわ」

 ふふと美原夫人が笑ったが、槇は何故だか背筋がぞっとした。

「ねえ、あなたあの東昇とか言う同僚のことが好きなんでしょ?」

 美原夫人はすっと立ち上がったかと思うと、槇の座っている横に座って槇にそう囁いた。

「え、あの、そんなこと……」

 突然意外なことを聞かれ、槇は動揺した。

 槇の直ぐ鼻先に美原夫人は顔を近づけ、長い睫毛の奥にある大きな瞳で、槇の心の動きをじっと窺っているようだった。

 蛇に睨まれて怯える小動物のように、槇はその鈍い光の瞳から目が離せず、僅かに上体を後ろへ反らした。

「でも、あなたは不利ね。昇はアリアに惹かれているわ」

 言葉の一つ一つが槇を動揺させた。

 自分のほうが調べられているのかと槇は薄気味悪くなった。

「怖がらないで、私は他の人より多少人の気持ちがわかるの。占い師のようにね」

 美原夫人の言動に揺さぶられていくうちに、槇は美原夫人の手中に落ちていた。

「いい? このままではあなたは不利なの。良いことを教えてあげる」

 槇は暗示にかかったように、美原夫人の言葉に聞き入った。

「アリアはね、本当は女なの。今は、あの双子がそれを知らないから、まだ少しはあなたに望みがあるかもしてないけれど、これは絶対に知られてはいけないわ」

 槇の瞳は大きく見開いた。

「だから今のうちにアリアを私の手元へ戻るように仕向けるのよ。そうしたら邪魔者はいなくなるでしょ?」

 美原夫人はそう言って、禎の膝の上にある手にそっと手を重ね、囁いた。

「いい? アリアは、昇の側にいてはだめ」

 その美原夫人の囁きは、槇の頭の奥深くに薄黒く響いた。

 槇は足取りが重く頭はぼうっとしたまま、美原邸を後にした。

「さあ、しっかりと私のために働いて頂戴。真っ直ぐなお嬢ちゃん」

 美原夫人は、窓から槇の車を見送りながら楽しそうに呟いた。


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