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10/12

10・告白

 二人は車中ずっと無言のまま、十無は誰もいないアジトにアリアを送った。

「俺は明日東京に帰らなければならないから」

 そう言って、十無は静かに帰って行った。

 アリアは十無にもう少し側にいてほしいと思ったが、結局何も言えず「そう」と返事をしただけだった。

 それから数時間後の午前零時過ぎ、ヒロはアジトに戻ってきた。

「ななを脅して釘をさしておいた。暫くは大丈夫だと思うが、絶対に一人で会いに行くな」

 開口一番、ヒロはアリアにきつく言った。アリアにはそれは『命令』のように聞こえた。

「もう、刑事と行動するな。わかったか」

 アリアは「うん」と返事をするしかかなかった。『服従』アリアの頭の中にその言葉が浮かんだ。

 ヒロの威圧的な態度は、幼い頃の微かに残った記憶にある、美原博一のアリアに対する冷たい態度を思い起こさせた。

 似ているのだ。ヒロは心配して色々言うのだろうが、アリアは反感を募らせてしまうのだった。

 ヒロにそっと抱きしめられても、アリアは寂しさから抜け出せないでいた。

 翌朝、午前八時過ぎ、ドアを強くノックする音でアリアとヒロは目を覚ました。

「アリア、ヒロ、いるのはわかっている。ドアを開けろ」

 ヒロは玄関前がよく見える二階のカーテンの隙間から、外を確認し、「くそ、あの探偵か」と言って舌打ちをした。

「アリアが刑事に送ってもらったりするから、ここが知れてしまった」

 まだ部屋で寝ているアリアに、ヒロは文句を言った。

 アジトは住宅街にある二階建ての古い一軒家で、玄関先は雑草が伸びて荒れており、人が住んでいるようには見えない。十無から聞いたのだろう、昇はこの場所から離れそうになかった。

 ヒロは騒がれても困ると考え、すぐに階段を駆け下りてドアを開けた。

 ヒロは「うるさい、さっさと入れ!」と言うが早いか、昇の腕を鷲掴みして、玄関に引き入れた。

「痛って〜! 全く乱暴だな」

 昇はよれた襟元を直した。

「お前が朝っぱらから騒ぎ立てるからだ」

「なかなかドアを開けないのが悪い」

「何しに来た」

「ことの真相を聞きに来た」

「お前に話すことなどない」

「そうはいかない、俺も大体の筋は掴んでいる」

「じゃあそれでいいだろう」

「いや、確認したいことがある」

「しつこいな」

 ヒロはあからさまに嫌な顔をした。

「ねえ、どうしたの?」

 アリアが着替えて、階段を下りてきた。

「昇? 十無と一緒に東京へ帰ったんじゃなかったの?」

「今回の騒動の真相を知るまでは帰れない」

 厄介な探偵を追い払う術もなく、ヒロは仕方なく昇を居間へ通した。

「アリア、柚子を迎えにいって来い。おまえ、俺の書いたメモを持ってきてしまっただろう。きっと柚子が心配しているぞ」

「……わかった」

 携帯電話で連絡を取れば済むことだと思ったが、アリアはヒロが席をはずさせようと考えているのがわかったので、仕方なく出かけることにした。

 ヒロは窓をのぞいて、アリアが玄関を出て行くのを確認し、タバコを一本取り出した。

「あいつがいると吸えないんだ」

 ヒロでもアリアの言うことに耳をかすこともあるのかと、昇は意外に思った。

 二人はがらんとした何もない居間の床に、向かい合わせに座った。

「アリアが帰るまでの間だけ話しに付き合う。それ以上はだめだ、いいか?」

 昇はうなずいた。

 ヒロはタバコをくゆらせ、漂う煙を眺めている。話すのをためらっているようだった。

「おい、アリアが帰ってきてしまう」

「せかすな、そんなに早く帰っては来ない」

 吸い始めたばかりの煙草を銀色の携帯用灰皿にもみ消しながら、ヒロはふっと煙を吐き出した。

そして、ヒロは面倒そうにやっと口を開いた。

「何が聞きたい?」

「美原なながネックレスはあると言っているが、どうやらなくなっているようだ。やはりお前とDの仕業か」

「さあね。ま、これ以上俺とアリアに構うなと警告はした」

「警告って、あの偽ダイヤと模造紙の札で、警察に連行させて慌てさせたということか。……それで、美原夫人と何を話していた?」

「……俺はななに会ってもう一度確かめたいことがあった、ただそれだけだ」

「何を?」

「言えない。何だ、事件のことを訊きたい訳じゃないのか」

「アリアのことを知りたい。……そのことはアリアにも関係があるのか?」

「……ある」

「何故アリアと美原夫人を会わせない? アリアは会いたがっているようだが」

「……」

 ヒロは黙ってしまった。

「あいつが辛そうなのを黙って見ていられない。……話してくれないか」

「話してどうなる」

「どうなると言うわけではないが……」

「ふん、まあいい。熱意だけは認めてやる」

 ヒロは変な褒め方をして苦笑し、再び煙草を取り出すとマッチで火をつけた。

「話しても解決しない問題だ。俺にとっては重要だが、お前が聞いたところで何の意味も持たないことだ」

ヒロはそう言ってから少し考え込み「ただ、……俺の気持ちがすっきりするかもしれん」と呟き、ため息と共に煙を吐き出した。

「聞いてくれるか」

 ヒロが煙草をくわえたまま、ちらりと昇の顔を見たので、昇は無言で頷いた。

「アリアには聞かれたくなかった」

 俯いて、ヒロは言葉を搾り出すように言うと、話しを続けた。

「……美原ななは知っての通り、俺の父親と結婚して俺の義母になった。ななはその前、結婚詐欺師だった。はじめ、ななは美原と本気で結婚する気などなかった。詐欺のカモにするために美原に近づいたってわけだ。ななは同時に矢萩孝介という男もカモにしていた。だが、ななに誤算が出た。矢萩には妻がいたのだ。ななにとって悪いことは続き、自分が妊娠していることに気づいた。どうにもならなくなったななは、美原に妊娠したことを告げ、結婚したのだ」

 ヒロは他人事のように淡々と話した。冷静に見えたが、目だけがぎらぎらしていた。感情を押し殺しているが、ヒロの瞳には怒りが宿っていた。

 陽気な日差しが、居間を照らしているというのに、昇はひんやりとした寒気を感じたのだった。昇は片膝を立てて、身じろぎせずに聞き入っていた。

「美原は、ななが結婚詐欺師とは露知らず、お腹の子が自分の子供だと、疑うことなくななと結婚した。幼いときに母親が病死して母を知らずに育っていた六歳の俺は、新しい義母に甘えた。ななは美しく、優しかった。入学式では自慢の義母だった。絵に描いたような幸福な家庭だった。アリアが生まれるまでは」

 ヒロの声が止まった。

 眉間にしわを寄せ、銀色の携帯灰皿を懐から取り出して、煙草の灰を落とした。

 何が語られるのか。昇は話の続きを待った。

「アリアが生まれた直後、美原の耳に矢萩の存在が知れたのだ。ななは結婚してから矢萩とはまったく切れていたようだが、過去のことがばれたのだ。結婚詐欺師だったことも。同時に付き合っていたことも。美原はななを責めた。そして、アリアが矢萩の子ではないかと疑ったのだ」

 ヒロは短くなった煙草をもみ消して立ち上がり、昇に背を向けてベランダの窓辺に立った。

過去を振り返るのが辛いのか、ヒロにためらいが見えた。

「家庭はぼろぼろだった。美原はアリアを嫌い辛く当たった。見かねたななは別宅の家政婦にアリアを預けた。両親は顔を合わせれば喧嘩だった。そんな生活が五年続いた。とうとうななは美原に言った。アリアは矢萩の子なのだと。当然、即離婚となった。矢萩の妻が病死したと知ったななは、離婚になることを計算づくでそう言ったのだ。そして、あの女は五歳のアリアを連れて矢萩の元へ走った」

 酷い母親さ。ヒロは低い声で呟いた。

 アリアは生まれてから父親に愛されず、実の母親とも離されて育ったのだ。

 温かい家庭を知らないアリア。ふと見せる寂しそうな表情は、そんなところから来るのだろうかと昇は思った。

「俺はアリアが忘れられなかった。別れ際、母親に連れられたアリアは、涙を堪えて家を出て行った。『お兄ちゃん』と呼ぶ、心細そうな声がいつまでも頭から離れなかった。あいつを守ってやれるのは生まれてからずっと、俺だけだった。俺はどうしても会いたくて、こっそり矢萩の家に会いに行ったのだ。だが、すでに家を引き払った後だった。お前も知っていることだが、矢萩はななが籍を入れる前に交通事故で死んでいた。まだ籍を入れていなかったななには、遺産はまったく手に入らなかった」

 ななの思い通りにはいかなかったのさ。

 ヒロはななをさげすむように鼻で笑った。

 悪いことは何故続くのか。アリアはいつ安住できたのだろうか。

 普通の家庭で何事もなく育った昇は、言葉がなかった。

「俺は一年、二年と過ぎてもアリアを忘れなかった。見かねた親父は、俺とアリアが血の繋がらない兄弟だと俺に告げた。不倫の末にできた子だと。何故、アリアにだけ親父が辛く当たるのか、それでやっと理解できた。だが、アリアには何の罪もない。俺は親父に、アリアを探し出して、引き取ってくれと頼んだ。親父は取り合ってくれなかった」

 ヒロは煙草に火をつけては、すぐにもみ消した。その回数が徐々に多くなった。銀色の携帯用灰皿は吸殻で一杯になっていた。

 昇はヒロの口が重くなってきたように感じた。

「親父は離婚後、仕事が全てになった。俺のことも会社を継ぐ人間としか見ていないとわかったとき、親父とは口をきかなくなった。俺は高校生になると、少しでも早く家を出るために、バイトで金を貯めた。冷え切った居心地の悪い家にいたせいだろうが、俺はアリアを忘れなかった。幼いあいつの笑顔、俺に笑いかけてくれたあの顔を思い出すときだけ、俺の人間らしい感情が呼び戻される感じがしたのだ」

 煙草の煙が部屋を曇らせるほどになっていた。昇はタバコを吸わないので、煙草のにおいが鼻についた。

 煙はヒロの苛々に比例しているようだった。

「探偵のバイトもした。そのバイトはアリアを探すのに好都合だった。ノウハウを教えてもらい、すぐ活用した。そして、とうとうアリアを見つけたのだ。十三歳になっていたアリアは、幼い頃のような笑顔はなく、醒めた表情で俺を見た。俺は一目見ただけで、アリアがどれだけ苦労したのかよくわかった。だから俺はアリアを連れ去った。ななはまた結婚詐欺で稼いでいたのだ。そのためにアリアは転居を繰り返し、まともな生活をしていなかった。あれは養育放棄だ。俺がアリアを探し出すまでの約八年間、あいつは一人で生きてきたようなものだ。俺はすぐに大学をやめて家出し、二人で暮らした。五歳のときに会ったきりだったから、アリアは俺のことを覚えていなかったが、少しずつ俺に心を開いた。……それからの生活はとても充実していた」

 ヒロは疲れたように額に片手を当てて、大きく息をついた。話はまだ続いた。

「ななはアリアを取り戻すためにずっと俺達を探していたようだ。そして、三年が過ぎたある日、ななは俺に接触してきた。俺はアリアを帰す気はないといった。そのとき、ななはアリアの本当の父親は美原博一だ、俺とアリアは異母兄弟だと告げたのだ。そして、俺を嘲笑った」

「アリアは知らないのか?」

「知らない。俺は言えなかった。アリアを……愛していた」

 ヒロはしっかりと組んだ両手を額に押し当てて俯き、目を伏せた。昇にはヒロの肩が震えているように見えた。

「かなり落ち込んだ。俺はアリアの側にいられず、しばしばアリアを一人にしておくことが多くなった。一時はいろんな女の所へ泊まり歩き、かなり自暴自棄になった時期もある。悪いことは一通りやった。そんな時、いつものように暫く外泊していた俺をアリアが探して見つけ出し、連れ戻しに来て……」

 ヒロは大きくため息をついた後、一層口が重くなった。

「……帰って来てと懇願されたことがあった。あいつと一緒に帰ったが……俺は気丈でいられなかった」

 ヒロは幾分顔を上げ、昇の目を見つめた。

「俺は……薬を盛ってあいつを……アリアはこのことを、知らない」

 昇は絶句した。

 ヒロは、抱いたのか。父親が同じかもしれない弟……(いや、妹かも)のアリアを。

 昇はショックを受けた。アリアが知らないとはいえ、二人がそんな関係だったとは。

「今年の二月頃も、側にいることが辛くなってアリアから逃げた」

 昇がアリアと一緒に柚子を探しに旭川へ行ったときだ。ヒロはアリアをつれて旭川に残った。二人でいて、ヒロは辛くなったのだろう。

「何度も、吹っ切ろうとした。そして毎回挫折した」

 昇は黙って耳を傾けるしかなかった。

「……今回、もう一度本当に異母兄弟なのかとななに問いただしたら、今度はわからないと答えやがった。同時に付き合っていた男がいて誰が父親かわからないと言った。ななはアリアを連れ戻すために何を吹き込むかわからない。だから会わせたくない」

 ここまで話し終えると、ヒロは少し自嘲的な笑みを浮かべ、胡坐をかいている足を組みなおした。

「……複雑、だな」

 そう言うほか、昇には言葉が見つからなかった。

 アリアとヒロは深いところで支えあっているのだ。相手が好きだというだけではない、深いつながり。自分が生きるために必要な相手なのではないか。

 この二人の間に、入り込む余地はないのだろうかと、昇は思った。

「探偵、お前あいつのこと好きだと言っていたな」

「ああ」

「お前はあいつを支えられるか?」

 面と向かってそう言われると、昇はすぐに肯定できなかった。

「……支えているつもりだ」

「そうか……つまらんことを話したな、忘れてくれ」

 ヒロは最後に残っていた煙草を取り出し、口にくわえた。

「俺はあいつの側にいてはいけない存在なんだ」

 ヒロは昇に聞こえないくらい小さな声でそう呟いた。


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