(3)
夏休みを終え、新学期が始まって間もなくの頃。
「久住君、美術部入ったんだ」
朝のHRの後、クラスメートの女子が三人か俺の机を取り囲んだ。俺はいつものとおり無表情を貼りつけ、そっけなく「そうだけど」と答える。下手に愛想よく答えず、かといってケンカ腰にならない……単に『冷たい奴』という態度がいいんだ、こういう連中は。
いつもならこれで引いてくれるものだが、今回は三人とも食いついてきた。
「やっぱりね! 夏休み中、部室の窓から見えたんだ」
「絵を描くなんて知らなかった」
「どんなの描いてるの?」
俺は一瞬とまどった。なんだか普通に話しかけてくる……そう、ちょうど赤池さんのように。
「だいたい静物画かな。外で写生するけど」
「えー、暑くない?」
「暑いよ。だからたまに逃げる」
笑い声が響いた。
――なんだ。普通じゃないか。
俺はひとしきりおしゃべりを楽しみ、やがてチャイムが鳴ったので会話は打ち切られた。だが授業が始まっても、俺はたった今交わした会話を反芻していた。口元に笑みがこみあげてくる……久しぶりにクラスメートと、しかも女子と話した。
それから学校生活が少しずつ変わってきた。
俺はいろんな奴らと話すようになった。女子とも普通に話せるし、男友達も増えた気がする。冗談言って笑いあったり、テストの答案を見せ合ったり、ノートを貸したり貸されたり。
――こういうのって初めてだな。
それでもひとつだけ夏前と変わらないこと。
それは放課後になるとかならず美術室へ向かうことだ。
「赤池さんって電車通学?」
「ううん、バス」
赤松さんはキャンバスを見つめたまま返事をする。俺はその隣で同じようにキャンバスに向き合いながら、ようやくきけた貴重な情報を頭にインプットしていた。
――そっか、どうりで朝も帰りも会わないわけだ。
赤池さんと帰りが一緒になったことはない。
なんでもコンクールに出品する予定の絵を描いてるとかで、部活の帰りはだいたい部長や顧問と話をして居残っているからだ。それを待っているのも変だし、一緒に帰ろうと声を掛ける勇気も俺にはなかった。
「久住君は電車なの?」
「うん」
「そっか、そういえば朝とか会わないもんね」
俺はなんとか平静を装って会話をしていたが、内心はバクバクだった。まるで俺の考えを読まれたようなタイミングのコメントだったからだ。
「じゃあ今日一緒に帰ろうか」
「えっ、い、いいの?」
赤池さんは一瞬きょとん、として、それから吹きだした。
「なにそれ。いいに決まってるじゃん」
俺が恋した女の子は普通の子で、でも俺にとっては特別可愛い子だった。でも告白する気持ちはなかった。友達でいられれば、それでいいと思っていた……友達ならば、ずっと隣にいられるだろう?
勇気がない、と簡単に言わないで欲しい。
失いたくないものは、ぜったい失いたくない。告白して振られた場合、もう普通の友達に戻れず避けられるようになるかもしれない。そんなリスクをおかしたくなかった。
「久住君って、赤池さんと仲がいいの?」
そう、こんなこと聞かれるまでは。
「部活の……友達だけど」
「そうなんだー、たまに放課後一緒に帰ってるよね」
クラスの女子の、あまり話したことのない奴だった。茶髪のショートボブが似合ってて、顔が小さい……けっこう可愛いかもしれない。
放課後の部室へ向かう途中、とつぜん渡り廊下で呼び止められた。周りには特に人もいないけど、いつ誰が通りかかってもおかしくない場所だ。
「私、久住君のこと好きなんだ」
はっきり告げられ、俺は一瞬かたまった。
「久住君、今つきあってる人いる?」
「……いないけど」
「じゃあさ、もしよかったら……メアド交換してもらえないかな。その、友達からでいいから……」
積極的だが嫌な感じはしない。態度もていねいだし、なれなれしくもない。きっと悪い子じゃない。だけど。
「……ごめん」
「え、あの」
「俺、女の子とメアド交換しないことにしてんだ」
その子は意表を突かれた感じでぽかん、とした。それからちょっと笑って「わかった」と一言残して走り去っていった。
俺はなんとも気まずい気持ちで彼女の後ろ姿を見送っていたが、それから踵を返したところで……廊下の向こうに立っていた赤池さんと目が合ったんだ。
(つづく)