追放された黒魔術師は、神託の勇者に有能だと気づかれてはいけない
「サム。悪いが、今日限りでパーティを抜けてもらう」
冒険者ギルドの一室で、サムは向かいに座る男を見つめた。
男は、これまで行動を共にしてきた冒険者パーティのリーダーだった。
「……理由を聞いても?」
「新しく付与術師を迎えることになったんだ」
「付与術師?」
「ああ。俺たちもそろそろ上を目指したいからな。仲間を強化できる術師が必要なんだよ」
「なるほど」
黒魔術師であるサムは小さく頷いた。
得意とするのは、対象の能力を弱体化させたり、魔力を封印したりする魔術だ。
しかし、その術式は構築に時間がかかるうえ、格上の魔物には抵抗されることも多い。
パーティの実力が上がるにつれ、サムが術式を完成させる前に戦闘が終わってしまうことも増えていた。
「まあ、そういうことなら仕方がないね」
「随分あっさりしているな」
「私が何を言ったところで、もう決まっているんだろう?」
「ああ。すまないな」
「いいよ。こちらこそ、今まで世話になった」
サムは椅子から立ち上がった。
黒魔術が不要になったというのなら、それは仕方がない。
彼らが新しい戦い方を選ぶ自由はあるし、自分にも別の道を探す自由がある。
多少の寂しさはあったが、冒険者とはそういうものだろう。
そう思っていた。
「……最後まで、そういう態度かよ」
背後から声がした。
振り返ると、パーティの剣士が不愉快そうに顔を歪めていた。
「何がだい?」
「いつもそうだろ。自分は何でもわかっているみたいな顔をしてさ」
「……そう見えていたなら、申し訳ないね」
「そういうところだよ!」
剣士が机を叩いた。
「お前、いつも理屈ばっかりなんだよ。実際には何の役にも立っていないくせに!」
「…………」
「黒魔術だか何だか知らないけど、人を弱くすることしかできないんだろ?そんな奴が、偉そうに仲間を支える役なんてやってるんじゃないよ」
サムは、しばらく剣士を見つめた。
それなりに長い付き合いだった。
共に魔物を倒し、怪我をすれば助け合い、酒場でくだらない話をしたこともある。
その仲間から、今までの自分を丸ごと否定されている。
「……そうか」
ようやく、それだけを口にした。
「それなら、なおさら私が残る理由はないね」
サムは荷物を手に取った。
「皆、元気で」
返事はなかった。
扉を閉める直前、新しく加入する付与術師の話で盛り上がる声が聞こえた。
どうやら、自分がいなくなったことを悲しむ者はいないらしい。
サムは、小さく息を吐いた。
人を弱くすることしかできない。
誰の役にも立たない。
そんな言葉が、耳の奥に残っていた。
*
それから数日後。
サムのもとに、奇妙な依頼が届いた。
差出人は、王国でも名の知られた伯爵家。
報酬は破格。
雇用期間は、ひとまず三年間。
条件だけを見れば、これ以上ないほど魅力的な仕事だった。
ただし、一つだけ問題があった。
『我が息子の能力を弱体化させていただきたい』
「…………」
サムは依頼書を読み直した。
もう一度、読み直した。
「……息子を?」
間違いない。
確かに、息子を弱くしてほしいと書いてある。
普通、貴族が高い報酬を払って魔術師を雇うなら、息子の才能を伸ばしてほしいと言うものではないだろうか。
少なくとも、サムはそう思う。
「……世の中には、変わった依頼もあるものだな」
とはいえ、仕事を選んでいられる立場ではない。
サムは依頼書を畳み、伯爵家へ向かうことにした。
*
「……神託、ですか?」
「ああ」
伯爵家の応接室。
向かいに座る伯爵は、深刻な表情で頷いた。
その隣には、同じく慎重な面持ちの夫人が座っている。
「息子が生まれた日、神託が下されたのだ」
「それは……おめでとうございます、と言っていいものなのでしょうか」
「最初は、私たちもそう思った」
伯爵は額に手を当てた。
「だが、続きを聞いて、それどころではなくなった」
サムは姿勢を正した。
神託。
神々が人間に未来の一端を告げるという、極めて稀な現象である。
そして、伯爵の口から語られた内容は、サムの想像をはるかに超えるものだった。
息子は、世界を救う勇者である。
その才能は、剣術、魔術、知略のすべてにおいて人の域を超える。
しかし、決して本人にその有能さを悟らせてはならない。
己の才能を自覚したとき、世界を救うよりも、世界を支配する道を選ぶ可能性が極めて高い。
そして十八歳になる年、世界に大きな災厄が訪れる。
そのときまで、勇者を勇者と知らぬまま育てよ。
「…………」
サムは、しばらく黙っていた。
「……なるほど」
「理解してもらえただろうか」
「いえ、まったく」
伯爵が項垂れた。
「そうだろうな……」
「確認させてください。ご子息は、世界を救うほどの才能をお持ちなのですね?」
「ああ」
「しかし、その才能に気づくと、世界を支配する可能性がある」
「その通りだ」
「そして今から三年後には、世界を救ってもらわなければならない」
「……そうだ」
サムは深く息を吐いた。
「ずいぶんと都合のいい神託ですね」
「私もそう思う」
「神様というのは、なかなか無茶なことをおっしゃる」
「本当にね」
夫人が疲れたように微笑んだ。
「ちなみに、世界を支配するというのは……ご子息に、何か問題でも?」
「いや、そういうわけではないんだ」
伯爵は首を横に振った。
「あの子は優しい子だよ。人を見下すこともないし、誰かが困っていれば助けようとする」
「それなら、なぜ?」
「だからこそ、なのだろうね」
夫人が口を開いた。
「あの子は、誰かが苦しんでいるのを放っておけないの。もし、自分の力で世界中の人を幸せにできると知ったら……」
「……自分が世界を治めたほうがいい、と?」
「ええ」
サムは考え込んだ。
善意による支配。
確かに、力のある者が必ずしも正しい判断を下すとは限らない。
しかし、そのような未来が訪れるかもしれないというだけで、息子の才能を隠し続けるとは。
「それで、私に弱体化を依頼されたのですね」
「ああ。これまでは魔道具で能力を抑えてきたのだが、成長に伴って限界が近づいている」
「なるほど。より強力で、長期間維持できる封印が必要になった、と」
「そういうことだ」
「ですが、三年後には世界を救わせる必要があるのでしょう?」
「……その通りだ」
「つまり、普段は弱くしておいて、必要なときだけ強くしろと?」
「お願いできないだろうか」
サムは天井を見上げた。
黒魔術師として、これほど自分に向いている依頼はないだろう。
ただし、責任が重すぎる。
「……ちなみに、ご子息には何と説明するおつもりで?」
「専属の付与術師を雇うことになった、と」
「私は黒魔術師ですが」
「もちろん、息子にもそう説明するよ。ただ、黒魔術を応用した特殊な付与魔術ということにしてほしいのだ」
「…………」
「できるだろうか?」
サムは、しばらく伯爵を見つめた。
「……確認ですが、報酬は依頼書に記載されている金額で?」
「ああ。もちろん、必要な研究費や魔術触媒もこちらで用意する」
「住み込みで?」
「専用の部屋を用意してある」
「食事も?」
「当然だ」
「……わかりました」
サムは頷いた。
「お引き受けしましょう」
こうして、役立たずとして追放された黒魔術師は、世界を救う勇者を弱くする仕事に就くことになった。
*
「君がサムか。父上から話は聞いているよ」
翌日。
サムは、屋敷の訓練場で一人の少年と向かい合っていた。
明るい金色の髪に、澄んだ青い瞳。
整った顔立ちと品のよい立ち姿からは、育ちのよさが窺える。
この少年こそ、神託の勇者ハロルドである。
「サムと申します。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
ハロルドは、にこやかに手を差し出した。
サムがその手を取ると、少年は嬉しそうに笑った。
「父上から、君は黒魔術師だと聞いたんだけど」
「はい。黒魔術を専門にしています」
「それを応用した付与魔術が使えるんだって?」
「……ええ。少々、特殊なものですが」
「それは楽しみだな。俺、魔法があまり得意じゃないんだ」
「そうなのですか?」
「ああ。剣術も、まあ、人並みといったところかな。勉強もまだまだだしね」
サムは首を傾げた。
世界を救う勇者。
世界を支配するかもしれない規格外の才能。
伯爵から聞かされた話と、目の前の少年の印象がまるで一致しない。
「……ちなみに、どのような勉強を?」
「最近は古代魔術の術式解析と、国家統治論を少し。どちらも難しくてね」
「…………」
「なかなか思うように進まないんだ」
十五歳。
サムは、少年の年齢を思い出した。
「……難しいとは、具体的に?」
「そうだな。先日も、古代術式の魔力循環について、どうしても納得できない箇所があってね」
ハロルドは近くの机から一冊の書物を持ってきた。
「ここなんだけど」
「……拝見します」
サムは差し出された書物を開いた。
そして、動きを止めた。
専門の研究者でも頭を抱えるような術式が、紙面いっぱいに記されている。
「……これを、君が?」
「ああ。父上から課題として出されたんだ」
「……なるほど」
「まだ理解できていないところも多いよ」
「…………」
サムは、静かに書物を閉じた。
「……少し、失礼します」
訓練場の隅に控えていた伯爵のもとへ歩み寄る。
「伯爵様」
「どうかしたかね?」
「ご子息の教育について、少々お聞きしたいのですが」
「ああ、学問のことか」
「……あれを、十五歳の少年に?」
伯爵は頷いた。
「知性については魔道具でも抑えられなかったからね。幼い頃から、年齢に見合わない難しい学問を学ばせてきたんだ」
「…………」
「息子は、自分にはまだ学ぶべきことがたくさんあると思っているよ」
「……なるほど」
サムは、もう一度ハロルドを見た。
少年は熱心に書物を読み返している。
どうやら、本人は自分が特別に賢いとは思っていないらしい。
(……ご両親も、なかなか大変なことをしているな)
サムは密かに感心した。
その苦労を、これからは自分も背負うことになるのだが。
*
「それでは、まず現在の能力を確認させてもらうよ」
「ああ。よろしく頼む」
ハロルドは訓練場の中央に立った。
サムは魔力測定用の道具を取り出し、少年の手に持たせる。
「少し魔力を流してみてくれるか」
「これくらいかな?」
「……ああ。そのままで」
測定器の針が動く。
それから、さらに動いた。
目盛りの上限を超え、針が端に張りつく。
サムは測定器を見つめた。
「……ハロルド」
「何だい?」
「今ので、どのくらい魔力を流したんだい?」
「まだ軽くだよ。測定器はよく壊れるからね」
「……それは賢明な判断だね」
サムは、ハロルドの手を測定器からそっと離した。
(……本当に抑制されているんだよな?)
ハロルドの腕には、魔力抑制の魔道具が装着されている。
伯爵の説明によれば、身体能力や魔力を大幅に抑える特注品だという。
それなのに、この数値。
(なるほど。確かに、これは世界を救えるかもしれないな)
サムは、改めて自分の仕事の重大さを理解した。
「ハロルド、少し時間をもらえるかい?」
「もちろん。何をするんだ?」
「君の身体に、長期的な調整のための術式を施す。最初だけ少し時間がかかるんだ」
「わかった。俺は何をすればいい?」
「椅子に座って、楽にしていてくれればいいよ」
ハロルドが頷く。
サムは魔術触媒を並べ、慎重に術式を組み上げた。
本来の能力が、一般的な少年と同程度になるように。
しかし、必要なときには段階的に封印を解除できるように。
そして、一度成立すれば、サムが眠っている間も維持されるように。
相手の能力を封じることだけなら、さほど難しくはない。
問題は、その調整だった。
ハロルドの能力を完全に封じてしまえば、魔王討伐の役には立たない。
かといって、封印が緩すぎれば、自分の才能に気づいてしまうかもしれない。
サムは時間をかけ、慎重に術式を完成させた。
「……よし。これでいい」
「終わったのか?」
「ああ。少し身体を動かしてみてくれるか」
ハロルドは立ち上がり、軽く腕を回した。
「うん。特に変わった感じはしないな」
「それでいいんだよ」
「そうなのか?」
「最初は身体に馴染ませる必要があるからね。少しずつ調整していこう」
「なるほど。よろしく頼むよ、サム」
その後、伯爵立ち会いのもと、これまで使用していた抑制魔道具を取り外した。
ハロルドは何の異変も感じていないらしい。
サムは、胸を撫で下ろした。
これで、準備は整った。
あとは三年間、本人に気づかれないようにするだけである。
(……言葉にすると、簡単なんだけどな)
サムは、遠い目をした。
*
最初の問題が発生したのは、それから数日後のことだった。
「サム。今日は、少し強化してもらえるか?」
「構わないよ。何か試したいことでも?」
「ああ。剣術の稽古で、どうしても上手くいかないところがあってね」
「なるほど。では、身体能力を少し引き上げてみようか」
サムはハロルドの背に手を当て、黒魔術の封印をわずかに緩めた。
普段の抑制状態から、ほんの一段階。
本来の能力でいえば、まだ一割にも満たない。
「これでどうだい?」
「ありがとう。試してみるよ」
ハロルドは木剣を構えた。
目の前には、訓練用の木人。
少年が一歩踏み込み、剣を振るう。
次の瞬間。
木人が砕け散った。
「…………」
「…………」
訓練場に、沈黙が落ちる。
「……サム」
「……何だい?」
「君の付与魔術は、すごいな」
ハロルドは、心から感心した様子だった。
「こんなに変わるものなのか!」
「……そうだね」
「もう少し強化したら、どうなるんだろう?」
「やめておこう」
「そうか?」
「ああ。訓練場の修繕費が、少々気になるのでね」
サムは、素早く封印を元に戻した。
一度かけた封印なら、離れた場所からでも調整できる。
もっとも、こんな使い方をする日が来るとは思わなかったが。
ハロルドは残念そうに木剣を下ろす。
「やっぱり、付与魔術は便利だな」
「……ありがとう」
(……一割未満だぞ)
サムは、粉々になった木人を見つめた。
(これで一割未満とは、いったいどういうことなんだ)
サムの苦労は、まだ始まったばかりだった。
*
それからというもの、サムの日常は、想像以上に忙しいものとなった。
ハロルドが剣術の稽古で相手を圧倒しそうになれば、封印を強める。
「……急に身体が重くなったな」
「強化の調整だよ」
「なるほど。繊細なんだな、君の魔術は」
「ええ。とてもね」
魔法の練習で火球を巨大化させそうになれば、慌てて魔力を抑える。
「……今、少し火力が上がりすぎなかったか?」
「君の気のせいだよ」
「そうか。まだ魔力の扱いが下手なんだな、俺は」
「……そうかもしれないね」
勉強で高度な問題を解き終えたハロルドが、当然のように次の課題を求めれば、伯爵と相談してさらに難しい書物を用意する。
「サム、この本は面白いな」
「……そうかい」
「ただ、少し簡単すぎる気がするんだ。もう少し難しいものはないかな?」
「…………」
「サム?」
「……私も探してみるよ」
そして、そんな日々を送るうちに、サムはあることに気づいた。
ハロルドは、自分の能力については驚くほど無自覚だが、それ以外のことにはよく気がつく。
サムが疲れていれば、休むように勧める。
魔術触媒が足りなければ、必要なものを尋ねてくる。
訓練が上手くいかない日には、自分のやり方を見直そうとする。
決して、ただの世間知らずな少年ではなかった。
「サム、明日は休んだらどうだ?」
ある日の夕食後。
ハロルドが、そんなことを言い出した。
「……急にどうしたんだい?」
「最近、少し疲れているように見えたからね」
「君の訓練があるだろう?」
「一日くらい休んでも問題ないよ」
「そうかな?」
「ああ。それに、君も少しは休まないと。いつも俺に付き合ってくれているだろう?」
ハロルドは、柔らかく微笑んだ。
「明日は、庭でお茶でも飲まないか?」
「……私と?」
「ほかに誰がいるんだい?」
サムは、少しだけ驚いた。
仕事として魔術を使うのではない。
ただ一緒にお茶を飲もうと、この少年は言っている。
「……そうだね」
サムは小さく笑った。
「たまには、そういう日があってもいいか」
「よかった。では、明日を楽しみにしているよ」
ハロルドは、嬉しそうに笑った。
サムもまた、その日を少しだけ楽しみに思った。
*
「サムは、以前は冒険者だったんだろう?」
別の日。
剣術の稽古を終えたハロルドが、そんなことを尋ねてきた。
「ああ。そうだよ」
「どんなパーティにいたんだ?」
「……ごく普通の冒険者パーティだね」
「そうなのか。どうして辞めたんだい?」
サムの手が、一瞬だけ止まった。
ハロルドは、純粋な好奇心から尋ねているのだろう。
それはわかっている。
しかし、あまり思い出したい話でもなかった。
「……追放されたんだよ」
「追放?」
「ああ。新しい付与術師を迎えることになってね。人を弱くすることしかできない黒魔術師は、もう必要ないそうだ」
努めて、軽い調子で言った。
「まあ、冒険者には向き不向きがある。仕方のないことだよ」
「……そうなのか?」
「そういうこともあるさ」
ハロルドは、少し考え込んだ。
「でも、それはおかしくないか?」
「……何がだい?」
「君は、その黒魔術を応用して、俺を強くしてくれているじゃないか」
「…………」
「付与術師が必要だったというのなら、君の魔術だって十分に役立つと思うんだけどな」
サムは、返答に困った。
確かに、ハロルドからすればそう考えるのが自然だろう。
しかし、実際には強くしているのではない。
本来の力を抑えたまま、封印を少し緩めているだけなのだから始末が悪い。
「……まあ、少々特殊な応用だからね。普通の付与魔術とは勝手が違うんだよ」
「そうなのか。なら、なおさら惜しいことをしたと思うけどね」
「……そうかい?」
「ああ。それに、そもそも敵の能力を弱くできるなら、それだけでも十分に価値があるだろう?」
ハロルドは、少し考えてから続けた。
「相手によっては、攻撃するよりも有効かもしれない。能力を封じられるなら、魔物を殺さずに捕らえることだってできるだろう?」
サムは、思わず目を瞬いた。
かつて仲間たちに何度も説明したことを、目の前の少年はあっさりと理解していた。
「……君は、なかなか鋭いことを言うね」
「そうかな?」
「ああ」
ハロルドは、少し照れたように笑った。
「サムから魔術の話を聞いているからね。君のおかげだよ」
「…………」
また、それか。
サムは苦笑した。
「君は、何でも私のおかげにするんだな」
「だって、そうだろう?」
「……まあ、いいけどね」
「それに」
ハロルドは、何でもないことのように続けた。
「少なくとも、俺には君が必要だよ」
サムは、返事を忘れた。
「君の魔術がなかったら、俺はこんなに上達できなかっただろうしね」
「……そうかい」
「ああ。だから、これからもよろしく頼むよ、サム」
ハロルドは、いつものように笑った。
サムは、しばらくその顔を見つめた。
そして、静かに頷いた。
「……こちらこそ、よろしく頼むよ」
その日から、サムは少しだけ、ハロルドの世話を焼くのが楽しくなった。
もちろん、苦労が減ったわけではない。
むしろ、日を追うごとに増えていったのだが。
*
そうして、三年が過ぎた。
その間に、サムは数え切れないほど黒魔術を調整した。
剣術の訓練場を修繕した回数は、途中から数えるのをやめた。
ハロルドが新しい魔法を試そうとするたび、魔術触媒の残量を確認する癖がついた。
伯爵からは、何度も感謝された。
夫人からは、何度も謝られた。
そして、ハロルドからは、何度も褒められた。
「サムの付与魔術は、本当にすごいな!」
その言葉を聞くたび、サムは心の中で訂正した。
(……君がすごいんだよ)
しかし、口には出せない。
それが、サムの仕事だった。
そして、ハロルドが十八歳になった年。
神託通り、魔王が復活した。
*
魔王の復活は、瞬く間に王国全土へ知れ渡った。
北方の砦が陥落し、国境近くの街がいくつも失われた。
魔王が率いる魔物の軍勢は、日を追うごとに勢力を広げているという。
王国は討伐軍を編成したが、前線から届く知らせは芳しくなかった。
サムは伯爵から呼び出され、神託の最後の使命について改めて説明を受けた。
「……いよいよ、というわけですね」
「ああ」
伯爵は、深刻な表情で頷いた。
「息子を魔王討伐へ向かわせなければならない」
「……本人には、何と?」
「それを相談したくてね」
「…………」
サムは、こめかみを押さえた。
「三年間、君は本当によくやってくれた」
「ありがとうございます」
「だが、最後の最後で、あの子が勇者だと気づいてしまっては……」
「……わかっています」
サムは、小さく息を吐いた。
「何とかしてみますよ」
そう答えた直後だった。
応接室の扉が、控えめに叩かれた。
「父上、少しよろしいでしょうか」
ハロルドの声だった。
伯爵とサムは、顔を見合わせた。
「……ああ。入りなさい」
「失礼します」
扉が開き、青年となったハロルドが姿を現した。
十五歳だった少年は、すっかり背も伸び、貴族の子息らしい落ち着きを身につけていた。
ただし、サムを見ると嬉しそうに笑うところは、昔と変わっていない。
「サムもいたのか。ちょうどよかった」
「……何か用かい?」
「ああ。父上にも、君にも、相談したいことがあるんだ」
ハロルドは、真剣な表情で二人を見た。
「俺を、魔王討伐へ向かわせていただけませんか」
サムは、思わず伯爵を見た。
伯爵も、驚いた様子で息子を見つめている。
「……理由を聞いてもいいかい?」
サムが尋ねると、ハロルドは頷いた。
「魔王の軍勢が、国境の街を襲っていると聞いた。避難してきた人たちも、ここ数日でずいぶん増えているだろう?」
「ああ」
「俺にも、何かできることがあると思うんだ」
「……魔王は、普通の魔物とは違うよ」
「わかっている」
「王国の討伐軍ですら、苦戦している相手だ」
「ああ」
「それでも、行くのかい?」
ハロルドは、迷わず頷いた。
「もちろん、俺一人では無理だろうね」
そう言って、サムを見た。
「でも、君がいるだろう?」
「…………」
「俺の剣と、君の付与魔術。二人なら、できることがあると思うんだ」
サムは、しばらく黙っていた。
伯爵の肩が、わずかに震えている。
どうやら、笑いを堪えているらしい。
(……いや、笑い事ではないんですが)
サムは、伯爵から目を逸らした。
「……ハロルド」
「何だい?」
「君は、本当に魔王を倒せると思っているのかい?」
「わからないよ」
ハロルドは、正直に答えた。
「でも、何もしなければ、きっと後悔すると思うんだ」
「…………」
「それに、もし失敗しても、君なら何とかしてくれる気がする」
「……私への信頼が、少々重すぎないかな」
「そうか?」
「……いや、何でもないよ」
サムは、小さく笑った。
「わかった。私も付き合おう」
ハロルドの顔が、ぱっと明るくなる。
「本当か!」
「ああ。君一人で行かせるわけにはいかないからね」
「ありがとう、サム!」
「ただし、私の指示には従ってもらうよ」
「もちろん!」
サムは伯爵へ向き直った。
伯爵は、深々と頭を下げた。
サムも、静かに頷いた。
どうやら、最後の仕事が始まるらしい。
*
魔王のもとへ向かう旅は、想像していたよりも順調だった。
王国から提供された地図や補給品を使い、二人は魔王の居城へと進んだ。
道中、何度か魔物に襲われることもあった。
しかし、ハロルドの能力を適切に解除すれば、ほとんどの敵は問題にならなかった。
「サム、少し強化を頼めるか?」
「ああ。どの程度がいい?」
「そうだな。あの魔物なら、前に使ったくらいで十分だと思う」
「……わかったよ」
サムは封印を緩めた。
ハロルドが剣を振るう。
魔物は、あっさりと倒れた。
「ありがとう。やっぱり君の魔術は頼りになるな」
「……どういたしまして」
こうしたやり取りを、何度繰り返しただろう。
すでにサムは、ハロルドの感謝を訂正しようとも思わなくなっていた。
ただし、旅の途中で、一つだけ気になることがあった。
ハロルドの判断力である。
魔物の動きを見れば、瞬時に弱点を見抜く。
地形を見れば、最も安全な経路を選び出す。
魔王の居城に近づくにつれ、その才覚はますます際立っていた。
「……ハロルド」
「何だい?」
「君は、どうしてその道が安全だと思ったんだい?」
「ああ。地面の状態と、魔物の足跡を見てね。こちらのほうが移動しやすいと思ったんだ」
「……なるほど」
「君が前に教えてくれたことの応用だよ」
「…………」
サムは、小さく息を吐いた。
(……私は、そこまで教えた覚えはないんだがな)
とはいえ、ハロルドが自分の知性を疑う様子はない。
三年間の教育は、どうやら十分な成果を上げていたらしい。
そして、ついに。
二人は魔王の居城へと辿り着いた。
*
魔王は、玉座の前に立っていた。
人の姿に似ているが、その身体から溢れ出す魔力は、明らかに人のものではなかった。
黒い鎧に覆われた巨体。
周囲の空気さえ歪ませるほどの魔力。
そして、こちらを見下ろす冷たい視線。
「……なるほど」
サムは、静かに息を吐いた。
「これは、少々厄介だね」
「そうだな」
隣で、ハロルドが剣を抜いた。
「サム。強化を頼めるか?」
「もちろん。そのために私がいるんだろう?」
「ああ。頼りにしているよ」
サムはハロルドの背に手を当てた。
身体能力の封印を解除。
魔力の抑制を緩和。
反射速度の制限も、さらに一段階引き下げる。
「……これでどうだい?」
ハロルドが、軽く剣を振るった。
「うん。十分だと思う」
「そうか。では、始めよう」
「ああ!」
二人は、同時に動いた。
ハロルドが魔王へ斬りかかる。
魔王は片腕で剣を受け止めた。
激しい衝撃が、玉座の間を揺らす。
「……ほう」
魔王が、低く唸った。
「人間にしては、よい力だ」
ハロルドは素早く距離を取った。
「サム、どう思う?」
「かなり頑丈だね。もう少し出力を上げようか」
「頼むよ」
サムは封印を緩めた。
ハロルドが再び踏み込む。
今度は、魔王の鎧に亀裂が走った。
「……なるほど」
魔王が、ハロルドを見た。
そして、サムへ視線を移す。
「貴様の術か」
「……何のことかな?」
「その小僧の力を引き上げているのは、貴様であろう」
サムは、わずかに眉を動かした。
(……いや、むしろ抑えているんだが)
「サム!」
ハロルドが叫ぶ。
「もう少し強化できるか?」
「ああ。問題ないよ」
サムは、さらに封印を解除した。
ハロルドの身体から、魔力が溢れ出す。
魔王が、初めて表情を変えた。
「……何だ、その力は」
「すごいな、サム!」
ハロルドは、自分の剣を見つめた。
「これなら、いけそうだ!」
「……そうだね」
サムは苦笑した。
(君がすごいんだよ、本当に)
ハロルドが剣を構え直す。
魔王もまた、両腕に魔力を集めた。
激しい戦闘が始まった。
剣と魔法がぶつかり合い、玉座の間が崩れていく。
ハロルドは、魔王の攻撃を見極めながら的確に反撃した。
サムは、その動きに合わせて封印を調整する。
「ハロルド、右だ!」
「わかった!」
「次は魔法が来る!距離を取って!」
「ああ!」
ハロルドは、サムの指示に従って動いた。
そして、サムもまた、ハロルドの判断に助けられていた。
「サム!次の攻撃は、床を伝ってくる!」
「……なるほど!」
「柱の上に避難してくれ!」
「わかった!」
戦いの中で、二人は互いを補い合っていた。
これまでの三年間と、何も変わらない。
ただし。
(……このままでは、少し厳しいな)
サムは、魔王を見つめた。
ハロルドの能力をかなり解放しているにもかかわらず、決定打には至っていない。
さらに解除すれば、勝てるだろう。
しかし、それでは本人が自分の異常な能力に気づくかもしれない。
(……まったく)
サムは、小さく息を吐いた。
(世界を救わせろと言うくせに、才能には気づかせるな、か)
神託を下した神々に、一度くらい文句を言ってやりたいものだ。
そんなことを考えた、そのときだった。
「……なるほどな」
魔王が、動きを止めた。
「どうやら、先に排除すべきは貴様らしい」
その視線が、サムへ向けられる。
「……私かい?」
「貴様の術を断てば、その小僧も無力になる」
「…………」
サムは、思わず目を瞬いた。
(……そう思うよな、普通は)
しかし、訂正するわけにはいかない。
「ハロルド!」
サムは叫んだ。
「下がって!」
同時に、魔王の手から黒い光が放たれた。
ハロルドが振り返る。
「サム!」
サムは咄嗟に身を捩った。
だが、間に合わなかった。
激しい衝撃が、身体を貫いた。
「――っ!」
視界が揺れる。
足元が崩れる。
サムは、その場に倒れ込んだ。
「サム!!」
ハロルドの声が、遠く聞こえた。
痛い。
息ができない。
身体が、ひどく冷たい。
(……まずいな)
サムは、ぼんやりと思った。
意識が遠のいていく。
それだけなら、まだ問題はない。
サムの黒魔術は、一度成立すれば、術者が眠っていても維持される。
多少意識を失ったところで、解除されることはない。
しかし。
(……これは、少々……)
生命を維持するために、身体が残された魔力を使い始めていた。
術式の維持に回す余力が、失われていく。
サムは、必死に魔力を繋ぎ止めようとした。
(……駄目だ)
術式に亀裂が走る。
(……ハロルド)
そして。
最後の封印が、砕け散った。
*
「……サム?」
ハロルドは、倒れたままの相棒を見つめた。
返事はない。
「サム、聞こえるか?」
駆け寄り、身体を抱き起こす。
胸元が、赤く染まっていた。
「……サム?」
ハロルドは、震える手で傷口を押さえた。
「頼む。目を開けてくれ」
返事はなかった。
そのとき。
彼の身体から、凄まじい魔力が溢れ出した。
三年間、封じられていた力。
生まれながらにして与えられていた、規格外の才能。
そのすべてが、解き放たれた。
ハロルドは、ゆっくりと顔を上げた。
魔王が、何かを言っていた。
しかし、彼には聞こえていなかった。
ただ、目の前の存在が、大切な友人を傷つけたことだけはわかっていた。
「……よくも」
ハロルドは、剣を握り直した。
「よくも、サムを……!」
その一撃は、魔王の身体を貫いた。
そして。
世界を滅ぼすはずだった災厄は、消滅した。
*
「……サム」
誰かが、名前を呼んでいた。
「サム……」
聞き覚えのある声だった。
ひどく震えている。
サムは、重い瞼をゆっくりと開いた。
白い天井が見えた。
柔らかい寝具の感触。
そして、視界の端に、見慣れた金色の髪があった。
「……ハロルド?」
その名を呼んだ瞬間。
「サム!!」
ハロルドが、勢いよく顔を上げた。
「よかった……!本当に、よかった……!」
「……どうしたんだい?」
「君が、目を覚まさないから……!」
ハロルドは、泣いていた。
サムは、少し驚いた。
三年間を共に過ごしてきたが、彼がこんなにも取り乱している姿は初めて見た。
「……ここは?」
「後方の治療所だよ。魔王の城から、俺が君を運んだんだ」
「……そうか」
「治癒師の方々が、何とか命を繋いでくれて……本当に、もう駄目かと思ったんだ……」
ハロルドは、何度も涙を拭った。
サムは、自分の身体に目を向けた。
包帯が巻かれている。
胸元には、まだ鈍い痛みが残っていた。
どうやら、相当な重傷だったらしい。
「……心配をかけたね」
「本当に、心配したんだぞ……!」
「うん。すまなかった」
サムは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、思い出した。
魔王。
黒い光。
自分が攻撃を受けて、それから――。
「……ハロルド」
「何だい?」
「魔王は?」
ハロルドが、目を瞬いた。
そして。
「……倒したよ」
「……そうか」
「俺が、倒したんだ」
「…………」
サムは、しばらく動かなかった。
「……君が?」
「ああ!」
ハロルドは、涙の残る顔で頷いた。
「俺、君が倒れたとき、もう何も考えられなくなって……!」
「……ああ」
「どうしても、君を助けたくて……!」
「…………」
「そうしたら、急に力が湧いてきたんだ!」
サムは、嫌な予感がした。
「……力が?」
「ああ!今まで感じたこともないくらい、身体が軽くなって……!」
「…………」
「魔力も、すごかったんだ!」
サムの背筋に、冷たいものが走った。
恐る恐る、自分の黒魔術を探る。
何もない。
正確には、何も残っていない。
三年間、維持し続けてきた術式。
ハロルドの身体能力と魔力を封じていた黒魔術。
そのすべてが、跡形もなく消えていた。
(……あ)
サムは、静かに目を閉じた。
(……終わった)
神託。
世界の支配。
三年間の苦労。
伯爵夫妻の顔。
すべてが、頭の中を駆け巡った。
(……いや、待て)
まだ、そうと決まったわけではない。
ハロルドが自分の才能に気づいたとは限らない。
「……ハロルド」
「何だい?」
「その力について、君はどう思っているんだ?」
できるだけ、平静を装って尋ねた。
ハロルドは、少し考えた。
そして、涙を拭いながら答えた。
「……きっと、覚醒したんだと思う」
「…………」
「君が倒れたのを見て、怒りで力が湧いてきたんだ。たぶん、一時的なものだと思うけど……」
サムは、黙った。
「それに」
ハロルドは、顔を上げた。
「きっと、今まで君が俺を強くしてくれたからだよ」
「…………は?」
「君の付与魔術のおかげで、俺はずっと訓練を続けられただろう?」
「……ああ」
「だから、最後にあんな力が出せたんだと思うんだ」
ハロルドは、涙を浮かべたまま微笑んだ。
「サム。ありがとう」
「…………」
「君のおかげで、魔王を倒せたよ」
サムは、しばらく天井を見つめた。
どうやら。
この青年は。
世界最強の勇者は。
自分の本当の能力に、まったく気づいていないらしい。
(…………)
サムは、深く息を吐いた。
(……まあ、いいか)
怒りによる覚醒。
これまでの訓練の成果。
サムの付与魔術のおかげ。
なるほど、本人の中では、きれいに話がまとまっているようだ。
(……なんだか、いい感じになっているし)
わざわざ訂正する必要もないだろう。
「……よく頑張ったね、ハロルド」
サムは、静かに言った。
ハロルドが、目を見開いた。
「……サム」
「君のおかげで、世界は救われたんだよ」
「…………」
「ありがとう」
その瞬間。
ハロルドの顔が、くしゃりと歪んだ。
「……っ、ああ……!」
そして、サムを抱きしめた。
「……よかった……本当に、よかった……!」
「……ハロルド」
「君が生きていてくれて……本当に……!」
サムは、そっと目を伏せた。
世界を救った勇者が、泣いている。
自分の才能を知ることもなく。
世界を支配できるほどの力を持っているとも知らず。
ただ、大切な友人が生きていたことを喜んでいる。
「……まったく」
サムは、小さく笑った。
「君は、本当に世話が焼けるな」
「……すまない」
「謝ることじゃないよ」
サムは、ゆっくりと手を伸ばした。
ハロルドの背中に、手を回す。
そして。
そっと、魔力を流した。
(……さて)
三年間、何度も調整してきた術式。
ハロルドの身体に、どれほどの力が秘められているのか。
どの程度まで抑えれば、本人が違和感を覚えないのか。
そのすべてを、サムは理解していた。
一度完成させた術式だ。
最初のように、触媒を並べて一から組み上げる必要はない。
ただし、治療によっていくらか魔力は戻っていたものの、重傷を負った身体で一度に大きな魔力を使うことはできなかった。
サムは慎重に、少しずつ封印を組み直していく。
「……サム?」
「何だい?」
「……もう少し、このままでいてもいいか?」
「ああ。構わないよ」
サムは、静かに微笑んだ。
(……ちょうどいい)
何も知らない勇者が、自分を抱きしめている。
その背中に手を回しながら、世界を救った黒魔術師は、今日もまた呪いをかけていた。
弱体化。
封印。
能力の抑制。
一つずつ、丁寧に。
世界最強の勇者を、ごく普通の青年へと戻していく。
「……よし」
サムは、小さく呟いた。
「……何が?」
「いや、こちらの話だよ」
ハロルドは、不思議そうに首を傾げた。
それから、安心したように笑った。
「……やっぱり、サムはすごいな」
「……またそれかい?」
「ああ。君がいてくれたから、俺は魔王を倒せたんだ」
「……そうか」
「それに、君が無事でいてくれて、本当によかった」
サムは、しばらく黙っていた。
かつて、仲間から言われた言葉が蘇る。
弱くすることしかできない。
誰の役にも立たない。
そんな人間に、仲間を支えることなどできない。
あのときは、何も言い返せなかった。
自分の魔術に価値があると信じていても、それを必要としてくれる人間がいなかったからだ。
けれど。
今は、違う。
「……ハロルド」
「何だい?」
「君は、本当に私を買いかぶりすぎだと思うよ」
少しだけ、皮肉を込めて言った。
ハロルドは、目を瞬いた。
「そうかな?」
「ああ。魔王を倒したのは君だろう?もう少し、自分のことを褒めてもいいんじゃないか?」
「もちろん、俺も頑張ったつもりだよ。でも、君の魔術がなければ、きっとここまでは来られなかった」
「……そうかい」
「ああ」
ハロルドは、穏やかに微笑んだ。
「それに、魔術のことだけじゃないんだ」
「……ん?」
「君が一緒にいてくれたから、俺は魔王に立ち向かえたんだと思う」
サムは、少しだけ目を見開いた。
「訓練に付き合ってくれたことも、困ったときに相談に乗ってくれたことも、全部感謝しているよ」
「…………」
「やっぱり俺には、お前がいないと駄目だな、サム」
サムは、しばらく返す言葉を見つけられなかった。
それから、ふっと笑った。
「……まったく」
世界を救った勇者が、何を言っているのやら。
「仕方がないね」
「……何が?」
「これからも、君に付き合ってあげるよ」
ハロルドの顔が、ぱっと明るくなった。
「本当か!」
「ああ。君一人では、何をしでかすかわからないからね」
「それは、少し心外だな」
「そうかい?私は事実を言ったつもりなんだけど」
「……君は時々、手厳しいことを言うね」
「今さらだろう?」
ハロルドは笑った。
それから、ふと思いついたように口を開いた。
「サム」
「何だい?」
「これから先も、ずっと俺の隣にいてほしい。できれば、一生」
「……は?」
「ああ。君がいない未来なんて、もう考えられないからね」
サムは、目を瞬いた。
「…………」
「どうしたんだ?」
「……君は、自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
「もちろん」
ハロルドは、当然のように頷いた。
「これからも、君と一緒にいたいという話だよ」
「…………」
「駄目かな?」
サムは、しばらく天井を見つめた。
世界を救った勇者。
そのあまりにも有能な男は、どうやら自分の言葉の意味にまで気づいていないらしい。
「……まったく」
サムは、小さく息を吐いた。
「本当に、君は世話が焼けるな」
「それで、返事は?」
「……考えておくよ」
「そうか!」
ハロルドは、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、サマンサ」
「…………」
「これからもよろしく頼むよ」
サムは、そっと目を閉じた。
どうやら、彼女の苦労は、まだまだ終わりそうにない。




