第47話 霊峰の守護者と、山頂の野菜宴会
ベルの案内のもと、未知の食材を探求しながら進むこと数日。
鬱蒼と茂っていた巨大な木々の間隔が次第に広がり、やがて視界がパァッと開けた。
「ようやく森を抜けたな。」
心地よい風が吹き抜け、青々とした短い草が絨毯のように広がる平野が顔を出す。
獣人帝国の荒々しい森とも違う、ベルが治める幻想的な森とも違う、のどかな風景だ。
久しぶりの平坦な道に安堵したのも束の間、俺は正面を見据えて思わず足を止めた。
「……森を抜けたら、次は山か。」
平野はほんの少しの間だけで、その先には空に向かってそびえ立つ雄大な山が横たわっていた。
頂上付近は雲に隠れているが、万年雪があるような険しい高山ではなく、緑に覆われた穏やかな山容をしている。
「ベル、この先の山のことは何か知っているか?」
俺が頭の上をフワフワと飛ぶベルに尋ねると、彼女は申し訳なさそうに羽を小さく震わせた。
「ううん、わたしが知ってるのはあの森の中だけ。このお山がどうなってるかは分からないわ。」
「そうか。まあ、魔族の街が北にある以上、越えていくしかないな。」
幸いにもアイテムボックスの中には、これまでの旅で作った大量の絶品料理や、水、野営のための道具が完璧に揃っている。
標高もそこまで高そうではないので、少し長めのハイキングがてら、のんびりと登山を楽しむのも悪くないだろう。
俺たちは気持ちを切り替え、なだらかな斜面から山の木々の中へと足を踏み入れた。
整備された道などないが、【探求者】の身体能力と、メイたちの身軽さがあれば、斜面を登っていくのは容易い。
時折見慣れない植物や木の実を採取しながら、一時間ほど登り進めた時のことだった。
ズシンッ、ズシンッ。
地響きのような重い足音が、前方の茂みの奥から近づいてくる。
「……何か来るな。かなり大きいぞ。」
俺は足を止め、アイテムボックスから『如意の金剛棒』を取り出して構えた。
茂みが大きく揺れ、姿を現したのは、ヒグマを二回りほど巨大化させたような、途方もなく巨大な茶色いクマだった。
その威圧感と巨体に、俺はすかさず【鑑定】を発動しようと魔力を練り上げる。
しかし、足元のメイも、頭の上のシルクも、そしてベルまでもが、微塵も警戒する素振りを見せなかった。
「フトシ、武器をしまって大丈夫よ。あの子から、悪い気配は全然しないわ。」
ベルが空中でくるりと回りながら、緊張を解くように俺に告げる。
メイも尻尾をふりふりと振り、シルクに至っては興味深そうに鼻をフンフンと鳴らしている。
「悪意がない……?」
俺が不思議に思って金剛棒を下ろすと、巨大クマはその場にどっかりと座り込み、俺たちをじっと見つめてきた。
どうやらこのクマは、この山と大地の魔力から生まれた精霊『大地の守護熊』という存在らしい。
領域に足を踏み入れた者が邪悪な存在でなければ、安全な道へと導く役割を担っているのだそうだ。
「なるほど、この山を守る精霊のような存在なんですね。」
俺が納得して頷くと、大地の守護熊は「グルゥ」と優しく喉を鳴らした。
そして、巨大な前足を虚空に差し出したかと思うと、空間が波打ち、そこから巨大な籐で編まれたような『籠』を取り出したのだ。
アイテムボックス、あるいは空間収納の魔法の一種だろう。
大地の守護熊は、その大きな籠を自分の背中に器用に固定すると、こちらを振り返って「乗れ」と言わんばかりにジェスチャーをした。
「案内してくれるみたいだな。お言葉に甘えようか。」
俺がメイとベル、シルクを連れて背中の籠に乗り込むと、内側にはふかふかの獣の毛皮が敷き詰められており、驚くほど座り心地が良かった。
全員が乗り込んだのを確認すると、大地の守護熊は力強く地面を蹴った。
ドゴォォォォンッ!!
「うおっ!?」
巨大な体が、あり得ないほどの猛ダッシュで急勾配の山道を駆け上がっていく。
しかし、不思議なことに籠の中には風圧も振動もほとんど伝わってこない。
目に見えない魔力の結界のようなものが籠全体を包み込み、酸素濃度や気温まで、平野を歩いている時と同じ快適さに保たれているのだ。
流れるような景色の中で、木々や岩肌があっという間に後方へと飛び去っていく。
自力で登れば数日はかかりそうな険しい山道を、大地の守護熊は文字通り風のように駆け抜け、わずか数十分で頂上の平坦な広場へと到達してしまった。
「……すごい速さでした。本当にありがとうございます。」
俺たちが籠から降りて深く頭を下げると、大地の守護熊は「フンスッ」と誇らしげに鼻息を鳴らした。
山頂からは、これまで歩いてきた巨大な森と、さらにその北へと続く広大な大地が一望できた。
空はすでに美しい茜色に染まり始めており、心地よい涼風が吹き抜けている。
「いい時間ですし、今日はここで野営にしましょう。」
俺は『魔導携帯テント』を設営し、折りたたみの木製テーブルと椅子を展開した。
そして、安全で快適な旅を提供してくれた大地の守護熊へのお礼と、親睦を深めるための準備に取り掛かる。
「クマさん、案内のお礼に俺の料理をご馳走しますよ。」
俺がアイテムボックスの空間を開き、次々と調理器具や食材を取り出していくと、ベルがむんずと頬を膨らませ、空中で腕を組んで抗議してきた。
「ちょっとフトシ! わたしを歓迎してくれた時よりも、張り切ってない!? なんかズルイ!」
「ははっ、ヤキモチを焼かないでくれ。クマさんは体が大きいからたくさん食べるだろうし、みんなで賑やかに食べた方が美味しいだろう?」
俺がそう言ってなだめると、ベルは「まあ、それもそうね!」とすぐに機嫌を直してくれた。
山の精霊であるこのクマは、きっと森や山の恵みである野菜も好きなはずだ。
俺は肉料理のストックを出す前に、アイテムボックスの新鮮な野菜とキノコを使って、熱々の料理を作ることにした。
まずは、ベルの森で採取した『ジャイアント・マッシュ』のバター塩焼きだ。
傘ほどの大きさがある肉厚な巨大シイタケを、ステーキのように分厚く切り分ける。
ミスリル配合の黒剛鉄フライパンを温め、油は引かずにキノコを並べてじっくりと火を通していく。
数分すると、キノコの表面にじわじわと旨味を含んだ水分が汗のように浮き上がってきた。
「よし、ここだ。」
俺は酪農村で手に入れていた発酵バターの塊を、フライパンに落とした。
ジュワァァァッ!!
バターが黄金色の泡を立てて溶け出し、シイタケが持つ強烈な旨味成分と混ざり合って、暴力的なまでに香ばしい匂いが山頂に弾け飛ぶ。
仕上げに南方大陸産の真っ赤な岩塩をパラリと振り、バターのコクをキリッと引き締めた。
「もう一品は、野菜の重ね焼きにしよう。」
俺は玉ねぎに似た根菜と、加熱すると甘みとホクホク感が出る『火炎芋』、そして真っ赤に熟したトマトを用意した。
『調理の超加速』を発動し、三種類の野菜を寸分違わぬ薄さにスライスしていく。
耐熱性のある黒剛鉄の平鍋に、火炎芋、玉ねぎ、トマトの順に少しずつ重ねながら、円を描くように美しく敷き詰めていく。
野菜の間に岩塩とピリ石の粉(黒胡椒)を振り、上からオリーブ・スライムから抽出した搾りたてのエキストラバージンオイルをたっぷりと回しかけた。
真ん中に清涼感のある香りの『トルの葉』を乗せ、蓋をしてから、俺は指先に『ファイア・ヒート』の魔力を灯す。
鍋の底と蓋の上から魔法の優しい炎で包み込み、無水状態でじっくりと蒸し焼きにしていく。
トマトから滲み出た旨味たっぷりの水分を火炎芋のデンプンが吸い込み、オリーブオイルと乳化して極上のソースへと変わっていくのだ。
「完成だ。『ジャイアント・マッシュのバター塩焼き』と、『火炎芋とトマトの重ね焼き』です。」
俺が二つの熱々の鍋をテーブルに置くと、大地の守護熊は目を丸くして身を乗り出してきた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ。」
クマは巨大な前足で器用にジャイアント・マッシュをつまみ上げ、上品な所作で口に運んだ。
サクッ、ジュワァァァッ。
噛み締めた瞬間、クマの大きな瞳が信じられないものを見たように見開かれた。
アワビのような心地よい弾力から、発酵バターの濃厚なコクとキノコの旨味が滝のように溢れ出し、クマの口の中で大爆発を起こしたのだ。
「キュ〜ゥ! キュルルゥ〜ッ!」
クマは顔をくしゃくしゃにして両手で頬を押さえ、体を左右に揺らしながら喜悦の声を上げた。
「ベル、何を言っているか分かるか?」
俺が尋ねると、ベルは笑いを堪えきれない様子で飛び回りながら通訳をしてくれた。
「『バターのコクとキノコの旨味がすごい〜! こんな美味しい山の恵み、初めて食べた〜!』だって!」
クマは続いて、重ね焼きの火炎芋とトマトを一緒にすくい上げて口に放り込む。
今度はホクホクの芋に染み込んだトマトの酸味と、オリーブオイルの華やかな香りに目を細め、天を仰いだ。
「『トマトの甘みがお芋に染み込んでて、オイルの香りがすっごく爽やか〜! ほっぺたが落ちちゃいそう〜!』って言ってるわ!」
巨大で恐ろしげなクマが、美味しい料理に感動してコロコロと表情を変え、キュンキュンと愛らしい声で鳴いている。
そのギャップのある姿に、俺も思わずほっこりとした笑みをこぼしてしまった。
「もちろん、お肉もありますからね。」
俺は追加で、特製ダブル肉サンドや極上オークカツの山を取り出し、クマと相棒たちに次々と振る舞った。
「ワフッ!」
「キュイッ!」
メイとシルクも、クマの横に並んで美味しそうに野菜と肉を頬張っている。
種族も大きさも全く違う者たちが、同じテーブルを囲んで美味しい料理に夢中になる。
これこそが、俺が異世界で料理を作り続ける最大の理由だった。
宴もたけなわとなり、用意した料理の山が綺麗に平らげられた頃。
すっかり満腹になった大地の守護熊が、ふと思い出したように立ち上がり、再び空間を歪めて何かを取り出した。
それは、透明なガラスのような不思議な材質でできた、巨大な壺だった。
中には、夕日に照らされて黄金色に輝くとろみのある液体が、たっぷりと詰まっている。
「クルゥ!」
クマはそれを俺の前にそっと置き、鼻先で優しく押しやってきた。
どうやら、料理のお礼らしい。
俺はワクワクしながら、その黄金の液体に向けて【鑑定】を発動した。
【霊峰の金蜜】
詳細:この山の山頂にのみ咲く幻の花から、精霊蜂が集めた究極のハチミツ。濃厚で花の香りが強く、舐めるだけで魔力と疲労を瞬時に回復させる霊薬クラスの食材。
「霊薬クラスのハチミツ……こんな希少なものを、しかも使い切れないほどの量でいただけるんですか。」
俺が驚いて顔を上げると、クマは「それくらい当然だ」というように胸を張り、満足げに微笑んだ。
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいますね。」
俺は黄金に輝く壺を優しく撫で、満面の笑みでクマに向き直った。
「明日はこれを使って、とびきり美味しい朝ごはんを作るからな。」
俺の言葉を聞いたクマは、期待に満ちた瞳を輝かせて「キュルゥ!」と嬉しそうに短く鳴いた。
山頂を撫でる風が、昼間の熱気を帯びた空気から、ひんやりとした心地よい夜の冷気へと変わっていく。
俺たちは満天の星空の下、新しい友との出会いを喜びながら、温かな夜の静寂へと静かに溶け込んでいった。




