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「私たち、最初から味方同士でした」~偽りの不仲が、本物の溺愛に変わるまで  作者: 月雅


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第9話「化けの皮」

大広間の天井から吊り下げられた燭台に、百を超える蝋燭が灯されていた。


王家主催の夜会。王宮の大広間は、金と白の装飾に彩られ、貴族たちの宝飾品が蝋燭の光を受けて無数に煌めいている。弦楽の調べが遠くから響き、給仕が銀の盆で杯を運んでいく。


私は大広間の入口で名を告げ、一人で入場した。


ドレスの内ポケットに、ユリアンの書き置きが折り畳まれている。薬品納入記録と患者証言の書面は、ドレスの裏地に縫い付けた薄い革袋に入れてある。


ユリアンは私より先に入場していた。大広間の隅で壁にもたれ、杯を手にしたまま無言で立っている。剣術バカの無関心。いつも通りの仮面。


私たちは目を合わせなかった。


いつも通りの、冷え切った契約婚約者同士。


大広間の中央に、白い帳が設えられていた。奇跡の実演のための舞台。帳の傍に椅子が一脚置かれ、そこに痩せた老人が座っている。聖女の治療を受ける患者だろう。


令嬢たちが帳の周囲に集まり始めている。期待の囁きがさざ波のように広がっていた。


ルクレツィアはまだ姿を見せていない。


大広間の上座に、アレクシスが立っていた。王太子の正装。金の髪が蝋燭の光に映えている。その傍らには宮廷騎士が控え、王家主催の場にふさわしい威厳を保っていた。


私は令嬢たちの輪に自然に近づき、帳の見える位置に立った。マルグリットの姿を探す。


いた。


大広間の右手、柱の傍に、公爵令嬢が静かに立っていた。装飾を抑えたドレス。背筋がまっすぐに伸びた佇まい。視線は帳のほうを向いているが、表情からは何も読み取れない。


約束通り、来てくれた。


弦楽の音が止んだ。


大広間が静まり返る中、帳の奥から、ルクレツィアが姿を現した。


純白のドレス。両手を胸の前で合わせ、伏し目がちに歩く姿は、聖画から抜け出たかのようだった。息を切らせるように唇を開き、老人の前に跪く。


「どうか、この身に宿る光が、あなたの苦しみを癒しますように」


囁くような祈りの声が、静まった大広間に響いた。


ルクレツィアの手が老人の額に触れる。目を閉じ、祈りに集中する姿。令嬢たちが息を呑む。


数分が経った。


老人の顔色が、僅かに変わった。苦痛に歪んでいた表情が和らぎ、目を開いた老人が「楽になった」と呟く。


大広間にどよめきが走った。令嬢たちが感嘆の声を上げ、アレクシスが聖女の傍に歩み寄る。


「見事だ、ルクレツィア。君の祈りは民の希望だ」


王太子の称賛。会場が拍手に包まれる。


今だ。


「恐れながら、一つ確認させてくださいませ」


私の声が、拍手の合間に滑り込んだ。


大広間の視線が、一斉にこちらに向いた。


私は帳の前まで進み出て、深く一礼した。王族の臨席する場での発言。礼を欠くわけにはいかない。


「聖女様のお力に、心より敬意を表します。一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


ルクレツィアの瞳が、私を捉えた。一瞬だけ、あの儚げな表情の下に、冷たい光が走った。


「もちろんですわ、ニーナ様」


微笑み。完璧な、無害の微笑み。


「先ほど治療をお受けになったこちらの方は、以前にも聖女様のお力をお受けになったことがおありでしょうか」


場が、凍った。


質問の意味を即座に理解できた者は少なかったかもしれない。だが、ルクレツィアは理解した。以前にも治療を受けた患者が再び治療対象になっているなら、前回の治癒が持続しなかったことになる。


ルクレツィアの唇が、僅かに強張った。


「わたしの祈りは、その時々のお苦しみを和らげるものですわ。一度の祈りですべてが癒えるとは……」


「ニーナ」


アレクシスの声が遮った。鋭く、硬い声だった。


「聖女の奇跡に疑いを挟むつもりか。この場で、この方の苦しみが和らいだことは、全員が目にしたはずだ」


王太子が一歩前に出た。その目に、怒りがあった。聖女を侮辱する者への、守護者としての怒り。


「殿下、失礼をお許しください。疑いではなく、確認です。聖女様のお力が真実であるならば、確認を恐れる理由はないはずです」


声が震えそうになった。王太子の怒りを正面から受けて、立っているだけで精一杯だった。


ドレスの内ポケットにある書き置きの紙が、かすかに肌に触れていた。


必ず戻る。


その言葉だけが、足を支えていた。


「もうよい。これ以上は聖女への侮辱と――」


大広間の扉が開いた。


ユリアンだった。


灰色の瞳が真っ直ぐに前を向いている。朴訥な剣士の仮面は、どこにもなかった。


その後ろに、下級騎士が二名。そして一人の教会関係者が、顔を青くして立っていた。


ユリアンの手には、小さな木箱が握られていた。


「失礼いたします、殿下」


低い声。だが、大広間の隅々まで届く声だった。伯爵家の嫡男として、王族に対する敬語を崩さない。


「隣室にて、聖女の奇跡の実演に使用される薬品の準備現場を確認いたしました。証人として、騎士団の騎士二名が同席しております。これが、その薬品の現物です」


ユリアンが木箱を開けた。中には小さな瓶が数本。鎮痛と解熱に効く薬草の精製品。


大広間が、完全に静まり返った。


私は革袋から書面を取り出した。


「こちらは、教会に納入された薬品の取引記録です。聖女の奇跡が行われた日付の直前に、同じ薬品が繰り返し納入されていることが確認できます」


もう一枚。


「そして、聖女の治療を受けたとされる患者のうち、実際には回復していない方々の証言です」


書面を掲げた手は、震えていなかった。


ルクレツィアの顔から、血の気が引いていた。儚げな微笑みが剥がれ落ち、その下にあったものが、一瞬だけ大広間の視線の中に晒された。


アレクシスが動揺していた。ルクレツィアのほうを見て、何かを言おうとして、言葉が出ない。証拠と証人が目の前にある。守りたくても、守るための言葉がなかった。


沈黙を破ったのは、マルグリットだった。


「公爵家として、この件の調査を王家に正式に要請いたします」


静かな声だった。感情を載せない、事実と道理に基づいた声。公爵令嬢の発言は、王族に次ぐ重みを持つ。


大広間のどよめきが、今度は聖女への称賛ではなかった。


不仲だったはずの二人が、完璧な連携で全てを詰ませた。社交界がそのことに気づくまで、数秒とかからなかった。


令嬢たちの視線が変わっていく。ルクレツィアに向いていた崇拝が、困惑に変わり、やがて冷たい距離に変わっていく。


聖女の支持基盤が、一夜で崩壊した。


アレクシスは立ち尽くしていた。ルクレツィアを庇おうとした手が、行き場を失って下がる。青い瞳に浮かんでいたのは、怒りではなかった。自分が信じたものの崩壊を、目の前で見せつけられた人間の顔だった。


これで終わった。


安堵が、胸の底から込み上げてきた。


そして、大広間の向こうで、ユリアンと目が合った。


灰色の瞳。仮面のない、剥き出しの目。


この人と並んで戦えたことが、一番嬉しい。


そう気づいてしまった瞬間、目の奥が熱くなった。


夜会が終わり、王宮を出た。


馬車の中で、私は一人だった。ユリアンは会場に残り、証拠品の管理と騎士団への引き渡しの事後処理を行っている。


伯爵邸の離れに戻った。


廊下を歩き、厨房の前を通る。


明かりはなかった。


窯は冷えている。バターの匂いもしない。


当たり前だ。ユリアンはまだ戻っていない。


空の厨房を、私は扉の前に立ったまま見つめていた。


油灯の小さな火だけが、離れの廊下を照らしている。


今夜、すべてが終わった。作戦は成功した。聖女の嘘は暴かれた。断罪イベントは消滅した。


なのに、この厨房に明かりがないことが、今この瞬間、何よりも寂しかった。

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