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「私たち、最初から味方同士でした」~偽りの不仲が、本物の溺愛に変わるまで  作者: 月雅


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第7話「公爵令嬢の天秤」

「お招きいただき、ありがとうございます。マルグリット様」


ゼルヴィッツ公爵邸の私室。社交界の茶会とは違い、招待客は私一人だった。


マルグリットは窓辺の椅子に腰を下ろし、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、こちらを見ていた。装飾を抑えたドレス。髪は整えられているが華美ではない。公爵令嬢としての格を、飾りではなく佇まいで示す人だった。


「かけてくださいまし、ニーナ様。お茶をお淹れいたしますわ」


丁寧語。だが、社交場の形式的な丁寧さとは違う。相手を観察するための、距離を測るための言葉遣い。


私は勧められた椅子に座り、持参した資料を膝の上に置いた。


茶会の席でマルグリットが孤児院の支援計画に関心を示してから、日を置かずに招待状が届いた。公爵令嬢からの私的な招待。社交界では、それだけで意味を持つ。


「先日の茶会で申し上げた孤児院支援について、具体的な成果をまとめてまいりました」


私は資料を卓の上に広げた。


支援開始からの物資搬入量。子どもたちの食事回数の改善。冬季用の毛布の配布状況。商会との取引記録。すべて数字で裏付けたものだ。


マルグリットは資料を一枚ずつ手に取り、丁寧に目を通した。頁をめくる指が一定の速度を保っている。読み飛ばしていない。


「確かな成果ですわね」


静かな声だった。評価でも称賛でもない。事実の確認。


「もう一つ、お目通しいただきたいものがございます」


二つ目の資料を差し出した。教会への薬品納入の公開記録。商会の取引一覧として入手したものの中から、公開情報に該当する部分だけを抜粋したものだ。


聖女を告発する文書ではない。あくまで「孤児院支援に関連する教会の物資調達の参考資料」として提示している。


マルグリットの目が、薬品の納入日と数量の列で止まった。


数秒。


それから、資料を卓に戻した。


「ニーナ様。この資料をわたくしに見せた意図を、お聞きしてもよろしいですか」


率直だった。公爵令嬢らしい、回り道のない問いかけ。


「判断の材料としてお渡ししたいと考えました。聖女様を告発してほしいなどとは申しません。ただ、事実を知っていただきたかった」


マルグリットの表情は変わらなかった。


「事実だけでは動けません。公爵家が動くということは、王太子殿下と教会の双方を敵に回す可能性がございます。その覚悟がわたくしにあるかどうか、今の段階では申し上げかねます」


予想していた答えだった。


マルグリットは感情ではなく事実と道理で動く。証拠が不十分な段階で公爵家の名前を賭けることは、彼女の行動原理に反する。


「承知しております。王家主催の夜会の場で、すべてが明らかになります。その時に、見ていてくださるだけで」


マルグリットの瞳が、僅かに揺れた。


「夜会には出席いたします」


それだけだった。約束ではない。保証でもない。公爵令嬢なりの「見届ける」という意思表示。


十分だ。


この人が夜会の場にいて、証拠を目にすれば、必ず道理に基づいた判断を下す。それを信じている。信じるだけの根拠を、この人の過去の行動から読み取っている。


公爵邸を辞した後、伯爵邸に戻る馬車の中で、ユリアンからの伝言を侍女から受け取った。


「孤児院への物資搬入に支障が出ています」


離れの居間に急いだ。ユリアンが卓の前に立っていた。


「教会関係者の名目で、搬入路に妨害が入っている。南区の孤児院に向かう荷馬車が、教会の管轄する通りで二度止められた」


ルクレツィアだ。


社交界での中傷に続いて、今度は孤児院支援そのものへの妨害。聖女の権威を使って、教会の管轄を盾に物資の流れを止めようとしている。


「搬入路を変えられるか」


「商会経由で別の通りを使う。南区の裏手から回る経路を、今日中に確保する」


ユリアンの声は淡々としていたが、動きは速かった。既に代替案を準備していたのだ。


「騎士団の訓練仲間に、南区の通行に詳しい者がいる。荷馬車の護衛も兼ねて、商会の搬入に同行させる手筈を整えた」


私が公爵邸でマルグリットと話している間に、ユリアンは裏で動いていた。


「……いつから準備していたの」


「お前が公爵邸に行く前からだ。ルクレツィアが孤児院を狙う可能性は想定していた」


言葉が少ない。でも、その少ない言葉の裏にある段取りの量を、私は知っている。


搬入路の調査。代替経路の確保。護衛の手配。商会への連絡。それを、私に一言も言わずに済ませていた。


「一人で抱え込むな」


ユリアンの声が、低く、強くなった。


「公爵令嬢の説得。王太子の面会対応。商会との交渉。孤児院の訪問。社交界の風評対策。全部お前がやっている。妨害まで一人で対処しようとするな」


胸の奥が、痛んだ。


前世の記憶が閃く。企画書を抱えて終電に乗る自分。誰にも頼れず、頼り方も知らず、体が止まるまで走り続けた自分。


「……分かってる」


声が小さくなった。分かっている。分かっているのに、体が先に動いてしまう。一人で片づけようとする癖は、前世の残滓だ。


でも今は、違う。


代替搬入路は確保された。商会からの荷馬車は、翌日には新しい経路で孤児院に到着する手筈になった。


ルクレツィアの妨害は裏目に出た。搬入が一時的に滞ったことで、孤児院の修道女たちが物資の重要性を改めて認識し、ニーナの支援への感謝がより明確な形で外に伝わり始めたのだ。妨害があったという事実そのものが、支援の実態をさらに可視化する結果になった。


その夜。


離れの居間で、私はユリアンに向き合っていた。


「……ありがとう」


初めて、素直にその言葉を口にした。


これまでも感謝はしていた。焼き菓子にも、スープにも、情報にも。でも言葉にすることを避けていた。感謝を言葉にすると、そこに感情が乗る。感情が乗ると、「契約上の共犯者」という枠から滲み出してしまう。


それが怖かった。


でも今は、孤児院の妨害を乗り越えたことで、怖さよりも大きなものが胸にあった。


一人で抱え込まなくていい。


その感覚に、初めて触れた気がした。


ユリアンは黙って頷いた。


何も言わなかった。でもその沈黙に、安堵が見えた。いつもの無表情とは違う、力の抜けた穏やかさが、灰色の瞳の奥にあった。


翌日。社交界に、ルクレツィアの新たな動きが伝わった。


「次の王家主催夜会で、聖女様が大規模な奇跡の実演を行う」


ユリアンが持ち帰った情報だった。


ゲームの断罪イベントの直前イベント。夜会の場で聖女が奇跡を披露し、王太子がそれを讃え、その勢いのまま断罪の場が作られる。


ゲームの知識が、ここでは正確に的中している。


ルクレツィアは攻めに出た。孤児院への妨害が裏目に出たことで、社交界での実績勝負では不利と判断したのだろう。奇跡という、彼女だけが持つ切り札で一気に局面を動かしにきた。


ここが最大の罠であり、最大の好機。


「証拠は揃っている。薬品納入記録。未回復患者の証言。教会の出入り記録。残るのは、奇跡の現場を押さえること」


ユリアンが頷いた。


「夜会の当日に、奇跡の演出を行う教会関係者を現場で押さえる。証人と証拠品を揃えて、会場に持ち込む」


「あなたが裏を押さえて、私が表で動く。いつも通りの役割分担ね」


「いつも通りだ」


ユリアンの声は、低く、静かだった。


だが、その静かさの中に、覚悟があった。


私たちの作戦は、夜会の夜に懸かっている。

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