第4話「企画書と薬草」
私は羊皮紙の束を抱えて、侯爵家の執務室の扉を叩いた。
ユリアンが騎士団の訓練仲間を通じて教会の出入り記録の一部を引き出してから、数日が経っていた。記録そのものは断片的だったが、特定の日付に特定の人物が教会の薬品庫に出入りしているパターンが浮かび上がっていた。
証拠を固めるには、教会の出納記録そのものに辿り着く必要がある。
そのためにはまず、孤児院支援を正式に始めなければならない。教会の下部組織と接点を持ち、内部の人間との信頼関係を築く。時間がかかる手順だが、これが最も確実な道だった。
問題は、侯爵家の資金を動かすには父の許可が要るということだ。
「入りなさい」
執務室の奥から、低く落ち着いた声が返ってきた。
父――アルトシュタット侯爵は、執務机の向こうで書簡に目を通していた。油灯の光が銀縁の眼鏡に反射している。私が書斎に入ると、ペンを置き、眼鏡の奥からこちらを見据えた。
「お時間をいただきありがとうございます、お父様」
「座りなさい。手短に聞こう」
私は椅子に腰を下ろし、抱えていた羊皮紙の束を机の上に広げた。
前世の営業プレゼンの要領だ。結論を先に。根拠を三つ。費用対効果を数字で。反論の想定と対処を最後に。
「王都南区の孤児院への継続的な支援事業を、侯爵家の慈善活動として正式に立ち上げたく存じます」
父の眉が僅かに動いた。
「王太子殿下との婚約を辞退した上に、慈善事業か。ニーナ、何を企んでいる」
直球だった。
この人は政治家だ。娘の行動の裏に意図があることを、当然のように前提としている。
「企てと申しますか、投資です」
私は一枚目の羊皮紙を示した。孤児院の現状をまとめた資料。子どもの人数、修道女の人数、現在の食料事情、冬季の物資不足。すべて、実際に孤児院を訪問して確認した数字だ。
「現在、王都の孤児院は教会の下部組織が運営していますが、資金は慢性的に不足しています。侯爵家が支援に入れば、まず社交界での評判回復に繋がります」
「婚約辞退の傷を慈善で埋めると?」
「それが一つ目の効果です。二つ目」
二枚目の羊皮紙。支援に必要な物資の一覧と、王都内の商会からの見積もり。
「孤児院への物資提供は商会との取引関係を作る入り口になります。侯爵家が商会と直接繋がる回路は、将来的に領地経営にも活かせます」
父が羊皮紙を手に取り、数字を目で追った。ペンを持つ指が止まっている。数字に嘘がないことを確認しているのだろう。
「三つ目」
三枚目。年間の支出見込みと、社交界での慈善事業の先例比較。
「侯爵家の慈善事業として公に認知されれば、他の貴族家からの協賛を募る道も開けます。初期投資は侯爵家の負担になりますが、軌道に乗れば持続可能な形に移行できます」
沈黙。
父は三枚の羊皮紙を並べ、交互に目を通した。
「よく調べたな」
「現場を見てまいりましたので」
「反論がある。聖女が教会の看板で慈善を行っている中で、侯爵家が同じ領域に手を出せば、教会との摩擦を生む可能性がある」
来た。想定済みの反論だ。
「聖女様の活動は奇跡による治癒であり、孤児院への物資支援とは領域が異なります。むしろ教会の下部組織を支援する形を取れば、教会に対しても協力的な姿勢を示すことになります」
父の目が細くなった。
「……お前、いつからそんな口が利けるようになった」
前世の営業プレゼンがまさか父親への説得に使えるとは。
内心で苦笑しながら、私は侯爵令嬢の顔を崩さなかった。
「お父様に育てていただいた成果です」
嘘ではない。この世界のニーナとしての教育と、前世の実務経験。両方があるから、この場に立てている。
父は羊皮紙を机に戻し、ペンを取った。
「許可する。ただし、四半期ごとに収支と成果を報告すること。侯爵家の名を使う以上、見苦しい結果は許さん」
「承知いたしました」
深く頭を下げた。
父がペンで書簡に何かを書き加える音が、静かな執務室に響いた。
最初の関門を突破した。
孤児院は、王都の南区にあった。
馬車で半時ほど。貴族居住区とは街並みが一変する。石畳は途切れ、道は土と砂利に変わる。街灯の油灯も間隔が広がり、昼間でも薄暗い路地が続いていた。
護衛騎士と侍女を伴い、孤児院の門をくぐる。
出迎えてくれたのは、年配の修道女だった。質素な衣に身を包み、深く腰を折って挨拶する。
「アルトシュタット侯爵家のニーナ様でいらっしゃいますね。ご連絡をいただいておりました」
「本日はお時間をいただきありがとうございます。先日お伝えした物資の件で、具体的なお話をさせていただければ」
孤児院の中を案内された。子どもたちは十数人。最年少は五つほど。部屋は清潔に保たれていたが、毛布は薄く、食器の数は人数分に足りていなかった。
修道女は淡々と現状を説明してくれた。声は穏やかだったが、言葉の端々に疲労が滲んでいた。
「助かります。本当に、助かります」
物資の提供について話がまとまった後、修道女がぽつりと漏らした言葉だった。
「侯爵家のご令嬢がこのような場所にお越しくださるとは思いもよりませんでした」
「困っている方がいるなら、足を運ぶのは当然のことです」
綺麗事に聞こえるかもしれない。でも、前世で学んだことがある。現場の人間の信頼は、足を運んだ回数で決まる。メールや電話ではなく、顔を見せること。それだけで、情報の質が変わる。
帰り際、修道女が小さな声で付け加えた。
「実は、聖女様のお力で治ったとされる方の中に、このあたりにお住まいの方が何人かいらっしゃいます」
足が止まった。
「その方たちは、実際にお元気になられましたか」
修道女は少し言葉を選ぶように間を置いて、首を横に振った。
「お一人は、また寝込んでおいでです。もうお一人は、良くなったとおっしゃっていましたが、最近またお加減が悪いと聞いております」
聖女の治療を受けたという患者の中に、実際には快復していない者がいる。
証言の端緒だ。
「お話しくださり、ありがとうございます。この件は、口外いたしません」
修道女は小さく頷いた。その目には、聖女の奇跡への素朴な疑問と、それを口にすることへの躊躇いが同居していた。
伯爵邸の離れに戻ったのは、日没間際だった。
居間の卓でユリアンが待っていた。手元に、別の羊皮紙を広げている。騎士団経由で入手した教会の出入り記録の追加分だ。
「成果は」
ユリアンが顔を上げた。
「父の許可が取れた。孤児院支援は正式に始動する。それと――」
私は向かいに座り、修道女から聞いた話を伝えた。
ユリアンの灰色の瞳が、僅かに鋭くなった。
「出入り記録と照合する。奇跡の直前に教会の薬品庫に出入りした人物と、治療対象の患者を結びつけられれば、パターンが確定する」
「出納記録そのものにはまだ手が届かない?」
「帳簿は教会の内部文書だ。だが、支出先が外部の商会であれば、商会側の取引記録から裏を取れる可能性がある」
商会。
孤児院への物資調達で、商会との取引関係を作る。その過程で、教会への納入記録にもアクセスできるかもしれない。
道が繋がり始めている。ユリアンの情報網が宮廷側から、私の活動が平民経済圏の側から、同じ標的に向かって迫っている。
「この共犯関係、思った以上にうまく噛み合うわね」
口に出してから、少しだけ照れた。前世の仕事仲間に言うような台詞だった。
ユリアンは何も言わなかった。ただ、羊皮紙に視線を落としたまま、唇の端がほんの僅かだけ動いた。
笑った、ように見えた。
見間違いかもしれない。
ゲームでは、この時期にアレクシスが聖女を公の場で称賛するイベントがある。そしてルクレツィアが社交界での足場固めを始める。
時間は、あまりない。
出納記録の調査を急がなければ。商会への接触を、明日から始める。
前世の営業プレゼンがまさか父親への説得に使えるとは、と改めて思う。過労死した甲斐があったとは言わないが、無駄にはなっていない。
それだけは確かだった。




