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第五章 嘘つきの真実

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第五章 嘘つきの真実

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 1


 慶吾が「動く」と言ってから三日間、何も起きなかった。


 その沈黙が、かえって不気味だった。

 アキラは普段通り学校に行き、普段通り帰り、城崎荘で普段通りシュノと夕食を食べた。でも全神経が外に向いている。虫が知らせている、というやつだ——何かが近づいている。


 御堂は三日間、常時結界の薄い膜を身にまとって過ごした。「念のため」と言っていたが、目が常に周囲を確認していた。そらは予知が来るたびに携帯にメモしていた。「今のところ大きいビジョンはない」と言っていたが、眠れていない顔だった。


 アキラは「普通に過ごしながら警戒する」という一見矛盾した状態を維持していた。

 その難しさを、これまで意識したことはなかった。警戒しながら「普通」でいることが、これほどエネルギーを使うとは。

 でも理由はわかった。「普通」でいたいと思うからだ。この部屋の、この日常を——崩したくない、という気持ちがある。

 崩したくないと思うということは、守りたいということだ。

 守りたいものができた、という事実を、アキラは静かに受け入れた。


    *


 三日目の朝、シュノが言った。


「アキラくん、私のことで怖い思いをさせてごめんなさい」


 突然だった。朝食の卵焼きを食べている最中に言われた。


「怖い思いはしていない」


「嘘ですか」


「……少し緊張はしている」


「それも私のせいで」


「お前のせいではない。慶吾のせいだ。それと管理局のせいだ」


「でも、私がいなければ起きなかった」


「それは正論だ。でも」


「でも?」


「俺はお前がいないことを望まない」


 シュノはしばらく沈黙してから言った。


「……赤くないですか、今の言葉」


「お前の嘘喰いで確認してみれば」


「してます。赤くないです」


「だろうな」


「……ありがとうございます」


「礼はいい」


「でも言いたいので」


「好きにしろ」


 シュノは卵焼きを一切れ食べてから、また言った。


「私が怖くないですか。人工能力者って聞いて」


「聞いた直後は驚いた。でも今は違う」


「どう違いますか」


「シュノが人工か自然かは、今のシュノに関係ない」


「でも、私はもともと管理局のために作られて」


「人は生まれた理由で決まらない。生きていることで決まる」


 シュノはその言葉を噛み締めるように少し黙ってから言った。


「……アキラくんは、そういうことも考えてるんですね」


「当たり前だ」


「普段言わないから、考えてるとわからなかった」


「考えていないより考えている方が普通だろう」


「そうかも。……でも、言ってくれてよかった。すごく」


「これ以上礼を言うな」


「言いません。……でも、思ってます」


 アキラは卵焼きの残りを食べた。

 シュノが作る卵焼きは、甘めの味付けだ。アキラは甘い卵焼きが嫌いではなかった。



 2


 四日目の昼休みに、慶吾が現れた。

 屋上に来た。今日はシュノもそらも御堂もいた。全員で昼ごはんを食べていたところだった。


 慶吾は少し驚いた顔をしてから、すぐに笑顔に戻った。


「全員揃っているんですね」


「待っていた」とアキラは言った。


「それは光栄ですね。——では、始めましょうか」


「始める、というのは?」とそらが聞く。


「最後の話し合いです。僕が持っている情報を全部出す。その代わり、みなさんにも答えを出してほしい」


「何の答えだ」とアキラ。


「シュノさんをどうするか。——それを、全員で決めてほしいんです」


 慶吾はシュノを見た。シュノは弁当のふたを閉めて、静かに慶吾を見ていた。


「こんにちは、シュノさん。久しぶりです」


「……覚えていません。でも、初めて会う人には思えない」


「支配域を使ったからですよ。あなたをここへ向かわせた人間です。気持ち悪いですよね」


「気持ち悪いより、知りたいことが多い、という気持ちの方が強いです」


 慶吾はもう一度笑った。今度は——少し苦みのある笑顔だった。


「では、話しましょう」



 3


 慶吾の話は、予想より長かった。


 管理局が能力者を「資源」として扱っていること。能力者の数が少なすぎて、国策として「生産」の研究が数十年続いてきた経緯。その中で生まれた「ミミック設計」計画。

 シュノの設計に慶吾が関わったのは、三年前のことだ。当時、慶吾は十四歳だった。

 管理局に所属する研究者の家庭に生まれ、幼少期から能力の使い方と管理局の論理を叩き込まれた。「能力者同士が争えば国が弱くなる。統制のための強力な手駒が必要だ」——その論理に、当時の慶吾は何の疑問も持たなかった。


「設計に「関わった」とはどういう意味だ」とアキラが聞いた。


「シュノさんの人格の基礎部分に、僕の記憶の一部が使われています」


 その一言で、場の空気が変わった。


「記憶を?」


「人格の核を設計するには「参照元」が必要だった。感情の型を。僕は自分の感情パターンを、設計者に提供した」


 シュノがゆっくりと慶吾を見た。


「……だから、覚えていない人に思えないのか」


「そうかもしれません」


「慶吾さんは、私の中にいるんですか」


「一部だけ。本体ではないですよ。それに——」


 慶吾はシュノをしっかり見て言った。


「今のシュノさんは、僕の設計を、大きく超えています」


「超えている?」


「こんなに感情的に豊かな人格になるとは、思っていなかった。設計上は「最低限の判断ができる処理系」として想定していた。でも実際のシュノさんは——好奇心があって、温かくて、人を思いやれる」


 御堂が静かに言った。


「それは、アキラたちとの生活で育まれたの」


「そうだと思います」


「シュノ自身の、成長ね」


「そうです」


 アキラは慶吾を見た。


「管理局は今、シュノをどう扱うつもりだ」


 慶吾は表情を少し引き締めた。


「「回収」の命令が来ています。シュノさんが十分な能力を蓄えた段階で、施設に戻す」


「それに従うのか」


「——従えない、と思い始めた」


 赤くない。

 慶吾の「従えない」は本音だ。


「なぜ」


「あなたたちを見ていたからです、この一ヶ月。シュノさんが人格を育てていく様子を。……設計者として、こんな結果は想定外で、でも」


「想定外の方が、いいと思った」とそらが言った。


「……そうです」


「それ、私も最初思いました。シュノさんを初めて見たとき、「変な人だな」って。でも話してみたら、全然変じゃなかった」


「そうですね」


「じゃあ、管理局に逆らってでも守るつもりがあるんですか?」とそらが続けた。


 慶吾は少し間を置いた。


「あります。ただし——それには、あなたたちの協力が必要です」


「どんな協力だ」とアキラ。


「管理局が動く前に、シュノさんを「管理局の管轄外」に置くこと。そうするには、シュノさんが「能力者として不完全」か「すでに人格的自立が確立している」という証明が必要です」


「後者を証明する方が現実的だな」


「はい。そのための書類と記録を、僕が準備しています。ただ——決定的な証拠が一つ足りない」


「何が」


「シュノさんが、自分の意志で持続的な判断ができることの実証」


 御堂が腕を組んだ。


「試験、ということ?」


「そういうことです。——具体的には、支配域を受けた状態で、自分の判断を持ち続けられるかどうか」


 全員が慶吾を見た。


「お前の能力を、シュノに使うのか」とアキラ。


「はい。「任務を遂行せよ」という命令を植え付けて、それでもシュノさんが「自分の選択をする」なら、人格的自立の証拠になる」


「シュノへの同意は取ったか」


「今ここで聞こうと思っていました。——シュノさん、どうしますか」


 シュノはしばらく自分の手を見ていた。包帯を巻いた右腕。だいぶ馴染んだその白が、今日も揺れていない。


「やります」


「本当に?」


「はい。……ただ、一つだけ確認させてください」


「なんでしょう」


「慶吾さんが私に植え付けようとしている「命令」というのは、どんな内容ですか」


 慶吾は少し間を置いた。


「「アキラを信用するな」という内容を使おうと思っています」


 場が静まり返った。


「……なるほど」とシュノは言った。「それで、私がどう行動するかを見る」


「そうです」


 シュノはアキラを見た。アキラはシュノを見た。


「アキラくん、私が変なことを言い出したら、普通に言い返してください」


「ああ」


「嘘はつかないで」


「もともとついたことはない」


「知ってます」


 シュノは慶吾に向き直った。


「準備ができています」



 4


 結果として、実験は三分も経たずに終わった。


 慶吾が支配域を発動した——アキラには見えた、空気が一瞬揺らいだのが。シュノが小さく瞬きをした。


 そしてシュノは言った。


「アキラくん、私に嘘をついてほしい」


 全員が固まった。

 アキラが「……なんだそれは」と言うと、シュノは続けた。


「今、「アキラを信用するな」という気持ちが来ました。だからこそ——アキラくんに嘘をついてもらえば、私がそれを感じるかどうか確認できます。嘘喰いを使って」


「つまり——慶吾の命令に従いながら、それを「検証の道具」に使ったのか」とアキラ。


「はい。命令に完全に反抗するよりも、命令の上から自分の目的を重ねる方が、人格的自立の証明になると思いました」


 御堂が微かに笑った。


「……賢いわね」


「慶吾さんのことも、少しコピーしたかもしれません」


 慶吾は数秒して、笑い出した。


「……完全に想定外でした。これは証拠として十分すぎる」


「書類で使えますか」とアキラが聞く。


「使えます。支配域を受けた記録は私が持っている。その状態でこの行動を取ったなら、管理局でも反論できない」


 そらが「やった!」と声を上げた。御堂が「はしゃぐな品がない」と言い、そらが「だって嬉しいし」と返した。


 シュノはアキラに顔を向けた。


「アキラくん」


「なんだ」


「嘘をついてください。なんでもいいので」


「……なんでだ」


「実験の結果を確かめたいです。私が本当に嘘喰いを使えているか」


 アキラは少し考えてから言った。


「俺はお前のことが嫌いだ」


 シュノはすぐに言った。


「赤い、と感じました」


「正解だ」


「よかった」


「よかった、じゃない。嘘の検証に俺の感情を使うな」


「感情があると白状しましたよ、今」


「うるさい」


 シュノは笑った。温度のある笑顔だった。今日はいつもより少し、深い光がある気がした。


    *


 慶吾が帰った後、四人で少し話した。


「慶吾って、ウチらに感謝した方がいいよね」とそらが言った。


「何に」とアキラ。


「シュノさんをちゃんとした人にしてくれた、って意味で。設計した人なのに、「想定外」とか言ってたじゃないですか。その「想定外の部分」が、私たちのせいで育ったんだから」


「そうかもしれない」


「慶吾さんは、今日どんな気持ちで来たんでしょうね」とシュノが言った。


「後悔と、安堵と、両方じゃないか」とアキラ。


「後悔は何を」


「シュノを設計に使ったこと。安堵は——想定外に育ったことを、喜んでいること」


「慶吾さんは、シュノさんのことが好きなんだと思う、ちょっと」とそらが言った。「家族みたいな、でも違う、なんか複雑な感じで」


「……そうかもしれません」とシュノは言った。「でも、私は今の「今」の自分が好きです。慶吾さんの設計より遠くに来た今の自分が」


「それが大事なことだ」と御堂が言った。


「御堂さんは、私のことをどう思ってますか」


 御堂は少し考えてから、珍しく真っすぐに答えた。


「信頼している。それは本当よ」


「ありがとうございます」


「お礼を言うことではないわ。——でも、受け取っておく」


 そらが「御堂さんも素直になれてきた」と言った。御堂がそらを睨んだ。アキラは何も言わなかった。

 シュノが静かに笑った。



 5


 屋上の話し合いが終わった後、全員が解散し、アキラとシュノが帰路についていた。

 秋の夕暮れが長い影を作っている。二人並んで歩いていると、シュノが言った。


「アキラくん」


「なんだ」


「私の記憶が、少しずつ戻ってきてる気がします」


 アキラは足を止めた。シュノも立ち止まって、正面を見ながら続けた。


「記憶、というか——断片みたいな。白い部屋のことと、誰かに話しかけられたことと。何かを告げられた感じがあって、でも内容がはっきりしなくて」


「無理に思い出そうとするな」


「でも、思い出した方がいいこともあるかもしれない」


「ある」


「……アキラくんは、私が何を思い出しても、いると言いましたよね」


「言った」


「今でも、そうですか」


「今でも、そうだ」


 赤くない。

 シュノが正面からアキラを見た。


「ありがとうございます。……嘘じゃないことが、わかるから、すごく心強いです」


「お前の嘘喰いが機能しているのか」


「それもあるけど、それ以上に、アキラくんの話し方でわかります」


「どんな話し方だ」


「ちゃんと私の方を見て、一回だけ言う。大事なことは、アキラくんはいつも一回しか言わない」


 アキラは何も言わなかった。

 シュノが少し笑って、また歩き始めた。アキラも歩いた。


 日が落ちていく方向に向かって、二人で歩いた。


 アキラはふと思った。

 「人を信じれば必ず裏切られる」という信念は、今も持っている。でも——その信念が「だから誰とも関わるな」に繋がっていた部分が、今はちぎれている。

 信じれば裏切られることもある。でも、信じなければ何も始まらない。

 シュノとの一ヶ月が、それを——経験として与えてくれた。


 その五秒後、アキラの携帯が鳴った。

 御堂からだった。


 ────────────────────

 「アキラくん。管理局の動きが今夜かもしれない。

  慶吾が確認した。早めに集まって。」

 ────────────────────


 アキラはシュノに画面を見せた。シュノは読んで、静かに頷いた。


「行きましょう」


「怖くないか」


「怖い」


「でも行くか」


「はい」


 赤くない。

 シュノは「怖い」と言って、それでも「行く」と言った。


 アキラは——今まで「信じるな」と言い聞かせてきた自分に向かって、初めて明確に反論した。

 こいつを信じることに、問題はない。


 問題があるとすれば——それはシュノの側ではなく、シュノを傷つけようとしている側にある。


 二人で走り出した。夕焼けが、周囲を赤く染めていた。今日は——その赤が、嘘の赤に見えなかった。



 6


 城崎荘に全員が集まった時、慶吾も来ていた。


「早かったですね」とアキラが言うと、「私が呼んだの」と御堂が言った。


「管理局が今夜動くとしたら、何をしてくる?」とアキラ。


「シュノさんへの直接接触の可能性が高い。——支配域を使う担当者が来るかもしれません。私以外にも使い手がいる」


「支配域で何を植え付ける?」


「「施設へ戻れ」という確信を。植え付けられたシュノさんが自分の意志で施設に向かうように見せる。「自主的に戻った」という記録を作る」


「証拠を残さない形で連れ去る、ということか」


「そういうことです」


 御堂が言った。


「対策は一つ。シュノに支配域が届かない状態を作ること。——私の結界を、今夜はシュノの周りに常時展開する。ただし」


「ただし?」


「維持には私が常時集中する必要がある。戦闘になったり他のことに意識を割くと、結界の密度が下がる」


「俺が御堂の周囲を守る」とアキラ。


「私はシュノの旁にいる」とそら。


「慶吾、お前は?」


 慶吾は少し間を置いた。


「……管理局の担当者と交渉します。私の名前は、まだ局内で効く。時間を稼ぐことはできる」


「裏切るつもりか、組織を」


「組織より、正しいと思うことを選ぶ、というだけです」


 赤くない。

 アキラは慶吾を見てから、頷いた。


「わかった。——シュノ、今夜は城崎荘から出るな。御堂の結界の中にいろ」


「はい」


「怖かったら声に出せ」


「……怖くても声に出します」


「それでいい」


 六畳のワンルームが、作戦室になった。

 夜が来た。


 五人が、それぞれの位置にいる。六畳の部屋にこれほどの密度が入ったことはなかった。

 アキラはドアの傍に立って、外の気配を確認していた。

 御堂が部屋の中心で集中している。シュノとそらが並んでいる。慶吾が廊下に出た。


「一つだけ確認する」とアキラはシュノに言った。


「はい」


「今夜、何があっても——俺はお前のそばにいる。それだけは確かだから、覚えておけ」


 シュノはアキラを見た。

 赤くない言葉だということが——シュノにもわかったはずだ。


「わかりました」とシュノは言った。「信じます」


 第五章 了



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