第三章 スメラギの指し手
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第三章 スメラギの指し手
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1
皇慶吾が現れたのは、よく晴れた昼休みのことだった。
アキラが屋上のフェンス際にもたれて弁当を食べていると、足音一つなく隣に人が来た。
見知らぬ顔——だが、一瞬で只者ではないと判断した。高校生の顔をしているが、余裕の質量が違う。笑顔を浮かべていて、その笑顔に計算がないように見える。でも、笑顔には赤が乗らない。
同い年か少し上か。制服は天誠学院のものだ。
「初めまして、九条くん」
名前を知っている。
「誰だ」
「皇慶吾。三年の」
「……知らない名前だ」
「そうでしょう。私は目立つのが好きではないので」
その言葉に、赤はない。
しかし、「目立たない」と言いながらこれほど存在感のある人間も珍しい。
「用件を言え」
「食事中に申し訳ないですね。でも坐って話すほどの時間もないかと思って。——シュノさんのことで、少し」
アキラは箸を止めた。表情は変えなかった。
「シュノを知ってるのか」
「ええ、まあ。少し」
「どのくらい少し」
「あなたより、少し。でも私より少ない人よりは、多いくらい」
煙に巻く言い方だ。でも嘘ではない。「あなたより少し」——これはアキラがシュノを知っている量より少ないということだ。それが真実なら、慶吾はシュノのことをある程度しか知らない。
「何を知っている」
「彼女の能力のことを、いくつか」
「模倣系ということか」
慶吾は少し目を細めた。
「御堂さんから聞きましたか?」
「関係ない。お前が知っていることと、俺が知っていることが同じかどうかは、今の段階では確認しない」
「賢明ですね。——では、一つ質問を」
「聞くだけなら」
「シュノさんが俺の部屋に来た理由、本人から聞きましたか?」
「記憶がないから行くべき場所がわからなかった、と本人は言っている」
「それは真実ですが、」
慶吾は少し間を置いた。
「全体の事実ではないかもしれない」
赤くない。
慶吾は「それは真実」と言った。嘘ではないとわかって言っている。「全体の事実ではないかもしれない」——これも赤くない。つまり、慶吾はシュノが知らない何かをシュノの件に関して知っている可能性が高い。
「全体の事実とは何だ」
「それを言えば、私の手の内が全部わかってしまう」
「だから言わないのか」
「交換条件があれば、考えます」
アキラは慶吾を真正面から見た。慶吾は笑顔で受け止めている。探られているのを楽しんでいるような目だ。
「手番を整理しよう」とアキラは言った。「お前は俺に何かを知らせることで、何かを手に入れようとしている」
「さすがですね」
「目的は何だ」
「シュノさんの様子を見ていてほしい。それだけです」
「観察を依頼する、ということか」
「頼むまでもなく、あなたはすでにしているでしょうが」
アキラは弁当のふたを閉めた。
「お前がシュノ件に関わっている理由は何だ」
「私は、彼女の経緯をいくらか知っている立場にある、というだけです」
「経緯とは」
「彼女がどこから来たか。どんな形で存在しているか。それを、あなたより少しだけ多く把握している」
「それを教えないのに、観察を依頼するのか」
「まだ教えられる段階ではないので」
「なぜ」
「教えた瞬間に、あなたはシュノさんを追い出すかもしれない。それは私が望む結果ではない」
アキラは少し考えた。
慶吾の言葉に、今のところ赤はない。でも、非常に上手く言葉を選んでいる。嘘をつかずに、真実の一部だけを言う——それが最も効果的な欺き方だということを、アキラは知っていた。
「お前の能力は何だ」
慶吾は少し笑みを深めた。
「見当がついていますか?」
「まだない。だから聞いている」
「……答えましょう。ただし今日だけは、半分だけ」
「半分?」
「名前だけ教えます。使い方は教えない」
「名前は?」
「Support Dominant——支配域、と私は呼んでいます」
支配、という言葉の響きが、静かに引っかかった。
「どう支配する」
「今日はここまでです。また来ます、九条くん」
慶吾は踵を返した。軽い足取りで扉に向かう。
「皇」
アキラが呼び止めると、慶吾は振り返った。
「俺はお前を信用していない」
「それは正しい判断ですよ」と慶吾は言った。その言葉にも、赤はなかった。
「でも、全員を疑い続けると、本当に大切なものを見逃しますよ。経験上」
そして今度こそ扉を開けて出ていった。
アキラは一人残された屋上で、弁当のふたをもう一度開けて、冷めたおかずを一口食べた。
味がしなかった。
「支配域」——意志を他者に植え付ける、のか? あるいは別の形の「支配」なのか。
そして——シュノの「経緯」を知っている。追い出すことになるかもしれない、と言った。
それは——シュノが「追い出されるべき理由のある存在」だということを、暗示している。
アキラは観察ノートに戻って、慶吾の項目を作った。
【皇慶吾(三年)】
・能力:支配域——詳細不明
・シュノの経緯を知っている
・俺の行動を目的に沿わせようとしている
・今のところ嘘はなし、ただし言葉選びが巧み
→ 最も警戒すべき人物
「また来る」と言った言葉にも、赤はなかった。
それが、何より不気味だった。
2
皇慶吾は翌日から、毎日のようにアキラの前に現れた。
昼休みに屋上で。放課後に校門前で。偶然のように装いながら、実は計算通りのタイミングで。アキラはそれを理解しながら、それでも毎回会話に応じた。なぜなら毎回、慶吾は少しずつ「真実の一部」を開示するからだ。
二日目:「シュノさんは、生まれ育ちという意味での家族を持たない」
三日目:「彼女の能力は、訓練によって発達したものではなく、最初から内蔵されていた」
四日目:「包帯の下にある文様は、能力の活動痕跡です。使いすぎると広がる」
全て——赤くない。
全て——アキラがすでに知っていることか、推測していたことを補強する内容だった。
新しい情報に見えて、新しくない。
「お前は上手いな」と五日目にアキラは言った。
「何が?」
「知っていることを少しずつ出すが、本質的なことは一つも言っていない」
慶吾は少し眉を上げた。
「気づいてましたか」
「一日目から」
「……なるほど。では今日は本質的なことを一つ」
「聴く」
「シュノさんの模倣能力は——使いすぎると消えます」
「消える?」
「コピーするたびに原本が薄れていく。本棚から本を取り出し続けると、本棚が空になるように。彼女が能力を使うたびに、元から持っていた何かが削られていく」
アキラは慶吾の顔を見た。赤くない。
「削られるのは、能力だけか」
慶吾はわずかに間を置いた。
「……それ以上のもの、かもしれません」
赤くない。
「かもしれない」という言い方は確かに断言ではないが、可能性として認識していることを示している。シュノの能力使用が、能力以外の何かを失わせる。
そらの予知——「崩れる」「人の形をやめる」という言葉が頭に蘇った。
「なぜそれを俺に教える」
「七日目に全部話しますよ」
「今日が五日目だ。あと二日、か」
「急く必要はないでしょう。シュノさんはまだ安定している」
「今のところは、な」
慶吾はアキラを観察するような目でしばらく見てから、ふっと笑った。
「あなたは、本当に面白い」
「褒め言葉として受け取る気はない」
「褒め言葉ですよ。私が今まで会ってきた中で、あなたほど——感情を完璧に見えないところに格納できる人を見たことがない」
「俺に感情はほとんどない」
「嘘ですね」
アキラは固まった。
「お前の能力は嘘を見るものか」
「違います。でも、今のあなたの言葉が嘘だということくらい、能力を使わなくてもわかりますよ」
赤い言葉は出ていない。でも慶吾は「嘘だ」と言った。
つまり——「俺に感情はほとんどない」は、アキラ自身が信じている言葉だから赤くならなかった。でも慶吾の目には、それが事実と乖離していると見えている。
「俺が感情を持っていると言いたいのか」
「シュノさんの話をするとき、あなたの呼吸が微妙に変わります。分析的な言葉を並べていても、声のトーンが他のどんな話題より均一になる」
「それが証拠になるのか」
「感情を隠そうとするとき、人はどこかに力が入ります。あなたの場合は、声を一定に保とうとする努力が出る」
アキラは返す言葉がなかった。反論しようとして、反論が——感情から来ていると気づいた。
「……余計なことを分析するな」
「はい、失礼しました」
慶吾は礼儀正しく頭を下げた。本当に申し訳なさそうに見えた。でも目は笑っていた。
アキラはこの日、観察ノートに書き足した。
【皇慶吾(追記)】
・俺の感情を読む精度が高い
・支配域の詳細はまだ不明だが、精神干渉系の可能性が高い
・七日目に何かを明かすと言った
→ 七日目を待つ。ただし準備をしてから聴く。
3
慶吾との対話が続く中、御堂とも一日おきに情報交換をしていた。
御堂は勉強のできる人間だった。「できる」というより、情報収集と整理が本業のような効率がある。アキラが一日で得る情報の倍くらいを、同じ時間で集めてくる。
管理局についての基礎知識も、御堂の方がアキラより豊富だった。
「管理局に何か繋がりがあるのか」と聞いたことがある。
「親が関わっているわ」と御堂は短く答えた。赤くない。「だから少し、内側のことを知っている」
「どんなことを」
「能力者の管理方法と、「資産化」の実態。詳細は言わないけれど」
「なぜ言わない」
「言っても腹が立つだけで、今すぐ役立つ情報ではないから」
「腹が立つ、か」
「ええ」
「お前は感情的に判断するタイプか」
「情報を感情でフィルタリングする、と言った方が正確ね。不要な感情は使わないけれど、感情は情報の一つよ」
その定義は分かりやすいと思った。アキラも、ある意味では似た処理をしている。
「御堂は、シュノのことをどう思っている」
「どう、というのは?」
「感情として」
御堂は少し間を置いた。
「……心配している。それは確かね」
「なぜ」
「あの子が傷ついても、誰かに怒れる相手がいない。自分が何者かを知らないから。怒る対象がいない悲しみ、というのは、他の悲しみより厄介よ」
「……そうだな」
「あなたも?」
「俺も心配している」
「そう」
「感情じゃなく、観察対象として」
「そういうことにしておきましょう」と御堂は言った。その言葉に赤はなかったが、どこかアキラが言い張るのを面白がっているような気配があった。
*
六日目の夜、シュノが聞いてきた。
「アキラくん、最近誰かと話してますよね」
城崎荘の部屋。アキラがソファで観察ノートを見直していると、ベッドの上でシュノが本を閉じた。
「なぜわかる」
「なんとなく。観察の成果かな」
「何を観察した」
「アキラくんが家に帰ってくるとき、いつもより少し疲れた顔して、でも少し考えてる顔もしてる。嫌な考えじゃなくて、なんというか——解こうとしてる顔」
アキラはシュノを見た。
「頭いいな」
「そうですか?」
「その観察は正確だ」
シュノは少し嬉しそうにしてから、また顔を引いた。
「私のことを話してる人ですか?」
「なぜそう思う」
「アキラくんがその人と話した後、私のことを特に注意深く見る。能力系の目じゃなくて、何かを確認してるみたいな目で」
アキラは返答に少し間を置いた。シュノには正直に言っていい程度のことは言う方針を、いつの間にか自分で決めていた。
「お前に関係のある情報を持っているやつがいる。少しずつ話している」
「私に見せてもらえませんか、その人」
「まだだ」
「なんで」
「その人物がお前に好意的かどうか判断できていない」
「私に害のある人ですか」
「わからない。だから今は俺が先に聴く」
シュノはしばらく考えてから言った。
「アキラくんは、私のことを守ろうとしてますか」
アキラはまた間を置いた。
「情報として守っている。感情的にではない」
「情報として?」
「お前が俺の観察対象だ。観察対象が危機的状況に陥る前に手を打つのは、合理的な行動だ」
「……なるほど」
「なんだ、その顔は」
「なんでもないです」
「不服そうだ」
「不服じゃないです。ただ、」
シュノは少し黙ってから言った。
「「情報として守る」って言葉が、すごく優しい言い訳に聞こえたので」
アキラは言葉が出てこなかった。
シュノは続けた。
「アキラくんはたぶん、優しいと認めるのが怖い人なんだと思います」
「心理分析をするな」
「していません。観察の成果です」
「同じだ」
「違います。観察は事実から始まるけど、分析は仮説から始まる」
「お前はどちらをした」
「観察だけ。……私が見たものに基づいてるだけです」
沈黙があった。アキラはソファの背に深く腰を沈めて、天井を見た。
「明日、その人物と最後の話をする」
「わかりました」
「結果次第でお前に伝えることが増えるかもしれない。心理的に準備しておけ」
「……嫌なことですか」
「可能性はある」
「アキラくんは、それを教えてくれますか」
「ああ」
「嫌いになりませんか、私のことを」
アキラは少しだけ間を置いた。
「何を聞いても、嫌いになる理由はない」
赤くない。
自分でも驚くほど、その言葉は迷いなく出てきた。
シュノは微かに笑った。表情が暗くなりかけていたのが、少し明るくなった。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
「でも言いたいので」
「……好きにしろ」
その夜、アキラは眠れなかった。
眠れなかった理由が「シュノのことが心配だから」なのか「明日の慶吾との会話の準備だから」なのか、しばらく考えてから——両方だと思った。
そしてそのことに、少しも抵抗を感じなかった自分が、また少しだけ怖かった。
アキラは深夜に観察ノートを開いて、新しいページに書いた。
【俺の能力についての考察】
俺は他者の嘘を見ることができる。しかしそれは「他者が俺に真実を話しているか」を保証しない。
嘘をついていないことと、真実を全て話していることは別だ。
そして——自分の感情については、この能力は全く役に立たない。
自分の感情が見えない、というのは、実は能力の最大の欠点かもしれない。
シュノのことを「感情的に」思っているかどうか、俺には確認する手段がない。
しかし今夜、「嫌いになる理由はない」と言った言葉が——俺の中で真実だった。
それで十分かどうかは、まだわからない。
ペンを置いて、アキラは目を閉じた。
外から雨の音が聞こえてきた。
4
七日目。
慶吾が現れたのは放課後の教室だった。他の生徒が全員出ていった後のがらんとした空間に、慶吾は一人で入ってきた。
「今日は、私の番ですね」
「言いたいことがあるなら全部言え。聴く」
「では——」
慶吾は椅子を引いて、アキラの机の前に座った。通常だったらありえない角度と距離だが、アキラはそれを指摘しなかった。
「シュノさんは、生まれた存在ではありません」
その言葉から始まった。
「作られた存在です。——能力を持つ者が、何年もかけて設計し、構築した、人工的な能力者」
アキラは何も言わなかった。表情も変えなかった。ただ、慶吾の言葉が赤いかどうかだけを確認した。
赤くない。
「人工能力者という概念は知っていますか」
「知らない」
「管理局が研究していた技術です。能力者が希少なのはご存知でしょう。自然発生だけでは、管理局のニーズに追いつかない。だから——設計することにした」
「シュノが、その産物か」
「そうです。模倣能力——ミミックは、管理局が最も欲しがった能力です。他の能力者から能力をコピーして、一人で複数の能力を扱える存在。兵器として最適だと、誰かが考えた」
「誰かが?」
「私です」
アキラは動かなかった。
慶吾は続ける。
「私が、シュノさんを設計する計画に関わりました。当時は、それが正しいことだと思っていた。能力者の保護と管理のために、強力な手駒が必要だと」
「計画に関わった、というのは、今は違うということか」
「今もその側にいます。ただ、方針が変わりつつある」
「お前の能力——支配域。それはシュノに使ったか」
慶吾は一瞬、目を細めた。
「鋭いですね。——はい。シュノさんを「あなたの元へ向かわせる」ように、方向性を植え付けました」
赤くない。
アキラは感情を押し込んで、分析を続けた。
「支配域は意志を操るのか」
「正確には、「信念」を植え付けます。「ここに行くべきだ」という確信を。本人は自分の意志で動いていると感じている。でも方向性は——私が指定した」
「つまり、シュノを俺の元に送り込んだのはお前だ」
「はい」
一秒の沈黙。
「目的は何だ」
「シュノさんを、完成させること」
「完成?」
「模倣能力者は、様々な能力を取り込むことで「成長」します。あなたの「嘘喰い」は、管理局が非常に欲しがっている能力です。シュノさんがあなたと生活して、能力をコピーすれば——」
「俺の嘘喰いを手に入れられる、ということか」
「そういう計画でした」
「でした、過去形か」
「今は——確信が持てなくなっています」
赤くない。慶吾の「確信が持てない」は真実だ。
「なぜ」
「シュノさんが、想定外の変化を見せているから」
「人格が育っている」
アキラが言うと、慶吾が驚いたような顔になった。
「……わかっていたんですか」
「推測していた」
「そうですか。——はい、そうです。人格が育てば、管理局への「道具」としての機能が変わる。シュノさんが本物の感情を持ち始めたなら、私の計画はすでに変質しています」
「でもお前は、まだシュノを「回収する」つもりか」
慶吾は少し間を置いた。
「……それが、今迷っているところです」
その言葉に、赤はなかった。本当に迷っている。
「正直に話した理由を教えろ」
「あなたに全部知った上で、判断してほしかったから。シュノさんの側にいるには、それが公平だと思った」
「公平さを気にするなら、最初から全部言え」
「段階を踏まないと信用されないことは、わかっていたので」
赤くない。
アキラは立ち上がった。
「皇慶吾、一つだけ言う」
「はい」
「シュノを管理局に渡すつもりなら、俺は全力で止める。能力を使ってでも」
「あなたの「嘘喰い」は防御能力がないでしょう」
「ならお前の能力とまともにぶつかっても俺は負ける。それでも止める」
慶吾は少し目を伏せた。
「……あなたは、感情的に動いていますよ」
「わかってる」
「自分で言いますか」
「言う。——それでも止める」
慶吾はゆっくり立ち上がり、椅子を元の位置に戻した。
「私もまだ、答えを出していません。七日間で出るかどうかもわからない」
「出るまで待たない」
「わかりました」
慶吾は扉に向かいながら言った。
「あなたは、シュノさんを——」
「関係のない話をするな」
「そうですね。——また来ます、九条くん」
「来い。次は俺も手を打ってから待つ」
扉が閉まった。
教室が静かになった。
アキラは窓の外を見た。夕暮れの空が赤かった。嘘の赤ではなく、ただの空の赤だ。
でも今日は少しだけ、その色が重く見えた。
「シュノを設計する計画に関わった」。
「俺の嘘喰いを手に入れるための道具として俺の元に送り込んだ」。
「その計画に今も関わっている」。
全部——赤くなかった。
全部真実だ。
アキラは学校を出て、すぐにスマホを取り出した。御堂にメッセージを送った。
────────────────────
「今日、慶吾の全部が出た。
シュノの件の全体像がわかった。
明日、四人で話したい。」
────────────────────
すぐに返信が来た。「わかった。城崎荘に行く」。
そらからも「私も行く!」と来た。
アキラは歩きながら、シュノの顔を思い浮かべた。
「なんで、してくれるんですか」という言葉。
「情報として守っている」と答えた。
今もその答えは変わっていない。
でも同時に——情報だけが理由でないことも、わかり始めていた。
5
家に帰ると、シュノが台所でカレーを作っていた。
「……カレーか」
「はい。お昼に買い物に行ったら特売だったんです」
そらも来ていた。カウンターに腰を乗せて、シュノと話しながらみかんを食べている。
「アキラくん、おかえり。なんか疲れた顔してる」
「そらは帰れ」
「えー。カレー食べてから帰ります」
「シュノが許可したのか」
「私一人分多く作りました」とシュノが言った。「もしかしたら来るかなと思って」
「もしかしたら、じゃなくて毎回来てるだろ」と、アキラも内心ではわかっていた。
アキラはバッグを置いて、洗面で手を洗ってから戻った。
テーブルに三人分の皿が並んでいた。
「御堂さんはどうしました?」とシュノが聞く。
「声をかけていない」
「呼べばよかったのに。四人でカレー」
「聞かれたくない話があった」
アキラの言い方に、シュノが少し食事の手を止めた。そらも空気を読んだのか、みかんをしまった。
「……話してくれますか」
「ある程度は」
「ある程度」
「全部話すと俺の考えが見える。まだそこまでは言えない」
「わかりました」
「俺が慶吾——皇慶吾という三年生と話していたことは言った」
「はい」
「あいつはお前のことを知っていた。能力のことも、お前の経緯のことも」
シュノは静かに聴いている。
「お前をここに寄越したのは、あいつかもしれない」
「……そう、ですか」
「怒るか?」
「怒る対象がわからないです。私の記憶がないから、何を感じるべきか」
「感じるべきことなんてない。ただ事実として受け取ればいい」
「……アキラくんは、私のことを追い出しますか」
間があった。
「しない」
「なんで」
「お前の話をまだ全部聞いていないから」
「全部聞いたら?」
「その時考える」
シュノはその答えをしばらく見つめてから、ゆっくりとカレーを食べ始めた。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
「言いたいので」
「……好きにしろ」
そらが「仲いいな〜」と小さく言った。
「うるさい」
「はい」
カレーの匂いが部屋に満ちていた。アキラは熱いカレーを一口食べながら、慶吾の言葉を反芻した。
「あなたは、感情的に動いていますよ」
そうかもしれない、とアキラは思った。
でも——感情的に動くことが、必ずしも間違いとは限らないかもしれない。
少なくとも今夜のカレーは、感情が欠如した空間では生まれなかった。
シュノが「食べてもらいたい」と思ったから作った。そらが「食べたい」と思ったから来た。
感情が、ここにある。
それを——排除する理由が、今は見つからなかった。
第三章 了




