エレノア・ターガーは悪女に殺された
お読みいただきありがとうございます。
満月の日ノベルシリーズ第一作です。
「お前のような者を国母にすることはできない……! 婚約破棄だ!!」
学園の卒業パーティーで。同じアカデミーの仲間たちの前で王太子は婚約破棄を高らかに宣言した。
「かしこまりました」
達成感に満ち溢れる王太子には見えなかった。
罪なき伯爵令嬢を虐め堂々といとこ同士で不貞も行うような女が、その時だけは理知的な色を瞳に湛えていることに。
それが、エレノア・ターガーを最後に見た日だった。
◇◇◇
エレノア・ターガーは、少し前に王太子との婚約を破棄され領地に引っ込んだ。世間からの侮蔑の視線から姿を隠すように。
そして一ヶ月後。病気で命を落としたという噂が社交界を駆け巡った。
「――エレノアが、死んだ?」
王太子はゆらりと首を傾けた。侍従は粛々と頭を垂れながら続ける。
「ご病気で命を落とされたそうです。もう葬式は終わっているのだとか」
身内だけで細々とした葬式だったのだろう。派手を好んだ女の末路に、知らず知らずの内に口元に笑みが浮かぶ。
上着の袖に腕を通せば、既に悪女は頭の片隅へと追いやられていた。
王太子は、これから愛しの女性に会いに行くのだ。
ミシュレット・アンダーソン。
伯爵令嬢で、エレノアから虐めを受けていた少女。透き通るような肌と美しいミルクティー色の髪を持ち、彼女を擁護する内に互いに愛が芽生えた。
ミシュレットは真実、素晴らしい女性だった。伯爵令嬢とは思えないほど作法には品があり、また彼女との会話も興味深く楽しい。まるで、古き思い出の人と話しているよう錯覚する。
国母として勿体ないくらいの人だった。だからか父と母もすぐに受け入れてくれた。
足取り軽く、王城に設けられたミシュレットの部屋に向かう。彼女には既に学が身に付いているが、王妃教育を本格的に受けるため過ごしているのだ。
部屋の前に立てば、微かに引き攣れる音が聞こえた。
「ミシュレット!?」
ノックもなしに開ければ、ミシュレットがバッと振り返り同時になにかを仕舞った。
「あ、ユフェ様……」
「どうしたんだい? こんなに泣き腫らして……」
頬を指でなぞる。
「ごめんなさい、少し昔のことを思い出していて……」
エレノアのことだと、瞬時に解った。無理もない、ミシュレットはそれは酷く虐められていたのだから。
教科書に水をかけられるなんて当たり前で。
二人きりにされることもあったらしい。
卒業パーティーの日も、ミシュレットのドレスを破き参加できないよう仕向けていた。結局は、王太子がもしものためにと用意していたドレスで事なきを得たが。
……いや、『もしものため』なんて言い訳だろう。実際は、ミシュレットにドレスを贈りたいと思い用意していたが結局渡すことができなかったものなのだから。
「暗い気分は身を壊す。さぁ、お茶でも飲もう。紅茶を用意させているんだ」
「ありがとうございます。ユフェ様の好きな紅茶ですね?」
「あぁ、あれを飲むと落ち着く」
彼女の表情は暗い。それに婚約者であるユフェに対しての態度が堅い。
エスコートして訪れた庭で椅子を引く。優雅な動作で腰掛けたミシュレットは貴婦人そのものだった。
「それにしても、君は動作の一つ一つが美しいな。他の令嬢と比べても頭一つ抜けている」
最初学園で見た時は、これほどではなかった。研鑽を積んだのだろうと推察する。
「……良き先生がいたのです」
「そうなのか? 誰だろうか、アレシア先生か、それともファーシル先生? 意外や意外、レドゥー先生?」
「ふふ、全員ハズレです。多分、ユフェ様はご存じないと思います」
こうも勿体ぶられると気になるのが人間の性で。問い詰めようとしたがミシュレットの方が早かった。
「ユフェ様は、もう一度会いたい方はおりますか?」
「会いたい方?」
「はい。もう会えなくて……それでも、会いたい方です」
春の暖かな風が流れる。生い茂る草が揺れる。
ミシュレットの言葉で、浮かぶ人物は一人だけだった。
「エレノアだな」
「エレノア様、ですか」
「不快にさせてすまない。君は酷く虐められていたというのに……」
ミシュレットは首をブンブン振った。
「いいえ、いいえ!」
あまりに必死なものだから、思わず吹き出してしまった。そのまま空を見る。
「エレノアと言っても、幼い頃のエレノアだ。ミシュレットを虐めていたエレノアのことではないよ」
王妃教育が辛いと泣き縋るエレノアに誓った。
『良い国にしよう』と。
お互いを鼓舞し合い、どんなに辛くても一緒にしがみついて来た。それは王太子という重責を持つユフェにとっての救いだった。
負けた方がもう一戦と強請ったチェスは、大事な時間だ。
「どこで道が違えてしまったのか、もう分からない。だからもう一度、あの頃のエレノアに会いたいよ」
いつもはツンと澄ました顔をしているくせに、たまに悪さをしては子どもらしく笑う彼女が好きだった。
ミシュレットの前では口が裂けても言えないが。
我に返ってミシュレットへの愛の言葉を尽くそうとしたが、目に飛び込んだ景色に萎んでいく。
「そうですか……とても素敵ですね」
ミシュレットは穏やかな微笑を浮かべていた。
「私は、ユフェ様をこれからも変わらず愛し続けますわ」
「急になんだ? 少し照れるな」
風が吹く。冬の冷たさを吹き飛ばしていく。
風を切るように、二羽の鳥が真っ青な空を横断した。
◇◇◇
ミシュレット・アンダーソンは、特に秀でたところはないが家族仲が良く幸せな生活を送っていた。
学園で、王太子の婚約者であるエレノア・ターガーに出会までは。
「ふん、貴女がミシュレット・アンダーソンね?」
「え、あわわ……」
高位の人物が仁王立ちし自分を見ている。普段直面することのない事態に足が震えれば、持っていた教科書からハラリと紙が抜け落ちた。
エレノアが拾う。
「小テスト……? って、二十点中三点!? え、こんなことある? えぇ……」
本気で動揺している。恥ずかしくて顔から火を噴きそうだ。
「か、返してくださいぃ……」
ミシュレットは要領が悪いのだ。というよりも、体を動かす方が得意だったりする。五十年前に魔王を討伐したとされる勇者に血肉湧き踊り、剣を取るくらいには。
そんな彼女は、学園に通っても浮いた存在だった。友達ゼロは伊達じゃない。
エレノアは未だ小テストをじっと見つめている。
「見れば見るほど芸術的ね……。けど、途中まで合ってるのもあるじゃない。良いわ、私が特別レッスンしてあげる!」
むんず、手を掴まれる。
そのまま歩き出す彼女につられてミシュレットも歩を進める。このまま止まったら超筋肉質なことが露呈するかもしれないからだ。
そっと、前を歩くエレノア・ターガーを窺った。
鼻歌を歌いながら黒髪を踊らせる彼女は、想像よりずっと陽気で幼かった。
「それにしても貴女の頭ってお花畑なのねぇ!」
ガーン! 衝撃が走る。
ミシュレットはもう一つ付け加えた。
思ったよりデリカシーもない。
◇
エレノアはデリカシーはないが教えるのは上手だった。
王族とその婚約者だけが入室を許可されている部屋で勉強に励む。
「貴女、計算の途中で面倒くさくなって暗算混ぜているでしょう? そこで数字がズレているのよ。ちゃんと諦めないでやりなさい」
「集中力が続かなくて……」
家族は皆穏やかなので、周りにこんな熱血漢はいなかった。少々ぶーたれながら計算を解く。
時折何気ない会話を投げられ、その度に律儀にミシュレットは返す。家族のこと、友人のこと、楽しそうに話せばエレノアも頬を緩ませていた。
放課後から既に二時間が経過し夕日が部屋を満たしたところで、エレノアは満足気に頷いた。
「うん、全部合っているわ。やればできるじゃない」
「一生分の頭を使った気がします……」
ぐったりと机に伏せていれば、エレノアが声を上げた。
「なにを言っているの! 明日からもやるわよ!」
「えぇ……!」
不敬罪とか全部取っ払って不満を漏らせば、エレノアは胸を張った。
「いい? 私が貴方を――ミシュレットを完璧な淑女にするのよ!」
その時は冗談かと思ったが、どうやら冗談ではなかったらしい。
次の日から鬼の扱きが始まった。
――同時に、エレノアによる虐めも始まった。
◇
「これ、教科書。えっと、今日は『詩集のすべて』で合ってるわよね」
「あ、どうも」
エレノアによって噴水に落とされた教科書が新しい姿となり帰ってきた。ミシュレットも慣れた手つきで貰う。
毎度毎度こうなのだ。エレノアはミシュレットを虐めるが、こうして二人きりの時に補填してくれる。だからミシュレットは全くもって傷ついてなかったりする。標準装備が脳筋だし。
けれど周りはそうは思わない。エレノアは学園では『悪女』と囁かれていた。
「……なぜ、こんなことをするんですか? 王太子殿下との仲も、ぎくしゃくされているようですし」
「こら、他のこと考えない。本が落ちるわよ」
真っ直ぐ立つ練習をするために本を載せながら歩く。
「良いのよ。私には只今最高に素敵な恋人がいるから」
「私それ知ってます。浮気ですよね」
「それくらいは知っているのね」
虐めの他に、いとこのジェーンという男と二人きりでよろしくやっているという噂も蔓延していた。
「……浮気をしたら、もう元通りにはならないことも知っていますよ」
「そう……」
ミシュレットにだってわかる。エレノアは婚約者である王太子を恋い慕っていることを。
エレノアはなにも答えなかった。代わりに、だいぶ様になってきたわね、ミシュレットを褒めた。
そんなミシュレットと王太子が出会うのは必然で。きっと悪女は知っていたのだと思う。
「大丈夫かい?」
ぐしょぐしょに濡れた教科書を指で摘んでいると、目の前に美しい男性が立っていた。金髪は輝きを帯びていて、立ち振る舞いは高貴な身分だと一瞬で周知させた。
慌てて立ち上がり、エレノアに教えられたように膝を折った。
「ごきげんよう、ミシュレット・アンダーソンと申します、殿下」
「そう硬くなくて良い。ここは学園なのだから」
王太子は床に広がるビシャビシャ教科書に眉を顰めた。
「噂には聞いていたがここまで酷いとは……。私が弁償しよう。今までのも含めて」
「あ、いえ殿下のお手を煩わせるほどではありませんので」
今日だって行けば貰えるのだろうし。
ふと王太子の肩越しになにかが見えた。
エレノアだった。
大きな紙を広げている。
『今日は教科書ないよ』
「…………」
にひと笑いエレノアは姿を消した。
「……やっぱり、この教科書だけは新しいのをいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ勿論だ!」
今回濡らされた教科書は一週間に一日しか使わない。きっと彼女は、全て見通していたのだろう。
こうしてミシュレットは王太子との接点ができ、段々距離が近づいていった。
エレノアが引き合わせてくるのだ。自らは悪女として振る舞いながら。
エレノアと王太子の心が離れていく。代わりにミシュレットとの仲は近づいていく。
その間もエレノアからこっそり授業を受け続ける。
歪な関係だけが続いていった。三年間も。
――卒業式まで間もないある日。いつも通り行けばエレノアが席に座っていた。一杯の紅茶を差し出される。
普段エレノアが振る舞ってくれるものだった。最初はクセが強かったがこうも飲み続けるとそこに美味しさを見出し始める。
「――もう全然飲んでも平気なようね」
それは初日に出され飲んだ瞬間吹いたのを言っているのだろう。
エレノアは席を立った。
「それ、殿下が好きな紅茶なの。一緒に飲んであげてね」
「……エレノア様?」
「ごめんなさいね、まだ沢山教えたいことはあったけど、王妃教育なんて何年も前にボイコットしてしまったの。だから、私が教えてあげられることはこれで全部」
ずっと不思議だった。
どうして自分に勉強を教えてくれるのか。学園での範疇外である――しかし王妃としては必要な多言語や作法について教えてくれるのか。
どうして王太子との仲を深めようとするのか。
どうして、悪女として振る舞うのか。
それらが合わさって、目を逸らし続けた事実を形作る。
「エレノア様、どこにも行かないですよね?」
「殿下をよろしくね」
それが答えだった。
ミシュレットは跪いた。忠誠を誓うポーズを取る。
「貴女の御心のままに」
「……それ、国王陛下とかの御前でするやつ。けど動きは完璧」
エレノアは笑った。子どもみたいな笑顔で。
「ありがとう、ミシュレット!」
そして、エレノアは亡くなった。
◇
ミシュレットは約束を果たす。
エレノアは悪女として世間から反感を買うことで、代わりに王太子と伯爵令嬢ミシュレットの恋への風当たりを柔らかくさせた。
こうしてミシュレットは人々に祝福され王太子の婚約者に収まった。
王妃教育は忙しかったが、エレノアが時間をかけて根気よく教えてくれたお陰でなんとか食らいつけている。
それでも心が折れそうな時は、エレノアが亡くなった後に届いた手紙を読む。
ありがとう、とただそれだけ。どうしてあのような真似をしたのかは終ぞ書かれなかった。彼女は墓場まで秘密を持って逃げおおせたのだ。
だからミシュレットも、王太子にはエレノアの真実を話さないつもりでいた。それが、彼女への最大限の敬意だと思ったからだ。
「ユフェ様は、もう一度会いたい方はおりますか?」
そう聞いたのは、彼が自分の教養を褒めてくれたからだ。
そして彼は、少しの逡巡の末に「エレノア」という名を口にした。
その時の驚きを、言葉にはできなかった。淑女は決して本音を見せないものだと教えられたから。
違うよ、彼女は多分何一つ変わってないよ。貴方の愛したエレノアのままだよ。
そう言いたくて、けど言えなくて。でも嬉しくて。
「私は、ユフェ様をこれからも変わらず愛し続けますわ」
「急になんだ? 少し照れるな」
エレノアがよく言った。ユフェは良き王太子だと。彼が治めるならば、きっと良き時代がこれからも続くと。
それなら自分もまた彼の忠臣として尽くそう。
恋した人のために。
◇◇◇
入学式の日。エレノアは目を覚ますと同時に叫んだ。
「私、魔王に体乗っ取られて世界を滅ぼす悪女じゃん!!」
右手が疼くポーズを取りながら、小説の読み過ぎで順応力の高い脳みそで整理する。
ここは勇者が魔王を倒してから五十年後の世界。
そしてエレノア・ターガーは、倒され力が弱まった魔王が勇者を死んだのを機に寄生され将来魔王となる悪女。
「……今日は、入学式」
小説でも記載されていた。エレノアに魔王が寄生したのは入学式の日の朝だと。
「もう手遅れじゃん!」
遅いって、目覚めるの! ツッコんでしまうが、そもそもこの人格が目覚めたのも魔王に寄生されて魂を抑え込まれた反動なのだろう。
元々のエレノアは王太子に恋し、少しだけ独占欲が強かった。だが淑女として醜い感情を出してはいけないという気持ちが大きく、その不安定な心が格好の餌食だった。
もう、駄目なのだろう。
「――なーんて」
こっちには勇者がいるのだ。学園の生徒の中に。
ミシュレット・アンダーソン。伯爵令嬢の彼女は勇者の力に覚醒し、魔王となったエレノアを倒し王太子とゴールインする。
彼女を味方につければなんとかなるかもしれない。
「よーし、魔王として殺されるなんて真っ平ごめんだもんね」
『そう上手くいくかしら』
呆れた声が聞こえる。不思議に思ったが、すぐにエレノアのものだと理解する。
「いくよ。だって、愛の力は無限大だから!」
意気揚々と、エレノアは朝の準備のため鈴を鳴らした。
◇
――だが、それから中々ミシュレットと接触できなかった。
「くぅっ、私が高位令嬢過ぎるが故に……! まず二人きりで会えないとは盲点だったわ」
『このまま諦めて魔王化しちゃいなさいよ』
「私が私を唆さないで!?」
一蓮托生だよ? そこ解ってる?
諦める訳にはいかない。エレノア、ひいては国の未来がかかってるのだから。
ミシュレットと出会えたのは、一ヶ月後のことだった。
その日珍しく、彼女は一人で歩いていたのだ。
「ふん、貴女がミシュレット・アンダーソンね?」
「え、あわわ……」
黒髪をぶわりと翻し、王太子の婚約者らしく挨拶する。
しかしミシュレットがうさぎのようにふるふる震えるものだから、なんとなく罪悪感が湧いてしまった。
第一印象で失敗しどうしようか悩んでいるとミシュレットが一枚の紙を落とした。
チャーンス。気さくな人柄を見せて好感度爆上がり。
拾った紙は小テストだった。
「小テスト……? って、二十点中三点!? え、こんなことある? えぇ……」
前世は多感なお年頃で、腐とか夢とかを流浪の旅してた時だってこんな点数取ったことない。
これでどうやってミシュレットは王妃になったのだろう。勇者になると学力も底上げされるのだろうか。
これでは勇者誕生の前に退学者が誕生してしまう。
「良いわ、私が特別レッスンしてあげる!」
『最初の趣旨とズレていない? 良いの?』
こうしてエレノアはミシュレットに勉強を教えることにした。
◇
それから部屋に引っ張り込み勉強を始めたが、ミシュレットに足りないのは集中力だけだったようで声をかけ続ければ唸りながらも頑張って解いている。
『見た目は儚げ美少女なのに、意外と脳筋っぽいのね』
完全に同意だった。やはり彼女は勇者らしい。
勉強を教えながら、むふと達成感に満ち溢れる。これで後は勇者としての力を覚醒させたら、なんやかんやして魔王を取り除けるかもしれない。
「うぅ、人が困っているのに楽しそうです……」
「うふふ、今日は良いことがあったから。貴女は今日良いことあった?」
「えー、そうですね」
手を止めてミシュレットは考える。
「あ、そうですね! 今日の朝ごはん、私の好きなオレンジが出てきたんですけど、家族が自分のを食べても良いよってくれたんです!」
『食い気に溢れているわね』
美味しかった、想いを馳せる彼女に家族関係を聞いてみれば楽しそうに答えられた。
「父と母と、妹と弟が一人ずつです。私がお姉ちゃんなので、皆を守ってるんですよ」
「そうなのね」
それからも他愛もない話をしながら勉強を続ける。
「うん、全部合っているわ。やればできるじゃない」
「一生分の頭を使った気がします……」
夕日が差す中、解き直された小テストに丸をつける。
机に伏せ開放感に浸るミシュレットを指差し明日も教えると言えば不満気な声が上がった。
だが意に返さず胸を張る。
「私が貴方を――ミシュレットを完璧な淑女にするのよ!」
そして、彼女は不満そうな表現を全く隠さず帰っていった。
『……淑女にするなんて、なに考えてるの? 魔王はどうしたのよ』
「諦めたわ!」
『――え』
小さくなっていく背を見送る。
「ほら、美しいまま死ねるとか本望だし。魔王ごと常世に連れて行ってあげるわ。魔王って毒とかで死ぬかしら?」
『死ぬんじゃないかしら? 死ぬ意思があれば』
当たり前のことを当たり前に言わないでほしい。
鞄を持って部屋から出る。辺りは既に暗くなり始めていた。
「やぁ、エレノア。君がこんな遅くまでいるなんて珍しいね」
「まぁ、ユフェ様」
愛しの婚約者に声をかけられ、高揚感で心臓が踊り出す。
「良ければ一緒に帰らないかい?」
「嬉しいですわ」
エスコートされながら歩く。こうして歩くのは、きっと今日が最後なのだろう。
馬車に乗れば彼が向かいに座った。
「学園に入学してからお互い忙しいな」
「そうですわね」
「またエレノアとチェスをしたいよ」
「一回始まると使用人たちに引き剥がされるまで終わらないやつですわね」
顔を見合わせ笑い合う。
王太子が小指を差し出した。
「今度チェスをしよう。なにも気にせず、心の赴くままに」
「……はい。あ、ユフェ様。紅茶は私が用意するので」
「え? 私はあの紅茶じゃないと駄目なのだが」
「うふふ。なんでもですわ」
不味い紅茶を嗜む味音痴の味覚を鍛えてやらねばと闘志に燃える。
自身の小指を絡ませた。
「必ず」
――屋敷の前で降ろされたエレノアは、止まらず去っていく馬車をいつまでも見つめ続けた。
「さようなら、殿下」
こうしてエレノアは悪女になった。
◇
「うぅ、エレノア様が入れてくださる紅茶美味しくないです……。もしかして味覚音痴」
気づきを得たという顔をするミシュレットにもう一冊問題集を追加する。
「本当に虐めるわよ?」
「ごめんなさい」
素早く謝り問題集を返還する彼女に呆れながら紅茶を飲む。不味い。
『私が悪女になってヘイトを集めミシュレットたちの仲を深めよう』作戦の下地は完璧と言えた。学園ではエレノアに対する侮蔑の言葉が飛び交っている。
最初はあまりにも作戦が上手くいき過ぎてやさぐれてしまった。結局ミシュレットみたいな儚げ美人の味方なのだ。
『まったく、貴女はなにがしたいのかしら?』
なにがしたい? そんなの決まってる。魔王を倒すのだ。
『貴女、話す言葉はちょっとアホみたいだけど、もう少し賢いと思ってたわ。目の前の少女の方がよっぽど利口ね、まぁそれで構わないけど』
それは、この間ミシュレットが珍しくシリアス顔していたことを言っているのだろう。
「……浮気をしたら、もう元通りにはならないことも知っていますよ」なんて真面目顔で言えるのは彼女が主人公である勇者だからだ。
王太子との仲は拗れ始めた。当たり前だ。そういう風に仕向けたのだから。
「――エレノア、なにか私に不満があるのなら教えて欲しい! なぜ同じ生徒を虐める。君はそんな人じゃないだろう!」
「それは殿下が私をちゃんと見ていなかっただけでしょう? 私はずっと変わっていませんわ」
追いかけてきた王太子に腕を掴まれそうになるが、第三者がそれを制す。
王太子が顔を歪めた。
「……ジェーン。お前こそ、どうしてそんな真似をしている」
「あら、彼を責めないであげて? 私がお願いしてそれに従ってるだけなのだから」
エレノアの恋人になったジェーンの頬に手を当てる。茶髪の彼はため息をついた。
「殿下も恋人の逢瀬を邪魔しないでいただきたいね」
「エレノアは私の婚約者だ!」
矢のような言葉に心惹かれながら、ジェーンの体に身を隠しその場から逃げた。
「良いのかい? あんなこと言って」
「なにが? 全て本心よ」
「俺に『恋人になれ』と脅しをかけたのも?」
「本心」
面白いことが好きなジェーンはこうして気前よくエレノアに付き合ってくれる。全てが終わった後彼が困らないように脅されていたという噂も流さないとと考えれば痛む胸も気にならなくなった。
王太子の心は確実にエレノアから離れている。毎日、王太子なのに不甲斐ないと泣いていることだろう。
そろそろ作戦を次の段階に進める時だ。
とある日。ミシュレットと王太子が出会うように仕向けた。
彼ならミシュレットを放っておかないと信じているから。
想像通り、二人は言葉を交わした。
曲がり角に身を潜めながら、ミシュレットに見せていた紙を握る。
「……やぁね」
涙が出るなんて。
◇
「いやぁ、全てが順調で困っちゃうわ!」
『私には貴女がなにをしたいのか皆目見当がつかないわ。もっと良い考えがあることを知っているのに。馬鹿馬鹿、ただの馬鹿』
あれから二年が経った。ジェーンの膝の上で王太子とミシュレットがデートをしたという内容を読んでいれば、ジェーンに頬を突かれる。
「楽しそうだな」
「えぇ、勿論!」
こんなに幸せなことはない。
二人がなにを話したのか根掘り葉掘り目を通していれば、ジェーンに手を取られた。
「なに?」
「エレノア。全てが終わったら、二人で遠くまで行かないか?」
「え、無理」
ジェーンががっくしと項垂れた。
「そうかよ」
「うん。ごめんね」
指先にキスが落とされる。
「あはは、くすぐったいなぁ」
「そうか」
口数が少ないジェーンは、しかしエレノアの良き兄だった。
彼が帰った後で、ベッドに伏せる。
「……はー」
最近体が重い。上手く息が吸えないし、食事をする気力も湧いてこない。
『もう魔王は根付いちゃったわよ。どうして、勇者の力を目覚めさせなかったの?』
呆れた物言いに、閉じかけた目を開ける。
「だって、あの子ったらとっても家族想いなんだもの」
勇者の力が目覚めるにはトリガーが必要だった。そしてミシュレットにとってのそれは家族の死だった。
魔王に殺され、怒りによって力は開花する。
言えるだろうか? 自分を救うためにお前の家族には死んでもらうだなんて。エレノアは悪女だがそこまでの畜生になれなかった。
「だから私が死ねば万事解決。全部オーケー」
『馬鹿ね』
罵る声は、いつもより震えていた。
「――私が決めたんだよ。皆守って万事解決って。だから泣かなくて良いんだよ、魔王」
『……っ、いつから!』
「結構最初から。私そこまで鈍くないし」
魔王は最近、エレノアを唆さなくなった。代わりに馬鹿とよく罵ってくる。
『馬鹿。貴女は十分鈍いわ』
ほら今だって。
カーテンを開ければ星の瞬きが目に飛び込んで来た。
『ずっと死にたくなかった。だから、皆に迷惑をかけ続けたわ』
「うん」
『けどもう、終わりなのね』
「そう、全てが終わり」
魔王は教えてくれた。勇者が現れる度に体を切り離して逃がして、勇者が死んだらまた暴れていたと。だからエレノアが毒を飲み死ねば一緒に魔王も消えると。
「星が綺麗だね」
『そうね』
瞳には、満天の星が映る。どこまでも広がっていく空を、彼らもきっと見上げているのだろう。
『こうして誰かと星を見るのは初めてよ』
迫害され続けた。村八分にされ痛い目に遭わされた。だから憎み、姿を変え復讐を誓った。
けど、本当は――
『誰にも追い払われたくないだけだったのかな』
エレノアは笑顔で「知らない!」と言った。
そして半年後。エレノアは断罪され領地に引きこもることになった。
領地に向かう馬車に最低限の荷物を載せたエレノアは父に深々と礼をする。
「ご迷惑をおかけしたので二度と社交界には戻りません。さようならお父様」
「あぁそうしてくれ。それがお前にできる唯一だ」
エレノアが王妃教育をボイコットしたあたりで事態に気づいたエレノアの父は忌々しげに腕を組んでいる。
「ふん」
「ではさようなら」
このまま去ろうとしたが、会うのはこれで最後なのだと思い出す。
気弱でオロオロしている母と父譲りの顰め面の兄。妹二人がこちらを見つめている。
「バイバイ」
妹二人を抱き締め、ちゅ、ちゅ、と頬にキスを贈った。
「どこに行っても、貴女は私たちの娘よ」
「ありがとうお母様」
次に母に。
残りには遠慮していれば、兄が腕を伸ばしてくれた。力強く抱き締められる。
「……殿下が嫌なら相談してくれればどうにかしたのに……」
「物騒ですわ」
兄の頬にもちゅっとした。
腕から体を離す。父と目が合った。母と妹たちに軽く肘打ちされている。兄もお得意の眼力を遺憾無く父に発揮している。
ため息をついて。父が根負けしたのかエレノアを抱きしめた。
「二度と帰ってくるな」
「勿論ですわ」
ちゅ、と音がして。鼻水を啜る音も混じった。
◇
それから病死にするために一ヶ月後にエレノアは毒を飲むことにした。
『ごめんなさい、エレノア』
「謝らなくて良いのに、魔王は意外と律儀だね」
体が乗っ取られていく気分は、思っていたより苦しい。
エレノアは震える手でベッドの隣に置かれたテーブルを弄り、小さな小瓶を手に取った。
飲めばすぐ死ねる毒だった。
「ねぇ、生きることに拘らなくてもね。魂は生まれ変わるんだよ」
こうしてエレノアになったように。
「だから大丈夫。次の人生もとっても素敵だから」
蓋が開く。
飲めば、エレノアの手から小瓶が離れ転がり、ベッドの下のカーペットに辿り着いた。
王太子はエレノアが死んだ理由を知らない。王太子はエレノアに同情しない。
これで良かった。
だって、好きな人にはずっと前を向いていて欲しいから。
「あー、やり切った!」
◇◇◇
ジェーンはエレノアが好きだった。恋愛的な意味で。
だから恋人になってくれと言われた時、夢を見ているのかと思った。
「え、本当に俺と?」
「うん、今日からよろしくね」
いつもと変わらない彼女はきっと好意を寄せられているとは知らないのだろう。
恨めしく思いながらも、喉から手が出るほどのお願いを断ることはできなかった。
日々は穏やかだった。そこに恋人同士のような甘さはなく、エレノアが王太子と婚約するまでの子供時代をトレースしたようだった。
だから考えた。彼女は疲れ切ってしまったのかと。だから全てを投げ出したいと悪女として振る舞っているのだろうか。
「エレノア。全てが終わったら、二人で遠くまで行かないか?」
「え、無理」
にべもなく断られ撃沈する。
遠くに行く気もないなら、どうしたかったのだろう。
ミシュレットの卒業パーティー用のドレスをせっせとエレノアは引き千切っている。
「まったく、殿下ってばドレスを贈る勇気がないなんて意気地なし。私が使わないからと贈ったドレスをアレンジしてしまったじゃない。こんなの駄目よ!」
「最後まで君はお節介だな」
「虐めてるだけよ」
破り終わり達成感に満ち溢れるエレノアがジェーンの頬に手を添えた。
「それで、貴方との恋人ごっこも今日で終わり。迷惑をかけたわね」
「迷惑なんて思わなかったよ。楽しかった」
「あらそう?」
幼い頃と変わらない笑顔を、結局なにも教えてくれなかったエレノアは浮かべた。
「さよなら、ジェーンお兄ちゃん!」
「さようなら、達者でな」
同い年だけど兄と慕ってくれる妹に。好きだと言えたなら結末は変わったのだろうか。
◇
卒業した後、王太子に呼び止められた。
「君はエレノアに脅されて恋人になっていたと聞いている。君を裁く気はない」
「随分と甘いんだな」
多分彼は信じたいだけなのかもしれない。エレノアが本当は浮気なんてしていないと。
なんだそれは。真実だからこそ、悔しいではないか。
欲しい言葉などなにも教えてやらない。
「いや、脅された訳じゃないさ。だから俺は国を出るよ」
背を翻し歩き続ける。
呼び止められることはなかった。
◇◇◇
エレノアが死んでから一年が経った。
王太子はエレノアの墓にお忍びで来ていた。彼女の墓には誰も花など供えていないだろうと見通して。
これがせめてもの情けだった。
墓の場所は事前に調べておいた。丘の上にポツンとあるのだろう。
花束を腕に抱きながら丘を登る。
汗をかきながら登り終えれば、そこには一面の白詰草があった。
中心に墓が置かれている。わざわざこの場所を選んだように。
近づけば、墓には花束が二つ供えられていた。
思わず笑ってしまう。
「なんだ、先客がいたのか」
澄み切った青空の下、花束を手向け手を合わせた。
もう戻らない日を懐かしむ。
「もう一度、君とチェスがしたかったよ」
嘘つきだと罵った。けど自分だけは真実、誠実でいようとも思った。
「良き王として国を治めるよ」
丘を下る。お忍びで来た者に猶予は少ない。
彼はなにも知らない。エレノア・ターガーはなぜ悪女として振る舞ったのか。なぜ自分を遠ざけたのか。なぜ死んだのか。
彼の前には、ただ同情の余地もない悪女がいるだけだった。
最後に小さな声で呟く。花畑で遊ぶことが好きだった少女の下に、今も花があることに満ち足りた気持ちになる。
「――良かった」
二羽の鳥が囀った。
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また次の満月(4/2)にお会いしましょう。




