6話
展示会を終えて通常業務が戻り、落ち着いた毎日を過ごすのどかだったが、心は冷静ではいられなかった。
リストから告白を受けて、正直なところは舞い上がるほど嬉しかった。彼のことを考えるつもりがなくても、暇があるとあの日の告白を脳内で再生し続けてしまうほど。けれども同時にのどかの中には、藤堂主任の姿も同時に思い浮かんでは、我に返る。その繰り返し。リストの想いへの返事を考える度に現れる彼の姿は、消そうと思っても消せなくて。嫌が応にも、彼のことが好きなのだと自覚してしまうのどか。
ならば藤堂主任への想いを優先してリストに断りの返事をしよう……そう考えると、それはそれで何故か哀しくなってしまう。
ゲーム内で仮の姿であるとはいえ、一人の男性から好意を向けられた。嬉しくないはずがない。
謙虚になるべきだと理性は叫ぶのに、感情が暴走する。
リストと藤堂を天秤にかけているだなんて……。
「これじゃ、絵に描いたような悪女みたいじゃないのよ~、どうしたらいいのっ??」
頭を抱えるのどかに、ひとつの影がかかる。
「悪女だなんてただ事じゃないわね、大丈夫?」
顔を上げるとそこに居たのは休憩所を管理している三田だった。
しかし周囲を見回せば、のどかに視線を向けているのは三田だけではない。突如変なことを口走ったのどかの様子を、怪訝な表情で窺う同僚たち。
のどかが残っていたお茶を飲み干して席を立とうとすると……。
「最近、元気がないようだったけれど、何か悩みを抱えているんじゃないかって心配していたのよ?」
「三田さん……だ、大丈夫です、ははは……昨日見たドラマを思い出して、つい」
心配をかけてしまっていたことにのどかが恐縮していると、三田はそんなのどかに微笑みながら席に置いたままだったポーチを拾って手渡してくれた。
「あっ、忘れるところでした」
「私ね、素直なのどかさんが好きよ。無理して元気なふりをせず、抱えきれなくなったら相談するのよ?」
「……はい、ありがとうございます」
のどかは今度こそ否定せず、三田にはにかみながら笑顔を返す。
会社で休憩時間にしか顔を合わせない関係だけれど、三田の包容力はのどかに不思議な安心感を与えてくれる。
「でも余計な心配だったわね、あなたには有能で信頼できる上司がいるもの、彼に相談するといいわ」
ほんわりした安心感から、サキの双剣のごとき切れ味に変わる三田。
このタイミングでの上司という言葉の刃に、のどかのHPはいきなり危険水準だ。心臓が跳ねて叫びそうになったのをかろうじて耐えるも、追撃が襲う。
「私がのどかさんの立場なら、好きになっちゃいそう……って、のどかさん?!」
動揺したせいで、椅子に足を取られて転びそうになった。
決して三田が悪いのではなく、動揺するのはのどかの事情だ。ただ思いやりから言ったのだからと、咄嗟に支えてくれている三田へ強ばった笑顔を向ける。
「だ、だいじょうぶ、です……ははは……じゃあ私、仕事に戻らないと」
そう続けて、のどかはふらつきながら食堂を後にする。そんなのどかを見送っていた三田はというと……。
「あら……あらあらあら、あんなに真っ赤になって。もしかして……?」
目を輝かせていた三田の言葉は、この時のどかに届くことはなかった。
だが向かった仕事場で、のどかは三度目の斬戟を受ける羽目になった。
それはパーテーションで区切られた、仕事場の小さな休憩スペースに近づいた時だった。
談笑の声が漏れ聞こえるのはよくあることだ。しかも男所帯の営業課、たまに耳を塞いだ方がいい話題が漏れてくることすらある。だからいつもは聞いているようで聞かないようにしていた談笑。
けれどもそこにのどかの名前が出てくるとなったら、反射的に言葉を拾ってしまうのはどうしようもない。
「のどかちゃん、雛みたいで可愛いよな」
「やめろ……セクハラとしてカウントさせるぞ」
ドキリとして足を止めたのは自分の名前が入っていただけではなく、続いた声が藤堂のものだったからだ。
「お前だって、上司の領分を越えそうなくらい可愛がっているじゃないか、藤堂」
「越えてない」
藤堂の否定の言葉は、ふざける同僚に比べて淡々としてどこか冷たかった。
からかう声は、藤堂の同期でもある営業の同僚。以前、のどかが選んだ教材セットの売り上げが伸びた時に、デザイナーとの話を聞かせてくれた人物だ。
「藤堂のことを怖がらない女性って貴重だろうに、もったいない」
「そういう目で彼女を見ていない」
ぴしゃりと言う藤堂は、上司の鏡だ。
のどかはそう思いながらも、止めた足を動かすことができなかった。
「そうなの? もしかしてお前、彼女できたとか?」
「お前にそれを答える義務はないだろ」
「あ、その反応! できたのか、嘘、同類だと思ってた藤堂に負けた?」
同僚が盛り上がる声に、藤堂がため息をつく。
「うるさい、大声を出すな。まだそんなんじゃない」
「まだ? まだって何?」
しまったとういうような間が流れると同時に、のどかの呼吸も止まる。
「そういう……真剣に好意を寄せる相手がいる。それだけだ」
真剣だということは、表情を窺えないのどかにも分かる声だ。
パーテーションも向こうで同僚も同じように感じたのか、ふざける言葉が続くことはなかった。
のどかは踵を返す。
逃げるようにして化粧室へ向かい、個室の中で息を整える。ぎゅっとポーチを抱きしめて俯くも、いつまで経っても整わなかった。
握りすぎて白くなったのどかの指の上に、ぽたぽたと落ちる涙。いつしか声を殺した嗚咽が続く。
藤堂には、心に決めた相手がいた。
その事実が、のんきに二人を天秤にかけていたのどかを嘲笑う。
自分の想いと相手が違うなんてことは当たり前なのに、のどかはリストに告白されて、浮かれていたのだ。
そしてのどかは傷を負ってようやく、リストではなく藤堂を想っていたのだと自覚する。それも、希望を絶たれた後に。
「は、ははは……本当に私って、どんくさいなぁ」
涙を袖で拭ってから、腕時計の針を見る。
休憩時間は残酷にもあと五分。この短い時間で、このどうしようもない恋心を涙とともに流せたらいいのに。のどかはそう願わずにはおれなかった。
♢♢♢
昼食を終えた藤堂は、早々に営業フロアへ戻って来ていた。
関西での初めての展示会を終えて、一息ついた業務は通常量に落ち着きつつある。その日は天気もよく、日当たりのよい休憩スペースへと藤堂は向かった。
パーテーションを越えた先には、同期の男がいた。ネクタイを緩めて、棒付きの飴を咥えて椅子にくつろいでいる。
「禁煙しているんだって?」
「そ、営業先の子が哀れんでコレくれた」
口の中で飴を転がしているのだろう、口先から出る白い棒がくるくると回る。
「藤堂も欲しい?」
「結構だ」
藤堂は淡々と返事をして隣に座り、持参した珈琲に口をつける。
「じゃあ部下の子にあげてよ……のどかちゃん、雛みたいで可愛いよな」
同僚が手に持っていた飴を、藤堂の胸ポケットに突っ込む。
「セクハラとしてカウントさせるぞ」
「お堅いねえ、可愛い部下は全身全霊で護るって?」
「常識の話をしている」
「お前だって、上司の領分を越えそうなくらい可愛がっているじゃないか、藤堂」
「越えてない」
藤堂は同僚をたしなめるように睨みつける。
もっとも、内心は動揺していたというのが、正しいのだが……。
「藤堂のことを怖がらない女性って貴重だろうに、もったいない」
「そういう目で彼女を見ていない」
それはここのところ、藤堂自身も心の中で呪文のように唱え続けている言葉でもある。
だから図星を突かれたような気がして、藤堂は悟られないようぴしゃりと否定したのだ。
藤堂は関西出張以前から、山崎のどかの一挙手一投足が気になり、彼女から目が離せない自分を自覚していた。だがそんな浮ついた己を律し、育ちそうな芽を絶つことに決めている。彼女に軽蔑されるくらいならば、ただ尊敬される上司でありたい。
だから藤堂は、のどかではない女性、サキに心を向けようと決めたのだ。
「……真剣に好意を寄せる相手がいる」
それが、藤堂の中のけじめだった。
真剣な気持ちが伝わったのか、珍しく同僚が素の表情を見せてから、小さく肩をすくめた。
「……まあ、よく考えてみたら社内恋愛はリスクが大きいからなあ」
二人は互いに頷き合う。
営業課では、社内恋愛はある意味タブー扱いだ。理由は顧客情報などの取り扱いという面もあるが、商売相手が学校ということもある。案外子供は、大人の態度に敏感なのだ。以前、恋人関係にあった営業が、プライベートな会話をしていたところを子供に聞かれたらしい。それを学校側から指摘されて、必要事項以外の私語を禁じるようになった。以降、トラブルを回避するために社内恋愛は禁止ではないが、営業課同士では忌避感がある。
「まだまだ教えたいこともあるし、お前こそ山崎にあまりちょっかいかけるなよ」
藤堂の指摘に、同僚は首を横に振る。
「ないない、俺が激重アイドルオタクなの知っているだろ?」
「まだ飽きてなかったのか」
「おい、どういう意味だよ、俺は永遠を誓ってんだよ」
真剣な同僚に、藤堂は笑い声を上げる。
それから昼の休憩時間が終わるまで、藤堂は同僚の重すぎる推し愛を聞かされるはめになるのだった。
藤堂はその日、その同僚からの依頼で少々面倒事に巻き込まれる。よくある行き違いで商品不足を起こしたとのことで、都内の倉庫を手分けして回るはめになった。
そのせいか部下ののどかと顔を合わせることなく就業時間を迎えた。
メールで業務を終了した報告をして、帰宅。
久しぶりに駆けずり回ったせいか、足が重い。藤堂はそれでも以前、長くログインしないでいたことでサキを不安にさせたことを思い出して、メッセージボックスを確認する。
『リストさん、サキですこんばんは。今日はログインできないので、メッセージですみません。来週のオフ会、お会いできるのを楽しみにしています。その時に、大切なお話があります、お時間を少しいただけますか?』
藤堂はその文面を見て、彼女の告げる大切な話というのが、先日の告白の返事だと悟る。
藤堂はじっとしておれず立ち上がり、部屋の中を意味も無くいったり来たりするのだった。
執筆者・小津カヲル様でした。




