4話
「あー、順位が下がってるだろうなぁ……」
ランチを済ませたのどかは、会社の食堂でお茶のカップを手に呟いた。
西日本での展示会出展準備を藤堂と二人ですることになり、最初は公私共に充実した日々を送っていた山崎のどかだったが、次第に疲労が溜まってきて、夜のゲームタイムを確保することが難しくなっていた。
体調管理も仕事のうち。そう考えて、泣く泣くMHOにログインすることを我慢していたのだが、その結果は如実にランカーランキングに出る。
「リストさん、心配してるかな……」
イベントに誘われたのち、なかなかログインする時間が取れず、リストの工房に顔を出せていないのだ。
「ランキングも絶対下がってるし、工房に行けていないから、リストさんが私を誘ったことを後悔していたらどうしよう。今日の夜ちょっとだけインして会ってこようかな。私も楽しみにしていますって伝えてこようかな。そもそもデートってことでいいんだよね。用心棒のつもりはないって言ってたし」
青くなったり、暗くなったり、赤くなったりと百面相をする挙動不審なのどかに、食堂に居合わせていた社員は、そっと目を逸らした。
翌日の昼、食堂では前日と同じ席でのどかが暗い表情で座っていた。
昨夜、ちょっとだけのつもりでMHOにログインしたがリストの工房は閉まっていて会えず、鬱憤晴らしでモンスターを狩りまくってしまった。おかげでランキングは戻ったのだが、工房を訪れればいつもいると思っていたリストに会えないことが、こんなにもダメージを受けるとは思ってはいなかった。
「リストさんもたまたま忙しかったんだよね。私が嫌われてるわけじゃないよね。少しは戦えるって言っていたから、素材採取に行ってた可能性もあるよね。よし! 昼からも仕事がんばろう! 展示会が終わったらデート! すべて元通りになるはず!」
むん! と気合いを入れたのどかの横にミルクティーの入ったカップが置かれた。はっとして見上げると、三田が人差し指を唇に当てて微笑んでいた。
「のどかちゃん、間違えてホットミルクティー買っちゃったのよ。もしよかったら飲んでくれない?」
「ありがとうございます。ミルクティー、好きなんです。喜んでいただきます」
「営業部忙しそうね」
「そうなんですよ、いま展示会の準備で忙しくて」
「藤堂さんとのどかちゃんは大阪会場だっけ?」
「はい、大阪は初出展になるので主に西日本の市場の視察になるとは思うんですけど」
「二人だけで? 大変でしょう?」
三田の労りの声に、のどかは答えた。
「ある程度、東京会場の資料を使いまわせるんですよ。でもノベルティやパンフレット、あと名刺とかすべて倍必要になるので、発注やら確認やらで大変なことになってます」
「そうよね、でもいい経験になると思うわ。がんばって!」
「はい、がんばりますね」
営業部の事務室で電話が鳴った。続けて聞こえた声で、藤堂が電話を取ってくれたのだと分かった。話しぶりからすると顧客のようだ。
のどかは藤堂の声が聞こえていても、内容までは分からない。
のどかは衝立で区切られただけの営業部内の小さな会議室で、ノベルティと自社製品が紹介されているパンフレット、注文書をそれぞれ一部ずつを社名がプリントされた不織布の手提げバッグに入れる作業を続けていた。
これは展示会で我が社のブースに来てくれたお客様に渡すノベルティのセットだ。
今朝出社してから納品された段ボールの山を見て、のどかはくらりとめまいを起こしそうになった。同じ作業を別の大きな会議室で数日前からやっている先輩たちが、東京会場の分が終わったら手伝いに来てくれると言ってくれたが期待はできない。お互いにやることが山積みなのだ。
のどかは同じものを二つ入れないように気をつけながらも、単調な作業につい集中力は途切れがちになっていた。だから気付けたのかもしれない。
電話を終えた藤堂が、ふぅと長めの息を吐いた。その音を拾って、のどかは手を止めて顔を上げた。
(リストさん?)
「山崎さん、みどりが丘小学校に行ってくる」
しばらくして藤堂がスーツの上着と鞄を手に、衝立から姿を現した。
「わ、私が行きます! 何かありましたか?」
のどかの担当である小学校からの電話だったようだ。であれば行くべきなのはのどかではないだろうか。何かやらかしてしまっただろうかと慌て、足元に置いてあった段ボールにつまずいて転びそうになった。
「不備があったという話じゃない。先方から黒板のカタログを持ってきて欲しいと言われただけだ。山崎さんはその作業を続けていてくれ。戻ったら手伝う」
「分かりました! では、よろしくお願いします。気をつけていってきてくださいね!」
「あ、ああ。そっちもよろしく頼む」
「あ、あの!」
のどかが呼び止める。しっかりと目を合わせた藤堂は少しやつれて見えて疲労の色が濃い。展示会準備が始まってからというもの、二人とも残業続きになっている。それでも早く帰れそうな時は、藤堂はのどかを帰してくれ、その分藤堂が残って仕事を片付けていることにのどかは気付いていた。
今ものどかが展示会準備に集中して取り掛かることができるように、顧客対応を代わろうとしてくれている。もともと藤堂の担当だったものを引き継いでいるので、問題はないものの不甲斐ない。それ以上に上司の気遣いがありがたかった。
のどかは感謝するとともに、藤堂のことが心配になった。のどかは自身の上着のポケットから、個包装のチョコレートウエハースのお菓子を二つ掴み出した。
「もしよろしければ移動中に召し上がってください。甘いものがお嫌いでなければですが」
藤堂はのどかの差し出した手のひらに乗った赤い個包装のチョコレート菓子を見て、目元を緩ませた。
「こんなものが何故、上着のポケットから出てくるんだ、キミは」
呆れつつも柔らかい声色でそう言った藤堂は、のどかの手のひらから赤い個包装のチョコレート菓子をひとつ摘み上げると、甘い笑みを浮かべた。のどかの心臓が再び意味不明に暴れ出す。
「ありがとう、ひとつ頂くよ。けど、就業時間中は業務に専念するように。お菓子は休憩時間まで我慢するように」
「は、はい」
衝立から消える藤堂を見送ると、のどかは椅子にとさりと座り込んだ。このところせっかく褒めてもらえてたので、仕事でやらかしてなくて良かった。安堵すると、先ほどの勘違いが思い出された。
(いくらリストさん欠乏症だからって、主任をリストさんと間違うなんて!)
のどかは熱くなった顔を隠すように両手を当てた。そして、気持ちを切り替えようと、その手でぱちんと頬を叩く。
「よし! 早く終わらせて今日こそ会いに行く!」
「あれ? 今日もリストさんいないのかな?」
藤堂がみどりが丘小学校から会社に帰ってきた頃には、ノベルティセット作りはほぼ終わっていた。東京会場の準備をしていたチームの一人をのどかの手伝いに回してくれたのだ。
おかげで藤堂と三人で定時に終わらせることができた。
その後のどかは久しぶりに早く帰らせてもらえたが、藤堂たちはもう少し残って仕事をするとのこと。まだ残っている人がいると思うと後ろ髪を引かれるが、リストに会いたい気持ちもあって久しぶりの定時退勤をしてきた。
はやる気持ちを抑えつつMHOにログインし、リストの工房に直行したが、ドアは開かなかった。
「前に送ったフレンドメールにも返信がないし、どうしたんだろう。中の人が病気とか? その可能性もあるよね。リストさん大丈夫かな」
厚い木の扉に手を沿わせ、サキの身長では届かない覗き窓を見上げた。
「おう、入るのか入らねぇのか?」
荒っぽい低い声が背中から聞こえて振り向けば、いつぞやリストに新規の武器を作るなら素材と金を用意してこいと言われていたゴリマッチョなプレーヤーだった。
扉の前からサキが退くと、その男はドアノブをガチャガチャ言わせて開かないのを確認すると、舌打ちをした。
「またいねぇのかよ」
どうやらこの男も何度かリストを訪ねているらしい。
「アンタ」
「なに?」
「リストがいねぇ理由をなんか知らねえか? よくここに出入りしてるんだろ?」
サキは首を横に振った。頭の上のうさぎ耳が一拍遅れてブルンブルンと揺れる。
「何も聞いてないよ。素材採取で出かけてるのか、中の人が忙しいのかと私も思ってたところ」
「ここんとこ毎日時間を変えて来てるんだけどよ、ちっともいねぇから。中の人がログイン出来ねぇ状況なのかもな」
「そう、なんだ」
「まー、しかたがねぇ。また出直すか」
男が帰ると、今度はメグとRENが一緒にやってきた。
「あら、サキちゃんどうしたの?」
「中に入らないのかい……ってああ、今日もリストいないのか」
「今日も?」
RENの言葉にメグが首を傾げた。メグもここ数日は用事がなくてリストの工房を訪れてなかったらしい。
「リストに頼まれた薔薇水晶をやっと手に入れてきたのにな」
「リストくんどうしたのかしら。サキちゃんは何か知って……たら、こんなところで立ってないわよね。せっかくだし、近くのカフェにでもみんなで行かない? もふもふキツネのパンケーキってカフェができたみたい」
「いいね、僕も甘いのは好きなんだ。しかもこの世界じゃ、いくら食べても太らないのがいいよね!」
「あら、レンレンってば」
サキはメグに誘われて、RENとともに近くのカフェに移動することにした。
「リストはログイン状況をフレンドにも通知しない主義みたいだから直接来るしかないんだよね」
RENがミルクの泡で立体のキツネのラテアートが施されたカフェ・オ・レを一口飲んでから、やれやれと肩をすくめた。
「どうしてかしらね」
「リストのプレーヤーレベルが上がって、金級の武器を作れるようになったあたりからみたいだよ。武器の依頼を受けた人と連絡が取れるように一時的にフレンドになるらしいんだけど、製作をせっつかれたり、勝手にフレンドに紹介して、知らない奴がリストのログインを狙って突然押しかけてきたりと迷惑なプレーヤーに絡まれることが増えたらしくて」
「それは困ったちゃんね。でもレンレンなら行く前にフレンドメールを送ればいいんじゃない?」
「メグやサキはするのかい?」
そうRENに聞き返されて、メグとサキは顔を見合わせた。サキはプルプルと顔を横に振る。
「しないわね。このくらいの時間にはたいていいるものだから、わざわざアポイントメントとって行ったりしないわね」
「そうなんだよね。今日いなくても明日ならいるかなって思うから、メールするよりつい直接来ちゃうんだよね」
お待たせしましたー、とキツネ獣人アバターのプレーヤーが、パンケーキの皿を給仕してきた。RENの前にパンケーキ三段の上にミルクバターと蜂蜜がたっぷりかかってスライスアーモンドが散らされた皿が置かれた。メグとサキの前の皿には小振りのスフレパンケーキ二枚と、ホイップクリームとイチゴとブルーベリー、ラズベリーがセンスよく盛り付けられている。
「RENくん、詳しいね?」
「まあね、リストとは親友だから」
サキが羨ましそうに聞くと、ナイフで切ったパンケーキを頬張りながら、RENは少し自慢気な笑顔をサキに向けた。
「ま、男同士だからかな。身バレしない程度にいろいろ話もするね。こっちに顔を出せないってことは今は仕事が忙しいんじゃないのかな。真面目なタイプだから、仕事に支障をきたすようなログインはしなさそうだしね」
「あら、リストくんも社会人なのね」
「そうらしいよ。手を焼いていた部下の子が最近頑張ってるらしくて、リアルの仕事も楽しいらしい。前に頼まれてた素材を卸した時に、これからしばらく現実が忙しくなるから、他の素材は急がないとか言ってたけどね、まったく顔を出せないほどだとは思わなかったけどさ」
「もうすぐ年末ですものね」
「今年もあと二ヶ月ないのか、早いね」
「年末といえばクリスマスイベント楽しみだね」
(リストさんの中の人は社会人……)
「そうね、ログインボーナスにサンタコス、街の飾り付けもクリスマス仕様になるし、イベント限定モンスターも出るわよね」
「僕、イベントごとって好きなんだ。わくわくするよね」
(今、仕事が忙しくて、手を焼く部下がいる……なんかまるで主任みたいな……そんなわけないよね。全世界にプレーヤーがいるんだもの。社会人で、今ログインできないくらい忙しくしてて、モノづくりが好きで、迷惑かけてる部下がいる人なんていっぱいいるに決まってる。主任の声がちょっとリストさんに似てて、ため息の吐き方が似てるなんてよくある話だよね)
「サキちゃ〜ん?」
「サキ? 聞こえてる?」
(リストさん欠乏症で主任に共通点をむりやり探しちゃうなんて恥ずかしい。でも、まさか? このところ残業が続いていたから、ログインできなかったとか? それこそまさかよ。同時期に仕事が忙しくてログインできない人なんて山ほどいるはず……そもそも主任ってゲームする人なのかしら。虐殺ゴスバニーモチーフの彫刻セットもなんの反応もなかったし。私もまさかサキがモチーフだなんて気付かなかったけど! うん、きっと別人。そんな偶然、そうそうあるわけないもの)
メグとRENが、思考に没頭して動かないサキの目の前で手をパタパタと振る。気付かないサキに二人は肩をすくめた。
「リストのこと考えてたりしてね」
「あら、ようやく自覚したのかしら?」
「どうだろうね、リストとサキだからなぁ」
バグでも起こしたのかというくらい動かないサキを見ながら、こそこそと話すメグとREN。
その時、カフェにいるプレーヤー全員に運営からのメールアラームが鳴った。
その音を聞いてそれぞれがウィンドウを開く。
「前に告知してたイベントの一部詳細か。情報を引っ張るね」
ざっと読んだRENが呟く。
「なるほど、謎解きクエストの報酬に幸運値爆上げの指輪があるのかぁ。これいいな。ドロップ率はどのくらいなんだろう」
「戦闘職はドロップ率が上がるし、生産職は成功率が上がるものね」
「イベント限定ダンジョンの最奥まで行かなくちゃいけないみたいだから、生産職一人では厳しいかもね」
「サキちゃん、リストくんを誘って行ってみたら? サキちゃん顔色悪いわよ、どうしたの?」
「えっ!? あ……大丈夫、です。生クリームが多かったから、ちょっと胃もたれしたかな。今日はもうログアウトして休みます。ごめんなさい」
「そう、お大事にね」
サキはメールの一文から目が離せなかった。
リストに誘われていた謎解きクエストは一日限定クエストで、その開催日が十一月二十二日────いい夫婦の日、というのはいいとして。
よりによって藤堂と参加する教材備品展示会西日本20XXの開催日、その日だった。
前乗りで設営し、後片付けまでをやりきる二泊三日の出張になる。
ゲーム機器本体とヘッドギアを持って行って夜にホテルの部屋でゲームをするというのは現実的ではないし、社会人としていろいろダメだろう。
(詰んだ)
天国から地獄の心地にのどかは泣きそうになる。
(せめてフレンドメールで行けなくなったことを伝えなくちゃ)
気持ちが動転して震える指で、なんとかウィンドウを立ち上げてリストにフレンドメールを送る。
その後、展示会準備が佳境に入り、のどかもログイン自体ができない日々が続いた。リストがメールを見たのか、返事が来ているのかも分からない。
サキはリストと連絡が取れないまま、日数だけが過ぎていった。
執筆者・紅葉様でした。




