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「コリガンの夜明け」③

 夜半。湖から吹き上げる風が、工房の壁を鳴らす。小さい窓に嵌められたガラスから工房の中の光が漏れている。


 ロウェナは、蒸留釜の火を落とし、締め作業を行なった。今日の製作分は、すでに別の保管庫へ移してある。


「キィ...」床板が、わずかに鳴った。


 ロウェナは顔を上げず、視線だけを扉側へ送る。


瞬間、カチリ、という音とともに、リース先生が設置していった、簡素な魔術装置が発動した。小さい真鍮の箱からホーン先っぽが飛び出た奇怪な見た目をしている。

 だが、一定以上の重量が、その前を横切ろうとして―空間が歪んだ。そこだけ床が沈み、重力の向きが、一瞬だけ横に変わる。


「――っ!?」声上げることあたわずに、侵入者の体は壁に叩きつけられ、そのまま貼り付けられた。


 私は、ようやくランプを持って立ち上がった。「鍵を壊すの、下手ですわね。まったくリース先生はすごいものをお造りになられるわ。」


 侵入者は、若い職人風の男だった。こちらを睨んでくる。私に対して唾を吐きかけようとしたので、私は彼の口を塞いでやった。正確には、彼の上唇と下唇がくっついて離れない魔法をかけた。男は息が途端にしづらくなり目が充血してくる。しばらくのち、肩の力が抜けたのが見てとれる。抵抗をやめて全てを諦めたようだ。


「……頼まれただけだ」動けない男は、女ごときにしてやられたとでもいいたげだった。苦虫を噛み潰したかのごとく唇を噛む。術は半分だけ解除した。男はモゴモゴと動かしづらそうに白状した。「俺は医薬品ギルドの奴に雇われて、ここを荒らすように言われたんだ、見逃してくれ。」


 やはりね。私は、魔術装置の近くに1箇所だけ色が薄くなっている床板に仕込んだ刻印に、指先を触れる。魔術装置が解除され、重力が元に戻る。


「貴方はギルドにもどってはいけません。破ったらどうなるか。分かりますわよね?」口を縛る真似をした。


 男は、転がるように外へ消えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


翌朝。工房には、被害はないものの壊れかけの鍵と、荒らされた形跡が残った。


キアランはため息をつく。「まったく貴方は夜中も宿から抜け出して、リース殿の装置がなかったら、襲われていたんですよ!」


いつもはいがみあっているが、リースもこれに賛同する。「やっぱりもっと強力なのを置いとけば良かったな」


あれ以上強力だと人を殺してしまう気がする、私はそう思ったが、怒られている身、口に出すことはなかった。


一方その頃、医工業ギルドでは、「工房の内部を探れ」「証拠を掴め」という指示が出ていた。だが、誰1人として帰っては来なかった。


彼らは気づかない、この工房が、問題の根幹ではないということに。ここは、ただの通過点に過ぎず、本当に見るべきところが間違っていたことに。


ーーーーーーーーーー

 重い扉が閉まる音が、部屋に残った。円卓の上には、報告書が散らばっている。一番上には新聞が投げ置かれている。-工房への侵入失敗。価格の下落。商業ギルドの動きが一面をとりどりに飾っていた。


「――強硬策に出るべきだ」年嵩の幹部が、固まっている若手技術者達へ言った。


「このままでは、医工業ギルドの権威が揺らぐ。あの工房を潰してしまえ。教会にでも警察でもいい、何かしら理由をつけて話を通せ」


 若手の技術者たちは、互いに視線を交わす。誰も、即座に賛同しなかった。


「……今から、ですか?」ようやく、一人が口を開く。「もう、市場には出回っています。医師は、あちらの工房を使い始めている。価格も――戻りません」


「なら燃やせ!お前!今すぐ行ってこい!行かなかったらクビにしてやる!なぜいうことを聞かないんだ、この!この!」


彼らは遅れている。気づいた時には、すでに盤面が変わっていた。


ーーーーーーーーーーーーー

ロウェナの工房 ―― 夕方


 私は、最後の帳簿を閉じた。数字は、十分だった。利益も、流通も、信用も。だが、それ以上に街が、自分の力を必要としなくなったのを感じる。


「キアランさん」


「ええ」彼は穏やかにうなずく。


「下層の患者は、もう薬を買えています。鉱毒の件も、調査が入りました」


 私は、工房の外を出る。夕日が湖面に沈もうとしている。赤く染まった湖は、この町で起きている事件なんて知らん顔で、静かにたゆたっている。


「……ここまで、ですわね」誰に言うでもなく、そう口にした。


ーーーーーーーー

それから、三週間が過ぎた。コリガン市は、目に見えて落ち着きを取り戻していた。


 中央広場前には、新しいお触れが掲げられた。医薬品に課されていた品質検査費の大幅な削減決定、商業ギルドと医師会による価格監査の開始。市場に並ぶ最下級ポーションの価格は、5000ペリーから、800ペリー前後へと落ち着いた。


 下層街で倒れる人の数は減り、井戸には注意書きが掲げられ、鉱山の排水は調査対象となった。

医工業ギルドの上層部数名が拘束されたという知らせも、新聞の一面を飾った。


 ——街は、確かに改善された。それでも、私は、胸の奥に刺さるような違和感を覚えていた。


 きっかけは、ほんの些細なことだった。工房を閉めた翌日、宿の帳場で、エルナが何気なく言ったのだ。

「ロヴィさん、昨日……教会の人が来てましたよ」


 私は、手を止めた。「司祭様ですか?」


「いえ、それが……」エルナは声を潜める。「司祭様というより、視察官みたいな感じで。街の医療体制が誰の発案で改善されたかを、細かく聞いて回ってました」


 ——誰の。その言葉で、はっきり分かった。私は、やりすぎたのだ。名は出していない。教会を告発もしていない。だが、理想と現実は違った。


 薬草の扱い、価格の算出、医師との直接交渉、それらは、市井の冒険者が思いつく範囲を超えている。


 隣にいたキアランは焦りもせずに、「嗅ぎつけるのが、少し遅いですね、こんなものですか。思ったより長いできましたね。奴らは誰が設計したかを探し始めた。教会は、そこに辿り着くと早いでしょうね」


 私は、深く息を吐いた。


 街は、もう大丈夫だ。だが、私がここに居続ければ、関わってきた人に迷惑がかかる。それだけは、避けなければならない。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

 私は、診療所の机の上に、一通の手紙を残した。


ミルド先生


短い間でしたが、身元も知れぬ私の提案を受けてくださり、感謝いたします。貴方の献身的な看病のおかげで、町の子供達は元気になりました。ずっとここにいたかったのですが、

ここから先は、私のような外の人間が関わる段階ではありません。


私は、この街を離れます。


理由はお伝えしません。ただ、これ以上私が居ると、あなた方に余計な視線を呼び込みます。それだけは、避けたいのです。


あとは、よろしくお願いいたします。


ロヴィ

ーーーーーーーーーーーーーーーー


 夜明け前、私達は街を出た。湖は静まり返っており、遠くでフクロウが鳴いている。 

 今はまだ、捕まるわけにはいかない。


 私は身支度を調え、

 次の街へ向かって歩き出した。国外追放からもう2か月。季節は春から夏になっていた。


これにてコリガン編終了です。異形頭ロマンスが少ないので増やそうと思います。

2026/01/25、季節を修正。雪国編の前に取材旅行をはさむ。

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