「竜が見下ろす迷宮で」②
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何時間寝ただろう。焚き火の火が消え、キアランに揺り起こされ目が覚める。
洞を出るため、先ほど落ちた穴を見つけて、そこから上へ登っていく。来た道を引き返し、分岐をひとつ越えた。
洞の構造も、昨日のうちに頭に入っている。戻れない理由は、ないはずだった。
それなのに、外に出ることができない。
水滴の落ちる間隔が伸び、反響が鈍くなる。暗さは変わらないのに、空間の輪郭だけが、少しずつ曖昧になっていく。
「……道、合ってますよね」
ロウェナは不安になった。分岐の数も、足元の石の形も、記憶と一致している。それでも、洞は彼女たちを外へ返そうとしない。
やがて、視界が開けた。
昨日と同じ、広い大聖堂の祭壇が目の前にある。
そこに、竜がいた。
キアランが一歩、前に出た。いつもの軽さはない。指先がわずかに緊張している。
「これが悪さをしているようです。とても古い術式だ。ふむ、上書きすれば外には出られそうだ。」キアランは、魔法陣の縁に膝をつき何かを描こうとしている。
金の縁の魔法陣は、昨日はよく見なかったが、線は薄れ、円は歪み、崩れ落ちているところもある。そのうちに秘めた魔力だけが行き場を失っているようだ。
このままでは、いずれ溢れるだろう。よく王太子が失敗していたのを思い出す。あの時は詠唱が一節間違っていた。
竜が、低く鳴いた。ただ、その場を譲るように、ゆっくりと首を下げた。
「でも……」
ロウェナの声に、キアランの指が止まる。
「あの竜は、どうなりますの。この瘴気……外まで届いたりは?」
確かに、一刻も早く出るべき場所だ。それでも、竜が苦しそうなのが気にかかる。キアランは一瞬、手を止め、言葉を探した。
竜をじっと見つめるロウェナへキアランは、警鐘を鳴らす。
「ここは……入る前提で組まれていません。本来、繋がっていない場所なんです。ここからすぐに抜け出さないと」
彼の制止は耳に入れていたが、澱みの中心にいる竜は苦しんでいる気がする。私は竜の足元にある魔法陣の中心部まで行き、足を思いっきり振り下げた。
パキン!途端、中心部の核が弾ける音がした。
淀みを堰き止めていたものが解放され、あたりへドス黒いものが一斉に雪崩れた。
魔力が細かく砕かれ、岩に、空気に、水に、薄く行き渡っていく。
時間の感覚が曖昧になる。どれほど経ったのか分からない。ただ、寒さが戻ってきた。魔力が消えた証拠だった。
そのとき、竜が動いた。身体を支えていた力が、静かに抜け落ちる。翼がわずかに垂れ、鱗の光沢が鈍くなる。
私は息を呑んだ。巨大さは変わらないのに、別の生き物に見える。恐ろしさではなく、重さと年老いた気配が前に出てきた。
洞の空気が、ようやく動き出す。水滴が落ち、反響が戻る。音が、空間を測り直していく。
「そんな...これで、よかったのか?いや、まさかな...」キアランは何かを考え込んでいるようだったがやがて立ち上がり、短く息を吐いた。
竜は、ロウェナをみた。その視線は、確かに何かを確認していた。そこにいるのはもはや、役目を持たない、生き物のように見えた。
竜の姿が闇に溶けたあとも、私はしばらく動くことができなかった。
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(幕間)
小職は魔法陣を見下ろし、円環の歪みを指先でなぞった。線は閉じている。だが、厳密には同じ点に戻っていない。限りなく近いが、完全には一致しない円。
「……ここを書き換えれば、外には出られるだろう」
円周の一部に、小さな補助線を足す。全体を消すのではなく、定義域を切り分ける。瘴気と竜を含む領域を残し、外界への写像だけを作る。それが、小職の考えた最小修正だった。
「でも……」
彼女は疑問を呈した。
「あの竜は、どうなりますの。この瘴気……外まで届いたりは?」
確かに今のままだと、瘴気は竜を錨にして留まっており、あの個体が限界を迎える頃、全てが解き放たれ、村は人が住む場所ではなくなる。しかし、
「本来、これは……解く順番が決まっている問題です。途中式を飛ばしてはいけない」
この瘴気が一定量に達したとき、村が崩壊し、そこで初めて討伐という処理が入る。それが正史なのだから。既に、バグが生じている以上、これ以上のバグは危険だ。
だから小職は、増加率をゼロにはせず、ただ、変数をいじり、バグから抜け出すことを選んだ。
「ここは……入る前提で組まれていません。本来、繋がっていない場所です」
しかし彼女は自身の危険を顧みずあの竜へ歩いて行った。
「待ってください」
驚きで声が、思考より遅れた。
小職は最悪なシナリオが頭に思い浮かぶ。彼女をこの時点で喪失させることは絶対にならない。反射的に術式を重ねられる限り重ねる。外への通路を先に固定。拘束解除の速度を落とす。瘴気の勾配をなだらかにした。やりすぎだと分かっている。それでも、手が止まらない。
彼女は魔法陣の中心に立ち、あろうことか魔法陣を
踵で踏み込んだ。
その瞬間、魔法陣全体が一斉に簡約され、途中式が、消えた。
竜が呻き、倒れる。淀んだ瘴気は薄れ、洞内には安定した呼吸音だけが残った。
―成功。表層だけを見れば、完全な成功だ。
「……そんな……」
魔法陣の残骸から目を離すことができなかった。
すぐに歪みを確認した。しかし、本来なら発生するはずのそれが見当たらない。正常にもどっている。
「……解けてしまった……?」
違う。これは、式を解いたのではない。紙に書いた計算式を無理矢理引き裂いたものだ。これで影響が出ない筈がない。
「……これで、よかったんでしょうか」
ロウェナに向けた言葉の形をしているが、実際には世界への確認だった。答えは、誰にも分からないだろう。
洞を出る直前、小職は足を止め、誰にも見えない位置に、小さな符号を刻んだ。本来起きるはずだった事件の、参照点。
「……帳尻合わせが来るなら、せめて……」
ロウェナは、もう歩き出している。彼女は振り返らない。小職だけがまだこの場所に縛られていた。
センター試験の数Aは34点でした。




