閑話:コリガンの休日
自作ポーションの流通も軌道に乗って、市内に徐々に認知もされてきた頃、キアランとリース先生には工房に残ってもらって、私は日用品の買い出しの為に休みを1日だけとることにした。
何せリース先生の発明した室内人工降雨術式が気になるようで昨日から工房内でずっと議論をしていたし、今日もそうなのだろう。
今まで自らの消耗品を自らで買い揃えたことはなかったから今日はエルナちゃんにもついて行ってもらいながらの、初めての街歩きである。
朝、教会の鐘の音とともに目が覚めて、まだ空が白んでいるうちに自分に洗浄魔法をかける。
いつも服は、侯爵令嬢時代の下女から交換してもらったウール素材の動きやすいシンプルな長袖のチュニックをスモックの上から着て、腰紐で固定し、その上に紺色のペプロス(上着)を肩のピンで留めて羽織った地味なスタイルだったが、今日の服はお洒落をして、網模様の白いショールを羽織ることにした。
靴は追放から変えていなかったため、かなりボロボロだったが、これしかなかったので仕方ない。
準備を整え階下へ降りると、少しおめかししたエルナちゃんが待っていた。14歳で親の生業を手伝う健気な友人は、親に仕事を任せ、私とデートに行ってくれる。
コーヒー1杯を朝食に済ませた後、私たちは街に出た。朝日が差し込む石畳の街道を歩いた。エルナちゃんが曰く「買い出しなら中央広場と赤樫通りですよ!あと、あそこのカフェ入ってみたかったの!」と言うので、そこに向かう予定だ。
この街の構造は、坂の頂上の教会と麓の中央広場を中心に放射状に木骨造りの建物が並んでいる。さらに郊外に行くと湖があり、貴族の別荘地が立ち並んでいるが、多くの市民は中心部でことが済む。
中央広場に続く細い路地には、階段を椅子にしたカフェがあったり、階段の途中の平地でパン屋が開かれたりしていて疲れさせない構造になっている。
中央広場の周りには、この街の中心機関の建物が囲んでいる。南側には商業ギルド、銀行、市庁舎の建物が立っており、その向かいには新聞社、冒険者ギルド、の建物が立っている。
中央広場では焼き栗の屋台がもう出ており、親子連れが買って食べていた。
私たちは中央広場の脇にある朝市場に向かった。朝市場では新鮮な肉や湖で採れた魚、郊外の農家からの野菜、木工製品が通路に沿って延々と並んで売られており、販促の声が鳴り響く。
肉は羊や鶏、角うさぎ、羽ネズミの順で高く、多くの食堂で口にするのはうさぎの肉だった。宮廷では豚の肉を食べていたがここにはないらしい。森に近い土地では豚は飼いにくいのだと、エルナちゃんが教えてくれた。
魚売り場では独特の生臭い匂いに最初は耐えられなかったが、徐々に慣れてきて、辺りを見回せるようになった。エビや川魚が所狭しと泳いでおり、生きている魚を見るのは初めてだったため、10分くらい2人で眺めてた。エルナちゃんはよくここに買い出しに来るらしい。「うわ今日白鱗鱒がはいってる。今すぐ買いたいけど持たないなぁ」と呟いていた。、魚は朝のうちに買って、昼までに調理するのが常識で、夕食によく出てくる白鱗鱒のソテーは絶品だった。
野菜はカブ、玉ねぎ、リーキ、豆類、黒キャベツが中心で、見慣れないのは苦葉草と呼ばれる濃い緑の葉物だった。煮込むと腹持ちがよく、魔物の多い季節には欠かせないという。そういえばキアランはカブを食べていただろうか?今度じっくり検証してみようと思った。
食料品売り場の隣には、冒険者ギルド直営の露店があり、討伐対象の余りものが無造作に並べられていた。魔物の皮の切れ端、角の欠片、乾燥させた肉片等など、用途が分かる者だけが買う、という顔ぶれだ。値札の代わりに小さな札が下がっており、「食用不可」「子どもに触らせるな」といった注意書きが目立つ。
市場を抜けると、突然、警護団の制服である甲冑を身につけた男2人組に話しかけられた。
「君たち〜、可愛いジャーン。何?迷子? 僕たちが案内してあげようか? 迷える子猫ちゃんには手を貸すよ」
エルナちゃんはムッとして私の前に立ちいでると、
「いりません!今は2人で今デート中なんです!邪魔しないでください!行きましょロヴィさん!」
それでも男たちは引き下がらずニヤニヤしている。エルナちゃんは困った顔になってしまった。
あまりにもしつこいので、私は2人に手を翳して、ふっと一息「...」と唱えた。哀れな2人は魔法がかかると「あれ、俺家の洗濯物どこやったっけ!?戻らなきゃ!」と走り出して行った。
「ロヴィさん、、。今のかっこいいですね、しつこいんですよあの2人!何やったんですか!」
「ちょっと撹乱魔法をかけただけですわ。口外無用ですわよ。それよりもデートっていいですわね、楽しいですわ」なるほど、先ほどから街をいく人々の視線が気になったのはエルナちゃんが可愛いからだったのか。彼女に今度いい防衛術を教えなきゃなと思った。
赤樫通りに移る。通りの幅が少し広くなり、石畳の目も揃ってきた。ここからが繁華街なのだと、言われなくても分かる。建物は二階建てが多く、上階が住居、下階が店になっている。木と石を組み合わせた家々が軒を連ね、張り出した梁や庇が通りに影を落としていた。布屋、革職人、酒場、木工房が途切れなく続き、戸口ごとに異なる匂いが混じり合う。
通りの中央では、人の流れが自然と二筋に分かれていた。片側は買い物客、もう片側は荷車や家畜を連れた者たちだ。声を荒げる者はいないが、誰もが譲るべき場を心得ているらしく、ぶつかることはない。
頭上には色あせた旗や紐に通された護符が渡され、風が吹くたびにかすかな音を立てた。骨片、磨かれた石、鳥の羽根。どれも雑多だが、並びには一定の規則があるようで、同じ種類のものは決して隣り合わない。それらが揺れるたび、通りの空気がわずかに澄む。
酒場の前では昼前だというのに扉が半分開いており、中からはエールと燻製肉の匂いが流れ出してくる。入口には武器掛けがあり、剣や斧が何本も無造作に立てかけられていた。
通りの奥から、竪琴の音が聞こえてくる。弾いているのは老人だが、旋律は古く、この街よりも前からここにあったように思えた。音に合わせて、護符が一斉に揺れている。
通りの一角では、頑丈な鉄格子に囲われた檻が置かれていた。中には、体を丸めた魔物が一体、鎖で繋がれている。毛並みは美しく、眠っているようにも見えた。檻の前に立つ父親が、子どもの肩を軽く押さえて子供を少し脅している。別の檻では、痩せた獣が落ち着きなく歩き回っている。「こっちは、逃げれば助かる」子どもは頷き、距離を測るように一歩下がっている。
檻の横には札が掛けられている。名前、出現地、被害の規模。そして、推奨される対処。誰も長居はしないが、通り過ぎる足は必ず一度、そこで止まっていた。
少し先では、吟遊詩人が腰掛け、低い声で語っていた。竪琴の音は控えめで、旋律より言葉が前に出る。
「去年の秋、川が堤防を越えたときの話だ」
集まっているのは子どもよりも大人だ。頷きながら聞く者、目を伏せる者。英雄の名は出てこない。代わりに語られるのは、誰が逃げ、誰が戻らなかったか、そしてどの判断が生き残りを分けたかだった。
さらに進むと、石畳の一部が囲われ、教会付の結界職人が作業をしているのが見えた。休日特別公開、と書かれた木札が下がっている。職人は道具を一つひとつ見せながら、淡々と説明する。「これは張り直しが三日遅れた例」結界の端がわずかに歪んでおり、空気の流れが目に見えるようだった。見物人の中で、誰かが無意識に距離を取る。「だから、週に一度は必ず点検するんですよ」子どもたちは前列で見ている。真剣な表情で食い入るように見つめていた。
ひと通り見て回ったあと、私たちは衣服区画へ向かった。
服屋では、エルナちゃんが迷いなく棚から夏物を何着か選び、私に押し付けてくる。色は深緑と灰色のチュニック、形はどれも似ているが、袖の長さや留め具が微妙に違っていた。「やっぱりロヴィさん、何着ても似合います~~」とべた褒めしながら、すごい速さで衣装を吟味している。エルナちゃんから選んで貰った服に袖を通すと、重さは思ったよりも軽かった。けれど、不思議と落ち着く。左胸のところに赤い刺繍がおられており、これがこの服に術式を付与しているのだろう。後は、靴を一式買いそろえた。
仕立て屋のおじさんは寡黙で、採寸を終えると、完成した外套を梁から下げられた古い枝角にそっと当てた。目を閉じ、短く、しかしはっきりとした祈りを捧げる。言葉は聞き取れなかったが、空気が一瞬、張りつめたのを感じた。「境を越える布だ」それだけ言って、服を畳んで渡してくる。
昼過ぎになり、エルナちゃんが前から行きたがっていたカフェで休憩を取ることにした。繁華街の一角、少し奥まった場所にあり、もとは穀物を保管していた古い倉庫を借りて改装したのだという。
高い天井と大きな窓のおかげで、午後の光がやわらかく差し込み、外の喧騒が嘘のように遠のいていた。梁には古い木の傷跡がそのまま残されており、壁際には倉庫時代に使われていた滑車や木箱が飾りとして置かれている。
席に着くと、店主が頷き、陶器のカップに紅茶を注いでくれた。湯気とともに立ちのぼる香りは素朴で、どこか草の匂いが混じっている。聞けば、森で採れる葉を少しだけブレンドしているらしい。
カップを手に取ると、外で感じていた張りつめた感覚が、ゆっくりとほどけていくのが分かった。
私たちは他愛のない話をした。市場で見たもののこと、さっきの吟遊詩人の語りが少し怖かったこと、どの服が一番無難に見えるか。エルナちゃんは時折笑い、窓の外を気にすることもなく、肩の力を抜いている。
「そういえば、ロヴィさんの彼氏ってどっちなんですかぁ?」
思わずびっくりして紅茶を吹き出すところだった。
「キアランさんは正統派な年上のダンディな感じでいいですよね、でもリースさんはなんか高貴な感じの面白い人で、どっちと付き合っているんだろって思って、え、もしかしてどっちもですか!?」
宿に何週間も男の人と泊まっていたら普通はそう思ってしまうのも仕方がない。ましてや、年頃の女の子は他の人の恋愛話など大好きだからそう見えたのだろう。
「い、いえ、お二人とはそんな関係ではありませんわ!キアランさんは私の旅について行ってくれている方で、リース先生は私の昔の家庭教師でしたのよ!お二人には素敵な方がすでにいっぱいいるはずですわ!それよりもほら、次は向かいの文房具屋さんに行きません?大体買い揃えましたし!」
ちょっと胸がちくっとしたが、懸命に話を逸らそうと頑張った。
文房具屋に足を踏み入れた途端、インクと紙の匂いがふわりと鼻をくすぐった。外の通りのざわめきが扉一枚で遠のき、空気がひんやりと落ち着く。
棚には紙束が積まれ、天井からは乾燥中の羊皮紙が吊るされていた。色も厚みも微妙に異なり、指で触れると、それぞれに違う音がする。
インク壺は奥の棚に並んでおり、黒や茶だけでなく、深い緑や灰青色のものも混じっている。エルナちゃんが一つ手に取り、振ると、中で何かがゆっくりと渦を巻いた。「これ、夜に書くと字が少し遅れて出るんですって」冗談めかした口調だが、店主は否定しなかった。
ペン先は鳥の羽を削ったものが主流で、種類ごとに箱が分けられている。説明札には、硬さや太さのほかに、「感情が強いと滲む」「嘘を書くと折れやすい」といった注意書きが添えられていた。私はどれを選んでいいのか分からず、結局、エルナちゃんの選んだものと同じ箱から一本取った。羽軸の色がわずかに濃く、根元に細い刻みが入っている。「書いたことを、忘れにくくする」それ以上の説明はなかった。試し書きをすると、インクは少し遅れて紙に馴染んだ。線は細く、しかし消えにくい。強く握ると滲み、力を抜くと不思議と整う。私はその感触に、なぜか安心した。
後は、手帳が欲しかった。奥の棚で、店主が一冊の帳面を取り出してくれた。革張りで、派手な装飾はない。表紙の留め具も簡素だが、手に取ると妙にしっくりくる。
ページをめくると、紙はやや粗く、光の当たり方で繊維が浮かび上がる。白すぎず、黄ばみすぎてもいない。
代金を払うと、店主は帳面を布で包み、最後に指先で表紙を軽く叩いた。「思ったことは、書きすぎるなよ」忠告なのか、規則なのかは分からない。店を出ると、通りの音が戻ってくる。手の中の包みは軽いが、これから先、何度も開くことになるのだと直感した。
夕暮れ、エルナちゃんと別れた後、私は1人湖畔に来ていた。たまに湖面から何かが頭を出してその波紋が伝っていくのをぼーっと眺めながら、ベンチに腰掛けている。私の他に若いカップルと釣りをしている老人がいる。
今日は少し疲れた...けれど、エルナちゃんとの街歩きは楽しかったし、色々な人に会った。私が侯爵令嬢時代では人目を気にして叶わなかったから、この部分では王太子には感謝かもしれない。
しばらくして、若いカップルはいちゃつき始め、しまいには熱いキスを交わしはじめた。私も王太子とああなるべきだったのかはもうあり得ない話だったが、もう少し譲歩すべきだったのかもしれない。今思うと、2人の時間はなかなか取れなくて、決められた面会時間に顔を合わすだけだったから。それに比べると聖女は、王太子へ何かと我儘をいって、時間を作り上げていた。
私は今後誰かと恋をすることはできないだろう。とうに適齢期は過ぎているし、故郷からは追放され実家からも勘当されている身寄りのない女に興味を持つまともな男はいなかった。若いカップルの男の方は帰ろうとするも女が引き留めてまだいちゃついている。2人が羨ましく見えた。
私はエルナちゃんと2人で買った袋の中から、紙とペンを取り出し今日あったことを書き付けた。日はもうすっかり落ちていたので、光の玉を魔法で作り出して浮かべ、その光を頼りにして描いた。
自分の見たことや聞いたこと、感じたことをありのままに書きつけるのは楽しい。令嬢時代に領地経営や王太子の代わりに事務処理をしていたものとは違い、自由に書けるのは、快感だった。
これからどこか別のところにいったら、その街の記録を残していこう。この町があることを忘れないように。
湖畔の周りには誰もいなくなったので、光の玉を水面まで飛ばし、指を鳴らした。パチンっと音がして、光の玉は上に上がって四方に薄い光をとばし、最後は霧状になって水面へ落ちた。
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その夜は、少し眠ったあと、キアランとリース先生、ハルンさんとも合流して、パブで飲むことになっていた。
昼間の街とは違い、夜の繁華街は音の質が変わる。鍛冶場の槌音は消え、代わりに歌声と笑い声、木製の扉が開閉する鈍い音が通りを満たしていた。
キアランたちは工房で議論し足りなかったのか、席に着くなり次は自動芝伐採術式の話を始めている。刃の角度だの、魔力効率だの、杯を傾けながらも手振りが大きい。そこに商魂たくましいハルンさんも加わり、「それ、庭園管理組合に売れんじゃないか」と即座に新たなビジネスの話へと転がっていった。
場所は、ハルンさん一押しのパブ〈銀枝の鹿〉。古い狩人の集会所を改装した店で、梁には角飾りと護符が下がっている。今日は「工房始動記念」ということで彼の全おごりだった。
「それではみなさん、今日もお疲れ様でした。はい――スラィンテ!」
木製のジョッキを打ち合わせ、濁りのあるエールを三人で飲み干す。喉を通るたび、体の奥に溜まっていた疲れがほどけていく。
続いて運ばれてきたのは、フィッシュアンドチップス。白身魚のフライを頬張ると、脂と塩気が広がる。この街に到着してから食べた初めての料理だったが、やはりどこで食べてもこれは美味しい。
さらに、燻製チーズと乾燥果実、ニシンの酢漬けをみんなでつまむ。この居酒屋は、討伐帰りの冒険者が多いためか、片手で食べられるものが充実しているらしい。あとは香草をちりばめた魔羊肉の串焼き。ピリッとした辛さでエールが進む。
壁際では、昼間に聞いた吟遊詩人が静かに竪琴を鳴らしていた。歌われているのは英雄譚ではなく、「去年の冬をどう越えたか」という地味な話だ。それでも、客たちは真剣に耳を傾けている。
酒と食事、途切れない議論と笑い声。そのすべてが、この街が今日も無事に夜を迎えられた証のように思えた。
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翌朝、頭がガンガン痛い。飲み過ぎだ。宿までどうやってきたか記憶にないが起きたら自分の部屋のベッドにいた。薄れゆく景色の中、白い何かに揺られた気がする。こんなことのために使いたくなかったが、バッグから上級ポーションを取り出して飲む。一瞬のうちに酔いが覚めたが罪悪感は残る。
階下に降りると、死体が2体いた。2人も私と同じらしい。リース先生は杖を出して何かを唱えた。超高度な浄化魔法だ、こんなことに使うのか、羨ましい。キアランも人差し指で首を指して、じっとした後、澱んでいた目がぱっと通常に戻った。私に気づいたのか、こちらに顔を向け、シーッと指を口に当てる。
そんなこんなでまた、鐘の音ともに1日が始まる。
再来年あたりアイルランドに行きたいです。解像度を高めたい。




