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〈三〉にわかに綻ぶ現の籠

 火迺要慎ひのようじん、と書かれた火伏ひぶせの神の御札が貼られた壁を、ケトルの注ぎ口から噴き出る蒸気が撫でてゆく。

 家屋の深い奥行きを縦に貫く、通り庭と呼ばれる見世の間から地続きの土間に設えられたキッチンの主力は、電気ではなく今もなおガスコンロだ。祖父母の若い頃は昔ながらのかまどや井戸さえあったというが、十数年前、想一そういちが引き取られる以前に改装されたため、彼自身はそれらの設備を見た事が無い。


 火袋ひぶくろの天窓から昼下がりの日光が射し込んでいるものの、冬至も間近の弱々しい日射しではやや光量が心許ない。想一がタッチセンサー式の流し元灯(キッチンライト)に触れるとほぼ同時に、ケトルが笛を鳴らして沸騰を知らせた。


「想一さんっ! あんな男にお茶なんて淹れる必要ありませんよ! ほら何でしたっけ、アレ投げつけてやりましょうよ! 帰ってくれって意味でお見舞いする、この街の伝統的な食べ物ありましたよね?」

「あれは投げつけるものじゃないし、そもそもそんな習慣は無い」


 声をひそめながらも強い語調で出まかせを吐く唯宮ゆいみやに、だからネットで見た知識を鵜呑みにするな、と釘をさすように継ぎながら、想一は湯呑に煎茶のティーバッグを突っ込んだ。


 その湯呑がきちんと前もって温められていることと、沸騰したばかりのケトルのお湯を湯冷ましの器へ注ぐ想一の所作を見て、唯宮は怪訝な表情で「こんな時までこだわらなくても……」と小さく声を漏らした。


 唯宮から見て想一は、あらゆる欲求や執着を分かりやすく発露しない無関心と無頓着の極みのような人間ではあるのだが、こと飲みものに限っては、奇妙とも言えるこだわりを持っているようだった。

 特に好物であるコーヒーは豆から挽くのは当たり前で、時間に余裕がある時は近所の専門店から購入した生豆を炒る工程から始めることもあるほどだ。

 その他の飲みものに関しても、コーヒーほどではないがある程度の美学を持っているらしく、紅茶にしろ日本茶にしろ、多少の自己流はあるものの基本的な『美味しく淹れるための手順』を忠実に守るのが彼の常となっている。


 想一はその自身のこだわりを「どうせ淹れるなら自分が満足できる味に淹れたいだけ」と主張しているが、唯宮はどちらかというと、出来上がった飲みものの味よりも『工程を積み上げること』自体を重要視しているのではないか、と感じていた。

 いわゆるルーティンのようなもので、その行為自体に意味はなくとも精神を安定させる効力があるのだと――そう、これもネットで見た事がある。


 ものである唯宮にとって、人間のルーティンの効果など理解できないし無意味だとも感じていたが、そのこだわりのおかげで想一が美味しい紅茶を淹れてくれるのは有難かったし、彼が丁寧に飲みものをつくっている姿を眺める時間を、何となく心地良く感じていたのも事実だ。


 とはいえ、あの面倒な――しかも、確実に想一自身も不快に感じているであろう不遜ふそんな来訪者に対してまで、ここまで丁寧に茶を淹れる必要があるのだろうか、という考えもぎるが、おそらく相手のために工程を積み上げているわけではないのだろう。

 波立った己の精神を落ち着かせ、来訪者と向き合う準備をする、彼自身のための儀式だ。

 使用している茶葉が特売品のティーバッグであることが、唯一の抵抗なのかもしれない。

 

「そもそも、何であんな胡散臭そうな男を居間に通しちゃったんですか? いつもならあんなタチの悪い客、蹴っ飛ばして塩撒いて追い出すくらいするじゃないですか」

「お前は俺を何だと思ってるんだ。そんなことしたことねえよ」

「似たようなことはしてますよ! ほら、一ヵ月くらい前の学生さんとか」

「あれは店内撮影禁止だって言ってんのに勝手にパシャパシャ撮りまくってたからつまみ出しただけだ」

「先週末にはボディラインの凹凸おうとつが甚だしい女性客を」

「あれは何も買わずに延々話しかけてきた挙句俺の個人情報を抜き取ろうとしたから叩き出しただけだ」


 連絡先を教えてほしい、という甘いアプローチをフィッシング詐欺扱いする想一に、さすがに唯宮も呆れ顔で溜息をつく。もちろん本当に意図を理解せず勘違いしているわけではないだろうが、想一にとっては、あの手この手で騙くらかそうとするサイバー犯罪に匹敵する程度に面倒なものなのだろう。


 ともあれ、唯宮が挙げた例以外にも、過度に態度が悪かったり商品を乱雑に扱う客には『帰れ』と、くちコミも恐れぬ物言いでつまみ出すような店主(想一)だ。

 胡散臭い来訪者からの荒唐無稽な与太話など、聞く耳も持たずに追い返すだろう、と唯宮は考えていたのだが――


「想一さん、もしかして、あの男の言ったこと信じてるんですか?」


 茶葉を蒸らすための茶蓋に手を添え、視線を落としている想一の顔を覗き込みながら、唯宮が問いかける。


 あの男――フリーライターを自称する、霧室きりむろ蓮司れんじと名乗る人物が語った言葉。



――この近辺で、()()()()()()()()()()による不可思議な現象が発生した、ってことらしいんだけど。


――どうやら、その怪しげな品の出処でどころが――――このお店らしいんだよ。



「想一さんってば、私のことを散々無能だの、創った禍宿物カドモノは出来損ないだの言ってたくせに、実は私の才能を認めてくれてたんですねぇ? もう、そうならそうと早く言ってくれればいいんですよ。照れ屋なのは何となく知ってましたけど、やっぱり褒められて伸びる才能ってのも少なからずあるわけで……」

「何の話だ出来損ないしかつくれない無能」


 両頬に手を当て、大仰に恥ずかしがるような仕草で戯言をのたまう唯宮を、想一からの摂氏零度の眼差しと言葉が襲った。

 唯宮は一瞬、うぎゅ、と言葉に詰まるが、微かな期待を滲ませて食い下がる。


「だって、あの男の言うことを信じたから話をする気になったんでしょう? それって、想一さんが私の禍宿物カドモノが効力を発揮したと認めたってことじゃないんですか?」

「阿呆か。そんなわけねえだろ」


 想一はつっけんどんに言い放ち、茶蓋を外すとティーバッグのタグを引っ張り上げ、ダストボックスへと投げ込んだ。


「さっきも話しただろ。お前のつくったモノが、世の中に禍いをまき散らすなんてことはあり得ないんだよ。お守りひとつで消し飛ぶような力しか籠められないような奴がナマ言うな」

「うぐっ……!」


 想一の切って捨てる物言いに、唯宮は観念したように溜息を吐いた。


「……まあ、そのとおりですね。私が有り物に妖力ようりょくを籠めて創った禍宿物カドモノは、残念ですけど超常的な現象を起こすようなモノではないです。……今のところは」

「未来永劫だろ」


 ささやかに語尾に付け加えた未来への夢と希望すら一刀両断され、唯宮は一瞬押し黙るが、途端、ハッと天啓を得たように両手を叩き、


「あっ! でもでも! 有り物を借りず、イチから具現化して創った禍宿物カドモノならもしかして――!」

「その手法で何をつくったんだよ」

「万年筆とすずりですっ!」

「万年筆は使わずに返品されたし、硯はそもそも売れてない」

「うぐぐっ……!」


 今度こそ、完全に沈黙した。


 ほんの僅かに期待を抱きはしたが、唯宮とて、想一に言われずとも理解している。


 唯宮じぶんの創る禍宿物カドモノは、現実に何の影響も及ぼすことが出来ない。


 ――つまり、霧室が語った『奇妙な力を持った古物』とやらは、唯宮自身が創り出したものではありえない。


 それが、たがうことのない、想一と唯宮の共通認識だ。


 だからこそ――と、唯宮は、悪ふざけや茶番を取り除いてなお胸中に残る、純粋な疑問を想一に投げかけた。


「……じゃあ、どうしてあの男と話をする気になったんですか?」

「…………」


 想一は言葉を返さない。


 もし、唯宮の禍宿物カドモノが実際に禍いを招く力を持つモノだったとしたら。それを知った上で取り扱っている店のあるじである想一が、後ろめたさや責任を感じて話に応じるのというのは理解できる。いや、そんなもの微塵も感じないかもしれないが――無関心の極みである想一であっても、さすがにそれくらいの良心の呵責は感じるだろう。多分。きっと。


 しかし、逆に言えば、もし仮に古物による超常現象というものが実際に発生していたとしても、唯宮が言うところの『無頓着で無関心で自分以外がどうなろうと知ったこっちゃないという性悪精神』の持ち主である想一ならば、自分や店と一切関係が無いことには絶対に関わろうとはしないだろう。それこそ、突然やってきてナンセンスなオカルト話を語る不審者など、一笑に付して追い払うはずだ。


 だというのに、あろうことか想一はあの胡散臭い男を招き入れ、話をする心づもりだというのだから、唯宮にはまったくもって不可解だった。


「言っときますけど、あの男が言ったことなんて、まるっきり噓八百ですよ。人間の想一さんには分からないでしょうけど、超常現象を起こす物品モノなんて、滅多にあるもんじゃないんですから」


 ふん、と、種族の矜持きょうじを誇るかのように胸を張って断言する唯宮に、しかし想一は無言のままだ。


「もちろん皆無とは言いませんけど、ホンモノはその明確な力の発現ゆえに有名になった果てに、人間や神々やあやかしの手によって、きちんと管理されたり保全されているものばかりなんです。いくら千年以上都が続く土地と言えど、そんな危なっかしいものが街中に転がってるはずがありません」


 まるで教鞭を振るう教師のように、立てた人差し指をくるくると回しながら唯宮がきっぱりと言明する。

 事実、科学の力が闇を払い不可思議を解体しつくした現代において、『モノ』が超常的な現象を発生させるほどの力を宿すとは、物の怪である唯宮だからこそ考えられないのだろう。


 ――唯宮が現実に影響を及ぼすような禍宿物カドモノを創れない以上、『奇妙な力を持った古物』など、()()()()()()()()()


 結局のところ、霧室の言う『古物による超常現象』は単なるガセネタ――真っ赤な嘘である、と帰結される。


 唯宮のこの結論も――きっと、想一と同じはずだ。

 だからこそ、霧室と話をする気になった想一の心理が不可解な疑問となって唯宮の胸に引っかかっている。


 だが、想一は唯宮の疑問を解消するつもりはないようだった。


 口をつぐんだまま、サイドワゴンから取り出した盆に茶托ちゃたくを敷いた湯呑を乗せる想一を一瞥し、雑談の時間は終わりだと察した唯宮が、小さく肩をすくめて言う。


「ま、せいぜいあの胡散臭い男のウソを論破してやってくださいよ。――私以外に、禍宿物カドモノを創るものや怪異のたぐいなんて存在しないんですから」


 ごく僅かな波紋が、湯呑を満たす水面に生まれたことを、当然唯宮は気づかない。


「お前は、余計な口を挟むなよ」


 想一は盆を片手に、見世の土間に隣接した居間へと続くガラス戸を引き開けた。



    ◇



 その六畳の居間は、一般的に思い浮かべる同畳の部屋に比べてやや広い、と感じられるだろう。京間きょうま、と呼ばれるその畳は、現代の新築で一般的に使用されるものより一回りほど大きい。

 とはいえ、虫籠窓むしこまどのある厨子つし二階にかいへ続く箱階段の存在が、やや圧迫感を感じさせる。この居間も『見世』として店舗部分に使用する場合もあるが、ここ蒼月あおつきでは、衣桁いこうに掛けられた着物など幾つかの商品が置かれている程度で、殆どは唯宮や想一が暇を持て余してくつろぐスペースとなっていた。


 ストーブのおかげで底冷えのするような寒さは幾分緩んだものの、まだ少しひやりとした空気が残る居間の真ん中。円形のちゃぶ台の前に、招かれざる来訪者――霧室きりむろはゆったりと胡坐あぐらをかいていた。傍らには、脱いだコートが無造作に畳んで置いてある。

 並べられた古物を眺めてはいるが、さほど興味は無いのだろう。通勤電車の窓からの見慣れた風景を見るような、明確な意図や意思を感じられない緩慢な視線の流れだった。


「やあ、これはどうも。すみませんねぇ、わざわざ」


 想一が膝を折り、無言のまま湯呑を濃褐色のうかっしょくの天板へと滑らせると、霧室は見世の土間へと傾けていた顔を正面へと向き直し、軽く頭を下げた。

 先ほど見せた剣呑けんのんな眼差しはすっかり雲隠れし、人の良さそうな笑みを浮かべたまま湯気の立つ煎茶に口をつけている。

 唯宮は訝し気な視線を霧室へと向けながら、彼の正面に座った想一の隣に腰を下ろした。


 それを待っていたかのように、霧室は手にしていた湯吞を茶托へ戻すと、改まったように両の手のひらを膝に合わせ、先ほどよりもやや深くこうべを垂れた。


「あらためまして、霧室といいます。フリーライターなんかをやってます。どうぞよろしく」


 想一は微動だにせず、言葉も返さない。

 店主のふてぶてしい反応すら想定内だったのか、霧室は笑顔のまま顔を上げると、無表情の想一と唯宮を交互に見やりながら、


「で、えぇっと、桜路さくらじ想一くん――は知ってるんだけど、こちらの可愛いお嬢さんは?」

「え」


 突然水を向けられ、唯宮が思わず声を漏らす。

 可愛いお嬢さんであることは十二分に自覚しているので、驚きも無ければ特に良い気分もしなかったが、つい先ほど『余計な口を挟むな』と想一に釘を刺されたばかりだ。どう返答すべきか、と一瞬思案した矢先、


「遠い親戚です」


 と、想一がいたって端的に返答した。

 霧室は、へえ、と驚いたように顎に手を当て、唯宮の姿かたちをまじまじと眺める。この国において、自然ではありえない髪と瞳の色が不可解なのだろう。


「髪は染めてて、目はカラーコンタクトです。奇抜な恰好が趣味らしくて。つい最近まで外国暮らしで、身体が弱くて入院生活が長かったもんですから、世事に疎かったりおかしな発言も多い厄介な奴なんで、気にしなくていいです」


 唯宮に余計なことを口走らせないためと、この話題を切り上げるためだろう。霧室の疑問を先取りするように、想一は畳みかけるように嘘を吐いた。


 唯宮に関する嘘八百の説明は、今思いついた即興というわけではない。

 近所の住人や知人、目を引く外見に吸い寄せられたよこしまな人間などに対して、唯宮と暮らすようになってから想一が何度も繰り返している、これ以上の詮索を遮断するための呪文のようなものだ。


 この呪文は唯宮自身にも共有されているが、彼女自身はあまり好き好んで使おうとはしない。嘘を吐くのが嫌というわけではなく、ぼんやりと『こいつは話が通じない厄介な奴だから関わるな』という想一の思惑が透けているのが気に食わなかった。


「ああ、そうなんだ。いや、不躾ぶしつけに申し訳なかったね」


 想一の説明で満足したのか、それとも意図をくみ取ったのか、はたまたさしたる興味も無いのか。ともかく、霧室は唯宮へと軽く頭を下げた。

 主語が明確ではなく、何に対して謝っているのかはわからなかったが、唯宮は小さく顎を引く。仕切り直しの定型文のようなもので、そもそも彼自身、何かに対して謝罪しているつもりもないのだろうから。


 霧室は続く動作で見世の土間に置かれた古物へと再び視線を投げると、大仰な仕草で感心したように大きく頷いてみせた。


「いやあ、それにしても色んな品物を扱ってるんだねぇ。古物商って言ったら骨董品とか美術品のイメージだったからビックリしたよ。意外と日用品も多いんだね。やっぱり、こういう普段使いできる物のほうが売れるのかな?」

「そうとも限らないです。土地柄なのか、美術品の掘り出し物を探しに来るお客さんも多いんで」


 無表情のまま身じろぎもせず、想一が温度の無い言葉を返す。

 霧室は一層感服したように、ぐるりと天井まで視線を這わせると、


「なるほどねぇ。ここは、元々ご祖父母が営んでいたお店なんだって?」

「そうです」

「失礼だけど、ご両親は?」

「俺が小さい頃に事故で亡くなりました」

「なるほど。それでご祖父母に引き取られたんだ?」

「そうです」

「そのご祖父母も最近お亡くなりになって、想一くんがこのお店を継いだって近所の人から聞いたけど」

「そうです」

「それは何年前かな?」

「二年前です」

「えぇっと、高校二年が五年前だから……今、想一くん二十二になるのかな?」

「そうです」

「大学には行かなかったの? 洛条らくじょう高校っていえば文武両道で有名だよね。想一くんならスポーツ推薦だって――」


「取り調べですか、これは」


 冷ややかな敵意を宿した瞳で睨みつけながら、想一が低い声で霧室の口上を裂いた。

 霧室は一瞬、呆気にとられたように目を瞬かせたが、すぐに破顔すると至極愉快そうに肩を揺らせて笑い出した。

 思わず眉を顰める想一と困惑する唯宮を気にも留めず、ひとしきりたのしみ終えると、霧室は緩慢な身振りで頭を下げた。


「いやいや、ゴメンゴメン。そんなつもりは無かったんだよ。言われてみれば確かに。良くないね、こりゃ。うん。申し訳ない」


 悪びれた風もなく、笑いの余韻を堪えるようにくつくつと喉を鳴らしながら、取ってつけたように言う。

 さすがに不快感を隠せなくなったらしい想一が、上半身の重心をやや後方へ移しながら腕を組んだ。


「……言っときますけど、ウチは普通の店です。叩こうが殴ろうがホコリなんて出ませんよ」

「いやあ、別に疑ってるわけじゃなくてね」

「怪しげな品の出処でどころがウチだって言ったでしょう」

「そういう情報があったってだけでさ」

「情報のウラも取らない無能には見えないけど」

「取れるようなウラに心当たりがあるんだ?」

「ありません」


 きっぱりとした口調で想一が言い切る。

 霧室がどんな情報を得ているのかは、想一や唯宮からすると見当もつかない。さすがに、眼前の店主が隣に『叩かれると出るホコリ』『取られると困るウラ』そのものである物の怪を座らせている、とは気づいていないだろうが。


 一人と一匹からの探るような視線を感じ取ったのか、霧室は困ったように笑いながら頭に手をやると、


「えぇっとね。決して、このお店が怪しいとか悪事を働いてるとか疑ってるわけじゃなくて。ただ、この近くで古物によるおかしな現象が発生したってのは本当でさ。その出処をたどったら、想一くんのお店に着いたってだけで」

「……俺のことを随分ずいぶん詳しく知ってたみたいですけど」

「ああいや。それはさぁ、ここに来る途中、近所の人から聞いただけだよ。僕だってビックリしたんだから」


 まさかあの桜路選手がねぇ、と継ぐ霧室の言葉に、分かりやすく想一の眉間の皺が深くなる。想一は不快感をあらわにするように大きく息を吐くと、組んでいた腕を解き、片肘を天板に乗せた。


「そもそも、その『古物によるおかしな現象』ってのは、一体何があったんですか」

「いやいや、それはちょっと。おいそれとは言えないよ。ほら、当事者のプライバシーってのもあるしさぁ」


 想一の忌諱タブーというプライバシーを踏み抜いておきながら良く言えたものだ、と唯宮が心の中でひとちる。

 へらへらと笑いながら言う霧室に、問い詰めても無駄だと感じたのか、想一はやや視線を伏せ、僅かに逡巡しゅんじゅんしたあと、眼前の男を見据えて問いかける。


「なら、そのおかしな現象を起こした『古物』っていうのはどういう物品なんですか」


 途端、唯宮は、ふと妙な違和感を覚えた。

 しかし、唯宮がそれを確かめる前に、霧室が「へえ」と興味深そうな声を上げる。


「気になる?」

「当たり前でしょう。それが分かれば、本当にウチで売った商品なのかハッキリする」

「そっかぁ。まあ、そうだよねぇ」


 愉しげな笑みを浮かべながら、霧室は前を開いたままのスーツの内側へ手を差し込んだ。節くれ立った指が連れてきたのは、黒いカバーが掛かった手帳だった。

 今どき紙の手帳とは珍しい、と、物の怪だというのにネット漬けで想一のタブレットばかりいじっている唯宮が、僅かに身を乗り出した。お世辞にも丁寧に扱っているとは言い難い年季の入った手帳をめくる仕草が、妙にどうっている。


「まあ、これくらいなら教えてあげてもいいかな」


 霧室は恩着せがましく呟くと、手帳をパタンと閉じて告げる。


「鏡だよ」


「……鏡……」


 想一が、口の中でごく小さく復唱する。


「そう。これくらいの手鏡でね。鏡背きょうはいは銀色で、まあ、本物の銀ってわけじゃなくて、多分メッキだと思うけど。全体に蛇の装飾があしらわれていて、持ち手部分にはストラップみたいにチェーンが付いてたね」


 霧室がそう説明しながら、人差し指でくるり、と十五センチほどの楕円をえがいてみせた。


 唯宮は記憶の引き出しを片っ端から引き抜き、霧室の言う古物の姿かたちを探る。

 しかし、案の定。手鏡など自ら創り上げた記憶も無ければ、有り物に力を籠めた記憶も無い。

 ――やはり、唯宮が創った禍宿物カドモノではないのだ。

 それに、少なくとも唯宮は、蒼月(この店)で暮らし始めた一年前から現在に至るまで、銀色の手鏡など見た事が無い。

 姿見やコンパクトミラーはいくつか商品として取り扱っていた覚えがあるが、それらも仕入れてから短期間で売れたもので、今現在、蒼月の店内に『鏡』はひとつも並んでいなかった。


 想一も自身の記憶を探り、その事実に行き当たったのだろう。先程までより随分と平静を取り戻した様子で、大きく頷いてみせた。


「やっぱり、心当たりありませんね。ウチの商品じゃない」

「へえ? ホントに?」

「疑うんなら台帳でも何でも見てもらって構いませんよ」


 真っ向から否定する想一に、しかし霧室は笑顔を崩さない。


 想一の主張は、もちろん唯宮と同じで、間違っていない。

 銀色の手鏡など、扱っていない。売っていない。

 ――だからこそ、この蒼月が『怪しげな品の出処』であるはずがない。

 筋は通っている。

 だが、しかし――――

 何かがおかしい、と、唯宮はざわつく胸を静かに押さえた。


「うーん、おかしいなぁ。でも、近辺で古物絡みの超常現象が起きたのは確かだし、ここが出処だって情報もあるんだよねぇ」


 やや芝居がかった仕草で首を傾げながら腕を組む霧室に、想一は呆れたように息をつき、


「ウチが出処だなんて、誰が言ってるんですか」

「それは言えないよ。ネタ元を吐くライターなんて居ない」

「話にならないな」


 吐き捨てるようにそう言うと、威嚇するように身を乗り出して語調を強くする。


「ウチみたいな小さな個人店は信用が第一なんです。あんたが誰からどんな情報ネタ仕入れたのか知らないけど、出す記事によっては信用毀損(きそん)で訴えますよ」


 『信用が第一』。唯宮も以前想一から言われた言葉だ。

 スマホの普及やSNSの台頭により、一億総メディア時代と言われて久しい。個人の何気ない不平不満や愚痴が、企業の信用を著しく貶める事態に発展することも少なくない昨今だ。

 この霧室というフリーライターがどこまでの『拡散力』を持っているのかは不明だが、記事の内容によってはこんな小さな個人商店などあっという間に潰されるだろう。


 しかし、この手の牽制は慣れたものなのか、霧室は柔らかく浮かべた笑みはそのままに眼前で右手を振ると、


「いやいや、そんなに警戒しないで。僕はね、取材元には、世に出す前の記事を確認してもらうことにしてるんだよ。こういう記事を出しますけど良いですかってね」


 ゆるりとした仕草で手を下げ、ちゃぶ台の天板に置いた左手と組むと、まるで子どもに言い聞かせる教師のような面持ちで言葉を継ぐ。


「もちろん、相手が嫌がったら記事を削ったり出典をぼかしたり、迷惑がかからないように対応する。取材元が居なけりゃ、僕らの商売なんて成り立たないんだから、そこはしっかり守るよ。何なら、ノリノリで取材受けたのに後からやっぱりヤダ! って言われて丸ごと飛んだ記事だってあるんだから」


 ジャーナリストは情報ソースを明かさない、と、以前読んだ小説に書いていたことを唯宮は思い出した。

 この眼前でへらへらと笑う胡散臭い男が、確固たる信念を抱いたジャーナリストには到底見えないが、あれは参ったね、と笑うその言葉には、意外にも胡乱うろんな影はうかがえない。


「……だったら、余計ウチに取材なんて無意味ですよ。あんたの商売が成り立つようなありがたい『取材元』にはなれませんから」


 霧室の言葉を信じたのか、それとも言質げんちを取ったつもりなのか、想一が険しい口調を崩さずに告げると、霧室は、へえ、と口端を引き上げて笑う。


「それは、記事にはしてほしくないってこと?」

「取材するに値しないってことです」

「そんなことないよ。僕としては、十分取材させてもらう価値があると思ってるんだから」

「時間の無駄ですよ。出せる情報なんて無い」

「出せる情報が無い? それはどうしてかな?」


 顎に手をやり首を傾げて問われると、想一は苛立ったように「だから、」と語気を強め、


「あんたが言うところの『奇妙な力を持った古物』なんか売ってない。出処でどころがウチだなんて、とんだガセネタだって言ってるんだよ」


 ピリ、と、引き戸に嵌め込まれた型ガラスが微かに震えた。


 唯宮は、やや俯いたまま視線だけを想一へと滑らせる。彼の怒気をはらんだ目元が、薄っすらと赤く染まっていた。


 想一がここまで感情をあらわにする姿は珍しい。唯宮の粗相に対して怒ることは日常茶飯事だが、あれらは怒りの感情というより、どちらかと言えば出来の悪い子どもへのしつけや叱りつけに近かったのだろう。


 人懐っこくへりくだっているようで、そのじつ、人を煽ってたのしんでいるような霧室の物言いに苛立ちを覚える想一の気持ちは、隣で聞いているだけの唯宮にも十分すぎるほど理解できる。

 自分の店に身に覚えのない容疑をかけられているのだから、憤慨するのも分かる。

 だが――と、唯宮の胸中をざわめかせる違和感が、また大きくなる。


 そして、



「――想一くん、キミって変わってるねぇ」



 唯宮がその違和感の実体を捉えるより早く。


 とっくに捕まえて手のひらで弄んでいたその正体を、霧室は至極愉しげに披露しはじめた。


「……何が」


 息とともに吐きだした想一の短い詰問に、霧室は手品のタネを明かすような仕草で両手を広げ、


「だって、僕の言うことを全く否定しないじゃないか」

「はあ?」


 嘲笑すら滲ませた言葉が、想一に一層怒気をはらんだ声を上げさせる。


「あんた、俺の言うこと聞いてたのか?」

「もちろん聞いてたよ」

「何をどう聞いたらそう解釈できるんだよ。俺は最初っからずっとあんたの言うことを否定し続けてるだろ」

「ああ、『奇妙な力を持った古物』はウチが売ったものじゃない、って?」

「そうだ」


 抜き身の刃のような鋭い視線を投げつけながら、想一がきっぱりと言い切る。

 しかし霧室は笑顔を浮かべたまま、天板に片肘を置き身を乗り出すと、


「そうじゃないよ、想一くん。この現代日本で、ごく普通の生活を送っている人間なら――まず最初に否定しなくちゃいけないのは、()()なんかじゃない」


 諭すようにゆっくりと言葉を継ぐ。



「――『奇妙な力を持った古物』という()()()()()()なんだよ」



 想一が目を見開き、言葉を失う。


 あ、と。

 喉元まで出かかった声を、唯宮は何とか押し殺した。


 そうだ――と、奥歯を嚙み締める。

 唯宮がずっと感じていた違和感は、まさに()()だったのだ。



「いやあ、こういうシゴトしてるとさ、そりゃもう怒鳴られたり追い払われたりなんて日常茶飯事なんだよ。警察を呼ばれたことだって一度や二度じゃない。ちょっとハナシを訊こうとしただけなのに、ひどいもんだよねぇ」


 霧室は大袈裟な身振りで上体を逸らせると、その身に刻まれた苦労話を語り始めた。


「特にほら、僕が扱ってるのはオカルトだろう? 幽霊やら都市伝説やら妖怪やら未確認生物やら――そういうものについて聞き込みをするとさあ、必ず言われちゃうんだよ。『そんな馬鹿なことがあるわけないだろ』って。皆揃って、()()()()()()を否定するんだよ」

「…………」

「まあ、そりゃそうだよねぇ。こんないいトシしただいの大人に『このマンションに幽霊が出るって聞いたんですけど』なんて訊かれたらさ。でもまあ、ごくたまに、そういうオカルトめいたものを信じてる人も居てね」


 無言のまま身じろぎもしない想一を気にも留めない様子で、霧室はすっかり冷えた湯吞の茶を一口含む。


「でもねぇ、そういうオカルト信奉者ですら、僕が目撃情報の話をすると『やっぱりそうなんですね』とか『本当に居たんですね』とか『私は感じ取ってました』とかさ。信じている度合いに関わらず、その超常現象の()()()()()()()ところから入るんだよ」


 茶托へと湯吞を置きながら、「いいかい?」と継ぐと、


「キミは最初に『ウチは普通の店だ』って関与を否定した。次に、『古物によって引き起こされた現象』をたずね、その次の質問は『その古物は何だったのか』だ。そしてまた『自分の店の商品ではない』って主張した。キミは徹頭徹尾、『そんなモノが現実にあるわけがない』って趣旨の発言をしていない。現実的には考えられないモノの()()()()に対して一切言及しないってのは――随分と不自然なんだよ」



 獲物を射るような眼差しで、真正面から想一を見据えて告げる。



「――まるで、『それ』がることを、当たり前に受け入れているようでさ」



 唯宮が耐えかねたように、隣で微動だにしない想一へと振り返った。

 霧室を睨みつける眼光に鋭さは宿ったままだが、わずかに焦燥の色と、痛みに耐えているかのような苦悶が滲んでいる。


 地が瓦解し崩落するような感覚すら感じ、唯宮は井草でこしらえられた畳の目を指先で撫でた。



 ――唯宮が現実に影響を及ぼすような禍宿物カドモノを創れない以上、『奇妙な力を持った古物』など、()()()()()()()()()


 それが、想一と唯宮の、たがうことのない共通認識だった()()だ。


 だからこそ想一は、『現代日本でごく普通の生活を送っている人間』とは理由が違えど、『その存在の否定』をし、霧室の問いかけや主張を根っこから断ち切れるはずだった。


 ――奇妙な力を持った古物など、()()()()()()()


 ――唯宮が創れないモノが、存在しているわけがないのだから。


 しかし、霧室との問答で、想一は『その存在の否定』をついぞ口にしなかった。


 霧室の言う通り、『それ』がることを当然だと認識しているかのように。


 これでは、まるで。と、唯宮は思う。




 まるで、唯宮じぶんが創れないモノを。


 ――――るはずのないモノを、想一がっているようではないか。と。




「…………それで、あんたは結局何が目的なんだ」


 憤りと諦めがぜになったような複雑な声色で、想一が絞り出すように言葉を吐いた。


「あんたが俺の何をどこまで探ってるのかは知らないし興味も無い。だけど、あんたの言う、この近辺で古物が引き起こした超常現象なんてのは本当に知らない。もちろん、ウチの店も無関係だ」


 消えかけた戦意に再び火を灯すように毅然とした口調で言い切る想一に、しかし霧室は困ったように笑いながら顎に手を当て、


「想一くんは嘘が吐けない子なんだねぇ」

「……は?」


 苦笑交じりの呟くような言葉は独り言だったらしい。霧室は「まあ、それはそれとして」と、眉を顰める想一へと向き直った。


「想一くん。何か勘違いしてるようだけど、僕はキミの敵じゃないよ」

「それを決めるのはあんたじゃない」

「あははっ、確かにそりゃそうだ」


 場違いなほど明るく朗らかな笑い声が、居間に響いた。ストーブの熱でとっくに暖まっているはずの空気が、奇妙に冷え冷えと感じられる。


「僕はただ、想一くんにこの取材ヤマを少し手伝ってもらいたいだけなんだよ。絶対に危険なことはさせないし、もちろん報酬も支払う。記事には、この店のことも想一くんのことも一切載せない。どうかな?」


 取り繕うこともしない陳腐な誘い文句に、想一は嘲笑うように息を吐き出した。


「そんなもの、俺が引き受けるとでも思ってるのか」

「思ってるよ」


 霧室が笑みを浮かべたまま即答する。


「想一くんがこの提案を――いや、古物絡みの超常現象()()()()を拒絶するつもりなら、僕は美味しいお茶を飲むことも無く、とっくに寒空の下に追い出されていただろうからね」


 想一は口をつぐみ、視線を濃褐色の天板へと落とす。


「協力してくれるよね。想一くん」


 霧室の節くれ立った中指が、とん、とちゃぶ台の天板を叩いた。




「僕と一緒にさ、憎き『奇妙な力を持った古物』を追おうじゃないか」




「――――るわけないでしょう。そんな馬鹿げたモノが、現実に」




 霧室の禍いを招くいざないに、決然とそう声を上げたのは、うつつを生きる人間ではなかった。




「えぇっと、」


 突然場外から降ってきた否定の言葉に、霧室は目を瞬かせ、「君は?」と継いだ。

 名前さえ告げていないものの、紹介はすでに終えている。もちろん、キミは誰だ、という意味ではなく、何のつもりだ部外者が、とでも言いたいのだろう。


「私は唯宮ゆいみやといいます。この古物店、蒼月の副店主です」

「おい」


 唯宮の勝手な発言を聞き捨てならないとばかりに、想一が鋭い視線を向けながら声を上げる。普段の、子どもの悪戯をたしなめるような声色ではなく、会話への介入そのものを咎める強い語調だ。


 しかし唯宮はそれを無視し、ちゃぶ台を挟んで対峙する二人の男へと交互に目をやりながら、


「平日の真昼間からだいの大人二人が、何をくだらない戯言たわごとをのたまってるんですか? 奇妙な力を持った古物? それによって引き起こされた超常現象? 馬鹿馬鹿しいったらないですね」


 盛大に溜息をつくと、きっぱりと言い切った。



「――そんなモノはこの世に存在しません。絶対に」



 唯宮を睨みつけていた想一の瞳が、驚いたように僅かに見開く。


 そうだ。と、唯宮は空気を震わせたその言葉を、自ら肯定する。


 どれほど科学があらゆる不可思議を打ち崩し瓦解させようとも、人間の想像力というものがある限り、完全なる無に帰すことは出来ない。

 常にまばゆい光で包まれているうつつかごの中で生きる人間だからこそ、くらい闇が揺蕩たゆたう籠の外の様子を想像する。あるものをないと言い、ないものをあると言う。真実は人間には分からない。光さえ呑み込む闇の奥深くに潜むものを、人間はあるともないとも証明できない。


 それは、籠の外の闇で生きる存在ものにしか証明できない。


「唯宮さん、だっけ」


 標的を今まさに射ようとした瞬間に、想定外の角度から妨害をされたことが気に食わないのだろう。霧室はようやっとあらわにした感情でやや眉間を寄せながら、それでも笑顔を崩さず唯宮に水を向けた。


「どうしてそんなことが言い切れるのかな? そりゃあ、人魂に心霊写真に未確認生物に、人間のつくりだした科学ってものに潰されたロマンはたくさんあるけどさ。絶対に無い、なんて誰にも――」

「言い切れますよ。私は」

「……だから、どうして?」


 冷ややかな色が宿り始める霧室の問いかけに、唯宮は勢いよく立ち上がると、胸を張って堂々と宣言した。



「――私が無能だからですよ!」



 霧室が、呆気にとられたように啞然と唯宮を見上げる。

 ふっ、と短く空気が押し出されるような音がして、唯宮が視線をたどると、想一が俯かせた顔を背け、右手の甲を口に当てていた。

 唯宮は、こっちは真剣なのに何を笑っているんだという憤慨と同時に、先ほどから感じていた、胸を突き刺す痛みのようなものが和らいでいくのを感じた。


 唯宮には、現実に影響を及ぼすモノなど創れない。

 現実は馬鹿みたいに頑丈で、堅牢で。強固に張り巡らされた不均衡が、些細な夢すら一顧いっこだにせず嘲笑って踏み潰す。


 夢すら叶えられない無能の自分だからこそ、あり得ないと言い切れる。

 絶対に無いと、証明できる。


 自分にしか創れず、自分にも創れないモノが、存在しているわけがない。


「想一さん」


 唯宮の呼びかけに、笑いは収まったらしい想一がゆっくりと振り向いた。

 唯宮よりも頭ひとつ分はゆうに背の高い想一をこうして見下ろすのは、何だか気分が良かった。


「私を無能だ出来損ないだ、と散々罵ってきたのは、他ならぬ想一さん自身です」


 想一が目を瞬かせる。


「――だったら、その発言には責任を持ってもらわないと」


 責任をもって――信じてもらわないと。


 叱咤するような、訴えるような、縋るような。

 いくつもの糸が絡み合った唯宮の眼差しを、想一はしばし見つめ――


 つい、と逸らすと、俯いたまま小さく呟いた。


「……お人好しが」

「何ですかっ!? この偉大なる副店主の言うことに何か不満でも!?」


 ずざっ! と音を立てて畳を滑りながら座り込んだ唯宮に、想一は普段通りのわずらわしそうな口調で、


「耳元でわめくな。うるさい。それに何だ、その副店主ってのは。誰が許可したそんなもん」

「何を言ってるんですか! この店には想一さんと私しかいないんですよ? 想一さんが一番目で店主なら、二番目の私は副店主に決まってるじゃあないですかっ」

「お前に任せるくらいなら去年商店街の福引で当たった招き猫を副店主に任命するほうがマシだ」

「またそういう捻くれたことをっ!」


 たんっ、と畳を叩いて唯宮が抗議の声を上げるとほぼ同時に、ちゃぶ台の向こう側から耐えかねたように失笑が噴き出した。

 想一と唯宮が揃って視線を向けると、霧室が笑い声を上げながら両手を畳へとつき、上体を後ろに逸らして姿勢を崩していた。


「いやあ、なるほどなるほど。面白いねぇ」


 霧室は、自らが蒔いた不穏の種を払拭するかのように、屈託なく笑いながら言葉を続ける。


「想一くん。その、遠いご親戚の彼女カノジョ。確かにキミの言う通り、おかしな発言が多い厄介なみたいだねぇ」

「……ああ」


 仕切り直すように、想一は意志の強さを蘇らせた視線を霧室へと向けた。


「確かに、こいつは世事に疎くておかしな発言が多くて店番もひとりで出来ないようなポンコツのくせに自己肯定感は異常に高くて」

「ちょっと! さっきよりいわれの無い罵倒が増えてますよ!」

「じゃあ、やっぱりキミの言う通り、彼女の言うことは『気にしなくていい』んだね?」

「悪いけど、それは撤回させてもらう」


 からかうような口調で確認する霧室に、しかし想一はきっぱりと首を振り、


「古物に関しては俺よりこいつ――唯宮のほうが詳しいんでね。自称副店主の言うことは、肝に銘じてもらわないと」


 一矢報いるかのごとく、口端を小さく歪めて告げた。


 自称、は余計だ、と思いつつも、唯宮も眼差しを強くして対峙する不遜な来訪者を睨みつける。

 店主と自称副店主。ふたつの敵意に満ちた視線を注がれた霧室は、しばしそれを受け止めたのち――降参した、とでも言わんばかりに両手を肩の上あたりにまで引き挙げると、ホールドアップの体勢を取ってみせた。


「いやあ、参った参った。ちょっと意地悪しすぎちゃったかな」


 へらへらと笑いながら、想一と唯宮を交互に見やり、ぺこりと頭を下げる。


「こっちも飯のタネが掛かってるもんでさぁ、つい必死になっちゃって。謝るから、そんなに責めないでよ。若い子二人からそんな風に睨まれちゃあ、僕みたいなおじさんは泣いて退散するしかないじゃないか」

「こっちは最初からそれを望んでるんですよっ!」


 悪びれる風もなく被害者面をしはじめる霧室に、唯宮が噛みつくように声を上げた。

 物の怪たる唯宮から見ても、霧室の『取材』はあまりに悪趣味極まりない手法だった。飯のタネとは言うが、生きる為に獲物を狩るのはともかく、ひと思いに殺さず愉しみながら相手をいたぶるようなやり口はさすがに看過できない。


「じゃあ、僕の取材を手伝ってはもらえないのかな?」

「当たり前ですっ! そんなもの手伝うわけないでしょう! どうしてもって言うなら前金で三億! 今すぐ支払ってくださいっ!」

「いやあ、さすがに現金輸送車を強奪しなきゃ調達出来ないほどの報酬は出せないなぁ。意外と薄給なんだよねぇ」

「知りませんよ! さあ、とっととお帰り下さい! さもないとこの街の伝統的な食べ物をお見舞いすることになりますよっ!」

「だからそれはお見舞いするもんじゃないし、そもそもそんな習慣は無い」


 まるで野生動物を追い払うように手を振りながら言う唯宮に、想一があらためて釘をさす。

 しかし、そんな二人のやり取りなど意に介していない様子で、霧室は挙げていた手をゆるりと下ろすと、今度は苦慮するかのように俯いて額をおさえた。


「困ったな、どうしようかなぁ。古物に関するこの記事が飛んじゃったら、来月の家賃が……」

「同情を誘おうったってムダですよ。そんなの、こっちは知ったことじゃないんですから」


 唯宮が、つん、と顔を背けて言い放つ。

 困り果てているような様子の霧室を、想一は心の内の葛藤が滲む面持ちで見据えている。

 当然、霧室に同情しているわけではない。罠だと分かっていても、渇望してやまないモノがあるかもしれない蟻地獄に、足を踏み入れそうになるのを必死に堪えているのだろう。

 唯宮とて、霧室のいざないをはっきりと拒絶しなかった想一が、何らかの相剋そうこくする思いを抱えていることには気づいている。

 だからといって――いや、だからこそ、この霧室という男の口車に乗ってはいけない。それはきっと、禍いを招くものに他ならない。

 唯宮の物の怪としての勘が、強く警鐘を鳴らしていた。


「――あ、じゃあさ」


 妙案を思いついたとばかりに、霧室は縋るような表情で想一に目を向けると、


「今回の古物絡みの記事がダメになっちゃった時のための、ホケンってことでさ。ほら、さっき想一くんが言ってた『学生スポーツ記事』! こっちの取材なら受けてくれる?」

「受けるわけないだろ」


 歯牙にもかけず、ばっさりと一刀両断する。


「えぇ? こっちもダメなの? せっかく伝説の洛条らくじょう高校スモールフォワード、桜路さくらじ想一選手を取材出来ると思ったのに……」

「買い被りすぎだ。伝説でも何でもない」

「そっかぁ……当時のこと、イロイロ訊きたいんだけどなぁ」

「…………」


 不穏な含みを持たせた口ぶりに、やや緩みかけていた想一の眼差しが険しさを取り戻す。

 それに気づいたのか否か、霧室は『狩りの終わり』を告げるかのように、ぽん、と両手を打つと、ゆっくりとした動作で腰を上げる。慣れない床座ゆかざのせいか、少しよろめきながらも立ち上がると、傍らのコートを手に取った。


「まあ、強引な取材はガラじゃないんでね。残念だけど、退散させてもらおうかな」


 頭に手をやりながら朗らかに笑う霧室を、よくもまあいけしゃあしゃあと、と唯宮は半眼で睨みつける。今の一連が『強引』でないのなら、たとえこの男をふん縛って有り金全部奪ったところで『合意の上』とさえ言えるだろう。


 当然、想一も唯宮も、見送りなどする気はさらさら無い。霧室がちゃぶ台の横を通り抜け、二人の背後にあるガラスの引き戸に手をかけたとほぼ同時に、「大したお構いも出来ませんで」と、どこで覚えたのか――おそらくネットで見たのであろう、唯宮が『らしい』言葉を言い放った。



「――――ああ、そうそう」



 型ガラスの揺れる音と共に戸を引き開けながら、霧室は今まさに思い出した、とでも言わんばかりの芝居がかった口調で声を上げた。


「迷惑をかけちゃったお詫びに、ひとつだけ。教えておいてあげるよ」


 弛緩しかかっていた居間の空気が、ざわりと禍々しさを纏い始める。


「今回の、古物による超常現象に巻き込まれた当事者――被害者、って言った方がいいのかな? ああ、まあ怪我もなく生きてはいるんだけどさ、そのコの名前」


 想一と唯宮がゆるゆると振り返ると、霧室は例の黒い手帳を手に、二人を見下ろしていた。



羽織はおり佳澄かすみさん。二十二歳。志堂館しどうかん大学の四回生で――出身高校は、洛条らくじょう高校」



 想一が息を呑む音が、唯宮の耳に届く。


「ビックリなんだけど、彼女――羽織さんは、想一くんの高校時代の同級生らしいんだよねぇ。想一くん、彼女のこと、覚えてる?」


 霧室はひょいと膝を折り、座ったままの想一と視線を合わせると、にっこりと満面の笑みを浮かべてみせた。


「まさか忘れるわけないよねぇ? 高校生の頃に付き合ってた()()のことをさぁ」


「こっ――――!?」


 今回ばかりは押しとどめることすらかなわず、唯宮の喉から自身さえも驚くほどの大きな声が漏れた。

 口元を手で覆い驚愕する唯宮には目もくれず、霧室は手にしたままの手帳を無造作にぺらぺらとめくり、


「しかも羽織さん、バスケ部のマネージャーをやってたんだって? いやあ、僕は運が良いなぁ。もし、この古物絡みの記事がダメになっちゃっても、さぁ」


 ぱん、と、片手で黒い情報源を閉じてみせる。

 まるで、罠に掛かった獲物を仕留めるように。



「――羽織さんから、当時のキミのことをイロイロけちゃいそうなんだからねぇ」



 光を受けた格子窓によって生み出された影が、まるで蒼月そのものを捕らえる檻の鞘のように伸びている。


 幾重にも仕掛けられた計略が、とっくに己の喉元へと突き付けられていたことを察した想一は、吐き捨てるように「ヤクザが」と呟いた。



 彼の狩りは、たしかに終わりを告げていたのだ。


 おそらく、彼が蒼月の敷居を跨いだその瞬間には、もうすでに。



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