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エピローグ 名前が残る場所

街があった場所には、何も残らなかった。

瓦礫も、門も、秤も。

まるで最初から存在しなかったかのように、ただ風が吹いている。


それでも、人は集まってきた。


名前を削られた者。

名前を売った者。

名前を失いかけた者。


彼らは皆、同じ不安を抱えていた。

――自分は、もう誰なのか。


「急がなくていい」


イオはそう言って、焚き火の薪を足す。


「名前は、戻るものじゃない。育つものだ」


その言葉を、誰かが繰り返す。

やがて、それはこの場所の合言葉になった。


かつて街だった土地の外れに、小さな集落ができた。

通貨はない。

秤もない。

名前を量る者もいない。


呼びたい名前を、呼ぶ。

呼ばれたい名前で、応える。


それだけだ。


「イオ」


背後から声がした。


振り返ると、彼女が立っている。

長い間、“名無し”だった少女。


「呼んだ?」

「うん」


彼女は少しだけ照れたように、続ける。


「ちゃんと呼ばれるの、まだ慣れなくて」


彼女には名前がある。

イオが与えたのではない。

彼女自身が選び、何度も口にし、少しずつ馴染ませた名前。


「いい音だよ」

イオは言う。

「前より、ずっと」


彼女は笑った。


「名前ってさ、不思議だね」

「どうして?」

「縛られるものだと思ってた。でも――」


空を見上げる。


「生きた分だけ、変わるんだ」


イオは自分の胸に手を当てた。

燃えたはずの名前は、まだそこにある。

削れた部分もある。

失った音もある。


それでも。


「減った分だけ、軽くなった気がする」

「うん」


二人は並んで歩き出す。


誰かが彼らを呼ぶ。

間違えた名前で。

それでもいい。


呼ばれ、訂正し、笑って、また呼ばれる。


名前は、もう食べられない。


ここでは、

生きることでしか、減らない。


風が吹き、声が重なり、

新しい街の音が、静かに生まれていた。

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