君色の廊下
3時くらいがめっちゃ伸びますね。穴場?
この街で一番高いこの学校の最も高い場所にある屋上。つまりこの街で最も高いここから暮れゆく街の光と影を眺めながら、先程の言動を深く反省する。
無計画にも咄嗟に屋上へ飛び出してよくわからないことを口走って、一方的に自分の過去を話したかと思えば耐えきれずに背を向けて屋上を見ている。
一体何をしているんだろう……。完全に失敗した。朝凪さんになにかアプローチしたかったのにむしろ距離が離れたのではないだろうか。
一か八か、博打に出たはいいものの朝凪さんを怒らせただけ。きっともう仲良さそうに装うことさえ許してはくれないだろう。2年生の春にして学生生活の死が見える。
それはまだいい。最近少しクラスに馴染み始めていた気はするけど、元々ろくに友達もいない学生時代を過ごしてきたんだから……。
一番の問題は千載一遇のチャンスを逃したこと。チャンスの前髪は掴めず、ありもしないチャンスの後ろ髪を引きたい気持ちでいっぱいだ。
失意の中、隣を見れるとなぜか個々にバラけて自分と同じく街を見下ろす2人。
なんの意図があってこんなことを……?
困惑に半分くらい頭を支配されたまましばらく街を眺めて自問自答をして、心も落ち着いてきたところで無言の間があまりにも苦しいので身を翻して出口に向かう。
残された2人になんて声をかけるべきだろうか。なんて考えている逃げるような自分の背中に声が投げかけられる。
「ねぇ、教えて」
渋るようにのろのろと振り返ると声の主の朝凪さんはまだ街を見ていた。何か思うところがあるのだろうか。
「教えてって、何を?」
「あなたにはこの街はどんな風に見えているの?」
質問の意味がよくわからなかった。朝凪さんは視力が悪いとかそういうことだろうか……?
「この世界はどう見えるの?どんな色をしているのかな。」
それは質問というよりも独り言みたいで、答えを期待しているという様子でもない。
なんと返すべきか悩んでいると朝凪さんは跳ねるように身を起こして屋上の柵から離れた。朝凪さんの活発なその動作は教室で見る朝凪さんとはどこか別人のように明るく軽やかに見えた。そのまま流れるようにこちらに体を向けて、
「じゃあ、私もう行くね。」
と言い放ち駆け足で自分の隣を通り過ぎてあっという間に屋上の扉に辿り着く。
事も無げにドアを開き、屋上と廊下の境目でこちらに背を向けたまま目配せをして言った。
「また明日ね。」
想定外の言葉に理解が及ばずにほんの一瞬が長い空白のように感じられた。
「朝凪さん、それって……」
意味を確かめるように声をかけると、朝凪さんはその場でくるりと踊るように身を翻してイタズラに笑う。
「明音でいいよ、またね。」
クスクスと楽しげに笑って廊下を駆け出す朝凪さんの先には茜色の道が続いていた。
*****
私は廊下を駆け足で進んでいた。まだ走るには足りないくらいの速さで、待ちきれないと騒ぐ心に突き動かされるように。
招いた覚えのない観客の騒がしさに嫌気がさして邪魔をしないでと文句を言いにいったのに、無理矢理に割り込んできた観客は自分勝手に思い出話をした。何の話と思いつつも、子供みたいな夢に惹かれてしまった。
誰に聞いたってバカげてると笑い飛ばすような無謀な夢を今もずっと追い続けて、諦めたようなことを言っているのに少しも諦めていなさそうな顔をする彼の見る世界が気になった。
きっと彼が見ている世界は色に溢れているんだと思う。私にとって退屈で代わり映えのしない灰色の世界とは違うものが見えている。だから何かにそこまで必死になれるんじゃないかな。
私の中で凍りついた心に血が巡って胸の奥が熱くなるのを感じる。
変わることへの戸惑いがまだ私の足を躊躇わせているけど、迷いながらも足は前に進もうとしている。
込み上げる気持ちを抑えきれずに飛び出した廊下は夕陽の輝きで満ちていて、駆け出した私は鼻歌を歌っていた。
*****
何が起こったのかわからないまま、困惑の夜が明けて新しい今日が来て戸惑いを抱えたまま朝の眠気も忘れて呆然としながら学校に着く。
自分が考えているのかいないのか、それすらもよくわからないまま教室のドアを潜る。
「おはよう、暮橋くん」
「ああ、おはよう……」
フラフラと教室後方の自分の席まで辿り着いたところでハッとして振り返る。
今の、誰に挨拶された……?
振り返った視線の先にいたのはやはり朝凪さんだった。まさか、向こうから挨拶を投げかけてくるとは思わなかった。こっちは昨日の行動の意図が読み取れず頭を悩ませているというのに当の本人は事もなさげだ。
昨日はもう挨拶を返してもらうこともできなくなって今よりずっと厳しい立場に置かれるとすら思っていたのに。
何はともあれ僥倖。よし、と改めて今の朝凪さんの周りを取り巻く状況を見てさらに戸惑う。
朝凪さんの周りに人がいる……。
そんなの普通だろと言われてしまいそうだけど、自分が地道にヒットアンドアウェイを繰り返すことで少しずつ取り払ってきた朝凪さんの近寄り難さは朝凪さん自身が行動することでいとも容易く解決し、クラスの中でも社交的で先進的な数人が朝凪さんの机を囲んでいる。
何があったのやら少しでも状況を掴もうと朝凪さんの方をジッと見ていると朝凪さんと目が合ってしまう。しばらく見詰めてきてから朝凪さんがわざとらしく天井を仰ぐ。屋上に来いということだろう。
そんな劇的な朝のせいかいつも以上に疲れた一日を終え、しばらく教室で考え事をしているともう教室に残っているのは自分一人になっていた。
授業後、朝凪さんと明野さんは一緒に教室を出ていったのが視界に入った。ぼんやりしながらどうせなら声をかけてくれればいいのにとも思ったけど、そうなると急激に距離が詰まった理由を聞こうとクラスメイトが押し寄せていたかもしれない。朝凪さんが配慮してくれたのかな。
屋上へ向かう時はいつも気苦労が耐えない。屋上はこの学校で一番空に近い場所なのに心はずーんと地の底にある。
(いつか空を浮くように軽い気持ちで屋上に足を運べるようにならないかな。)
なんて考えながら教室から出る足取りはこれまでで最も軽く浮き足立っていた。