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およそ36度の輝きの雫

 暮橋夕輝くん。私の知る限りでは教室ではあんまり目立つようなタイプではない男の子。


 でも、私が何度挑んでもあしらわれて躱されている明音ちゃんと気付けば毎朝仲良さげに挨拶を交わしていて、いつの間にかみんなの明音ちゃんとの接し方を変えてしまった人。

 もっとみんなが明音ちゃんと打ち解けられればいいのにと思っているうちに、夕輝くんは簡単に明音ちゃんの周りに流れていた近づき難い印象を薄めてしまった。


 そんな夕輝くん自身も実は同じくらいみんなからは浮いた存在だった。ほとんど自分を出さなくていつもノートに向かって考え事をしているなぁという印象がある。

 あとは、すっごく成績が良い。お行儀が悪いけどテストの結果がちらっと見えたことがあって、私は開いた口が塞がらなかった。


 そんな不思議な人物の夕輝くんが今、何かを話してくれようとしている。ぐわっと飛び出してきて勢いよく扉を開いたと思ったらそのまま「世界を変える」って。


 ドラマみたいな急展開、何より世界を変えるという言葉に思わず尋ねてしまった。


 夕輝くんは何も言わずに扉を少し大きめに開いて小さく目で合図をする。多分、屋上に出てと言ってるんだと思う。


 汲み取ったとおりに屋上まで足を進めると夕輝くんは流れるように扉を閉じてその前に立った。なるほど、明音ちゃんが逃げ出しちゃわないように……ってことかな?

 夕輝くんが春の陽射しを疎むように伏し目がちに息を吐いて小さく吸う。


 桜の季節はやや過ぎてそよぐ春風は暖かく、通り過ぎた冬が遠く感じる。

 夕輝くんが語り始めたのはそんな冬よりも遠い過去のお話。長い冬から夕輝くんが抜け出して春を迎えるための思い出話だった。


 *****


 自分には生まれた頃からお姉ちゃんがいた。


 当たり前と思うかもしれないけど実の姉ではない近所に住んでたお姉ちゃんがいた。いつも遊んでくれて優しくてかっこいい、憧れの人だった。


 お姉ちゃんは元々趣味で音楽をやっていていつも歌を聞かせてくれた。お姉ちゃんが学校終わりに帰ってきてから聴かせてくれるギターと歌声が好きで夕方になるといつもお姉ちゃんが歌を聴かせてくれるから夕方や夕陽が好きだった。


 お姉ちゃんは高校に入ると同志を集めてガールズバンドを結成した。学校外で活動をしてたからいつもお姉ちゃんについて行って自分もほとんどバンドの一員のように過ごしてた。


 お姉ちゃんたちは運にも才能にも恵まれていたみたいで、瞬く間に頭角を現し人気を増してドンドンと夢の階段を駆け上がっていった。

 お姉ちゃんの背中に憧れていて、いつか追いつきたいと思っていたしその背中はどこまでも連れて行ってくれると思っていた。


いつまでも夢の行き先を示してくれるんだって。



 だけど自分が中学生になる頃、お姉ちゃんたちのバンドは解散した。

 仲違いとか音楽の方向性が……とかいうわけではなくもっとありふれた理由で、ただ夢と現実をかけた天秤が夢に傾かなかった。

 お姉ちゃんたちは繰り返し話し合った結果、音楽活動を趣味のままで終わらせることにした。


 唯一無二のように思えたお姉ちゃんたちの物語もこの世界に無数に転がる夢になりきれなかったよくある話のひとつでしかなくて、お姉ちゃんたちは夢と現実の別れ道で夢を選ばなかった。ただそれだけのこと。


 それだけのことだけど、お姉ちゃんの背中を追うこと自体が夢でその先にある未来を信じて疑わなかった過去の自分には到底受け入れられなかった。

 いつまでも枯れることなく湧き上がり続けるどうしようもない気持ちは処理されることなく溢れ続けた。

 悔しさも苛立ちも悲しみも、何に対してなのかもどこにぶつければいいかもわからない。


 夢を諦めたお姉ちゃんもバンドのみんなも、そういう結果にさせた環境や周りの人たち、事情に社会、そして生まれた結果も……どこにも悪者はいなくて、そもそも自分が抱える感情は自分のエゴでしかないこともわかっている。


 それでも誰かが悪いと思わなければ、どこかに感情のはけ口を求めなければ耐えられなかった。


 時間が経って何度も何度も現実に阻まれた今なら答えは違っていたかもしれない。

 だけど、その頃の自分はまだ小学校を卒業したばかりで無謀で無鉄砲で大人なら無理と切り捨ててしまう夢だって叶うと信じていた。


 もしも、もしも誰かが悪いのだとすればこんな世界が悪い。

 あの凄いお姉ちゃんに夢を捨てさせた世界が悪い。みんながなりたいものになれなくて悲しみに呑まれながら涙を流さなくてはいけない世界が悪い。


そんな世界を変えてしまいたい。


 みんなが夢を諦めなくていい、悲しい選択なんてしなくていい世界に変わればいいのに。


……そう思ったんだ。


 *****


 思い出話をする夕輝くんは、昔のことだと今の自分から切り離すような言い方をしていたけど、私には今の夕輝くんがその頃と違う気持ちでいるようには見えなかった。


「その時は、本気でそう思ってた。できるとも思ってた。だけど、すぐに気づいた。世界はそんなに単純じゃなくてこの世界の中の自分はとても小さくて、そんな大きな世界を回しているのは夢や理想じゃないって。」


 そんな諦めたみたいなことを言うのに、どうして夕輝くんは真剣な眼差しをしているのだろう。その瞳の奥に燃えるものは何?


 それはきっと私の知らないもので、私がいつもみんなに笑顔を向けている時に憧れているもの。授業中、ふと空を眺めるときにぼんやりと浮かぶもの。


夕輝くんはそれを知ってるの?


「…………っ」


 少しだけ、静かな時間が流れてから夕輝くんは顔を隠すみたいにして屋上の端まで駆け出して、私たちからは見えないように顔をそむけて夕暮れの街を眺め始めた。


 夕輝くんが駆け抜けた時、建物の影から日向に飛び出した目元に小さな宝石のように雫が輝いていた。金剛石(ダイヤモンド)みたいな光の粒が頬に振る流星になって夕日に弾けて光って消えた。

 もしも青春の輝きが目に見えるのならこんな風に現れるのかな、なんてロマンチックなことを思っちゃった。


 明音ちゃんが


「世界を変えるなんて……」


 と、小さく突き放すように呟いた。

 でも、夕陽の中に立つ明音ちゃんは太陽に背を向けているのに夕焼けみたいに赤い顔をしている。明音ちゃんの瞳が輝いて見えるのが太陽のせいだと私には思えなかった。


 夕輝くんは私たちに顔を向けないまま、誰に向けるでもなく呟く。


「それでも、自分の残す何かが誰かに届いて、いつかどこかで誰かの夢が叶うなら……動き始めるのなら、それは世界を変えられたことになるんじゃないかって、そう思うよ。」


 夕輝くんなりの世界を変えるという大きく無謀な夢への答えがそこにあった。

 世界を変える、その意味が少しわかった。


 もうとっくに見なれたと思っていた夕染まりの街が驚くほどに鮮やかに色づいて見えた。

 少し離れた場所で、難しい顔をして街を見る明音ちゃんは何を思っているのだろう。


 もうそこに言葉はなくて、ただ3人でそれぞれに静かに暮れる街を見下ろしていた。

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