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第32話 述べる。

「おはよう、来途くん。」


 この学校で1番高い場所へと続く階段を上がった先、舞台へと続く踊り場で来途くんは窓の向こうを見詰めていた。その背中に向かって声をかけた。


「紡ちゃん、おはよう。」


 今気づきました、みたいな顔で来途くんは振り返る。だけど本当は窓の反射越しに私を見ていたのを知っている。それがおかしくて笑うと来途くんもその事に気づいたのか誤魔化すように目を逸らして髪を整えるような素振りをする。

 ただそれだけの些細なやり取りをまたこうして交わすことができるのが私は幸せでとても嬉しかった。


「まだ、見えないね。」


 来途くんが見ていた窓の先を私も見詰めて言う。


「うん、まだあと少しだけかかりそう。」


 来途もまた窓に向き直って外を見る。

雨はもうほとんど降っていなくて時々気づかないほど少しだけパラパラと服や地面を濡らすだけ。もう少しで晴れ間が覗きそうだけど薄くぼんやりとした雲が未だに空を覆って太陽を隠していた。

 あと一歩、もう少しだけ風が吹けば吹き飛んでしまいそうなモヤモヤとした雲が大切なものを覆い隠してしまう。そんな素直になれない複雑でぐずついた空模様だった。


(あと少し。そうだよね、来途くん。)


 言葉には出さずにそう思いながら横顔を見る。あと少し、太陽が顔を出す為に私はもっとたくさんあなたのことを知りたい。


「ねぇ、来途くん。」


 私の呼び掛けに来途くんは窓の外を見たまま応える。踏み出すのはまだ少しだけこわいけど踏み出し方はもう教えてもらった。


「あんまり聞かれたくないかもしれないこと、聞いてもいい?」


「…………いいよ。」


 窓の外の、屋上よりもさらに先のどこか遠くを見て来途くんが小さく頷いた。


「来途くんは……HiKaRi novel、なんだよね。」


 来途くんは驚きも困りもせず、何も言わないでずっとずっと遠くを見詰めていた。2人だけの踊り場は何も言わずに、時が止まったような静けさだけがゆっくりと流れていた。長いような短いような、そんな時間が流れて来途くんが口を開いた。


「………………そうだよ。」


 当然、それが本当のことだとは屋上で夕輝くんが来途くんと話したときにわかっていたしそれよりも前から心の中ではそうだとわかっていた。来途くんだってそのことくらい知っていて、だからこそまたことうして来途くんとお話をするのに時間が必要になった。


 だけど、そんな当たり前で分かりきっていることでも確かな言葉にするのは(はばか)られた。なんとなく触れてはいけないことのような気がしていた。


 でも、こうして勇気を出して言葉にして来途くんが認めることでひとつ心の整理ができたようなスッキリとした気分にもなっていた。

心の中で蓋をして知らないふりをして、有耶無耶なままに抱えていたモヤモヤがストンと腑に落ちたような感覚。


「そっか、やっぱりそうなんだね。」


「うん。」


 来途くんの声色もさっきよりもどこか落ち着いていて穏やかになっている気がした。


「本人の前でこんなことを言うのはなんだか照れちゃうんだけど、私もね来途くんの小説全部読んだの。1回だけじゃなくて、何回も何回も。とっても、とっても素敵だった。」


 来途くんの小説は本当に素敵でとても綺麗で楽しくて……読めば読むほどに来途くんの顔が浮かんできた。来途くんを近くに感じられた。だからこそ……。


「だけど、だからこそ……悲しくもなった。どうしてこんなに素敵で面白いのにもっと多くの人が読んでいないのかなって、みんなは気づいてくれないのかなって。」


 そう語るうちに目がどんどん熱くなって熱を持った雫がスーッと私の頬を伝っていた。


「たくさん、たくさん頑張ったんだよね、来途くん。凄いよ……凄い、来途くんは。」


 オーバーヒートしたみたいに言葉が絡まる。

来途くんが頑張っていたことをわかっていたくて認めて受け止めたい私と、明音ちゃんと夕輝くんと一緒にまた走りだしてほしい私が一緒にいて、来途くんはもう頑張り続けたから休んだっていいんだと思っているのにもっと来途くんに物語や詩を書いてほしいとも思ってしまう。


 私の中の正解も来途くんにとっての正解もわからなくなって、ただ来途くんを心の底から肯定することしかできなかった。私の心はもう決まっているのにここに来て急ブレーキをかけたくなってしまう。


「ありがとう。」


 踊り場の空気に消えてしまいそうな繊細な声で来途くんが呟いた。

窓を見詰めていた来途くんはその場でグッと背をのばし90度身体を回して私に背を向けた。


「俺は後悔なんてしてないから。」


 背を向けたまま少しずつ来途くんは話し始めた。


「後悔なんてしてない。やらなきゃ良かったとも思ってない。でも……頑張って、頑張って、もっと頑張ればいつかどこかへ辿り着くと思ってた。」


「海は広くて、空は果てしなくて、山は高い。そのことを知った。ただそれだけ。今だってまだいつかどこかに辿り着けると思ってる。」


「でもやっぱり泳ぎ続けるのも飛び続けるのも歩き続けるのも、いつかは必ず疲れてしまってある時急に真っ暗になった。どうして今ここにいるのか、この先に何かあるのか。何も分からなくなった。」


 きっとわざとそうしているんだと思う。ポツポツと語る言葉はどこか抽象的で感覚的で……だけど来途くんが言おうとしていることは何となく理解できた。

 ずっとずっと頑張って、頑張りすぎるとある時急に心が折れてしまう。そんな話を聞いたことがある。きっと来途くんもそうなんだろうと思う。


 だけどひとつ引っかかることがあった。たしか夕輝くんから聞いた話では2人が初めて出会った時……。


「それで、どうしたの……?」


 恐る恐る尋ねると来途くんはポケットからスマホを取り出して軽く操作をしてから腕だけを後ろに伸ばして私にスマホを手渡した。


「これって……。」


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