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第2話 あかね色の未来


「この歌……。」


 屋上から風に乗って聞こえた歌は少しだけ自分たちより上の世代、まだ自分が小学生だった今から4,5年くらい前に中高生を中心にブームになっていた曲だった。

 メジャーデビューもしていない学生ガールズバンドの曲が誰かの撮影したライブ映像をきっかけに大ブレイクした。


 夕陽を見て、終わる今日への寂しさと迫るまだ見ぬ明日への不安とそれを超えていく未来への期待を歌った曲でその青臭さが当時の若者の琴線に触れたのか公式の音源もないのにみんなが知っていた。

 当のバンドはその後も人気を集めながらも解散し残っているのは非公式のライブ映像と人気になった後に彼女たちがアップした数本の公式映像だけで、時の流れとともに知る人は少なくなり世代間の認知度の差が大きいバンドだ。自分くらいの世代だと知っている人は半々くらいだろうか。


 歌い終わった女子生徒に声をかけようとすると、女子生徒は鷹揚に振り返りこちらを見詰める。ボロボロのノートを持ってなりふり構わず飛び出した自分とは対照的に温度のない目で興味なさげな視線が送られてくる。

 顔に浮かべた微笑みはそれだけで恋に落ちる人だっていると思わせるほどなのに、その笑顔がこちらに向いているとは思えなかった。

 こちらを確実に瞳に捉えているはずなのに風景と同じように思われているとすら感じる感情のない目をしていた。


「珍しいね、お客さんかな。ライブチケットなら売ってないよ。」


 おどけたように声をかけてくる。何か話して彼女のことを探らないとと慌てて問いかける。


「あの、今歌ってたのって……」


「飛び入り参加してくれたのに悪いけど、今日はもう終わりだね。巡回の先生が戸締りに来る頃だし早く帰らないと。」


 会話のはずなのに会話になっていない感覚。自分が黙っていても何か言っても返答は変わらない気がした。

 コミュニケーションを取っていると言うよりコミュニケーションを取っていると見せかけるために利用されているような、壁打ちようの壁になった気分だった。


 それでも何か情報を聞き出したくて引き留めようと言葉を考える間にも女子生徒は足早に扉へと向かっていく。

 とりあえず声を、なにか繋がりを作らないとと思って咄嗟に問いかける。


「あ、突然ごめん。あの、歌が聞こえて気になって……」


「あなたも暗くならないうちに早く帰ったほうがいいよ。」


 彼女の顔は相変わらず心を打つような微笑みを浮かべていたが相変わらず冷たい目をしていた。明日には今日会ったことも忘れられていそうなくらい。

 あからさまにこんなにあしらわれるような扱いをされているのに群を抜いて際立った美貌から繰り出される笑顔は反発さえ押し流してしまう。


 そうこうしているうちに古ぼけた扉に手をかけて女の子は向こう側に消えていこうとする。


「いつも、ここで歌ってるの?」


 彼女は足をゆるめることなく廊下の闇に呑まれていった。


「あ……。」


 誰もいなくなった屋上で途方に暮れつつため息を漏らす。

 何もしていないのに随分と気疲れして、制服はじっとり汗ばんでいた。何か話そうと焦っていたことや暑くなり始めた気温のせいではなく彼女の持つ迫力に緊張させられていた。

 これまで美人の放つ圧力や存在感、所謂オーラといわれるようなものには懐疑的だった。例え芸能人だろうとなんだろうと少し顔がいいだけだろう、と。その考えが一瞬で覆される体験だった。


 力が抜けて、初めてノートを持つ手に力が入っていたことに気づいた。

 ボロボロのノートの何も刻まれていない白紙のページにシワが寄っている。

 長らくの間、遠く途方もない夢を見続けて自分でも気づかないうちにその行動は消極的になっていた。本当に叶えたいと思っていたとしても具体的な道のりさえ曖昧で近づく気配のない孤独な歩みは知らず知らずのうちに熱を奪い蛮勇を臆病にさせた。

 これまでもいつも真面目に努力の限りは尽くしてきたけど、ノートにシワが寄るほど力が入るのはいつぶりだろうか。


 気圧された事実以上に彼女の歌は、風前の灯火然とした消えかけの心の火を再び燃え上がらせていた。プレッシャーを上回って忘れてしまうくらい彼女の歌の力に、心は興奮していた。

 これまで自分がひたすら目指してきた世界を変えるという願い。すなわちそれは、誰かの心に影響を与えるということ。

 彼女は歌の力で今、自分の世界を変えてしまったんだ。


 燃えカスのようにブスブスと燻るばかりの心に決意の火が灯る。手に握られた空白のページが、見るたびに溜息のこみ上げる絶望の空白が期待に満ちた無限の広がりのように感じる。


 いつもなら真っ白なページは夕陽に晒されて熱を持った鮮やかなあかね色に染まっていた。


 計画の成功にはあの歌が絶対に必要だ。


 簡単じゃないけどこのチャンスを逃せるわけがない。これがラストチャンスかもしれない。これまで繰り返してきた挫折。その原因、足りなかったピースが埋まった感覚がした。圧倒的な才能とカリスマ、逆立ちしても得られないピースが……。


 もしも、彼女と手を組めたなら……。そう思うだけで光明が見える。自然と顔が緩んだ。今朝までの焦燥も重くのしかかる不安も絶望も霧散して、折れかけていた心は傷跡さえ見えないくらい立ち直っている。


 明日も彼女はここで歌っているのだろうか。明日もここに足を運ぶべきか、一度退くべきか。しかし、退いたところで何か好転するだろうか。まずは彼女のことを知るべきだろうか。


 ひとり取り残された屋上で降りる夜の帳に包まれてこれからの行動計画を頭の中で組み立てていく。

闇にのまれるように思考の海に沈みながら、暗くなる周囲とは対照的にいつぶりか心は軽く踊り表情はいくらか口角が上がっていた。


 暗いとばかり思っていた夕方過ぎの夜空を見上げれば、かすかに星々が瞬いていた。

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