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静かなギター

 私たちを先導する夕輝の足が入り口の手前で止まる。

 私からは後ろ姿しか見えないのに時が止まったのかと錯覚するくらいに夕輝の纏う雰囲気が変わるのがわかった。


 部屋の一角、隠されているわけではないけど目立たないようにひっそりと日陰に佇み眠るように置かれた青いアコースティックギター。


 その存在に気づいたのは本当に偶然で、日当たりのいいこの部屋の窓から射し込む眩しさに少し目を伏せたら視界の端に映り込んだだけ。


 とはいってもこれまでの短い夕輝との付き合いの中でも、夕輝が短時間に異常なくらいの瞬間的な熱量で様々なものに手を出しては自分の才能の限界を垣間見て諦めてきたことは聞かずともわかってきた。


 その中に音楽に手を出した経験があったって何もおかしなことではない。むしろ作曲だって歌だって試したという夕輝が実際の楽器に触れたことがない方が不自然に思うくらいだと思う。


 だからギターの一本くらい夕輝の家にあるのは普通のことで、それだけならわざわざひっそり置かれたギターのことを夕輝には言わなかったかもしれない。


 だけど夕輝につい聞いてしまったのは不思議にギターに目が留まったから。

 良く使い込まれた様子の使用感の窺えるギターだけど綺麗に磨かれて埃ひとつなくピカピカに隅々まで手入れされてる。とは言え、普段から使われていてよく手入れがされているならおかしなことではない。


 だからこれはあくまで感覚的なもの。

 ふと目に入ったギターが不思議な雰囲気を纏っている気がした。

 古いアンティークみたいな想い出を背負った佇まいなのに新品のように物寂しそうに日の当たる日を夢見ている。


 もしギターが想いを伝えられるならそう伝えるんじゃないかなと思うような不思議で独特な雰囲気を感じた。


 一瞬の直感的な感じ方を無理矢理に言葉にするならそんな感じというだけでそこまで言語的に思考したわけじゃないけど、ギターが気づいてほしそうにしている気がして、もっとこのギターのことを知りたいと思って気が付いたら夕輝にギターのことを尋ねていた。


 私の言葉に足を止めた夕輝が振り向かずに少し間をおいて言葉を返す。


「うん。そうだよ、昔のやつ。」


 言葉は驚くくらいに平静で不自然なくらいに落ち着いていた。


 いつもと何も変わりのない声。なのに、凍り付くように冷えた夕輝の背中に似合わなくて全く別の場所からスピーカーで声が聞こえてきているみたいだった。


「そうなんだ。」


「うん。」


 今は弾かないのとかこれは使えないのかなとか、いろいろな言葉が頭の中をよぎったけどすべてが声にはならずに消えていってそれ以上は何も聞けなかった。

聞いちゃだめだと思った。


 少し広くて立派な部屋とはいえ、学生がひとりで暮らす一人暮らしの部屋なのに玄関に続く廊下は来たときよりもずっと長く感じた。


 何も語らない夕輝の背中を見つめながらもう一度ギターの方を振り向きたかったけど今はそうしない方がいい気がして振り向きはしなかった。


 少しだけ硬くなった雰囲気のまま歩いていると紡ちゃんが小さく跳ねるような声で夕輝に話しかける。


「綺麗なギターだったね。私楽器って初めて近くで本物見たかも。」


ただ純粋に好奇心を刺激されたような楽しげな声。


「……いつも手入れしてるからね。」


 ちょっと嬉しそうに夕輝が返事をして、さっきまでの微妙に緊張した空気が緩んで温まった気がしてそこから玄関を出るまで少しずつ話が弾みだした。


 付き合いを重ねて少しずつわかってきたけど教室での印象よりも紡ちゃんは好奇心が強くて周りを明るくする柔らかな空気を纏っている。

 クラスで一番男女ともに密かな人気を集めているのは紡ちゃんのこういう人柄や性格がなんとなく伝わっているからだと思う。


 玄関を出て夕輝に「送っていかないで大丈夫?」なんて心配されるのを大丈夫と断って見送られながら手を振りエレベーターに乗り込む。


 あのギターのこと、いつか夕輝に聞ける日が来るといいな。


 夕輝が自分から話してくれる日が来るのもいいかもしれない。



 まだ明かせない秘密を意識しながら、その秘密がいつか秘密ではなくなってお互いに明かして笑える日を願いながらそんな日を迎えられるように小さく気を引き締めた。


*****


 明音と紡ちゃんは無事に帰れただろうか。

すっかり暮れた窓の外の夕闇を見ながら思う。


 自室に微かに残る普段ならしない香りに、長く友人を家に招くことはおろか親し気に遊ぶこともなかったこれまでとの違いを意識して少し現実離れした不思議な気持ちになる。


 切り替えるように薄いレースのカーテンをサッと閉めて窓辺を離れる。

 そのまま部屋の隅にひっそりと立てられた青いギターに向き直る。


「綺麗なギターだってさ。……俺もそう思うよ。」


 返事なんて返ってくるわけもなく、返事がほしいわけでもなく、ただ独り言をギターに投げかける。


「毎日こうやって手入れしてるんだからさ、当たり前だよね。」


 ギターを手に取って丁寧に磨く。こうして毎日毎日、何があっても欠かさず手入れをしている。


 手入れだけは毎日しているけど奏でることはないから全くと言っていいほど汚れは溜まっていない。


 一通り拭いてありもしない汚れを磨いたところで持ち直してギターを構えてみる。

 人差し指と親指を合わせて弦に近付けるけど触れる前に小さく手が震えてきてこわばった汗が首すじを伝い、目を閉じる。


 いつの間にか詰まるように胸の奥で固めた緊張した息を吐いてギターを元通りに置く。


 やっぱりギターは今日も弾けない。


 もしも、ギターが弾けたなら……。


 抱える想いのすべてを歌にして、伝えることができたかな。


 意味のない、もしもを空想して振り切るように背を向ける。無駄に広い部屋の片隅で鳴らない静かなギターが寂しげに輝いていた。

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