まだ遠いスタートライン
屋上で結成された三人の共同戦線。
しかし、未だ抱える問題は多く動き始めるには時間を要することになりそうだった。
このまま今すぐにでも動き出したいところだが、困ったことにこれから先の展開を何も考えていなかった。
そもそも明音に出会う直前は次の計画もなく白紙のノートを前に寝ていた。つまり、明音の歌というのは全くの計算外で何も考えずに走り出して気がついたらこうなっていた。
明音を引き入れるのに頭はいっぱいでこれからのことを考えている余裕はなかった。
とりあえず、期待に溢れた明音と困惑している明野さんに伝えるべきか悩んだがこういうときは信用が大事だと思う。隠しごとは良くない。
計画は……寝ずに考えれば何とかなるはずだ。
「ごめん、ふたりとも……。せっかく盛り上がってるところに水を差すようなんだけど、ここから先の活動計画何も決めてないんだ……。」
二人の反応を待つ。
「じゃあ、今から考られるってことだね。三人寄れば…………ってやつだよ!」
「文殊の知恵、かな……。」
肩を落とすかと思ったが想像とは違う反応が返ってきた。明音に至ってはワクワクしているように見える。
しかし、二人が優しいからといって甘えてもいられない。自分が巻き込んだのだから自分が何とかしなくてはいけない。誰かの時間を背負うということは責任を背負うということだ。
「いや、大丈夫。俺が絶対明日までには計画立てておくから……。巻き込んじゃった以上ふたりに不安まで押し付けたりするつもりはないよ。」
大丈夫。何も考えてこなかったわけではないし未来の予定を計画するのには慣れている。ゴールを設定して、そこまで逆算しながら今足りていないものを洗い出しどうすれば足りるのかを考える。
楽な仕事ではないけどある程度の修正は前提として大筋を作るだけなら今晩丸ごと使えば朝までにはできるはずだ。
今日のスケジュールを書き換えて思考をめぐらせていると明音の目が合った。こちらをじっと見つめている……。
「明音、どうかしたの?」
声をかけると明音は少し不満げに顔を顰め、「夕輝……」と言ったところで音がする。
自分たちの後ろ側、屋上のドアが開かれるギィという甲高い音だ。誰かが屋上に来たらしい。
別に見られてはいけない何かがあるわけではないがビクリと体が反応する。
慌てて振り向くと顔を覗かせていたのは明音と出会った時にも見た顔。本日の見回り担当の暮葉先生だ。
社会科、特に世界史を担当として受け持つどことなくやる気の抜けた壮年の先生。
生徒間の評価としては可もなく不可もなく……。それほど厳しくはないが仕事は仕事として過不足なく行うので過剰に優しくもない。
でも実は授業は密かに人気が高く、暮葉先生の語りや言葉回しがわかりやすく面白いという人もそれなりにいる。かく言う自分もその一人だったり。
ぬぼーっとキレのない動きで屋上に半身乗り出したまま先生がこちらを一瞥して言う。
「お、またお前らか。ん?前より一人増えてるな。珍しいな明野がこんな時間まで……。まあ、なんでもいいか。おい、もう校舎閉める時間だから下校しなさいよ。」
そう言われて周りを見れば空は薄暗くなり始めていた。以前よりまだ明るいのは夏の足音が近くなったからだろう。
「わ、もうこんな時間だ……。」
明野さんがポケットからスマホを取り出して驚く。時刻はすでに18時を回っていた。
明音が何が言おうとしていたけど暮葉先生の視線を受けながら悠長にしているわけにもいかず、なにより当の明音も明野さんと慌ただしく屋上のドアへ向かっているので明日聞けばいいだろうと思いそれに続いた。
教室でそれぞれに帰り支度をしている間、教室は誰も言葉を発さずにガサゴソと荷物をまとめる音だけがしていた。
それぞれが三者三様に踏み出した今日の一歩を噛み締めながら不安と期待を膨らませた未来を夢想している。
それと、教室施錠のために暮葉先生が鍵をチャリチャリ言わせながら入口で待っているから駄弁る空気じゃないのもある。
全員が荷物をまとめて教室から出て、暮葉先生に見送られ校舎を去るとようやく言葉が生まれ始めた。
「なんか、変な感じだね。」
明音が少し気恥ずかしそうにして呟く。
言葉には言い表せないが変な感じ。少しソワソワしながら続く未来を待ちながら、まだ見ぬ景色に不安の色が滲んでドキリと心臓がなり心配事も抱えている。
それでもやっぱり来るかもしれない凄い未来が楽しみでソワソワと落ち着かない。何かを始めた時いつも覚える感覚だった。明野さんもそう感じているようで、二人で明音に同意して笑いあった。
これからどうなるのかな、なんて明音が楽しそうに話して明野さんがそうならすごいねと目を輝かせる。自分はそうならいいなと口では言いながら少しだけそうならなかったこれまでを思い出して暗い気持ちが込み上げる。
だけど明音の真っ直ぐな想いが今度は違うよと自分に言ってくれているようで安心した。
二人のためにも早く計画を立てないと……。校舎からやたら遠い校門まで向かう間楽しそうに話す二人の会話を半分くらい聞きながらもう半分では何が必要かどうするべきかを考えていた。
別れ際、明野さんが躊躇うように立ち止まり明音がどうしたの?と聞くのに倣って自分も明野さん?と声を掛けると明野さんが決心したように自分に向かって言う。
「ゆ、夕輝くん……!」
返事のかわりに自分を指さして首を傾げて見せると明野さんはもう一息、深く呼吸をして
「私のことも名前で呼んでほしい……かも。」
そう言われてそういえば自分が明野さんだけを名字呼びしていることに気づいた。三人の中で自分が明野さんを呼ぶときだけ名前で呼ばないのが明野さんは気になっていたのかもしれない。
「うん、よろしくね紡ちゃん。」
「ふふっよろしく、夕輝くん。」
明音は去り際に当然のように名前呼びをして、名前呼びすることを強制させてしまうくらい簡単にやってのけたことも紡ちゃんにとっては勇気がいることで自分も言われなければ特に疑問に思わなかった。
こんな小さなことでも一人ずつ違いが出るんだな、と当然のことを妙に考えさせられる下校の時間だった。