ゆうきの歌ー後編ー
私の最初の舞台。二人だけの観客。きっと、ここから物語が始まるんだ。
そう思いたい。ここから物語を始めたい。窮屈で退屈な世界を飛び出すなら今。
自分を守るために息を止めるのはやめて、産声を響かせるんだよ、今ここで。
夕輝が真剣な目で見つめている。素敵な世界を見ている綺麗な瞳が、じっと。少しだけ緊張したみたいに力を込めて震えているのは「世界を変える」その言葉にかける想いの強さからかな。何度もこの最初の一歩を持ち前の捨て身の勇気で乗り越えてきたんだろうな。その勇気が私の世界を変えてくれたんだよ。
紡ちゃんが輝く瞳を向けている。潤んだ瞳、時折流れる小さな雫が夕陽に煌めいてきらりきらりと瞬いている。憧れで一杯の眼差しの奥、あなたも今変わろうとしているんだね。憧れだけでは終わらない、憧れのその先にある何かを探している。
私にはわかるよ。これまで自分を守るためにいろんな人のことを見てきたから。どんなこと考えてるのかなとかこうしてほしいのかな……みたいなことを考えるのは得意なの。でも、それが合ってるかはわからない。答え合わせをしたことはないから。
これからは、たくさんの想いを伝えて伝えられて答え合わせを繰り返すんだ。
先程までは昼の余韻を残していた空はもうあかね色に染まり始めていた。
街を一望できるこの場所。寂寥が街を包んで今日が終わる寂しさが立ち込めるような、だけど明日への期待をどこか感じさせる期待や安心感の満ちた時間。
夕の輝きはいつでも立ち向かう力をくれる。ゆうきの歌を今歌うよ……。
「歌うよ、聞いて。」
空気に溶けだした夕陽の成分を胸いっぱいに深く吸い込んで、胸に秘めた想いを循環させるみたいに歌に乗せる。
いつもとは違う。
逃げ場のない現実から息継ぎするように吐きだす歌じゃなくて、自然と体の奥から溢れ出る希望が響く。助けを求めるみたいに苦しみから逃れて歌うのとは違う、誰かの心に届けと願う音の拡がり。
もっと、もっと遠くまで。世界中にこの歌が届いてみんなの心に響けばいいのに。
ねえ、みて 世界はこんなに綺麗だよ 輝きに満ちている
届け、ゆうきの歌よ 明日に踏み出す希望の音よ
燃える夕陽に溶けだして 空を渡ってあなたに届け
「……ねえ。世界、変えちゃおうか。私たちで!」
歌い終わって口から飛び出した言葉はこの舞台には似合わないような悪い人も真っ青な世界征服宣言だった。真剣な気持ちで言ったのにあまりにもおかしくて思わず笑ってしまう。
「うん、そうしよう。……ずっと、そうしたかったんだ。」
夕輝は嬉しそうに同意した。それはもう、本当に嬉しそうに。
「ね、紡ちゃんも。」
紡ちゃんはぽかんとして一瞬固まってから、えーっと叫んだ。元気だね。
こうして私たちの計画は始まった。
荒唐無稽でまだ青いままの世界征服が行き着く先はどこだろう。
例えこの物語の行く先にどんな未来が待っていたって、私たちがみんなで走った足跡は決して消えずに価値を失うことはない。それだけは確かだと言える。
*****
遠い、遠い昔のこと。世間ではほんの十年ほど。
でも、その少年にとっては果てしなく長い旅路だった。
凍てついた明けることのない悠久の冬の夜。
突然訪れた孤独に震えながら少年は歩き続けた。
かつていつまでも消えることはないと信じてやまなかった光の足跡を追って。
自分の追いかけているものが正しいのかも本当に光の痕跡なのかもわからないままに、ただ突き動かされるように、そうしなければ全て終わってしまうから縋りつくかのように追い続けた。
明けない夜はない。
なら、この夢をいつまで見続ければいいのか。
目標を失って取り残された孤独の中で、夢の切れ端を持つだけの自分がどこへ向かえというのか。こんな切れ端は捨ててしまえばいいのに。
そう、何度も思ったのに最後まで切れ端は捨てられなかった。
孤独に取り残された自分にとってその切れ端だけが唯一孤独ではないと思える最後の繋がりだったから。
そうしていくつもの冬を耐えて、それでも春はまだ遠く夜は明けず。
走りつかれて少年は夢を見るから夜は明けないのだとさえ思い始めていた頃。
こっちだよ、と語り掛けるように歌が聞こえた。
ほら、目を覚ましてこっちにおいで。
握りしめた夢の切れ端が共鳴するように少年を呼んだ。
夢から覚めた少年が向かった先の屋上で新たな夢が手を伸ばした。
明けろと願う夜なのに、どうしてだろうこの夢をまだ見ていたいからどうかまだ終わらないでいて。この最後の夢の終わりまで見届けて新しい朝を迎えたい。
孤独に夢を見続けた少年は破れた夢の切れ端を新たな夢に縫い付けた。
とうとう長い冬は明けてまだ青いままの春が訪れる
動き始めた春の夢 まだ終わりには程遠く
いつか来る暁には早くとも 遥か地平に夜が白む
どうか春の眠りならまだ明けないで
春眠暁を覚えず。