魂繋がる二人の逃避行
「くそ! なんで俺がこんなガキと……!」
「ガキじゃない! ユガタです!」
「知ったことか! なんで俺様オレガ様がお前みたいな偽善者風情と……」
「魂が繋がってしまったんだからしょうがないじゃないですか! 僕にはどうしようも出来ません!」
巫女の様な街の伝統衣装を着た、ユガタと名乗る中性的な顔つきの美少年は、自分の線の細い風が吹けば煽られてしまうような軟弱な体格とは比べようもない、同じ人種とは思えないガタイの良さをしたオレガというボサボサな長髪を無造作に束ねた男に軽く担がれながら、街の家屋の屋上を跳躍して駆け抜けていく。その勢いについていけない後方の大勢の人間達は、血相を変えて二人を追っている。
「くそ、あんな奴ら取るに足らない雑魚どもなのによ……てめぇが殺されたら俺も死ぬんだろ? クソだな」
「もともとはそれを利用して復活した呪現獣に、儀式で僕の魂と結びつけて……僕が死ねば呪現獣も消滅する! 街の脅威を取り除ける予定だったんですよ! なのに……」
「俺が喰っちまったからな。そいつ」
ガッハッハッと高笑いをするオレガ。そしてげふぅとゲップをする。
「喰っちまったじゃないんですよ! それはつまり貴方がその呪現獣の力を手に入れたってことなんですよ!」
「なら良かったじゃねか! よっと、この城壁を超えれば奴らも追ってこねえだろ? てめぇが邪魔だが……」
「てめぇじゃないです! ユガタです!今は貴方が皆にとって脅威なんです!」
ユガタは肩からひょいと片手で摘まれる。そのオレガの右手の甲にはハート型の様な縁取りをした紋様が刻まれていた。ユガタの左手の甲にも同じ紋様が。
「まったく恩知らずのビビりどもめ。俺がこんなしょぼい奴らを襲うってか? 呪現獣に俺様が乗っ取られるとでも思ってんのか。てめぇもてめぇだ、生贄なんぞに率先してなりたがるたぁ頭いかれてるぜ」
「僕のような孤児でも人の役に立てるならこの命惜しくない! でも今はそうじゃない!」
石造りの城壁前で大男のオレガに摘まれながら足が宙に浮いているユガタは真剣な眼差しで訴えた。
「本来……僕の命はもう無い……でも貴方の、オレガさんのおかげでまだ生きています。だから」
「だから?」
「この命は貴方のものです。貴方の命は僕が護ります!」
オレガは驚き呆けた顔をしたが直ぐに厳つい笑みを浮かべた。
「ならせいぜい殺されないようにな!俺が死なない為に!」
「でも! それは貴方が自分の為に他者を蔑ろにするのなら、僕は命を懸けて貴方を止めます!」
「やってみろ! この利他主義者め! ま、とりあえず」
「そうですね。今は……」
「「生きてこそだ!」」
そう二人が声を合わせて宣うと、オレガは勢いよくユガタを掴んで振りかぶり、数十メートルはあろう城壁を超える高さにぶん投げたのであった。ユガタははるか上空で滞空しながら思い巡った。
ーーあ、死ぬかも……。
刻は少し遡る。辺境に栄える街、アルトリア。そこには言い伝えがある。百年に一度の虹が縁取る月が満ちた時、この地に宿る呪いの魔獣が蘇ると。その呪いが具現化した魔獣は呪現獣という。その呪現獣が今まさに、封印の神殿の呪法陣を破ろうとしている。呪法陣は辛うじて発光し、呪現獣が今にも湧き出そうな瘴気を抑えているが、呪法陣の紋様からは影を具現化した様な質量のある呪現獣の肉片がはみ出し湧き出てきている。
その呪法陣の広がる空が開けた神殿の中庭に、黒いローブを纏った呪術士複数人と、白と金のローブを纏ったこの街の司祭が、この街伝統の巫女の様な衣装を着た、一人の中性的な美形の少年を連れ来た。
「ユガタよ。よく立候補してくれた」
「はい。孤児である僕をここまで育てて頂きありがとうございます。その恩に僕は報いたいんです!」
屈託なく答えるユガタという少年。
「それでこそユガタだ。お前の尊い命で皆が救われるのだ」
「魂繋ぎの儀式ですね。他者と自分の魂を繋げる禁忌呪法……でも上手く行けばこれから目覚める呪現獣を確実に消滅させることが出来るんですよね」
「そうだ、過去の記録からアルトリアの呪現獣を倒そうと幾人もの猛者が挑んだが倒すこと叶わず、呪法で封じることしか出来なかった。だがユガタ。お前のように他が為に全てを投げだせる心を持った者なら、禁忌呪法の魂繋ぎの儀式も成功するだろう」
司祭は優しく、重たくユガタの肩に手を乗せる。それは暗に、もう逃げられないぞと言うメッセージでもあったが、そもそもユガタにはそんな気は無かった。自分が犠牲になれば、この街、アルトリアは救われるのだと。そこにかける自分の命に惜しさは無かった。
「はい。僕が相手に対して全てを捧げてもいいと心の底から願うことでこそ儀式が成功すると」
「そうだ。おまえが失敗したら、この地は終わってしまう。お前は英雄になれるんだ」
「英雄や名誉などは僕になんか必要ありません」
「ふっ、殊勝な心がけだ。愛しきユガタよ、実に、実に惜しい」
司祭は端正なユガタの顔を舐めるように指で撫で始めた。ユガタはもはや慣れたことと言った具合で動じなかった。
「そう言って貰えて光栄です」
「では、皆の衆、儀式の準備を」
ユガタは呪法陣の中央手前に歩み寄る。そこから離れた周囲に等間隔にローブを着た呪術士が、宙に紋様をなぞりながら、呪文の言葉を詠唱していく。次第に詠唱した言の葉に合わせた指のなぞりで宙に書いた紋様は実体を持ち始めた。その紋様は呪現獣を封印している紋様を囲むように伸び、呪法陣を上書きしていく。そして、紋様は光を帯び始める。
「ユガタよ。今こそ全てをその者に捧げるのだ! そして、自害するのだ! そうすれば魂の繋がった呪現獣は消滅する!」
ユガタは祈る。他が為に祈る。自己の犠牲など顧みず。自分の命など価値は無いと。その命で皆が救われるのならと。
呪法陣の光が眩くユガタを包み込む。その中でユガタは全てを受けいれる覚悟をする。
呪現獣を封じていた呪法陣が永年の力を失い消えていく。そして、火山からマグマが噴火するかのごとく黒い質量を持った影の塊が勢いよく吹き出す。その黒い塊は次第に収束し、この世の生物とは異なる獣の怪物の姿に。ユガタはその獣の懐に。祈りは変わらず。他が為に。
ーー僕の魂は貴方と共に!
「オレガ様の食事の時間だ!! いっただきまぁすっ!!」
突如儀式の光で包まれた中庭の空から一人のガタイの良いオレガと名乗る大男が虹を纏う月を背景に勢いよく飛び降りてきた。すると、数メートルはある呪現獣に喰らいつき、喰らいつき、喰らいつくし始めた。目覚めたばかりの呪現獣はその身を捩り抵抗するも、まるで酒を一気飲みするかのように齧り吸い尽くしていく。そして、跡形もなく喰い尽くしてしまった。
その光景に周囲にいた司祭も呪術士達も驚愕し、ただただその光景を見つめていた。しかし、儀式の詠唱は済んでしまっていた。ユガタは、瞳を閉じていて、祈りに集中していて現状に気づいていない。
「僕の魂は貴方と共に!」
「はっ?」
ユガタの片手にハートの様な紋様が刻まれ身体が青白い光を纏い、その光が呪現獣を喰らい尽くしたオレガにも伝わりその巨躯を覆う。するとそのオレガの片手にもユガタと同じハートの紋様が刻まれる。
こうして、呪いを喰らった大男とユガタは魂が繋がってしまった。
「そ、その大男を殺すのだ! 呪現獣を取り込んだのなら危険に違いない! 皆の者やれ!」
状況を理解し始めた司祭が他の呪術士達に命令を下す。呪術士達が懐に隠していた短剣で大男、オレガに短剣の切っ先を向け刺突してくるが、オレガは避けようともしない。なぜならオレガにささろうとした短剣は全て鋼に突き刺さったかのごとく弾かれ中には折れてしまう物もあった。
「な、なんだコイツは……化け物か?」
「あぁ? オレ様はオレガ様だぜ? てめぇらいい度胸してんな? あーん?」
「ひっ!」
呪術士達は恐れをなしてオレガから離れ退く。しかし司祭はこの状況を見過ごすことは出来なかった。
「その男が直接殺せないなら! ユガタを殺すのだ! その男と魂繋ぎの儀式はなされた! ならばユガタを!」
「あぁ? 魂繋ぎだぁ? ……そりゃ面倒だ」
「えっ」
オレガは状況を理解すると共に、ユガタを軽く担ぎあげた。そして、大きく跳躍し、神殿から飛び出した。
そして刻は戻り、アルトリアの城壁の上空。生きてこそだと宣言した矢先、自分の死を間近に感じているユガタ。味わったことの無い浮遊感と、落ちたら死ぬという危機感で白目を剥いて涙が零れる。
体の上昇が終わり、一瞬宙で止まる。そして次に感じたのは抗いようの無い重力。
ーーあ、ホントに死ぬかも。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ガッハッハッハッハッハ!」
宙にユガタを投げた後すぐさま、オレガは城壁に足をめり込ましながら垂直に猛スピードで登りだした。時折厳つく開いた手で城壁に指をめり込ませバランスを取りながらもこれまた厳つい満面の笑みを浮かべて高笑いしながら猛進する。
そして城壁の少し上空、一瞬宙に静止したユガタを無造作に鷲掴みにした。と、同時に城壁の外へと自由落下する。ユガタはオレガにお姫様抱っこされる形で一緒に落下していく。涙は止まっていた。なぜなら気を失っていたからだ。
物凄い重厚な着地音が響く。それはオレガの丸太の様に極太い脚で着地した衝撃であった。着地の衝撃を和らげるためか一瞬着地のタイミングでユガタをひょいと宙へ浮かせた。そのお陰あってユガタへの体の負担は最小に抑えられた。
「さて……どうするかこいつ……」
「……」
白目を丸く剥いて口をあんぐり開け気を失っているユガタを片手で摘みながら、自分の手と宙ぶらりんに垂れ下がったその手に刻まれた紋様を見やる。魂が繋がってしまった、自分とは体格的にも性格的にも正反対ともいえる存在ユガタ。
「あぁ、くそっ! なんで俺が!」
そう悪態をつきながらも、小脇で華奢なユガタの体を抱え、雄大な平原を駆け出した。