悪役令嬢? いえ、どちらかといえばタンクですわ
以前に書いた短編で同じような話を書いた気がしますが、どの短編だったか思い出せない。一字一句同じわけじゃないだろうから、折角書いたし投稿しーよぉ、という作品がこちらとなっております。
侯爵令嬢アドリアンヌ・メルフェッティは第二王子マルクスの婚約者である。
貴族たちが通う学園を卒業すれば結婚する。それはアドリアンヌだけではない。他に婚約者を持つ令嬢や令息たちも大体そんな流れになる。
結婚する時期は多少ずれるだろうけれど、学園の卒業が成人の証とも言えるので余程何らかの事情でもない限りはそうなる。
学園に通う前までは二人の仲は良好だったように思うが、やはり今まで以上に周囲に人が増えた事で交友関係も変化した結果なのだろうか。
マルクスは子爵家の令嬢フレア・ダッティルトンを近くに置くようになったのである。
王子とその婚約者、そして身分の低い娘。
これだけを見ればまるで物語の構図みたいね、と誰かが言った。
それに対して確かにそうね、と答えたのは果たして誰だったか。
そういった物語を好む者たちは流石に面と向かって本人たちには言わないが、それでもまるでそういったお話のような展開になってしまうのではないかしら、と密かにこの三人の関係に注目していたのだ。
王子と惹かれ合う娘、それに嫉妬し娘を排除しようとする婚約者。
もしそんな事になれば、アドリアンヌは悪役令嬢だ。
いやでも実際あれはオハナシだからいいけど、現実見たら王子の不貞だし彼女は王子に言われて強く拒否できないだけでも、でも、ねぇ?
なんて言い出す者もいた。
そう、確かに冷静に考えたら、身分が低いのだからよりにもよって王族相手にハッキリとした拒絶などできようはずがない。それで王子の不興を買って自分だけが目をつけられるのならまだしも、そのせいで家ごと潰されるような事になるかもしれないのだ。
王子の不興を買わないために笑顔を浮かべたままなのか、それとも本当に不貞で何も考えていないままの笑顔なのか、どっちなのかしらね? なんて。
周囲はひそひそと噂していたのだ。
フレアに面と向かって聞く、という事は誰もしなかった。
もし王子を拒絶したいのにできない、なんて言葉が出たならば、その場に王子がいなくともいつどこでその話が巡って耳に入るかわからないのだ。下手なことは言わないだろうし、そうなればフレアに直接聞くのは意味がないと思われた。
そうでなくとも、なんだかそれをしてしまうと、物語の結末のページから本を捲るような気持ちになってしまいそうで。
気にはなるけど、いずれわかるだろう。
そんな風に周囲は三人の様子を見守る事にしたのだ。
あと、下手に首突っ込んだら面倒ごとに巻き込まれるかもしれないし、流石にそれは嫌だなぁ、というのもある。
ところがアドリアンヌは別にマルクスとフレアの仲に嫉妬するような様子はなかった。
それどころか、微笑みを浮かべて自分もフレアと親しくなろうとする始末。
そしてフレアもまた、アドリアンヌとよくいるようになった。
これが面白くないのはマルクスである。
一応最初のころにアドリアンヌからとてもやんわりと、
「婚約者がいる立場なのですから、異性と接する際はよく注意してくださいね」
と言われていた。
そしてその時マルクスは、
「彼女とはそんなんじゃない。ただの学友だ」
と返していたのである。
だがしかし実際はマルクスにとってフレアの存在はすっかり大きくなってしまって、できる事なら人目につかないところでお互いの想いを伝え合いたいし、できれば将来の妻にはアドリアンヌではなくフレアを迎えたい。
そんなんじゃない、という言葉は完全にその場しのぎの誤魔化しでしかなかった。
だってそう言わないと、その時点で浮気した自分が責められるとわかっていたので。
そういう意味ではマルクスは結構なロクデナシであった。
これでアドリアンヌがフレアを虐げるような真似にでれば、彼女を守るという大義名分でもってフレアと二人きりになって愛の言葉を囁いて……なんて展開に持ち込めたかもしれないが、しかしアドリアンヌは、
「学友でしたら問題ありませんわ。
そうだフレア様、是非わたくしとも仲良くして下さいませね?」
と、とても綺麗な笑みを浮かべて言うものだから。
「あ、はい、恐れ多いです……でも、嬉しい」
なんて。
えっ、そんな笑顔自分だって見た事ないぞ!? とマルクスが声を上げそうなくらい、本当に嬉しそうにフレアが言うものだから。
お邪魔虫は消えろと言葉にも態度にも出せなくなってしまったのだ。
だって、下手にここでアドリアンヌを遠ざけようとするのなら、やっぱり浮気をするつもりでしたよと言うようなものなので。
フレアの子爵領はアドリアンヌの侯爵領の近くである。
間に別の貴族の領地が挟まっているが、大陸の端と端、などではないのでご近所さんと言ってもいい。
そのせいだろうか、二人の会話はよく弾んだ。
それこそ、この場にいて一番邪魔なのは自分なのでは……? とマルクスが思うくらいに。
どうにかフレアの気を引いて、アドリアンヌを遠ざけようと試みたものの、しかし友人との語らいに苦言を呈する事もできない。
アドリアンヌとフレアの語らいがダメなら、それこそ異性であるマルクスはもっとダメだろうと第三者たちが思うのが目に見えているからである。
そうこうしているうちに、フレアはすっかりアドリアンヌに懐いて、自分から率先してアドリアンヌに近づくようになっていた。明らかに優先順位がアドリアンヌ。
今まで自分に向けていた笑みが、愛想笑いのようなものだったのだ、と知ってマルクスはアドリアンヌに嫉妬した。
どうしてこいつと……! と思ってしまって、何とかしてフレアの関心を自分に向けようとした。
何とかフレアと二人きりになりたいが、アドリアンヌは異性と二人きりは誤解されますわ。なんて当然の事を言うし、フレアもそうですよそれにアドリアンヌ様は殿下の婚約者なのでしょう? 勘違いさせるような行動はしたくないです、と今までは困ったようにマルクスに付き従うだけだったが、アドリアンヌの前ではNOと言えたのである。
それを無視して強引にフレアと二人きりになろうとすれば、その時点で嫌がる女性を無理矢理……なんて最悪な醜聞が流れかねない。
マルクスは手も足も出せないままアドリアンヌとフレアが楽しく語らうのを眺めるしかなかった。
学園の中で二人きりになれないのなら、学園の外でデートはどうだ!? とばかりにフレアを誘おうとしたが、アドリアンヌ様はご一緒ですか? と聞かれ二人きりで……なんて答えようものならフレアは絶対に来ない。
アドリアンヌ様に申し訳がないですし、誤解されるような行動は王子だけでなく私も困りますから……と自己保身だけではなく王子の身も案じてますよとばかりに言われては、強く出れない。
どうしてもフレアと街中デートをしたいマルクスは、三人で出かけようとフレアに持ち掛けた事もあった。
アドリアンヌもいるのだと言えば安心して出てくるだろうと。
だが当日になってアドリアンヌに急用ができてな……なんて嘘で騙して、それでも折角だからと二人ででかけようと目論んだりもしたのだが。
フレアは報連相ができる娘だったので、そんなお誘いがありましたけど、どこに行くんですかね? とアドリアンヌに話していたのだ。勿論そんな誘いを受けていないアドリアンヌは、わたくし誘われてませんわよ? と正直に言った。
そうしてその直後、マルクスにアドリアンヌ様の事はまだ誘われていないのですか? 先程聞いたら聞いていないと……とあれでもアドリアンヌ様も参加するって……と、どういう事ですか? と問いただしたのである。
アドリアンヌの事は誘った事にして当日来れなくなる予定なのだから、本人に話をして参加されては困るマルクスからすれば、誘っていないのは当然だが事前に確認されてしまった事であっさりと計画は破綻してしまったわけだ。
これに不信感を抱いたのか、マルクスがフレアを誘えばその直後にアドリアンヌにその日の予定を確認される始末。
どう考えてもアドリアンヌとフレア、二人の友情に割り込もうとしている醜い王子の図であった。
王子と身分の低い娘。そして王子の婚約者。
最初はまるで物語のようね、なんて周囲で見物していた者たちも、流石になんか違うな? となったのは言うまでもない。
今までは真実の愛なんて言ってもしかして婚約破棄とかしちゃったりするかも!? なんてまっさかぁ、現実と創作は違うわよ、と高みの見物していたのは令嬢たちが大半だったが、いつの間にやら、
「百合の間に挟まろうとする王子を許すな!」
という令息たちまでもが見守り始めた。
決してフレアといちゃこらしたわけでもないのに、王子の支持率が勝手に下がっていく。
別に王子の企みが暴かれたわけでもないのに。
これならいっそ普通に不貞しました、という事実で評判下がった方がマシだったかもしれない。
王子がどうにかしてフレアと恋愛しようにも、気づけばすっかりフレアはアドリアンヌにべったりである。
好きな相手を奪われたも同然なのだ。
これが他の男であったならまだしも、よりにもよって婚約者。
もしかしてフレアが『そっち』なのかと思ったが、しかしアドリアンヌとの会話からするとそういうわけでもないらしい。
婚約者が決まっていないから、学園にいる間にできればいいんですけれど……と困ったように眉を下げて笑うフレアに、自分と結婚してほしい! と衝動的に言いそうになったがしかしその場にアドリアンヌがいるせいで、王子は想いを秘めるしかなかった。
口に出した時点で不貞する気満々ですと宣言するわけだし、アドリアンヌから冷ややかな目で見られるだけならともかく、フレアにまで汚いものを見るようにされたら心が死ぬかもしれない。
王子の内心を知る者がいるのなら、いやもうさっさと諦めろよと言っただろう。どう考えても脈なしなので。
この時点で、最初のころのフレアの笑顔は恋をしていたからではなく、王子の不興を買わないためのものであった、と周囲だって察する。
何故ってアドリアンヌと一緒にいるときのフレアの表情と違いすぎたので。
誰が見たって王子と一緒の時のは愛想笑いだったんだなと思うくらいに違った。
――そんな感じの三角関係とも呼べないような関係が続いていたが、しかしそれは唐突に終わりを迎えた。
王子が病気療養という名目で休学したのだ。
どんな病気かは公表されていないので、治るかどうかも周囲はわからないままだったが、アドリアンヌとの婚約が解消されたので周囲は勝手に王子は不治の病なのだと自己完結したのである。
「……まぁ、不治の病と言えばそうですわよねぇ……」
「ただし殿下ではなく別の人が、とつくわけですけれど」
放課後、サロンにてアドリアンヌはフレアと二人きりで話をしていた。
申請すれば誰でも使えるとはいえ、本来ならばもっと大人数で利用する部屋だ。
そこにアドリアンヌとフレアのたった二人だけなので、余計に部屋が広く感じられた。
「あの、殿下大丈夫なんでしょうか?」
「ダメじゃないかしら」
「えぇっ!?」
あまりにもあっさりと言われてフレアはか細い悲鳴を上げた。
「でもこれからは一安心ね」
「そう、ですね。私、殺されたりしませんか!?」
「大丈夫よ。だって殿下はもう……」
しんみりしているが別にマルクスは死んでいない。
多分この先ももうしばらくは生きていると思う。
人の寿命が見えるわけでもないので、具体的にいつまで生きるかは知らないが、それでもまぁ、丁重に扱われるはずだ。
「私、生きた心地がしませんでした。
アドリアンヌ様の近くにいる時だけが安心できてましたもの。本当に助かりました」
「大袈裟ね……でも、まぁそうよね。普通はそうなのかもしれないわ」
「殿下に声をかけられた時はどうしようかと……あの時アドリアンヌ様が来てくださらなければ、私それとなく殺されてたに違いないもの」
「えぇ、そうなるかもしれないわ、と思ったからわたくしも積極的にお二人の間に挟まるようにしていましたけれど」
「殿下はアドリアンヌ様を遠ざけようとしていましたけれど、そしたら私死ぬかもしれないのに! なんで殿下はあんなに私の事を死ぬかもしれない状況に追い込もうとしていたんですか!?」
「……フレア」
「はい」
「残念ながら殿下はわかってなかったのよ」
「……え?」
「貴方が命の危機に陥っていても気付いてなかったのよ」
「えっ!?」
「別に貴方が不興を買ったとかではなく、どちらかといえば殿下は貴方に恋をしていた」
「えっ!?」
「だからどうにかして二人きりになって口説こうとしていたのよ」
「えー!?」
目を丸くしてフレアはアドリアンヌを見た。
てっきり何かの冗談ではないか、と思ってしばらくアドリアンヌを見ていたが、普通に今日もお美しいとしか思わなかった。
「……気付いていなかったのね」
「はい、突然声をかけられて生きた心地がしませんでした」
「あぁ、最初のころの貴方、笑顔が引きつっていたものね」
「引きつりもしますよぉ、私にだけわかる殺気が飛んでたらそりゃ引きつりもしますってばぁ……!」
「もう大丈夫よ。安心なさい」
「はいぃ……」
――マルクスからすれば恋をしたフレアとどうにかして二人きりになって恋人らしいことをしたい、けれどアドリアンヌがいることでそれもままならない。
そんなもどかしい状況だったけれど。
しかしフレアからするとマルクスが自分に恋をしていたなんてこれっぽっちも気付かなかった。
何故なら――
フレアが学園に通う以前、こちらのタウンハウスに来る前は領地で生活していた。
侯爵家の領地は近いが、その間にもう一つ、伯爵家の領地が存在している。
そしてそこの令嬢は、マルクスに恋をしていた。
彼女の名はリズー・ヴェンディ。
幼い頃に城で王子の友人候補や婚約者候補を見定める名目で城に集められた際、幼いマルクスに口説かれたらしくそれ以来リズーは一途にマルクスを想い続けていた。
愛がとても重たい。
口説かれたといっても所詮は幼い頃の話だ。
将来ボクのお嫁さんになってよ、という言葉はしかしリズーの中でいずれそうなると思っていたし、そのために彼女は幼い頃から素敵なお嫁さんになるために様々な努力をしてきた。
しかし婚約者に選ばれたのはアドリアンヌである。
マルクスはどのみち将来臣籍降下する予定だった。
だからこそ、というのもあったのかもしれない。
けれどそれはリズーにとってはどうでもいい話で。
アドリアンヌは自分の将来の夫を奪った憎き女であったのだが。
だがその憎しみはアドリアンヌには向かなかった。
メルフェッティ侯爵家とヴェンディ伯爵家の関係もある。ヴェンディ家は長い歴史のある伯爵家で、国の暗部に関わっている。メルフェッティ家は過去に何度かヴェンディ家の危機を救う事があったらしい。
それ故に、王家の敵にならないのであればヴェンディ家はメルフェッティ家に手を出さない。
そう、昔に定められたのだとか。
だからこそ、アドリアンヌはリズーに狙われなかった。
アドリアンヌはマルクスの婚約者に選ばれてしまったけれど、それは王家に敵対するものではなかったので。
アドリアンヌはリズーの想いを知っていた。というか、領地がお隣なのでそれなりに交流があったから、リズーの口からマルクスに対する想いを嫌でも聞かされていた、が正しい。
アドリアンヌは最悪マルクスと結婚した後、子供を生んで跡取りを確保できたのならひっそりとマルクスとリズーを結ばせる事も考えていたのだ。多分その方が家の利になるから。王家の血筋をそこらにぽんぽん増やすような真似は本来ならば問題かもしれないが、リズーは決して王子の子を産んだとしてもこの子を次の王に、などとは言いださないし、子供が王家の血を引いているとしても確実に上手くやる。
もしくは、マルクスとの婚約を解消してリズーとの婚約を結ぶ事も考えてはいた。
臣籍降下した後の生活の事を考えて結ばれただけの婚約なので、リズーと結婚した後アドリアンヌがそちらの家をこっそり援助する形で話を持ち掛ければいける可能性はあった。
白い結婚からの離縁だとか、他にも色々考えたけれど。
一度結婚してしまったなら、次の相手を見つけるまでどうしたって時間がかかる。困るのはアドリアンヌだ。マルクスは離縁した後リズーがもらい受けるのがわかりきっている。
結局、婚約を解消する方法を考えるのが一番マシだった。婚約を結ばれはしたものの、アドリアンヌの親があっさり引き受けただけで婚約自体は王命ではない。しかし婚約解消の話を持ち掛けるにも、周囲に対してある程度納得できる事情や説明は必要になる。
いざとなったら強行突破かしらね、と脳筋極まりない事を考えながらも、アドリアンヌはリズーがどうでるかを観察していたのもあった。
フレアもリズーとの領地は隣なので、彼女との関わりはあった。
幼い頃から将来の結婚相手について語られていたのだ。
なのでフレアは早々に察していた。幼い頃からリズーの愛は重すぎた。
どろどろしてるしこってりしてるし、そんな愛を向けられる人は大変そうだなぁ、と思っていたけれど、自分には関係ないと思っていたのだ。
ところが、そんなリズーの想い人から声をかけられやたらと関わってこられる。
しかも王族。下手なあしらいはできない。
フレアはどうにか上手く切り抜けたかったが、しかし中々上手くいかず。そしてリズーはアドリアンヌの家も本人も王家の敵にならないのであれば手出しはしないとしていたが、フレアは別だ。
自分からマルクスに近づいたわけではないが、マルクスが心を向ける先。
リズーはフレアに激しく嫉妬していたのである。
何故って、同じ学園に通う事になったのに、マルクスはリズーの存在を軽やかに忘れていたので。
幼い頃にあんなことを言っておいて、今の今まで交流らしい交流ができていなかったけれど、それでもそんなあっさりと……!? と怒りと嫉妬が燃え上がり、ポッと出同然のフレアがマルクスに親しげに話しかけられていたのを見て、殺意みなぎる状態だった。
リズーにとってフレアは一応友人ではあったけれど、しかしマルクスとどちらをとるのか、と問われればマルクスなので。
下手に自分を差し置いて親密にでもなってみろ? ただじゃおきませんよ、とばかりにじっとりとした湿度の高い殺意が自分にだけわかるように向けられていたフレアは正直いつも泣きそうだった。
対応を間違えたら殺されるのである。
王家の不興を買っても、リズーがアウトだと判定した場合でも。
生きた心地がしなかった。
けれどもそこに現れたのがアドリアンヌ。救いの女神である。
彼女の近くにいる時は殺気も飛んでこなかった。
オアシスは存在した……! とばかりにフレアはアドリアンヌにべったりになってしまったのだ。
アドリアンヌもそれを理解していたから、フレアを常に自分の近くに置いていた。
他にもしマルクスに想いを寄せる令嬢がいたとして、もしアドリアンヌが近くにいなければ。
フレアは子爵令嬢なのでリズー以外の伯爵令嬢や侯爵令嬢、はたまた公爵令嬢あたりにあれこれ言われていたに違いなかった。
マルクスの婚約者であるアドリアンヌといる事で、むしろ彼女と親しいのだと思われたのもあって周囲はフレアに対してそこまで辛辣な態度にならなかった。そうでなければ婚約者がいる異性に近づいて二人の仲に亀裂をいれるかもしれない相手として、令嬢としてはお近づきになりたくない相手と周囲に思われていたに違いない。事実が異なっていたとしても。
フレアにとってはまさしくアドリアンヌは救いの女神であった。
マルクスが何故リズーの事を忘れていたか。
それはとても単純な話だ。
幼い頃に出会ったリズーと今のリズーは、あまりにも違いすぎたからとしか言えない。
幼いころのリズーは天真爛漫でふんわりした少女だった。マルクスと出会った頃のリズーはまさしく物語に出てくるようなヒロインのような少女だった。
ところが学園に通う頃のリズーは、家の方針によって鍛え上げられた結果――
髪の毛で顔をほんのり隠すようにして暗い印象、地味に装い目立たぬように。さらには足音も消して気配も薄めているので、そこにいても周囲にいると思わせないという、貴族令嬢というよりは影。その場にいる令嬢の誰かを密かに護衛していると言われればきっと誰もが納得するであろう程であった。
明るく無邪気に笑うキラキラした少女だったリズーは、今では湿地帯に潜む毒を持った蛇のように変貌していたのである。アドリアンヌとフレアはそれぞれ個人で昔からリズーと接していたからこそ、その変化もわかっていたし受け入れていたけれど。
久々に出会う事になるマルクスに即気付け、というのは無理な話だったのだ。
けれどもリズーは恋に恋する乙女であったので。
幼い頃に約束してくれたマルクスはきっとどんな姿の自分でも気づいてくれると信じていた。そして早々に裏切られた。
可愛さ余って憎さ百倍、とまではいかないかもしれないが、マルクスの周囲には常にリズーが付き従っていたのだ。気付いていないのはマルクスだけ。
アドリアンヌは勿論、フレアだってほんのり殺意を向けられていたのだから気付いていた。
あとは――周囲でそんな三人の恋模様かもしれないものを見物していた生徒たちの中でも、何名かはリズーの存在に気付いていたかもしれない。だが、そんな第三者からはきっとリズーも当事者だとは思わず、近くで観客となっている令嬢、くらいにしか思っていなかったかもしれない。
いよいよ我慢の限界に陥ったリズーが既成事実を作ったのは、アドリアンヌからすればまぁそうでしょうねと思うもので。マルクスが第二王子であったのも、彼にとっては不幸だったのかもしれない。
もし第一王子で立太子などしていたのであれば。
未来の王妃になる女から婚約者である王子を無理に奪ったと問題になったかもしれない。
けれどマルクスは第二王子で次の国王になるわけでもなかった。
ヴェンディ家は長い歴史の中で王家を陰ながら守り続けてきた。
王妃はきっとこの家にマルクスを婿入りさせる事にためらいがあったようだが、しかしマルクスをリズーに与える事でより王家への忠誠が強固になるのであれば、もういいんじゃないかな……と国王は思っていた。
そもそも幼い頃とはいえマルクスがリズーを嫁になんて口に出したからこうなったというのもある。
両親は知らなかったのだ。そんな事が言われていたなんて。
けれども王家に忠誠を誓い偽りを述べる事のないヴェンディ家の人間が、恋に浮かされたからとてそのような事を言うはずもない事はよく知っていた。
幼い頃よりその言葉を胸に己を磨き続けてきたのだと言われ、アドリアンヌとの婚約が成ったとしてもそれでもいつかは……と言われ、王はもしここでアドリアンヌとマルクスを結婚させた場合ヴェンディ家の忠誠が揺らぐ可能性を考えてしまった。
国の暗部を担う家だ。
軽んじれば自らの足下も揺らごう。
アドリアンヌとの婚約前にせめて言ってほしかった……! という気持ちもあったようだが、リズーだってそもそもその婚約は何かの間違いだと信じたかったというのもあるし、学園でマルクスと再会してそこから恋を育みたかったというのもある。
リズーは国に忠誠を誓う忠実な駒でもあるけれど、それと同時に一人の乙女でもあったから。
マルクスが全くリズーを認識してくれなかったのもあって、とうとう焦れたリズーが実力行使してしまった事で、今回の事態に至った次第である。
マルクスが病気療養という名目で休学した際、実はリズーもひっそりと学園を休学していた。
といってもリズーはその優秀さでもって既に卒業できるだけのものを修めているので、この先学園に来なくとも何も問題はない。
そうして表舞台に出てこれなくなったマルクスを、自らの屋敷で丁重に癒すのだろう。
彼の病気が良くなるように。
……実際マルクスは健康体なので病気も何もという話ではあるし、むしろリズーの方こそ恋の病に侵されているのだが。
マルクスがリズーのところにいるのであれば、もうフレアはリズーからの凍てつく視線もねっとりとした殺意にも怯えずに済む。
一介の令嬢には過ぎた恐怖体験だった。
それにきっともうマルクスは社交界にも出てこない。
なので、うっかりどこぞの夜会などでばったり遭遇して、なんてことになってまたもリズーの嫉妬心が爆発するような事もないはずだ。
きっともうマルクスはヴェンディ家の屋敷から外に出る事はないはずなので。
解放感に泣きそうになっているフレアを見て、アドリアンヌはそこまでか……という思いと、わかる……という思い両方を感じていた。
政敵の足を引っ張るとかであれば、フレアだってそれくらいは対処してみせた事だろう。
けれども相手は恋するバーサーカー。暗殺技能を駆使していつフレアの命を事故に見せかけて始末するかもわからない存在だったのだ。
マルクスに付きまとわれていた事で他の令息たちにも近づけない状況だったし、婚約者を見つける事もままならない挙句下手をすると命を刈り取りにやってくる令嬢がいるとなれば、成人前の青春時代を謳歌できるはずの学生時代がとんだサバイバルである。
マルクスがいなくなったことで、アドリアンヌの婚約者も新たに探さなければならなくなったが、しかし彼女は既に候補が数名いる。
しかしフレアはそうもいかない。
なんだか不憫になってしまったので、
「うちの寄子の中から、数名紹介しましょうか?」
同情心からそう声をかければ。
「ありがとうございます女神様!」
フレアはその瞳を濡らしながらもアドリアンヌに縋り付いたのである。
王子様と恋におちた身分の低い娘。そして王子の婚約者。
そんな物語のような何かは、しかしふたを開けてみれば。
幼いころの約束を一途に信じた令嬢と、それを忘れた王子様と。
そのとばっちりを受けた娘と、そんな彼女を守る女神。
現実なのにこっちの方がより物語みがあるわね……なんて。
女神呼びされつつもフレアを宥めて、アドリアンヌはそんな風に思ったのである。
――これは完全な蛇足ではあるが。
マルクスがいなくなった後もアドリアンヌとフレアは学園内で行動を共にしていた。
王子様が果たしてどちらを選ぶのか、とはらはらして見守っていた令嬢たちはすっかりと興味をなくしたものの。
邪魔な王子が消えたぞ! と百合派閥は快哉を叫んだ。
別に百合でもなんでもないのに。
次回短編予告
愛らしい令嬢にすっかり骨抜きになってしまった王子と宰相の息子から、お前の婚約者地味じゃね? と言われた令息の他人事のような話。
次回 お伽噺のようにはいかなかった話
投稿は近いうちに。