1. ルナ
■ 15.24.1
「恋ね。(She must be fall in love)」
と、メイエラの声がダイニングに響くのが聞こえた。
ダイニングルームには皆が夕食を終えた後ののんびりまったりとした空気が漂っており、一方の壁面には半ば環境映像、半ばミスラの情操教育のためのビデオが投映されている。
ビデオは地球のどこかの山中にある美しい湧水池の水中映像で、まるで何も存在していないかのような透明度の高い水の流れの中を、ゆらりとたなびく水草が陽の光を浴びて眼にも鮮やかに揺れており、その水草の上を美しいシルエットの淡水魚が自由に泳ぎ回っている。
水中で撮影した映像というのが珍しいのか、或いはただ単に魚が好きなのか、ミスラはものも言わず迷惑そうな表情のミケを両脇からガッシリと抱えてソファに座り映像に見入っている。
ミスラの拙い説明であっても、繰り返し尋ねることで最近段々分かってきたのだが、どうやらミスラが生まれた星の科学技術レベルは相当に低いようだった。
多分、ファラゾア勢力圏から脱出し、さほど多くない数の者が未開の惑星に到着して生活を始めたは良かったものの、技術者や資材の不測、何よりも絶対的な人間の数の不足で技術レベルを保てなくなり、技術的に大きく後退したのだろうというのが、俺達の中での共通の見方だった。
そのような科学的文化的レベルの社会であれば、水中で泳ぐ生きた魚を記録した映像など眼にすることは無いだろう。
そもそもミスラの話を聞いていると、各個人或いは各家庭に映像や音声を配信するネットワークや放送網さえ存在しない星のようだった。
彼女がこの船に来てもうそれなりの時間は経つが、それでも興味を引く珍しいものはまだまだ沢山あるのだろう。
その後方では珍しく三人掛けのソファに座りゆっくりとコーヒーを啜るアデールと、口の周りを粉で真っ白にしながらデザートの豆大福を頬張り煎茶を啜って満足げな笑みを浮かべるニュクスと、ネット上から参加しているらしいメイエラのホロ画像が集まって何事かを話し込んでいた。
最近では偶にノバグとメイエラがホロ画像をわざわざ投映して話の輪に入ってくるのを見かけることがある。
どうやらそれは、義体を持たない彼女達が例え投映した画像であっても自分達の実体というものを持つ事に何らかの楽しみを見いだしているという事でもあり、また俺やブラソンなどの元々ヒトとして実体を持って生まれた者達が、話し相手の姿を見て話す場合と姿が見えない場合では僅かに異なる反応を示す事に対応したものでもあるようだった。
まあ言われてみれば確かに俺達実体を持つヒトは、誰かと会話をするときに無意識に相手の眼を見て話したり、表情や仕草で僅かな心の動きを上手く相手に伝えたり、逆に相手の視線や表情、仕草と云ったものから、相手が自分の話にどれだけ興味を持って聞いているのか、相手は自分の意見に同意しているのかそうで無いのか、或いは相手が正直に話しているのか嘘を吐いているのか、逆に相手がこちらの話を信じているのかいないのか、といったようなことを並行して感じ取りながら、言葉で会話している。
基本的に音声で意思疎通、情報伝達するしか無いネットワーク上の彼女達と会話する場合、視覚情報による情報伝達という手段がまるごと抜けている。
数値情報や観測情報をやりとりするだけの業務上の会話とは違い、感情の動きや内心の思惑などを併せて伝えるべきオフ時間のプライベートな会話では、互いに相手の姿を見ながら会話する方が情報量も多く、そもそも会話そのものが楽しいという事なのだろうと理解している。
と、話がわき道に逸れすぎた。
「いや、鮒だな。」
と、壁に投映されている水中映像を見ながら聞こえてきたメイエラの言葉に返す。
ちなみに、どこかの湧水池の映像の中では、鱒系と思われるすらりと長い優美な曲線をした魚が、極めて透明度の高い水の中を泳いでおり、それはまるで魚が空中を飛んでいるかのようにも見える。
ずんぐりとした鮒の魚影はどこにも見当たらなかった。
俺の発した台詞がダイニングに響くと、それまでぼそぼそと話し声が聞こえていたソファの三人が一瞬で黙り、沈黙が降りた。
どうやら俺の渾身のギャグは滑ってしまったようだった。
「お主。英語で言っておるのにわざわざ日本語に直して下らんシャレを突っ込むとか、意味の分からん事をするでない。全然面白うないぞ。」
ふっ。
オレ様の軽妙かつ超ハイグレードなギャグはどうやらこいつ等には難しすぎたようだ。
所詮機械とくそ真面目な軍人女だ。ユーモアのセンスが足りんな。
「・・・丁度良いわ。ちょっとマサシ、こっち来なさいよ。」
冷え切った静寂の中にメイエラの声が響いた。
どうした。
俺にユーモアのセンスを鍛えて貰おうとでもいうのだろうか。
見上げた向上心だ。俺も吝かではないぞ。
俺はダイニングテーブルから立ち上がり、まだ半分ほど残っているコーヒーが入ったマグカップを持ってソファに移動した。
「ユーモアというものはな、まずは聞く者の心を軽やかに明るいものにするような・・・」
「ギャグセンスが終末的に壊滅してるアンタにそんなもの教わろうなんて誰も思っちゃないわよ。良いからそこに座んなさいよ。」
と、俺の台詞を遮ってメイエラがこちらを睨む。
酷い扱いだ。
まあ、メイエラの性格設定が遠慮のないキツい物言いのハイティーンなのでこれは仕方の無いことだ。
俺は大人の余裕を見せてメイエラの毒舌を軽く聞き流し、マグカップをローテーブルに置いてニュクスの隣に腰を下ろした。
「で? 俺に何か用か?」
と、その場の三人に訊いた。
なぜか三人のジト目が俺に集まる。
俺が何かしただろうか?
心が湧き立つ様な愉快なギャグを場に放り込んだのは確かだが。
「アンタ、ルナのことどう思ってんのよ? キッチリ始末付けなさいよ。」
「ルナのこと? どういう意味だ?」
「質問に質問で返さないでよ。」
メイエラがさらにキツい口調で言うが、ガキが良く口にする台詞に思わず笑ってしまった。
質問に質問で切り返すのは、ごく普通の会話のテクニックだ。テクニックとさえ呼べない程度の。
そもそも質問で切り返されるような焦点のぼやけた曖昧な質問をする奴が悪い。
自分の意思と意図は正確に相手に伝わるように話さないとな。それが会話というものだ。
「質問が曖昧すぎて意図が分からない。今会話に加わった者にも分かるように明確な質問にしろ。」
ホロ画像で目の前の空間に投映されたメイエラを真っ直ぐ見て言う。
そのメイエラは俺の台詞に僅かに眉を顰め、不機嫌そうな表情で訊いてきた。
「察しなさいよ。鈍いわね。ルナはアンタのことが好きなのよ。家族として、親権者としてじゃなくて、一人の男として、よ。で、アンタはルナのことをどういう風に思ってんのか、って話よ。」
女三人集まってぼそぼそと話していると思えば、どうやら恋バナだったらしい。
メイエラは、まあそういうお年頃だとして、残る二人が恋バナに参加していたという事に少々驚いた。
ニュクスは・・・まあ、何にでも首を突っ込みたがる性格で、さらに機械知性体としてヒトのそのての心の動きに興味津々なのだろうというのは、理解できないでもない。
アデールがそこに加わっていたというのが驚きだった。
そういう話には無縁の女と思っていたからだ。
アデールに対する俺のイメージと云えば、典型的な情報部の軍人、或いは陸戦隊の戦闘狂というものだった。
その僅かに奇異なものを見る感情が交ざった俺の視線に気付いたか、眼鏡の奥のアデールの冷たいブルーの眼が僅かに眇められた。
「なんだ、私がこの手の話に加わっているのが変だという顔をしているな。失礼な。私とて女だぞ。他人の恋の話には人並みに興味はあるし、話していれば楽しい。普通の女なら愛や恋に夢中になって浮かれて過ごす時期を、訓練と実戦と工作で塗り潰された灰色の人生を送ってきたのだ。人一倍興味があっても不思議ではあるまい?」
なるほど。一理ある。
だがそれにしても違和感が否めない。
まあ、こいつは様々な人格を任意で入れ替えることができる職業的特技を持っているのだ。
その入れ替えることができる性格パターンのひとつに、軍人ではないごく普通の女の人格が入っていても不思議ではない。
潜入工作などを行う場合、当然その様な人格は必要になるだろう。
今、俺の視線の先でソファに座るアデールが、そういう「普通の女」の人格を使用している。ただそれだけのことだ。
問題は、その他人の恋路に興味津々の女が三人集まってひそひそと話していた恋バナの対象の片方が俺だった、ということだ。
自慢じゃ無いが、十代後半から約十年間、一人前の船乗りになり、そして自分の稼ぎでちゃんと食っていける運び屋になるためにがむしゃらにやって来た俺だって、実はアデールと大差ない似たり寄ったりな青春時代を送ったのだ。
寄港した星で一夜を共にした女の数はそれなりのものとなるが、当然その殆どは所謂ビジネスガールと呼ばれる女達であって、まともな恋愛経験なんぞ持っているわけも無かった。
面白いことに銀河中どこに行っても船乗りの男達がやることなんぞ大体決まっており、懐が温かい状態で陸に上がった男どもの金の使い道など、飲む打つ買うと相場が決まっている。
これは銀河種族であろうとも、古くは地球の海で海上船を操っていた歴史上の船乗り達であろうが、やっていることに余り違いは無かった。
「分かった。悪かった。で、ご婦人方は何でまたそんな話題で盛り上がっているんだ?」
どうにも旗色が悪い。
呼ばれるままにソファに移ってきたのだが、来るべきでは無かったかも知れん。
「何言ってんのよ。女が三人集まったら恋バナに花が咲くに決まってるでしょ。しかも丁度目の前に、なかなか実らない恋を胸に秘めて、朴念仁の鈍感野郎の相手を毎日させられている悲劇の美少女がいるってのに、話題にしないわけが無いじゃない。」
何が悲劇の美少女だ。
完全に面白がって酒の肴状態じゃねえか。
「で、どうなんじゃ。口には出さぬが、ルナの方は割と本気じゃぞ。」
知ってるよ。
外見だけ採ってみれば、十台半ばほどに見えるルナと、三十を超えた俺では親子とまでは云わないまでも、相当な歳の開きがある見た目をしている。
もちろん、外見は全く歳をとらない機械知性体の生義体と、確実に歳をとっていくヒトの組み合わせであるので、二十代前半の若い外見の生義体と百歳近い老人のヒトの夫婦というものはそれほど珍しいわけでも無い。
結婚したときには二人とも二十代の外見でも、片方だけが歳をとり、一方の機械知性体の生義体は全く歳をとらないのだ。
いずれ、親子どころか孫か曾孫ほどに外見の歳の差があるカップルが出来上がる。
それともう一つ。
仕事や人生のパートナーとして機械知性体の生義体を造るとき、大概の場合は自分の好みストライクど真ん中の外見の生義体を選ぶ事が多い。
当たり前の話だ。
とすると、生義体を造ったときには法律上は親子という事になっていても、すぐに身体の関係を持ち、実質敵に恋人或いは夫婦という事になるのも珍しくない、というかそんな話はその辺にゴロゴロ転がっている。
法律的には未だ色々議論されてはいるが、世間はそのようなカップルを認めており、そして法律もそれを後追いする方向で動いていると聞いた。
そういう意味では、俺がルナとひっついてしまっても、世間的にはよくある話で何ら珍しい事ではないのだ。
だが、このレジーナを造ると共に生態端末としてルナを発注した俺としては、どちらかというと庇護対象、或いは家族としての感情の方が強いのだ。
だからどうしても、ルナを見ていてもそういう対象として見ることが出来ないのだった。
「はあ・・・ダメじゃの。これじゃあ、ルナが頑張ってアピールしても何の成果も上がらぬのも頷けるわ。」
「なんだアピールって。」
「お主に食事やコーヒーを出すときに、さりげのう露出度の高い服を着たりしておるじゃろうが。」
「・・・は?」
確かに、ルナがよく着ている服は、Tシャツやタンクトップにショートパンツで、さらに船内を裸足でペタペタ歩き回るというものだ。
流石にパンツくらいは履いているのだろうが、ラフな恰好で居るときはろくに下着も着けないため、タイトなTシャツで胸の形までくっきり見えたり、緩いタンクトップの脇から胸が丸見えだったり、ローカット且つタイトなショートパンツから尻が半分見えていたりすることもしばしばだった。
尤も俺の方も、娘か妹かという感覚のルナに対して胸が見えようが尻が見えようがそういう対象として見ることは無く、ルナが船内に居るときのいつもの服装、程度にしか思っておらず何も気にしていなかった。
この船の乗員は女ばかりで、俺以外の唯一の男であるブラソンは自室にこもっていることが殆どであり、地球人的にはかなりの美少女である筈のルナはパイニエ人の美的感覚からすると不細工な部類に入るとはっきりと言い切っていた。
奴の理想の女性像バッチリのホロ画像を持つノバグが側に居て、不細工で貧相な体つきのルナに興味を示すことも無かった。
だからそのような恰好のルナに敢えて注意して着替えさせるという意識も俺にはなかった。
この船を手に入れてすぐの頃、ルナは服を全然持っておらず、どころか下着の替えさえろくに持っていない状態だった。
食器や食材まで揃えてくれたアンジェラにしては気が回らない事だと思ったが、ただ単にルナ、或いはレジーナの好みの服を買い込む方が良いと気を回してくれていたのかも知れない。
それに対してルナ本人は全く服に頓着無く、与えられたシャルルの造船所の作業用ツナギをいつまでも着ていて、汚れたらランドリーに出して、洗い上がるまでは裸で居れば良い、程度の意識だった。
それを知った俺はレジーナ進水後の初寄港地であったアルテミスステーションで、慌ててルナに服や下着を一通り買い込むことを命じた位だった。
というような過去があったので、ルナがいい加減な恰好で船内をうろつくのは、相も変わらず服装に全く頓着していないからだと思っていた。
「やはりの。気付いておらんかったか。不憫じゃのう。お主、それで男としてどうなんじゃ?」
うるせえよ。
娘に欲情する方がどうかしてるだろ。
女三人がひそひそ話をしているところに割り込む暴挙を行ったことを俺は後悔し始めていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
なんかもう、全然ガラじゃ無い話を書いてます。w
レジーナ船内の、クルー同士の日常的なわちゃわちゃを偶に書いてみたくなるんです。
ここのところ1話/週のカメ更新になっており申し訳ないです。
話の進みが遅いので、ホントは出来れば以前のような2回/週に戻したいのですけれど・・・
バカな仕事量がどうにかならんとどうしようもないです・・・